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瑠璃色の銃声◆元子爵令嬢の浪漫奇譚  作者: 潯 薫
第壱章 瑠璃色の冒険
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第拾話 瑠璃色のお嬢様と新月の対決(1)

 丸襟の白いブラウスに若草色の二尺振袖を重ね、紺と瑠璃の縦縞の袴を履き、足元は厚手の黒のストッキングにパンプス。紫色のケイプを羽織って、最後に小さなワンポイントをあしらったクロッシェ帽を被り、本日のコーディネートが完成。

 瀬蓮(せはす)は、瑠唯子(るいこ)のそんな姿を見て、今日も和洋折衷の奇異な服装だと感じたが、彼女が「今日はとてもモダンにまとめられましたわ」とご機嫌なので、水を差す発言は控えた。


「では、先に參ります」

「お嬢様、くれぐれもお気をつけて。私も後程、參ります」

 「東都慈恵育友会」から脅迫状を受け取った那岐斗(なぎと)那弥(なみ)の兄妹と、毎朝新聞の新聞記者の和都(わと)と店で待ち合わせてから出発することになっていたが、それでは瑠唯子の裏の仕事がバレてしまう。そのため、彼女は先に行き、代わりに瀬蓮が彼女の不在を取り繕いつつ同行する。それによって、瑠唯子は単独で動き、瀬蓮が伊佐兄妹と和都を守りつつ敵を挟撃する、そういう手筈だった。


 新橋で横濱までの汽車の切符を購入しようとして、瑠唯子は券売窓口の前で悩んでいた。一等車は横濱まで壱円と高額なので論外だが、伍拾(50)銭の二等車にすべきか、弐拾伍(25)銭の三等車にすべきか。値段の差は座席の違いだけだ。三等客車の座席は硬い木製ベンチで、乗客が多いと座れず、最悪横濱まで立ちっぱなしになる。二等客車の座席は指定席で確実に座れ、そして木製ベンチにクッションが付いている。


 ――どうしよう。


 普段人並以上の切れ味と冴えを見せる瑠唯子の頭脳も、財布の紐を緩める判断についてだけは、鈍るのだった。

「これから横濱で大立ち回りをするのに、疲れてしまっては元も子もありませんものね。でも、弐拾伍銭の違いは……うぅ、やっぱり勿体ないですわ」

 結局、彼女は三等車の切符にした。しかし、雪の残る新橋駅は人でごった返しており、三等客車の乗車口にはすでに長い列ができていた。


 ※


 まだ日の明るいうちに目的のGA(ジエ)第三倉庫に辿り着き、手頃な隠れ場所を見つけることもできた。日が落ち、人が集まり始めるまで、このままここで静かに待つ。懐に忍ばせたカイロを握りしめながら。


 ――念のためカイロを二つ持ってきておいて良かったですわ。


 建物の中とはいえ、倉庫には暖房設備もなく、彼女が隠れている場所も深々と冷えが伝わってくる。

 その時、物音と誰かが指図する声が聞こえてきた。

「早くしろ! ここに木箱を並べてステージを作れ。ストオブはそこと、そこと、そこだ。ここは寒くていけねぇ」

 どうやら、オークション会場の設営が始まったらしい。早めに着いたお陰で、首尾よく警備の内側に潜伏できた。顔を出して様子を伺うわけにはいかないが、どんどん人が増え、会話の量も増えていく。主催側は大方揃い、オークションの參加者を待っている状態のようだった。そして、オークションの()()も到着した。

「とっとと歩け!」

 じゃらりと鎖の音がする。すすり泣く子どもの声。赤子の鳴き声もする。

「おい、そいつを黙らせろ!」

「赤子は泣くもんですぜ。静かな赤子ってのは寝てるか死んでるかでさぁ」

 目で様子を確認するまでもなく、そうした声だけで、凡そどんな状況かは察しがつく。一歳にも満たない赤子から、恐らくは四、五歳ぐらいまでの幼い子どもたち。戸籍を持たず、法的には「存在しない」ため、好き勝手に売買される。そうした子供たちを求める輩は、良くても奴隷として、そして悪くて愛玩用として弄ぶつもりで購入するのに違いない。


