第弐話 瑠璃色のお嬢様と弔慰金強盗殺人事件(2)
瑠唯子がワルサーモデル4を構えて牽制する間に、瀬蓮が犯人の男たち二人を後ろ手に縛りあげた。瑠唯子が肩を撃った男も、もう一人の男も抵抗を諦め、今は静かに老婆の家の土間にあぐらをかいている。瑠唯子は、ふぅと長い息をつき、ようやく緊張から解放された。
縛り紐は、老婆から借り受けた兵児帯だった。先ほどまで彼女を縛り上げるために使われていたものだ。もう少しで命を奪われる瀬戸際だった老婆は、まだショックに体を震わせていたが、自分を救ってくれたのが若い女性だと分かり、驚きながら瑠唯子にお礼を言った。
「まぁ、まぁ、こんなに若くて別嬪なお嬢さんが……」
老婆は震える声で呟き、瑠唯子の両手を挟むように手を握る。
「怪我はせんかったかい? こんな綺麗なお嬢さんに怪我でもさせてしもうたら、戰地で亡くなった息子に叱られてまう」
「いいえ、平氣です。あ、これは野犬と喧嘩した時の傷ですから、違います」
「まぁ、勇ましいこと。お陰さまで、命拾いいたしました。老いた母だけ遺されても、つまらんもんで。お金も命も惜しくはないんじゃが。んでも、残りの人生の足しに言うて息子が遺してくれた金じゃろ。最後の孝行を無駄にしとうなくてね。ありがとうございます」
老婆は何度も何度も瑠唯子に抱きつきながら、感謝の言葉を述べた。そこへ、警察を呼ばせていた瀬蓮が戻ってきた。
「まもなく警察が来るでしょう」
「息子が生きていたら。是非、お嫁さんに来て欲しいぐらいだわ。本当に素敵なお嬢様だこと」
「(べっぴんさん、ですって)」
老婆に抱きつかれたまま、瑠唯子は、音には出さず、口だけを動かして瀬蓮に小さく笑う。
「ご婦人、些かお転婆が過ぎるだけでございますので。あまりそのように煽てられますと、調子づいてお嬢様のためになりませぬ故、その位に……」
水を差す瀬蓮の言葉に瑠唯子は口を尖らせた。
※
程なく、二人の警察官が馬に乗ってやってきた。犯人を警察に引き渡し、形ばかりのやり取りを行う。若い方の警察官が瑠唯子と瀬蓮に、疑いの目を向ける。
「そういう、お前たちは何者だ! 怪しい奴らめ。お前たちも犯人の一味なんだろう。大方、取り分の分配で揉めたんだな。お前たちも署まで来てもらおうか。たっぷり締め上げてやる!」
慌てて年配の警察官が止める。
「こら、よせ! お二人については、署長から聞いております。捜査へのご協力、感謝申しあげます!」
そう言いながら二人に向かって年配の警察官が敬礼するのを見て、若い警察官も渋々敬礼する。
瀬蓮は胸に手を置き、丁寧に頭を下げ、瑠唯子は、あかんべぇを返した。若い警察官はそんな彼女の態度にムッとはしたが、年配の警察官が首を振って止めるので、我慢した。
※
瑠唯子と瀬蓮は警察官が手配した貸し切り馬車に揺られて帰途についた。老婆が別れ際に瑠唯子に言った言葉を思いだす。
「本当の孝行は、親より先に死なないことだよ。お嬢さん、あんたはご両親よりも長生きするんだよ」
父親は三年前、海軍と外資の商社との癒着による贈賄疑惑の渦中で、自身もその疑惑を掛けられ爵位を失い、失意のうちに自死を選んで亡くなってしまった。父が贈賄に関わっている筈がないと、瑠唯子は信じている。そして、いつか自分の手でその疑いを晴らしたい、そう思っていた。
一方、母親は清瀬に居る。
「爺、今度の休みに、清瀬に会いに行ってこようかしら」
「よろしいかと。奥様もきっとお喜びになるでしょう」
「だと良いけれど……」
凹凸の激しい砂利道を進む馬車は、がたがたと振動が激しく、乗り心地はお世辞にも良いとはいえない。むしろ、最悪だった。
「馬が良かったですわ」
