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瑠璃色の銃声◆元子爵令嬢の浪漫奇譚  作者: 潯 薫
第壱章 瑠璃色の冒険
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第拾弐話 瑠璃色のお嬢様と保険金詐欺事件(1)

 翌日。可陽(かうひい)茶館の書画閲覧室は、「関係者以外立ち入り禁止」の張り紙が張り出されて扉が閉ざされ、本格的に臨時の託児室になった。那岐斗(なぎと)那弥(なみ)が引き続き子どもたちの世話をしている。彼らのその申し出に瑠唯子(るいこ)は喜んだ。茶館の女給たちも子どもたちが可愛くて仕方がない、などと言いつつ、客の少ない時間など、隙さえあれば託児室に入りびたり、子どもたちの世話を手伝うのだった。


 週末までの間、瑠唯子は、郵便逓送員として、和都(わと)は新聞記者として。横濱の倉庫の事件の痕跡を託児室に封じ込め、仮初の日常が送られた。

 警察はというと、最初、警察に突き出した(だん)の証言だけではまるで動く素振りも見せなかったが、電報で駆け付けた横濱の倉庫の惨状にようやく重い腰をあげ、「東都慈恵育友会」の捜査に乗り出したらしいと分かった。これは、日參しては捜査状況を共有し、珈琲をただで飲んでいく和都がもたらした情報だった。


 ※


 老夫婦の孫は、取り戻した子どもたちの中には居なかった。その他の「東都慈恵育友会」に対して、我が子に会えないと不満を口にしていた人たちは、子どもが手元に戻ってきたことを歓迎した。

「どんなに苦しいからって、酷いことをしてしまいました」

「もう二度とこの子を手放すような真似はいたしません」

「この子と一緒に頑張って生きていきます」

 そう言って、泣きながら感謝するのだった。


 しかし、そんな風に上手く事が運ぶばかりではなかった。

「困るんですよ。手に余るから、わざわざお金を用意してまで『東都慈恵育友会』に預けたんです。今更返されても、どうすれば良いんですか。連れて帰ってください」

「殺されていたかもしれないんですよ! この子、人身売買のオークションにかけられる寸前だったんですのよ!」

 そう詰め寄る瑠唯子の言葉にも耳を貸さない。

「だからどうだと言うの? 返されても、この子に満足に食事を与えてあげることなんて、私にはできないの。きちんと()()()()まで用意したのに、なんで……」

 そう言いながら、その女性は目に涙を溜めながら、ぴしゃりと戸を閉めてしまった。

 瑠唯子は赤子を抱えたまま、呆然と閉ざされた戸を見つめた。――どうして、と心の中で呟く。「東都慈恵育友会」の闇を暴き、子供たちを救ったはずだった。なのに、この子を母親の腕に戻すことは叶わない。銃を手に戦うことはできても、それだけでは、この子を救う力とはなりえない。彼女の目頭が自然熱くなる。それは怒りでも悲しみでもなく、ただ、やり場のない痛みだった。


「おいっ! それは無いだろう! あんたの子どもじゃないか!」

 和都が戸を叩きながら叫んだ。

「お願い! もう来ないで!」

 中から、母親の声が答えた。

「なんでだよ! おい、開けろって!」


 「東都慈恵育友会」は、表向きは「養育費」を支払うようにと要求していた。それをこの女性は「手切れ金」だと言う。


 ――元々、その覚悟で子を手放したのね。


「ワトソンさん、止しましょう」

 育てられる状況ではないと分かっていながら、産まざるを得なかったことも一概には責められない。今の法律では、子を産む前におろすことは犯罪なのだ。どんな理由で身籠ることになったとしても。それほどに女性が被る社会的負担はあまりにも大きい。

 責められるべきは、貧困を下支えする社会基盤の脆弱さ、出産に伴う負担を母親個人に負わせる不公平への無理解、そして、そうした弱者を食い物にする悪を放置、容認する司法だった。