 ――吐き気がしますわ。でも、まだ、ここは我慢しませんと。


 瑠唯子(るいこ)は、自分にそう言い聞かせ、歯を食いしばってオークションが始まるのを待った。力が入り体が震える。決して寒さのせいばかりではなかった。


 やがて、新月が倉庫街を闇に封じ込め、その帳が人目を遠ざける中、悪しき者たちの蠢動が始まった。ざわめきが倉庫全体に広がり、どうやらこの場を取り仕切るリーダー格の人間が表れた、そんな雰囲気である。参加者の私語が急にひそひそと声量を落とした会話に変わった。

 瑠唯子は、身を隠していた麻袋の山の陰からそっと舞台の様子を覗いた。急ごしらえで作られたステージには、一人の男が立っている。ストオブの揺れる炎でゆらゆらと男の影が踊っていた。男は狼の覆面を付けていて顔は見えない。他のスタッフもオークションの参加者も、皆、獸の覆面を付けているようだった。


新月(ニュームーン)オークションにようこそ、お越しくださいました。大変お待たせいたしました。これより開催いたします!」

 狼の覆面の男が仰々しくそう言うと、まばらな拍手が起きた。瑠唯子の隠れる場所からは会場の全貌は見渡せない。拍手の数はざっと二十といったところか。スタッフが十、オークション参加者が十。そんな感じだろう。(だん)から聞き出した情報とも符合する。


「さっそく始めて參りましょう!」


 首輪から延びる鎖で無理矢理引っ張られながら、年端のいかぬ一人の少女がよろよろとステージの中央へと進んだ。この肌寒い倉庫の中で全裸である。両手も拘束されていて、前を隠すことも、しゃがむことも許されない。

 そこには、原始的な暴力と、背徳に塗れた欲望に満ちた禍々しい情動がとぐろを巻いていた。石炭ストオブのちろちろと揺らめく赤い炎が、さながらに失楽へと誘惑する蛇の舌のようだった。それは今が大正の世とは思えない程に異様な、古代の呪術の如き光景だった。

 その光景を見た瞬間、瑠唯子の理性が吹き飛んだ。その上、そこかしこから上がる「おおっ」「いいねぇ」といった下卑た声。

「実に美味しそうだ。勿論、()()()()の意味で、ね」


 生理的嫌悪感から吐き氣が込み上げる。瑠唯子の怒りの炎に彼らの発する一言、一言で油が注がれていく。


 ――なんてことでしょう! この(けだもの)ども! 決して許しませんわ。


 オークションが始まった。狼の覆面の男が、参加者に向かって叫んだ。

「さぁ、今宵お目にかけます最初の逸品。商品番号一番の品をご覧あれ! 戸籍なし、足取りなし、飼うも飼わぬも、生かすも殺すも、使うも飾るも自由自在! 三歳半、女、病気なし、外傷なし。百円からだ!」

 一瞬の躊躇いの後、沸騰するように参加者の手が次々と上がる。


 ――今ですわ。 お父様、どうか瑠唯子をお守りくださいまし。


 參加者は少女に釘付けになり、主催者は參加者の上げる手に夢中で、隙だらけだった。彼女は父の形見の懐中時計にそっと触れてから、麻袋の陰で静かに立ち上がり、紫のケイプの下でワルサーモデル4を握り直した。予定より少し早いが、もうこれ以上は見ていられない。扱い慣れた愛銃のグリップが吸い付くように手にしっかりと馴染み、彼女に勇気を与えた。

 会場は異様な空気に包まれ、誰もがその雰囲気に酔い、彼女に氣が付かない。


「動くな!」

 などと呼びかけはしない。相手の虚を突くのに、そんな口上は一切不要だ。


 ――彼らには一縷(いちる)の温情も与える価値はありませんもの。


 オークションの參加者の背後に、静かに近づくと、無言で背中側から肩越しに太腿に一発ずつ、お見舞いする。豹、虎、猪。どいつもこいつも(けだもの)だ。瑠璃色の銃声が彼女の感覚をさらに鋭敏にする。

 三人目に銃弾をお見舞いしたところで、參加者たちは、銃声と突然現れた少女の姿をした殺戮鬼に慌てふためき、立ち上がって逃げ始めた。構わず、すっと背後に立つと、黙々と一発ずつ銃弾をお見舞いする。犬、猿、牛。こいつらはみんな屑だ。殺意をぎりぎりのところで抑え込み、逃げられないよう、後ろから太腿を正確に撃っていく。


 ――一人も逃がしませんわ!


