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記憶の妹

確かに、アーヴィングの同僚が言ったように、彼は常にペンダントを身に着けているようだった。けれど、それを詳しく聞くきっかけがつかめず時間だけが過ぎていく。


積極的に話しかけたりして、以前より少しは仲が良くなってきているとは思う。


でも、彼はあくまで雇用主の娘と雇われ人という関係を崩そうとはしない。


らちが明かず、あたしは少々強引な手段をとった。大事なものを忘れたふりをして、彼に届けさせたのだ。そして、そのお礼として無理矢理彼を食事に誘った。


辞退する口実だと思うけど、高級なものは食べなれていないと言ったから、雰囲気のいい彼が好みそうな小料理屋を調べてそこを外出先に選んだ。あたしは高嶺の花じゃないの。あなたに合わせられるのよ、という意味も込めて。


そうしたら、当日、これぞ運命の思し召し。まるで神さまがあたしの背を押しているかのように都合よく、着席しようと腰をかがめたアーヴィングの胸元から例のペンダントが飛び出したのだ。縁に彫られた花綵の文様が一瞬見えた。


彼は慌ててそれを大切そうに丁寧に取り扱い、再びしまい込む。見逃さなかったあたしは早速飛びついた。


「ねえ、もしかして、今のってペンダントかしら? 絵を入れられる型のものよね。もしかして、どなたかの絵が入っていたり?」


「ああ、ええ、……はい」


彼は明らかにこの話題について触れてほしくなさそうだった。


けれど、あたしとしてはこの機会を逃すわけにはいかない。一切悪意のない純粋さを装い、尋ねる。


「随分大事にしているみたいだけれど、どなたかの絵が入っているの?」


彼は口ごもり、あたしに諦める様子がないのを見て取るとため息をつき、


「あれは――……妹なんです」


「妹さん? ご家族の肖像画を入れているの? 珍しいわね」


「妹は昔に亡くなってしまってるんです」


「……ごめんなさい。無神経だったわ」


女性の存在に固執してしまい、想い人以外の事態を想定していなかった。


気分を害してしまったのでは、と慌てるあたしに彼は、


「いいんですよ。もうずっと前のことですし、さすがに踏み出さないととは思ってたんです。――ですから、こうしてお嬢さまが誘ってくださって気分転換にもなって助かっているんです。ありがとうございます」


社交辞令なのは顔を見なくても分かった。


それでも今は彼の言葉に縋るしかない。


「それならよかったわ。お礼がしたかっただけだから――そういえば、ここは鶏の香草焼きが絶品だそうよ。食べてみない?」


彼自身もこの話題は避けたかったのだろう、わざとらしいあたしの提案にのって、つくったような笑顔を見せる。


ただ、完全に失敗したかと思ったけれど、ある意味、予想もしていなかった効果を発揮した。


この空気を何とかしようと、彼が積極的に話を振ってくれるようになったからだ。


彼の好きな物、嫌いな物、考え方、食の好み、今まで教えてもらえなかったことを沢山知った。あたしのことも沢山知ってもらった。好きな色、好きなドレスの形、好きな宝石の種類と大きさ。アーヴィングが身分差を大きく感じないよう、事前に使用人たちに聞いていた、庶民的な趣味も幾つか織り交ぜながら。


妹さんのことは可哀そうだとは思う。でも、言葉の通りにもう忘れて一歩踏み出してほしい。


だって、これから彼にはあたしのことだけを考えてもらわないといけないのだから。


食事はまぁまぁだったし、結構会話は弾んだように感じたのだけれど、まるで機会を待っていたかのように食事が終わった途端、この感謝は仕事で返すとお礼を述べてアーヴィングは帰ろうとした。


黒い外套を身に纏ってそそくさと立ち去ろうとする彼を無理やり引き留め、とりあえず食後に少し散歩をしようと提案した。


あたしの少し後ろ、従者の位置を歩こうとする彼にお願いをして横に立ってもらう。


流石に手を握るのは早すぎるし、あたしよりお金の少ないアーヴィングに何か買ってもらうわけにもいかないし、街を無目的にただ歩いていると、


「腰までの金の髪に、青の瞳です、年は16! 見かけた人はぜひ情報を!」


路地の片隅で大きく声を張り上げる青年がいた。尋ね人らしい。


彼の後ろにはさびれた公共の掲示板があり、よくよく見てみれば同じように行方不明者の情報を求めるものがいくつも貼ってある。解決していないと思しき、変色してほとんど読めなくなったかなり昔のものもあるのが切ない。


「……随分と数が多いのね」


赤い髪に茶の瞳、失踪当時に着ていたのは青と灰紫のエプロンドレス。茶色の髪に目元のほくろ、縁取りの入った花柄の服。金髪と緑の瞳、またはとび色に茶、黒に青、などなど。一見して失踪者に共通した特徴はない。つばのある帽子、マント、リボン、ブローチ、靴にサンダル。衣装も見事にばらばらだ。


敢えて言うなら、ほとんどが若い女性だということだろうか。


過去には徳を積もうと慈善事業に精を出し、路地裏の一角で炊き出しなどを手伝ったこともあったけれど、あの時は周囲のことに目をやる余裕がなかった。たしかに、少女がいなくなったとは耳にしたことがあった気もするけれど、過去も含めてこんなにも行方不明者がいたとは。