 瑠唯子は、自分の力の及ばぬ社会の歪みを前に、やるせない氣持ちになった。

「でも、こんなのって……」

 そう言いかけた和都だったが、瑠唯子の悲痛な表情に、その気持ちを察し、握りしめた拳をどこにもぶつけられず、黙って俯いた。


 込み上げてくる感情が瑠唯子を襲う。瑠唯子は涙をこぼすまいと目を閉じ、そしてあの日の横濱の倉庫で燃やした怒りを思い出していた。あの時、愛銃を握りしめ、瑠璃色の銃声に魂を込め、獸どもを一人残らず仕留めた、あの瞬間の確信――正義こそが勝つのだという信念が、今は遠く霞んで見える。目の前の戸を叩いて無理矢理開けさせ、母親にこの子を受け取らせたところで、それは親子を更なる不幸へと突き落とすことに他ならない。今の彼女は、とても無力だった。


 ――あなたは、ぜんぜん何も悪くないのにね。


 瑠唯子は、腕の中で静かに眠る赤ん坊の頬にそっと自分の頬を寄せ、抱きしめる腕に力を込めた。赤子の温もりが逆に彼女の胸を締め付ける。目を覚ました赤ん坊が穢れのない無垢な瞳で彼女を見つめ、そっと手を伸ばして、彼女の頬に触れた。

 その感触に、はっと目を開けた瞬間、彼女の瞳から一滴の涙がこぼれた。


 ――駄目だわ。


 この子も、そしてまだ可陽(かうひい)茶館にも、子どもたちがいる。あの老夫婦のお孫さんのように、まだ取り返せていない子どももいる。親元へ返せる子は、しっかりと親元に返す。そして、そうできない、この子のような子どもたちにも、生きる術と道を見つけてあげなければ。瑠唯子は心を決めた。この子たちの未来を(わたくし)は決して諦めない、と。


 ※


 瑠唯子は、秘密の部屋で気分転換にFNブローニングM1900を弄っていた。愛銃のワルサーモデル4よりも、十年ほど古い設計ではあるが、ワルサーモデル4で使用する弾丸も元はといえば、アメリカの銃器設計者ジョン・ブローニングによって自動小型拳銃向けに開発されたもので、そのブローニング自身の設計による銃を白耳義(ベルギー)のファブリック・ナショナル社で製造したものが、このFNブローニングM1900なのだ。口径も同じ三十二口径。弾丸は共通だった。

 FNブローニングM1900を試射してみる。独特のスライド機構による強い反動が手に響き、トリガーを引くたびに手元から体へと伝わる衝撃が彼女の胸を熱くした。愛銃を変えるほどではないが、その荒々しさはとても魅力的だ。コレクションにこの銃を加えられたことに、彼女は満足感を覚えた。


 ※


 東都慈恵孤児院。それが、「東都慈恵育友会」が東京府に所持している孤児院だった。保険金を搾取する神田の老夫婦のお孫さんのような子どもたちは、ここに収容されている可能性が高い。

 相変わらず、和都の情報収集能力は高い。きっと優秀な記者に違いないのだ。可陽(かうひい)茶館でのポンコツぶりからは想像もつかないが。

 横濱の倉庫へ乗り込んだ五名は、一種、運命共同体のような連帯感で結ばれていた。毎夜、閉店後の可陽(かうひい)茶館での報告会が日課になっていた。主に、和都が収集した新たな情報と、伊佐兄妹による、子どもたちの日々の様子が共有された。


「いちばん年長の五歳の(てる)ちゃんが、年下の子たちを先導して赤ちゃんのお世話に協力してくれてるんです。おしめを替えたり、ミルクをあげたり、お昼寝をさせたり。なので、二人でもなんとかなっています。それに、お店の女給さんたちもとっても良くしてくださっていて」