「俥で無かっただけ、マシではないかと。それよりも、お嬢様。謎解きをしていただけませんでしょうか?」
「謎解き、ですか?」
「えぇ。どうしてこんなに短時間で犯人に辿り着けたのか、そこのところが、この瀬蓮には、皆目見当もつきませぬ故」
「ふぅん。どうしよっかなぁ」
その言葉使いに、穏やかな相好はそのままに、瀬蓮の眼光が鋭くなる。もう子爵令嬢でもなんでもないというのに、瀬蓮は、瑠唯子に氣品を保った振る舞いをさせようとするのだった。
「ね? これで、お小言を無しにしてくださらないかしら?」
「それとこれとは、別でございます」
瀬蓮は、馬車の揺れに合わせるように小さく首を振った。
「えぇーー。ダメですの?」
「はい」
慇懃な調子は変わらないまま、瀬蓮は瑠唯子に厳しい視線を向ける。
ひょんな事から、警察に協力し、私立探偵などという危ない仕事を受けるようになってからというもの、瀬蓮は、一日たりとも氣の休まる日はなかった。昨日は郵便逓送中に野犬に襲われ、今日は強盗殺人犯と対峙し、もう少しで命を奪われるところだった。止めたとて素直に聞き入れるような性格でないのはわかっている。だからこそ、自分でその危機を回避する術を身に付けて欲しい。
彼は冬の寒々とした田園風景に目を移した。諦念と決意が混ざる。それは、彼のいつもの無表情だった。
――私の目の黒いうちに、しっかりと教育してさしあげなければ。
「犯行が鮮やかすぎたんですわ。どの犯行も弔意金の支払い直後、郵便逓送員が帰ってすぐに起きています。弔意金が支払われるタイミングを正確に把握できるのは、当の逓送員だけですから。逓送員が犯行に関わっているのは間違いありませんわ」
「それが、昨晩お嬢様がお話しされていた絲口でございますね。しかし、東京府下には約一千局、東京市内だけでも約三百局は郵便局があり、何百、何千人もの逓送員がおります。にも関わらず、どうしてこうも素早く犯行現場を特定できたのか、そこのところが……」
「『情報が揃わないうちに推理を始めると、判断を偏らせてしまう』でしてよ」
「はぁ、なんでしょうか? 例の『不思議の探偵』でしょうか?」
「それは、南陽外史の翻案のタイトルですわね。元は『シャーロック・ホームズの冒険』という作品名ですのよ」
子爵時代、英國人家庭教師ミス・エリザベスが教材として一冊の本を瑠唯子にプレゼントした。『The Adventures of Sherlock Holmes』。物語の舞台を日本に置き換え、日本人風の名前に翻案した作品しか目にしたことのなかった瑠唯子が、本物のシャーロック・ホームズに出会ったきっかけだった。
納冨瑠唯子を並び替えると、原作者「コナン・ドイル」になる偶然に、エリザベス共々、驚いた記憶が蘇る。
以来、シャーロック・ホームズの推理と勇氣に憧れてきた。父の失脚で爵位を失い、望まぬ形で自由を得ると同時に、生きていくための厳しい選択を迫られた時、彼女は私立探偵という日本ではまだ珍しい仕事を選ぶことにしたのもそれがきっかけだった。
「申し訳ありません。それで、素早く現場を特定できたことと、その何某とかいう探偵は、どのように関係しますのでしょうか?」
戸惑うばかりの瀬蓮に瑠唯子は答えた。
「情報が足りなくて、推理なんてできない。だから、行動で補ったという意味ですわ」
「と、言いますと?」
「これまでに起きた犯行日の全てに、いつも休暇をとっていた職員がいた筈ですの。そう思って私、東京府下の支局に手当たり次第、問い合わせるつもりでいましたの。最初に当たった東京逓信局の方がとても親切で、すぐに該当人物を見つけてくださいましたわ。しかもその男は今日も休暇を取っていましたの!
