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瑠璃色の銃声◆元子爵令嬢の浪漫奇譚  作者: 潯 薫
第壱章 瑠璃色の冒険
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第肆話 瑠璃色のお嬢様と三人の来客(2)

「やっと三人目ね。一人目が東京警視庁刑事部長でしょう。二人目が東京逓信局長でしょう。いったい次はどなたかしら?」

「まだ会っておりませんが、備里(びり)くんから受け取った名刺によると、毎朝新聞の記者だそうでございます」

「うわぁ……記者かぁ」


 華族はゴシップ記事のネタにされることも多く、記者を敬遠する傾向がある。瑠唯子(るいこ)自身は直接の被害を受けたことはないが、これからもそうとは限らない。たとえ、()子爵令嬢といえど、恰好の標的には違いないのだ。

 逓信局長を送り出し、書画閲覧室へと向かう二人が、ちょうど書画閲覧室から出てきた備里と鉢合わせた。


「マスター、助けてくださいよぉ。お客さん、痺れ切らしちゃってもう、八つ当たりが激しいのなんのって。珈琲届けるのも、もう三杯目なんですよぉ」

「もっと苦いのをご提供すれば良いんじゃありません?」

「さすがに、それは出来ません。記者さんでしょう? お店の風評にかかわりますから」

「それもそうか。陽介(ようすけ)、偉いわね」

「誉めても何もでないですよぉ」


 ※


「毎朝新聞記者 和都(わと)(じゅん)……」

「えぇ、そうです。以後、お見知りおきを」

 瑠唯子が貰った名刺の字面を読み上げると、目の前の男は、それを肯定した。

 二十二歳の瑠唯子よりもさらに若く見える。

 ハンチングの下に覗く細い眉、切れ長の目。まるで獲物を物色するようなその目は、猫科の野生を感じさせた。薄い唇がニヤリと笑う。


「しかし、随分と待たされたもんですね。ほら、もう三杯目の珈琲も空っぽだ」

「お代はしっかりといただきますよ」

「うげ……一杯幾らでしたっけ……」

「一杯、拾伍(15)銭。三杯ですと、肆拾伍(45)銭ですな」

「経費で落ちないかな……」


 うどんが一杯()銭で食べられる時代である。徐々に庶民に浸透しつつあったとはいえ、珈琲は、まだまだ富裕層の嗜好品に近かった。

 随分と待たされたことを理由にマウントを取り、話し合いを有利に進めようという彼の魂胆は、老獪な瀬蓮(せはす)手練(しゅれん)によって、あっさり覆されてしまった。

 切り札(ジョーカー)はこちらにある。値引きをチラつかせれば、幾らでも有利に交渉を進められそうだった。


「うーーーーん。弱ったな。あのぉ。まだ何もお話しさせてもらってない内から、なんなんですが。ちょっとした情報をご提供したら……、そのマケてくれませんかね?」

「こちらが欲しいような情報をお持ちだと?」

「いや、まぁ、そうとは限りませんが。無ければ探してきます! 情報集めてきます! 元々、それが本業っすから!」


 彼はおそらく、何か情報を得るためにここに来ていた筈である。しかし、話し合いが始まる前から、情報を提供すると商談を持ち掛けている。その違和感に氣付けない程に、肆拾伍(45)銭という出費は軽視できないものだった。


「ぷっ!」

 その様子を見て瑠唯子は、我慢たまらず噴き出した。


「あなた、面白い方ね。男前だし。氣に入ったわ。納冨(なんど)瑠唯子(るいこ)よ」


 そういって、手を差し出した。

 和都は、その手をそっと握り返しながら言った。


和都(わと)(じゅん)です」

「ワトソンみたいなお名前ね。そこもまた、面白いわ」

「わとそん?」


 瑠唯子の言った意味が分からず、和都は首をかしげた。


「あら、ご存じないのかしら? シャーロック・ホームズよ」

 瑠唯子の説明の『シャーロック・ホームズ』がさらに分からない。地名だろうか?


「えっと……あまり外国のことは……」

「まぁ。それでも記者さんなのかしら。あなた、教養は身に付けておいて損はないものよ。ご自分をもっと磨きなさいな」

 今度は、瀬蓮が笑いを堪える番だった。教養を身に付けよ、自分を磨けとは、彼が日ごろ、瑠唯子に言っているそのままだった。


「まぁ、良いわ。早速ですけれど、どんな情報をお持ちなの?」

「そうですねぇ。最近、女史探偵が秘かに事件を解決して回っている、なんてのはどうです? 僕、このネタ追ってましてね。まだ詳しいことは掴めて無いんですが、面白そうでしょう? 逆に何かご存じだったりとかしませんか?」