 そう、那弥が報告する。

「目下の問題は、名前の無い赤ちゃんが二人いることです。なにか名前を付けてあげたいんですが」

 そう、那岐斗が報告する。

「名前ですか。子どもに名前すら付けてあげないなんて」

 瑠唯子がそう溜息を付くと、

「一番そばで子どもたちを見ておられるお二人が名付けられては?」

 と瀬蓮(せはす)が提案した。

「私たちが、ですか?」

 皆が賛同の意を示す。

「わかりました。考えてみます」


 ※


 警察の捜査の進展については、警視庁刑事部長の戸場瀬(とばせ)厳悟(げんご)自身がもたらした。

 戸場瀬が通された客室は、十名程度のグループでの利用を想定した個室で、アール・デコ調のタイルや幾何学模様を組み合わせた格子窓とステンドグラス、和箪笥や蓄音機などの和洋の調度のバランスがお洒落な部屋だった。特に目を引くのが蓄音機で、特注の純銅製の大きなラッパが付いていた。


「いやぁ、お嬢様の手腕には本当に舌を巻くよ」

 横濱倉庫を襲撃したのも、その後警察に垂れ込みの電報を打ったのも、瑠唯子たちがやったとは、警察には一切気取られてはいない。現場に証拠も残していない。

 しかし、瑠唯子たちのことを良く知る戸場瀬にとって、「こんな真似が出来るのは、お嬢様以外いないじゃないか」という理由で自明のことらしい。だからと言って、彼から警察に暴露される心配はない。味方だから、というより、利用価値があるから、である可能性はあったが。

 そんな戸場瀬に対し、否定も肯定もせず、瑠唯子はただ、「あかんべぇ」を返した。


「わざわざ、警察の動きを教えに来てくださるなんて。大方、何か魂胆がおありなのでしょう?」

「あっはっは。毎度、毎度、お嬢様には一本取られっぱなしだなぁ!」

 戸場瀬(とばせ)によると、警察は、「東都慈恵育友会」に対し、明後日の早朝、一斉捜査に踏み切る予定らしい。捜索が行われる場所、動員数、時刻などの情報を一方的に話すと、この情報を元に何をして欲しいといった具体的な依頼をするわけではなく、「いやぁ、つい独り言をしてしまったなぁ!」などと言いながら、帰っていった。


「今回ばかりは、(わたくし)たちの出番はないんじゃないかしら? 一斉検挙となると、孤児院の子どもたちも保護されるでしょうし、幾ら警察の捜査がズレているといっても、さすがに保険金詐欺についても、きちんと明らかにしてくださるのではないかしら?」

 閉店後の報告会で瑠唯子が言った。


「うーーん。そう簡単にいきますかねぇ?」

 和都が疑義を呈した。

「ワトソンさん、それは、どういうことかしら?」

「えーーっとですね。これだけの規模の警察の一斉検挙となると、動員される警察官も百人単位ですよね。そうしたら、どこかから、漏れちゃうと思うんですよ。警察の情報が。現に僕は、今日の午後決まったばかりのその情報を、別の経路から入手して持っていましたし」

「そっか! 珈琲代がわりにしちゃう新聞記者さんだって、居られるぐらいですものね!」

「たはーーっ!」

 和都がおでこをぴしゃりと叩きながら、天井を見上げた。


「いや。問題はそこじゃなくて。漏れた情報って、きっと『東都慈恵育友会』にも伝わっちゃってると思うんですよ。証拠隠滅とかされちゃうんじゃないかなって」

「今頃、慌てているでしょうね。ですが、積もり積もった犯罪の証拠を、短時間にすべて隠しおおせるとは思えませんわ。何年にも渡って、何人もの子どもたちに、何重にも保険を掛けさせてきたのですから。自業自得ですわ。それらを一瞬にして隠してしまう方法なんて……」


 瑠唯子は、そう和都に話しながら、()()()に気が付いた。


「なんて……なんてことでしょう! いけませんわ!」

 そう叫ぶと、慌てて店の表に飛び出していった。


「お、お嬢様!?」

 すかさず和都、那岐斗と那弥の三人も、そんな瑠唯子を追って、慌てて店を飛び出した。店には子どもたちが居るため、完全に留守にするわけにもいかず、瀬蓮は静かに彼らを見送った。

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