男の家を聞き出し、行ってみますと、身支度をすませてこれから出かけるところでしたので、後を追った、というわけです」
「なるほど……」
「途中、誰かと待ち合わせする様子もありませんでしたので、それで単独犯だと思い込んでおりました。そこは失敗してしまいましたわ」
「確かに。そういうことであれば、私も見誤ってしまうかもしれませんね」
「でしょう?」
それを聞いて、瑠唯子は、お小言を食らわずにすむかと、内心ホッとした。
「ですが。やはり、不用心というしかございません」
「はい。氣を付けます……」
そうこうするうちに、馬車は喫茶店「可陽茶館」に到着した。
※
「マスター! 瑠唯子お嬢様!」
店に到着するなり、店番を頼んでいた番頭の備里陽介が二人に泣きついてきた。
「お客様が……お客様が、たくさんお待ちです!」
一人では対応しきれなかったものと見え、泣き出す半歩手前だった。
「いやぁ、備里くん。申し訳ない。すぐに対応いたします。その間、店の方、もうしばらく頼みますね」
「そっちは大丈夫です。お客様方、もうかなり前から痺れを切らしてらして……」
「客室ですの?」
瑠唯子が天井を見上げる視線で、二階を指し示す。
「はい、客室と応接室と、書画閲覧室にそれぞれお通ししています」
「まぁ。大変」と言いながら、瑠唯子は楽しそうに笑った。
――あぁ、この新たな事件が始まりそうな感じ。堪りませんわ。
※
とはいえ、いったん接客を全て瀬蓮に任せている瑠唯子は、カウンター席に座り、陽介が淹れてくれたコーヒーを啜りながら、今日の新聞に目を通している。
父はこの苦いだけの飲み物を砂糖もミルクも加えずに、美味しそうによく飲んでいた。父の面影を思い出すので、瑠唯子もよく嗜みはしたが、たっぷりの砂糖と、たっぷりのミルクを入れないと、とても飲めたものではなかった。
「陽介、今日のはまた一段と苦くないかしら?」
「しっかりとローストした豆を使っていますので。苦味、香り共に豊かでしょう?」
お嬢様の苦言を、彼は何故か誉め言葉と受け取ったらしく、どこか誇らしげである。
新聞には、一昨日の重巡戰艦「筑波」爆発の続報が載っていた。艦橋と第一煙突の間、火薬庫のあたりで大爆発が発生、爆発から約五分で沈没したという。横須賀湾内は、水深が浅いため、艦橋等の一部は水面から露出した状態で着底していた。爆発事故があったのが、日曜日だったこともあり、乗組員の半数が半舷上陸中だった。爆発時に艦内に残っていた乗組員、約三百四十人については、現在も捜索が続いているものの、既に死傷者の数は五十名を超えているらしい。
当日の新聞はお客様も閲覧するため、切り抜けないが、昨日のであれば瀬蓮に怒られることもない。瑠唯子は、昨日の「筑波」の爆発事故の記事を鋏で丁寧に切り抜き始めた。
「その事故は、あまり深追いなさらない方が良いかと……」
いつの間にか瑠唯子の後ろに立っていた瀬蓮がそっと声をかけた。
「あら、爺、それはどうして?」
「相手は海軍です。まかり間違って海軍を敵に回すような事態になりますと……」
一般論のような言い方だが、どうも父に関わりのある話に首を突っ込むなと言われているような気がする。かつて、父は海軍の監査官の任に就いていた。その事と何か関係があるのではないだろうか。瑠唯子は鋏を持つ手を止め、父の懐中時計にそっと触れた。
――だとしたら。どうして深追いするな、なんて仰るのかしら。
瑠唯子は瀬蓮の態度に疑念を募らせた。