第參話 瑠璃色のお嬢様と三人の来客(1)
「爺は何かご存じなの?」
「いえ、そういう訳では……」
「ねぇ。もしかして、お父さまに何か関係が?」
「いえいえ。そうではございません」
長年の付き合いから、爺の物腰に隠し事の氣配を感じる。しかし、こうはぐらかされては、聞き出しようがない。彼がそういう態度を取る時、何を言っても口を滑らせることがないのも経験から分かっていた。瑠唯子は「筑波」の件は、日を改めて探ることにした。彼が隠したいと思っていること、それは恐らく父に関係のあることなのだ。どう関わりがあるのかは全く分からないが。
瑠唯子は、話題を変え、来客とその用向きについて尋ねた。
「一人目は、戸場瀬様でございました」
「うへぇ。でた、刑事部長!」
「お嬢様、言葉使いが乱れておいでです」
戸場瀬厳悟。面識のある知古の仲とはいえ、東京警視庁のお偉いさんだ。常連客の一人ではあるが、それがあらたまって面会だと言うからには何かある。瑠唯子はお嬢様言葉も忘れ、思わず仰け反って驚いた。
「私、また何かやらかしたかしら?」
「また」と自ら言うあたりに、瑠唯子のお転婆ぶりと、その自覚がありありと表れている。何しろ、心当たりがありすぎるのだ。
瀬蓮は僅かに眉をひそめ、無表情なまま、小さくため息を漏らして言った。
「備里くん。ありがとう。しばらく、ホールの方をお願いできますか」
「承知しました」
番頭の備里がホールへ向かうのを横目で確認してから、瀬蓮は、瑠唯子との会話の続きを始めた。
「いえ、早速、弔慰金殺人事件解決のお礼でした」
「あら、早いわね」
そう言い終わるより前に、当の戸場瀬刑事部長がぎしぎしと階段を軋ませ降りてくる。
「いやぁ、こんなにあっという間に解決してくれるとは思わなかったのでね。実際、警察じゃ半年追って成果が無かったからな。お嬢様の腕前はさすがというしかない。例の不思議探偵だっけ? まさにそんな感じの手腕だよ。感服したね」
真冬だというのに、背広の袖をまくり、恰幅の良いお腹を揺らしている。いつもはガミガミとうるさい男だが、今日はすこぶる機嫌が良いらしい。
「しかし、お嬢様、まぁた、無茶をしなさったようだね」
などと、銃を構える仕草を交え、冗談まで飛び出す始末。そんな戸場瀬に瑠唯子は「あかんべぇ」で応じた。
「はっはっはっ。巡査にもそれやったそうじゃないか。聞いたよ。まったく、お嬢様ときたら、そんな仕草も可愛いんだからな。そうそう、犯人の肩からはセミオートマチックの三十二口径の弾が見つかったんだがね」
同じ三十二口径とはいえ、シングルアクションのS&Wモデル2アーミーに使用するリムファイア弾と、セミオートマチックのワルサーモデル4に使用するブローニング弾では、明らかな違いがある。
瑠唯子は、「可愛い」と言われたことに氣を良くして、心を許したように見せつつも、そこはしっかり態度を変えてはぐらかす。戸場瀬との間では、瑠唯子たちが違法に拳銃を所持していることは、暗黙の了解事項ではるものの、だからと言って面と向かって肯定するわけにはいかない。
「さぁ、なんのことかしら? でも、そんな事を仰るために来られたわけではないんでしょう?」
「これは一本取られたな。そうだよ、ちゃんとお土産も持ってきた」
戸場瀬の続きを引き取って、瀬蓮が話す。
「やはり、逮捕した二人は末端で、裏に犯罪組織が存在する可能性が高いそうで。引き続き調査を頼みたいとのことです」
「あら、そうでしたの」
そうは返したものの、なぜ裏に犯罪組織があると分かったのかが、氣になる。そんな彼女の氣持ちを察してか、戸場瀬が続けた。
「あいつらが使っていたS&Wな。郵便保護銃と同型のモデル2アーミーではあったが、出所が郵便局ではなかったんだ。彼らが逓送時に使用する保護銃は、きちんと郵便局に保管されていた。休暇中にこっそり持ち出せるものでもないし、どこか別のところから入手したものらしい」
「なるほど。同型なので、弾薬筒だけ、拝借したというわけですのね」
「あぁ。そのようだ。やたらと野犬に遭遇していたようだ」
「ほかには何か?」
「いや、まだここまでだ。今は逮捕した二人を絞りあげている最中だから、何か聞き出せたら連絡するよ」
そう言って、珈琲代をカウンターに置いていく。依頼の報酬の方は既に客室で受け取っていたのだろう。
ぎぃぃ。
重い扉を軽々と押し開け、戸場瀬が広い背中で手を振った。
「どうも、ありがとうございました」と瀬蓮。
瑠唯子はお嬢様らしく、
「ごきげんよう」
と言って見送った。
――あぁ、また……。
単独犯だと思い込んで、窮地に陥り、爺の助けが無ければ危うく命を落とすところだった。そればかりか、犯人の銃の出所についての考察が甘く、後ろに犯罪組織のあることを見逃した。
――これ以上、ミスを重ねるわけには參りませんわ。氣を引き締めませんと。
※
「お嬢様、まだお二人、客人をお待たせしてございます」
「そうだったわ。次はどなたかしら?」
「はい。二人目は保木栖様でございます」
「ほきす……どなただったかしら?」
「お嬢様、ご自分のお勤めになっている組織の長をお忘れですか?」
「え、まさか。逓信局長!?」
「はい。直接お話ししたいと応接室で待っておられます」
