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人が死ぬ沢

田舎の実家の近くに黒沢くろざわという渓流がある。


 僕は以前からこれを「くろさわ」ではなく「くろざわ」と濁って呼ぶのに違和感があったが、県が建てた看板にもそう書いてあるのだから仕方がない。国道から脇道に入って車で10分ほどのところに看板と小さな駐車場があり、その脇に渓流へと降りる階段がある。渓流沿いに朽ちかけた遊歩道を数キロ歩くと、小さな滝を見ることもできる。


 これが都会の近くにあれば夏などには水遊びをする家族連れで賑わうかもしれない。しかし現実には、新幹線も通らない県の、そのまた田舎の過疎地の奧にあるので、景勝地とは名ばかりの、観光スポットと呼ぶのも憚られるような、そんな場所である。


 僕はお盆に田舎に帰ると、特にすることもないので、昼間そのような場所にふらりと車を走らせたりもするのだが、多くて駐車場に2、3台の車が止まっている程度である。そうして大抵は定年過ぎの老夫婦なんかが、青い木々を眺めながら涼しげに遊歩道を歩いているのを見る。


 そんな場所だが、昔から「黒沢は人が死ぬ沢だ」と言われていた。幼少期に聞いた当時一番新しい話だと、昭和の終わり頃にも子供が溺れて亡くなっているのだという。それ以前にもよく水難事故があったようだが、あったようだという噂を聞くだけで、僕もよく知らない。


 事の始まりは去年の夏である。


 お盆を実家で過ごそうと帰省した時に両親から、その年の7月に黒沢で子供が溺れて亡くなったことを聞いた。


 観光で来た遠方の家族が水遊びをしていたところ、目を離した少しの間に子供の姿が消え、警察を呼んで捜索すると、遊んでいた地点から10メートルも離れていない渓流の岩陰にその子供が沈んでいたのだという。子供はすぐに近隣の病院に搬送されて死亡が確認された。


「だからあそこは危ないって言ってるでしょう」


と母親は溜め息をついたが、幼い頃は僕も黒沢で水遊びをしたことがあるし、それを母親に止められた記憶もない。ましてや件の家族はそんなことは知るよしもないだろう。人が死ぬ沢、という曖昧な噂があっただけで、地域の人間も特に黒沢を畏怖したり忌避していたわけではなかった。


 その年、話はそれで終わらなかった。


 墓参りも終わって、さて明日には自宅に戻ろうかという日。前の日の夜からどうも国道を通るサイレンの音がうるさいとは思ったが、また1人、今度は大学生が黒沢で溺死したのである。


 その大学生と数人の友達は前日の深夜に、肝試しのために黒沢を訪れた。不謹慎な話ではあるが、彼らにとってそこは出来たてホヤホヤの心霊スポットだったようだ。


 肝試しは遊歩道を奧まで歩いて戻ってくるというルールだったようだが、そのうちに1人の行方がわからなくなり、友人が警察に通報。捜索の結果、明るくなってから大学生は渓流の中で見つかった。


 噂では、大学生は1か月前に子供が沈んでいた地点で見つかったそうである。子供が死んだ沢で不遜にも肝試しをした大学生が同じ場所で死んだ。なんとも教訓めいた話だと思いながら、自分は田舎をあとにした。


 そこで話が終われば単純だった。


 今年の夏に帰省すると、驚くことにまた黒沢で人が死んだ話を聞かされたのである。つまり2年間で3人の人間が黒沢で死んだことになる。


 去年の冬、つまり2つの事件のあとに黒沢で工事が行われた。それは遊歩道の途中の橋をかけ直すという名目だったが、事情を知る者の話では、その年の夏に子供と大学生が死んだ地点、そこにある渓流のなかの大岩を動かす工事を兼ねていたということである。専門家による調査が行われた結果、どうもその岩陰の水流が、巻き込まれた人間が溺れてしまうようになっていたのだという。


 なるほど、極めて現実的に、昨年2人の人間が同じ場所で事故死したことの説明がついている。遊歩道の橋の工事は今年の6月に完成した。


 そして3人目である。


 その欄干にロープをかけて、中年女性が自殺したのは8月はじめのことだった。遺書はなかったが借金を苦にした自殺と断定された。また、前年の犠牲者とも一切関わりがなかったそうである。






 ◇◇◇






「こういうホラー話好きだろ?」


 休日の喫茶店。向かいに座る女の子は僕の話を静かに聴いていた。


 ショートカットに涼やかな眼鏡、薄い化粧と飾らないロングスカート姿。一見して理系だと分かる彼女は、僕の大学の友人である。


「その3人に共通点はない?住んでるところが近いとか」


 普段はパソコンを分解して怒られたり、遠心分離機を分解して怒られたり、事故った車に近づいてクラッチの構造だの何だのに興味津々になっているところを怒られたりしているような彼女だが、オカルトにも造形が深く、彼女のYouTubeの履歴は怖い話や不思議な話のまとめで埋め尽くされている。


 どうやら彼女は理解しにくい構造物を紐解くのが好きらしい。それがモノでも理論でも、ファンタジーでもオカルトでも。


「それぞれに関わりはなかったって噂だけど。詳しくは分からん」


 僕がそういうと、彼女は飲みかけのコーヒーを机の端に避けて、いつも持ち歩いている手帳になにやら書き始めた。彼女は人になにか説明するとき、このように図や文字を書いてまとめる癖がある。