司祭さまが言っていたのもこのことだったのだろう。言葉の通り、物騒といえるほどに数が多い。今年に入っただけですでに片手に達しようとしている。全員が駆け落ちした、というのは無理がありそうだった。


この人たちの捜索にもアーヴィングは参加したのだろうか。


「見つかるといいけれど……」


「数年に一度、こういう年があるんです。特に今年は冬が短くて春が早かったから、獣が増えているんじゃないかって噂です。それで、森に行ってやられたんじゃないかと。遠目に黒い何かを見たとの証言もあります。多分、熊でしょう」


顔をしかめるあたしにアーヴィングが説明する。そう言う彼の顔も随分と辛そうだった。


冬眠から目覚めたばかりの熊は空腹で何でも食べるのだと聞いたことがある。同時に春が早いと草の芽吹きが間に合わず、結果足りない餌を求めてあちこちを動き回り、人の近くまでやってくるとか。小柄な少女たちが出会ってしまったのなら、ひとたまりもなかっただろう。


さすがに彼女たちを死ぬことができて羨ましいなどとは思わない。いくら人生を繰り返して鈍くなっていたとしても、そのくらいの分別はあたしだって持ち合わせている。


それに、死の間際の苦しさはあたしが一番よく知っているのだから。


「アーヴィング、ちょっと待っててちょうだい」


あたしは声を張り上げる青年の前に行く。情報を求め一日中ここで叫び続けていたのだろう。彼の声は嗄れかけていた。


「これを捜索の足しにしてちょうだい」


「あ、ありがとうございます……」


彼は握らされた硬貨を見て、驚きに声を震わせる。


見つかることを祈っているわ。そう声をかけて、あたしを待っている騎士の元へと戻る。


少し離れて見守っていたアーヴィングは、今までになくとても優しい目をしてあたしを迎えた。それから、深く頭を下げる。


「ありがとうございます」


「なぜ、あなたがお礼を言うの?」


「――……俺の妹もそうだったんです。森で熊に襲われたらしく、血を流し、なにか叫びながら走ってきたそうです。きっと錯乱していて、助けを求めたんでしょう。突然馬車の前に飛び出し、御者は馬を止めようとしたものの間に合わず……」


「そうだったの。おつらいわね。あなたの妹さんですもの。きっと素敵なお嬢さんだったんでしょうね」


「はい。妹は本当にいい子で、俺たちは両親を早くに失くしていて、2人きりで生きてきたんです。でも、あの子は決して文句を言うこともなく、ずっと俺を支えてくれた。俺が守ってやるべきだった。……だから、せめて他の人を守ろうと俺は騎士になったんです」


「まぁ、そうだったの。だったら、今のあなたの姿を見て、妹さんは誇りに思ってらっしゃるでしょうね」


「だといいんですが」


彼は少しだけ困ったように笑う。自信がないと言いたげだった。言ってくれる人はもういないのだから、と。


「こんなにお兄さんに大切に想われて、きっと幸せだったと思うわ」


「いいえ、幸せにしてもらっていたのは俺の方なんですよ」


儚い笑顔だった。やがて彼は思い出を振り切るように首を振り、


「すみません。こんな話ばかり……お嬢さまはどこか妹に似ていて、だからかもしれません。誰にも話したことないのに……」


「あら、あたしが言うのもなんだけれど、あたしに似ているのなら随分なじゃじゃ馬だったんじゃないかしら?」


「いえ、性格のことではなく、容姿が……そう、たとえば、この頬の輪郭とか……」


彼はそう言って、不意にあたしの顔に手を伸ばし頬をすっとなでる。


「アーヴィング?」


あたしの問いかけに彼はふと我に返り、


「も、もしわけありません。つい、懐かしくて。気易く触れるなど大変失礼なことをしでかしました。お許しください」


「あら、いいのよ」


あたしは思わず嬉しくなった。


つまり、気を抜いてしまうほどに少しは距離が近づいたということなのだから。


そうして気が付いた。あたしが彼の大切な妹に似ているというのなら、彼の記憶から排除するのではなく、いっそそれを利用したらいいのじゃないかしら。


「妹さんはあなたを何て呼んでいたのかしら?」


「お兄ちゃん、と……」


「だったら、妹さんの代わりに伝えるわ。あなたはとても立派に頑張っているわ。ちゃんと守れているわ。だから、自信を持ってちょうだい、お兄ちゃん――ふふっ、あたしの方が年下なのに少し偉そうだったかしら。ごめんなさいね」


「いいえ、そんなことは。あの、ありがとう、ござい……ます」


彼は赤くなった顔を隠すように手で覆い、そっぽをむく。それからぎこちなく微笑んで、お礼を言った。


彼の照れたようなその笑顔に、彼と交流をもって以来、初めてあたしは手ごたえを感じていた。


妹さん、と心の中で呼びかける。


アーヴィングはあたしが頂くわ。


代わりと言っては何だけど、彼のことはきっちり責任取って幸せにするから安心してちょうだい。お金持ちのあたしと結婚すれば、彼はもう働かなくてすむし、好きなことだけやって生きていくことができる。あたしにはそれを与えることができる。


これ以上の幸せなんてないと思うの。

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