第16話 リリーナ様。公爵様がお見舞いにきてくださったようです。
夜会から戻ったその日――王都にあるシュバインフルトのタウンハウスでは、蜂の巣を突っついたような騒ぎになった。
シュバインフルト伯爵家当主が頬を腫らして、手首に痣をつけて帰宅したのである。
クラウドもフリッツもカミラもあわあわしていたが、「疲れた、風呂、寝る」と、まるでどこぞの中年オヤジかといった三ワードでやり過ごす。
夜会に行く前以上に、風呂には薬効成分のあるハーブ湯が張られ、頬や手首に薬を塗りたくられて、着替えたら、どっと疲れが出てベッドに入り、あろうことか、その翌日には熱を出した。
異世界の貴族令嬢になって見た目はよくなったが、体力面が下がっているなとぼんやり思う。
まあ前世と違って、そりゃ細いからな!
ただ手首はやはり捻ったとは違うかもしれない。痛い。
ダイニングにも足を運ばないで、私室でちょっぴりの朝食を摂ることにして、運ばれた朝食を前に唸る。
スープはスプーンじゃなくて、なんかないかなー前世のようなゼリー飲料みたいに、吸い上げられるような……スープをストローで吸い上げるなんてできないかあ……。
そうだ、あれだ、皿じゃなく、カップに! カップに入れる! カップスープみたいに入れる!
「まだ、手が痛いので、スープをカップに入れて持ってきてくれないか?」
「はい?」
「利き手がまだ痛む」
専属の給仕のメイドがはっとして頷き、もう一人のメイドにお茶の給仕を言い渡して、食事を一旦下げる。
香り高いコーヒーを味わいつつ、ぼんやりとしてる頭を働かせる。
本来なら身支度してからの朝食だけど、頬と手首の負傷に微熱が続いているので、だらしないけれど、寝起きのままだ。
朝食を給仕するメイドが運んできたのは、カップスープと手でつまめるサンドイッチに変わっている。
わかってるな~料理長。
その朝食をもそもそ食べてると、ドアノックがする。
クラウドだ。
うら若い貴族令嬢だったら入室は許可しないだろうが、わたしは転生者だし、一糸まとわずでもなし、ナイトウェアにガウンを羽織ったこんな恰好だけど、クラウド相手に取り繕うこともないので入るように言いつけた。
貴族令嬢としての恥じらいより、執事との対面を優先するあたりが、シュバインフルト伯爵家当主然としているとタウンハウス内の使用人達も思っているんだろう。
「お嬢様、いえ、ご当主様、体調のほうはいかがでしょう? 実は先ぶれがございまして」
「わたしが倒れてる間に? 誰かくるの?」
「クレアール公爵閣下がお見舞いに」
ぎょっとした。
元王子様がお見舞いにくるとな?
「着替える」
わたしがそう言うと、クラウドは一礼して、ドアの外に出て、食事を給仕するメイドとは別のメイドが入ってきて、ドレスルームに向かい室内ドレスを選別し始める。
実はクレアール公爵(元王子様)からは、夜会の翌日から見舞いの花束を送っていただいてる。そこにご本人が登場するなんて、これはいけない、だらだらしてられない。
手首はまだ若干痛みが残るが熱は下がった……とは思う。
念のため、解熱剤を服用し、急いで着替えの手伝いをさせた。
クラウドのことだから、この来客については家政婦長のカミラに通達し、タウンハウス内のクリーンメイドが今頃あちこち館内を行き交い、特に応接室には入念な作業が施されているはずだ。
着替えている間も大声はないが、慌ただしい気配がこの私室にいても感じ取れる。
「髪はいかがいたしますか?」
「薬が効いていないようね。まだ頭痛がする。全部結い上げるのはやめてほしい」
「かしこまりました。ではハーフアップに」
「うん」
「お嬢様――いえ、ご当主様の髪はいつ見ても素敵です」
「本当? 例の夜会で髪をむしられなかったのは僥倖ね」
「まったく! とんでもない男もいたものです! でも、ご当主様はまだ若い女性なのですから、もう無茶はしないでくださいまし!!」
「善処する」
「館の者はみな心配したのですよ?」
「うん」
温かい蒸しタオルで顔をかぶせられて、怪我した部分を除いて肩や首なんかのマッサージを施される。
この瞬間って、伯爵家当主になってよかったな~ってしみじみ思うわ。
ああ~効く~。
こんな様子を義弟が見たらきっと「残念美人のおっさん令嬢」とか言いそうだ。
「お顔の腫れが引いてようございました! まだ痛みますか?」
「うーん……」
ビンタされた時はさ……ビンタって、グーパンと同じぐらいの衝撃だと思ってびっくりしたんだわ。口の中も切った。
それに比べて別に大したことないと思ってた手首の方が、後々になった今になってなんか痛いんだわ。痛みもそうだけど、赤黒いのが引かない。
箸より重いものは持ったことがないとか前世でよく言われるようなご令嬢になったんだけど、痛みでカトラリー持てないのはいかがなものか。
顔の方は、鏡見るとまだ化粧前なのに、腫れも赤味も引いてて何よりなんだけど。
ヘアメイクとメイクを施されて、失礼に当たらないドレスに着替えて、姿見で自分でも確認する。
「ありがとう。いい感じだわ」
「もったいないお言葉です。ご当主様」
「お嬢様がご当主様におなりにあそばれたから、わたくしたちも、腕の奮い甲斐があります」
なんといっても、伯爵家当主を飾れるというのは、普通の貴族令嬢を飾るとはまた当事者の気持ちが違うらしい。
それは矜持の問題なんだろうけど。
仕事にプライドを持つことはいいことだよね。うん。
支度が済んだ旨をメイドに聞いたのか、クラウドが再び入室してくる。
「ビュッセル伯爵家の一件、今どうなっている?」
「は、クレアール公爵家で、あらかたの尋問が済んだとのお知らせを受けております。あとはご当主様の指示通り、フリッツが奴の身柄をしかるべき場所へ」
「で、公爵閣下のほうから、被害があったお家のリストとかは――」
「まだでございます」
「ふむ」
じゃあ、お見舞いがてら、賠償金の擦り合わせかな?
わたしも相談できたらと思っていたところだ。
ビュッセル伯爵との話し合いの前の事前打ち合わせといったところか。
「お茶請けは、オレンジタルトを用意してほしい。お爺様の日記を読んだが、かの方は幼少時ことのほかお気に入りのお菓子だったそうだ」
「かしこまりました」
さて、あの屑男はどれだけのご令嬢から金を引っ張り出していたんだろうか。
元王子様のお花も嬉しかったけれど、今は、元王子様、お花よりそっちの情報をはよ! って気持ちですわー。
そんなわたし自身をもう一度で鏡を見たら、多分、めっちゃ悪役令嬢顔になってるだろうなと思いながら、私室を後にした。