 いつもなら、銃声や銃の反動を愉しむところだ。しかし、今の瑠唯子は怒りに燃えていて、それどころではない。

 六人目に銃弾をお見舞いしたところで、次のターゲットを探しながら、弾倉を交換する。まだ二発残っているが、交換可能なタイミングを逃すのが一番やってはいけないことだと、(じい)から叩き込まれていた。


 參加者もだが、スタッフたちも銃を持っていない。この時代、銃の携帯は厳しく制限されていた。下っ端の構成員如きが簡単に入手出来る代物ではないのだ。そのため、スタッフも銃を手にした彼女に立ち向かってくるものは殆どおらず、オークション參加者と一緒に逃げまどっていた。オークション參加者は仕立ての良いスーツや上等な生地の着物を着ているので、スタッフとは簡単に識別できる。スタッフは「東都慈恵育友会」を一網打尽に叩く際に、どうせ芋づる式に捕らえられる。今は、オークション參加者のみをターゲットに絞り、仕留めていく。オークション參加者をここで取り逃がすと、このまま、まんまと逃げおおせてしまう可能性がある。そんな事は許さない。だが、逃げまどうスタッフにラインを塞がれる。


 ――邪魔ですわ!


 鶏、羊、馬。あと一人。しかし、「鹿」を取り逃がしてしまった。


「この野郎!」

 狼の覆面の男だ。右手に拳銃を握りしめている。敵側で唯一の拳銃保持者。これも(だん)の情報通り。彼の情報が案外正確なことに驚いた。

 狼が立て続けに撃ってきた。彼が使う銃も瑠唯子(るいこ)の使うワルサーモデル4と同じくセミオートマチックだった。


 ――見たところ恐らく三十二口径。あの特徴的なスライド後退のアクション。そして……


 狼がさらに彼女に向けて連続で撃ってくる。だが、弾は一発も彼女に届かない。かすりもしない。彼女が華麗に避けているわけではない。銃声の色は白。そもそも、銃弾が明後日の方へと飛んでいっているのだ。普段から撃ち慣れていないものが、銃を握ったところで、反動を考慮しつつ目標に当てるのは、案外至難の業なのだ。グリップの握り方、姿勢、腕の角度。そうしたものから、瑠唯子は弾がこちらに飛んでこないことを見切っていた。そうして、見守るうちに、狼は、あっという間に七発の弾を全て打ち切ってしまった。


 ――七発。ということは、FNブローニングM1900かしら? 白耳義(ベルギー)の銃だなんて。いったい、どこで手に入れたのかしら。


 スタッフ二人が鉄パイプとナイフを手に瑠唯子に反撃してきた。素人の撃つ銃より、こうした近接戦闘武器の方が厄介だ。

 大振りに振り回される鉄パイプをくるりと躱す。もう一人がナイフを手に突きを繰り出してくる。その動きに合わせ、ナイフを持つ腕にそっと手を添えて突きの方向を変え、力を逃がす。そして、そのまま手首を握り、捻った手首の先に握られたナイフで鉄パイプ男を攻撃する。

「お、おい!」

「ち、ちが!」

 鉄パイプがナイフ男のこめかみを強打、ナイフが鉄パイプ男の腕に深々と突き刺さった。


 そのまま、社交ダンスのステップのように身を翻し、弾を打ち切って呆然としている狼の両足に一発ずつお見舞いした。狼は突然の激痛に「ぎゃぁ」と叫ぶと失神してしまった。


「うわぁ!」

 その声に振り向くと、先ほど取り逃がした筈の「鹿」が、なぜか倉庫の入り口から戻ってきた。()()に打撃を受けたらしい。もんどりうって倒れ、そのまま昏倒した。


 ――(じい)ね。ナイスタイミング。


 見ると、瀬蓮がステッキをくるくると回して気取った様子で倉庫に入ってくるところだった。ステッキの先端の金属の龍で渾身の一撃を加えたのだろう。

 これで、オークション參加者は一人も逃さず現場に足止めできた。スタッフたちは散り散りに逃げてしまったが、主催の狼の覆面の男は抑えた。これで、「東都慈恵育友会」との繋がりを示す絲口が手に入る。そして何より、子どもたちを全員助けることが出来た。


 この後、瀬蓮に続いて、和都や、那岐斗や那弥が倉庫に入ってくる筈だ。その前に、一度退散した方が良い。彼女はそっと倉庫の隅の夜闇に溶け込み、姿を消した。この時、狼の覆面の男の手からは、FNブローニングM1900が消えていた。

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