 なんのことはない。それは今、彼の目の前に座っているではないか。


「興味ないわ」

「そうですか。では、弔慰金強盗犯が逮捕されたってのはどうです?」

「あら、耳が早いじゃない。それ、今日の事じゃないの?」

「そうです! 入手仕立てのほやほや、熱々の情報ですよ!」

「どこからそれを入手なさいましたか?」

 和都と瑠唯子の会話に、瀬蓮が割って入った。


「それは、ちょっと……企業秘密というやつで……」

 瀬蓮がぎろりと凄みをきかせ、圧をかける。

「いや、いや、これは、これだけは! 勘弁してください!」


 ――ほぉ。

 彼の圧に屈せず、口を割らなかったことに、瀬蓮は感心した。


「あぁ、そうだわ。その弔慰金強盗ね。裏に犯罪組織が関わっているかもしれないそうなのよ。その辺り、探ってみてくださる?」

「へぇ。犯罪組織ですか。了解です!」

「今のところ、口約束だけで、何も情報をいただいておりませんな」

 瀬蓮が再び和都を揺さぶった。


「ひぃ。出します! 出します!

 そ、そうですね。えっと……。あ、そうだ。新聞の一面にも出てたから、もうご存じかもですが、横須賀湾の重巡戰艦『筑波』の爆発事故の続報なんて、どうですか?」


 瑠唯子の目が輝き、瀬蓮の目が険しくなった。

「いえ、それは結構……」


 そう、瀬蓮が切り出そうとしたところへ、瑠唯子が被せて言った。

「それ、いただきますわ。聞かせてくださらない?」

 瑠唯子の目が輝いている。


「はい。爆発事故そのものは……ご存じです……よね? その重巡戰艦『筑波』の爆発事故について、明日から査問会が開かれることになってまして。その査問会の中で調査結果が報告されるらしいんですが。当初の見立てでは、爆発の原因は、火薬の自然発火か艤装の不具合による事故との見方がなされていましたが、どうもそうではなく、人為的に引き起こされたものであろうとの調査結果が報告されるそうです」

「へぇ。興味深いわね。それ、もっと掘り返してちょうだいな」

「了解です!」


 やっと、情報が提供できた。その安堵から、和都は無謀な安請け合いをしてしまった。しかし、本人もまだ、これから、どんな危険に首を突っ込むことになるのか、この時にはまだわかっていなかった。


「あのぉ。それで、珈琲のお代の件なんですが……」

「一杯分マケてあげるわ」

 一杯、十五銭。一杯マケて貰っても、まだ二杯。三十銭である。


「あのぉ……。犯罪組織を調べるお話と、筑波の事故を調べるお話をいただいた分で、それぞれ一杯分ずつの前借りってわけにはいかないでしょうか?」

「まぁ、図々しいお方。うちの珈琲を三杯もただで飲もうだなんて」

「いやぁ、ちょっとこの……手持ちが寂しくて、どうにも……ごめんなさい!」

(じい)、どうなさいます?」


 店のオーナーは瑠唯子だが、マスターはあくまで瀬蓮である。

「仕方ないですな。今日のところはそれで」

「あ、ありがとうございます! 助かります! では、以後、お見知りおきを!」


 瀬蓮の氣が変わらないうちに逃げ出したい一心で、和都は手早く荷物を抱えると、慌てて逃げるように可陽(かうひい)茶館を後にした。


「結局、あの方、本当の目的はなんだったのかしら?」

「さぁ、なんでしょうね。ちらっと話しかけていた女史探偵の情報を得ようとしていたのでしょうか」

「ですわよね。なのに、何の情報得られなかったようですけれど、良かったのかしら?

 むしろ逆に、とても使えそうな情報源になりそうですわね」

「そうですね。しかし、記者というのは、屍肉を貪るハイエナの如き者と聞きます。油断なさらぬよう。その女史探偵の件を、どうしてここで聞けると思ったのか、その辺りも気になりますし」

「えぇ。気を付けますわ。ですが、彼、ハイエナというよりも……何か猫科の……ヤマネコとか、そんな感じでしたわね」

「いえ、いえ。情報源だけはしっかりと守る胆力を併せ持っておられました。やはり、ハイエナです。くれぐれもご用心ください」

「わかりました」

 情報源として利用できそうではあるものの、彼が追う女史探偵が瑠唯子自身であることは絶対に隠しておかねばならない。


「しかし……」

 そこで、瀬蓮は言葉を切った。


(じい)、どうかしまして?」

「いえ……、その……、お嬢様が……、教養を語られるとは!」


 我慢しきれなくなった瀬蓮が口元を抑え、控えめに笑った。


(じい)、意地悪ですわね」

 瑠唯子(るいこ)は、頬を膨らませた。

 小さく畳んで握りしめていたメモがかさりと音を立てた。逓信局長の保木栖から預かったメモだ。明日から、神田に配置替えとなり、郵便逓送の傍ら、このメモの住所の老夫婦に話を聞いてこなくてはならない。

 そこには、確かに事件の予感がする。


 ――この感じ、堪りませんわ!


 武者震いを覚える瑠唯子(るいこ)だった。

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