求めた未来
夜中。とある研究所。博士はひとり、ああすれば、こうすれば……と悩み呟いていた。
物事に没頭しやすく、一度集中すれば
寝ることも食べることも忘れるような博士であったが
さすがに物陰からぬるりと現れた男を目にすると驚きのあまり、頭の中が真っ白になった。
「だ、だ、誰だ君は、け、警備は?」
「ふん、鼾かいて寝てやがったよ。質が悪いのを雇っているなぁ」
「そ、それで、う、な、ナイフ……わ、私を殺しに来たのか?」
「はははっ、いいや違うね。あんた、ニュースを見ていないのか?」
「ニュース……?」
「『研究に忙しくて』ってやつか。自分で説明するのもなんか変な感じだが
俺は逃亡中の強盗殺人犯さ。ま、他にも色々とやったがね」
「な、そ、それがどうして」
「なあに、人里離れた場所にこんな建物があったら気になるってもんさ。
腹も減ってたしな。そんなことより、ブツブツブツブツとあんたの呟きを聞いてたぜ?
そこにあるそれ、コールドスリープ装置だってなぁ!」
男がナイフを向けた先。そこにあるのは博士が開発したコールドスリープ装置。
そう、博士はその事で悩んでいたのだ。
「なんでも完成したは良いが、実験台がいないだのなんだの呟いていたなぁ。
……いいぜ、俺を使いなよ」
「な、そ、それは、まさか」
「そう、時効狙いさ。ほら、とっと準備しな」
「い、いや、強盗殺人と言ったな? だが殺人に時効など……」
「はん! 馬鹿にするなよ。
とっくの昔に法律が変わり、殺人に時効がない事くらいは知ってるよ!
だがな、考えてもみろ。二百年、三百年前の殺人犯の罪を裁こうと思うか?
仮にそう思ったとしても、そう熱心じゃないだろう。へへっ、熱も冷めてるってもんだ。
しおらしく、涙も見せて眠っている間も夢の中でずっと詫びていたとでも言えば
裁判官らも同情し、刑を軽くしてくれるだろう。
それに、だ。数百年前の生きた人間なんて珍しいものを刑務所に入れておくのなんて
もったいないだろう。きっとテレビ局だ何だ、話を聞きたがるはずだ。
世界でたった一人なんだからな。ふふふ、そうなりゃ一気に人気者だ」
「だ、だが家族とか……」
「友人とか大事な人がいるだろう、か? いたらなぁ犯罪なんかやってねえんだよ。
さ、もういいだろ。準備しねえとぶち殺すぞ」
「わ、わかった、わかったからナイフを向けないでくれ……」
「素直に言う事を聞いていればいいんだよ。
ああ、そうだ。途中で解凍とか警察に引き渡したりしたら承知しないからな。
まあ、あんたも経過観察とか色々と気になるんだろ? ウィンウィンの関係って奴さ」
「あ、ああ……だ、だが一つだけ、しょ、書類を作るから待ってくれ」
「書類?」
「同意書だ。実験台になるという、そういう類の」
「はっ、後々、批判されたくないって?
そんなの俺に脅されたから仕方なくと言えばいいのに。
まあ、いい。それで気が済むのならそうしろよ。
だがな、サツを呼ぶとか妙な真似したらわかってるだろうな」
「あ、ああ。わかっているとも……」
博士が作った同意書に、男は鼻歌交じりにサインした。
そしてコールドスリープ装置が起動。
男の希望通り、目覚めは五百年後に設定された。
無論、男にも装置が上手く機能するか不安はあったが
強盗殺人以外の罪も合わせれば死刑、もしくは無期懲役。
終わりなき逃亡生活に精神的にも限界が来ていた。
ゆえに、男は賭けに出ることにしたのだ。
そして五百年後……。
「お、おお……?」
「お目覚めですね」
「う、うう宇宙人の侵略……」
「はい?」
「ロボットの支配……猿の反乱……」
「大丈夫ですか?」
「……ふふっ。はははははは! どうやらそんな未来じゃなさそうで安心したよ。
あんた、普通の人間っぽいな」
「ええ、勿論。それで、精神に問題はなさそうですね」
「ああ……それで、裁判はやるのか? いつだ?」
「裁判? なんでしょう?」
「ん……博士のやつが気を利かせたのかな。
名も無き実験志願者とでも……ああ、いや、なんでもないんだ。
じゃあ、テレビ局、いやそんなもの未来にあるのかな。
もっと発達、いや、そもそもここは未来なのか?」
「未来……ええ、まあ私にとっては現在ですが
あなたがお眠りになってから約五百年後です」
「お、おお、はははは! 大成功ってわけだ!
だが、ずっと寝てたせいか、筋力が落ちているのかな?
体が動かない。何とかしてくれるか? 未来の技術ってやつでさ」
「いえ、健康面は問題ないです。動かないのは薬の作用です」
「ふーん、そうか。まあいい。いつ動けるようになる?」
「いえ、その必要はありません。実験が控えていますので」
「ん、実験? 実験って何だ?」
「人体実験です」
「は、はぁ? そんなもの、俺じゃなくていいだろーがよぉ! 俺は貴重な――」
「はい、大変貴重な御人です。だって現代は倫理だ、非人道的だと
人体実験は治験に至るまで法で禁止され、一切許されていませんが、あなたは別です。
法が施行される遥か前の人類ですからね。それに、ほら」
「そ、それ、ふ、ふざけるな、やめろ、俺をここから出せ!」
「世界中からあなたの体を使わせてほしいと引っ張りだこですよ。
ふふっでも大丈夫。体がどんなになっても再生できますから。
未来の医療は発達しているんです。さあ、まずは――」
ケースの中に入った古ぼけた同意書を前に男はただ叫ぶことしかできなかった。