保木栖晋平。東京逓信局の局長である。几帳面が服を着ているような男ではあるが、瑠唯子の父親には恩義を感じており、彼女が女性ながら郵便逓送員となるにあたって、影で尽力してくれた人物でもある。ちなみに、彼女が郵便逓送員になりたかった理由は、「許可なく拳銃を携帯できるから」という単純な理由だった。
当時、あらゆる銃の所持には、護身用といえど許可が必要だった。警察官でさえ日常的に携帯しているのはサアベルで、拳銃は携帯していなかった。例外的に許可なく携帯が許されていたのは、正装時の陸軍軍人と、郵便逓送員だけ。いかに郵便逓送員が危険を伴う仕事と見做されていたかがわかる。
「刑事部長に、逓信局長って。今日はいったいどんな厄日なのかしら? 私の何がいけないの?」
ぶつぶつと独り言を呟きながら、階段を上る瑠唯子に、後ろから瀬蓮が声をかける。
「ご自分のお勤めになっている組織の長をお忘れになったりするからでございます」
「言わないで」
※
再び、カウンターの中を備里に任せて、二人で二階の応接室へ。瀬蓮がノックで入室の確認をすると、ガバッと中から扉が開いた。
「納冨君、うちの職員が二人も逮捕されたってのは本当かね!?」
逓信局長の保木栖が瑠唯子の入室を待ちきれず、両肩をがしりと掴み、揺さぶるようにして室内に引き入れながら問い質す。
「きょ、局長。落ち着いてくださいまし!」
「す、すまん! で、どうなのかね!」
「保木栖様。どうぞ、まずは席にお着きください」
「わ、わかった」
促されるままに、席には着いたものの、とても落ち着ける状態ではないと言わんばかりに、眼鏡を曇らせ、掛け直し、足を揺する。ごくり、と唾を飲み込む音が対面に座る瑠唯子と瀬蓮にも聞こえるほどだった。
「今日、郵便逓送員が二人、弔意金強盗殺人未遂の現行犯で逮捕されましたわ。余罪の取り調べを警察で受けているところだと思います」
「なんと。噂は本当だったのか。これは由々しき事態だ!」
頭を搔きむしり、逓信局長はソファに沈み込んだ。
「どうしたものか。これは私の責任問題になるぞ」
そう嘆く逓信局長に向かって、瑠唯子は淡々と追い打ちをかけた。
「あの……二人だけでは済まないと思いますわ。実際に強盗殺人を行っていたのは、逮捕された二人ですが、協力者が何人もいますの。それぞれの事件の起きた地域の担当者で、ちょうど事件の起きた日に弔慰金を逓送していた方々です。恐らく犯人と結託していたんですわ。幾ばくかの取り分を報酬として受け取っていたのでしょう。彼らもいずれ逮捕されることになりますわね」
逓信局長は、顔面を蒼白にして口をぱくぱくと動かしている。
「終わった……」
あまりの動揺に、ずり落ちた眼鏡に気付きもしない。
「まぁ、起きてしまったことは如何ともし難いですわね。被害にあわれた方々やそのご遺族には誠に辛く、申し訳ないことですが、これ以上の被害を食い止めることはできましたし」
「そうだが。そうなんだが……」
「いずれ、警察から局長へもご連絡が參るかと存じますわ」
逓信局長は、がっくりと首を垂れ、動かなくなった。
「あの……私の調査に、逓信局の職員の皆様が協力的だったことで、迅速な事件解決ができましたと、警察にお伝えさせていただきますわ」
逓信局長のあまりの消沈ぶりに、さすがに可哀そうに思った瑠唯子は、そう言った。
「ありがとう……」
逓信局長は、消え入りそうな声でそう答えるのがやっとだった。
「ところで。御用の向きは他にもあると、先ほどお伺いしましたが」
そう瀬蓮が水を向けると、はっと我に返った逓信局長が、胸の内ポケットから一枚のメモを取り出した。
「そうだった。余りの動揺に、忘れるところだった」
メモには、とある住所が書き留められていた。
「この住所には、私が個人的に懇意にしている老夫婦が住んでいてね。その方から内々に頼まれたんだが、最近、孫と連絡が取れなくなったらしい。事件性があるのかどうか定かではないということで、警察は動いてくれないらしくてね」
「直接お話を伺った方が良さそうですわね?」
「そうなんだ。なので、早速、明日から神田に配置替えさせるから、納冨君、ちょっと様子を見てきてはくれないか? 私は今回の弔慰金の事件のこともあるし、自分では動けそうにないのでね」
「まぁ。個人的な頼みで配置替えまでなさるんですの? 呆れた公私混同ですわ」
なるほど、逓信局長自らが瑠唯子に直接会って話したいと言ったのも頷ける。
そして、まだ、事件と決まったわけではないが、瑠唯子には、確信があった。
――事件の香りがしますわ。
「承知しました。私にお任せください」
「ありがとう。こんなことを頼めるのは、納冨君しかおらんのだ」
こんなことにやや、引っかかるものがあるものの、頼られて悪い氣はしない。
これで保木栖の用向きはだいたい片付いた。まだ、もう一人来客を待たせている。要件が済んだなら、早々に退出願いたいところだが、未だ動揺の冷めない逓信局長は、「どうしたものか」、「ありがとう」、「よろしく頼む」を堂々巡りしていて立ち上がろうとしない。
そんな逓信局長の手から引きちぎるようにメモを受け取り、瀬蓮と瑠唯子の二人で背中を何度も押しながら、退出を促した。
「もう。まだ一人お客様をお待たせしてるっていうのに! 今日は、本当になんて日なのかしら!」
「後で盛り塩でもしておきましょうか?」
「えぇ。そうしてくださらない? 本当に……」