「君の話は今のところ『ホラー話』じゃないんだよね」


 そう言いながら彼女は手帳の真ん中に『ホラー』と書き、その回りをぐるぐると囲った。それを眺めながら僕は反論する。


「まあ、おばけとか出てこないもんな。でも、2年で3人死んだんだ。普段はほとんど人が来ないようなところで。人が死ぬ場所って噂もあった。ジャンル分けするならホラーだろ?」


 しかし彼女は人差し指をチッチッと振った。むかつく。


「ジャンル分けすると、それこそ噂話だよ。百歩譲って世間話」


 彼女は今度は手帳に『うわさ』と書き、それをバッテンで打ち消した。


「君の話にはホラーに必ず必要なものが欠けてる」


「だから、おばけだろ?怪物?幽霊?とかなんでもいいんだろうけど」


「ちがうよ。人が怖いっていうホラーもあるよね?必要なのは…『原因』」


 彼女は単語を手帳に書き加えながら語り続ける。


「ホラーは実は、原因と結果の物語なんだ。しかもそれは、理解が難しい原因と結果じゃないといけない。耳なし芳一の前に平家の怨霊が現れたのは彼が琵琶法師だったからで、耳が無くなったのはお経を書き忘れたから。トイレの花子さんがトイレにいるのはトイレで亡くなったから。コトリバコは部落差別から生まれた呪いで、姦姦蛇螺は謀殺された巫女の怨霊。恐ろしい原因と恐ろしい結果、そして私たちの正常な脳がその原因と結果に関連性を見いだせない時、その理論の隙間にホラーが生まれる」


 彼女は文字と矢印がが殴り書きされた手帳をペン先でトントンと叩いた。芝居がかった口調が鼻につくが、僕なりにその話を理解しようと努力する。


 なるほど。たしかに僕の話には『3人が死んだ共通の原因』がない。それがあってこそのホラーだと彼女は言っているのだ。原因が個別の事故や自殺であれば、彼女が言うようにホラーではなくただのニュースだ。


 3人が死んだ共通の原因とはなんだろう。現実的にはそんなものはない。現実的でないなら?


 黒沢は人が死ぬ場所だから?


 それでは原因と結果が逆だ。黒沢がそう言われる理由があるのだろうか。その理由こそ、3人の死の共通の原因なのか?もしその原因があれば、この話は本当にホラーになるということか。


「とはいえホラーの素材としては面白いね。この話をホラーにするには、原因をテキトーに考えればいい」


「テキトーにって…」


「例えば原因が人間だとする。同じ場所で3人が死んだ原因が『人間』。つまり殺人だね。となるとその犯人はずっと沢のどこかに隠れているかも」


「それは怖いな」


「原因が怨霊だったら。最初の犠牲者の子供が、何かのきっかけになる行動をしたのかもしれない。例えばお地蔵さんを倒してしまうとか。何かの結界を壊してしまって、怨霊や呪いが解き放たれたのかも」


 彼女はコーヒーを啜りながら不謹慎な妄想にふけっている。


 そう言えば事件の起きる前の年に、あの辺りで崖崩れと鉄砲水があったはずだ。それを伝えると、彼女はさらに目を輝かせた。


「おもしろくなってきたね。これは本当にホラーかも。今度の週末にそこに行ってみない?流されたお地蔵さんでもあれば、元に戻してあげよう」


 正気か、と思った。そしておそらく彼女は正気ではないが、本気ではあるようだ。とはいえ、口振りからすると彼女にとってはホラーが本物かどうかは重要じゃないようだ。純粋に、頭を使うことが楽しいのだろう。普段しないような頭の使い方をするのが。


「実は話の最初から1つ閃いてたんだけど」


 彼女は手帳のページをめくり、新しく『黒沢』と書いて、その上に『くろざわ』とかなをふった。


「黒い沢とかいてくろざわ。この読みがおかしいことを君も指摘してたけど、これは誰もがひっかかるところだよね。普通に読めばくろさわだ。だから、なにか他の名称が訛ったり、読み替えられたり、省略されたんじゃないかと思ったんだよ。そうしたら、ぴったりのを思い付いた」


 彼女は手帳の『くろざわ』のまえに『む』と書いた。


「むくろざわ、むくろ沢だよ」


 彼女は言いながら、手帳に『骸』の文字を書く。


「くろざわはおかしいけど、むくろざわだったら自然だ。骸。つまり死体。人が死ぬと噂されている場所が、大昔にも骸沢と呼ばれていた。原因はわからない。でも、原因がないというのは逆に考えにくいと思わない?」


 彼女は得意気に手帳を僕の目の前に付きだし、僕は生唾を飲み込んだ。不思議な感覚だった。背筋が寒くなると同時に、高揚していた。何か大きな謎の端を掴まえたような、物語の中に放り込まれたような、そんな心持ちであった。


 そんなわけで、僕と彼女は次の休日を利用して黒沢に車を走らせた。











 ◇◇◇











 で、その2人も黒沢に行く途中で交通事故にあって死んだらしい。


 俺が聞いた噂はそんな感じ。


 実際去年うちの大学の理学部の先輩が2人、この辺で事故で亡くなったじゃん。まあその事故と、この黒沢の事故含めたら一昨年と去年で5人も死んでるんだよな。


 …ビビってる?


 いや、お前の罰ゲームなんだから、お前1人で行くんだよ。懐中電灯あるし行けるって。遊歩道の途中の橋にその花供えてくるだけじゃん。


 俺らここで待ってるからさ。


 丑の刻になったな。

 はい、じゃあ、スタート。

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