人生の計画
結局、司祭さまに話を聞き終えた頃には日も傾き始めていた。
これでは屋敷に到着する頃には暗くなる。馬車で明かりのない夜道を走るのは危険なため、帰りは行きよりもさらに時間がかかってしまう。
「この辺りは夜になるとなにかと物騒ですので、お帰りには十分お気を付けください」という司祭さまの別れの言葉を背にうけ、教会を発つ。
辺りは自然に囲まれていて、窓から見える景色は緑ばかりだった。
もう少し足を延ばせばとても大きな森があり、その周辺には長期休暇用の別荘や引退した上流貴族たちの邸宅がまばらに並んでいる。なぜ好き好んでわざわざ便利な街を離れ、遊ぶ場所もないようなところに家を設けるのか、さっぱりわからない。街をやや外れた場所に家があるだけでもあたしには不便に感じるのに。
揺れの中で目を閉じ、さっきの会話の内容を反芻し、考えを整理する。
一切が分からず繰り返していることの原因が――あの司祭さまの言うことが本当であればの話だけれど――少なくとも判明し、抜け出す方法も分かったのは、たいへんな収穫だった。それが、途方もない解決方法だったとしても。
もしこれが本当に番病などというとんでもないものなのなら、運命の神は随分と甘美な夢想家に違いない。すれ違ってしまった者たちを引き合わせようとこんなにも手の込んだことをするのだから。
もしくは、あたしで遊んでいるか。後者ならば神とはなんて残酷な存在なのだろう。
「まぁ、いいわ。運命を見つければいいんでしょ」
あたしはひとり呟く。
何だってやってみせる。
曖昧な手がかりとは言え、霧に包まれ行く先もわからなかった世界に光が差したのだ。
「もて遊ばれるのはごめんだわ。今度こそ、この人生で、終わらせて見せるわ」
そう決意して、揺れに身を任せ過去に思いをはせる。
司祭さまに告げたとおりに、今までの繰り返しの中で大抵のことは試していた。勝ち馬をおぼえて、競馬の賭けで大もうけしたこともあった。救貧院で病気の人たちの足をさすり、貧しいひとたちにスープを作った日々もあった。修道院で来る日も来る日も冷たい床に跪き、神に祈り続けた。自棄になって家の財産を使い尽くすほどの放蕩三昧もした。ふしだらな生活をして男を奪われた女に刺殺されたこともあった。
「だから、今更生き方に答えがあるとは到底思えないのよね」
紅茶を飲むところを珈琲を飲んでしまった――そんな単純なものではないはず。何度もそうじゃないとやり直しをさせられるくらいなのだから。
多分、人物に焦点を当てた方がいい。
あたしに極端に仲の悪い友人も特に親しい友人も同性にはいない。もちろん、幾度かの人生では特別に親しくなった人もいたけれど、結局は回帰したのだから彼女らが“運命”ではなかったということだ。となると、あたしの周囲にいる、毎度の人生に登場した男を抽出したほうがいいのかもしれない。
「案外、神さまは恋愛小説をお好みなのかもしれないもの」
幸いなことにこの田舎で知り合う男はそう多くなく、更に人生の中でつき合った男は除けばいいのだからその数はさらに絞られる。
まず一番身近な人物としては家族が思い浮かぶけれど、
「さすがに、父や兄は論外でしょ」
働かずとも地代から収入があがってくる父と兄は、貴族を目指し、政治に参加するために1年のほとんどを王都で過ごしている。だから、普段あたしは広い屋敷に母と2人暮らしだった。他者から見れば半年とは言え、あたしにとってはもう数十年父と兄とは顔を合わせておらず、彼らの顔は忘れてしまいそうにもなっているけれど、そんな情の薄さが繰り返しの原因であるとは到底思えない。
それに2人は少なくとも遠く離れた場所にいる。運命の条件が近さにあるのなら、除外していいはずだ。
一方で料理人や庭師などの使用人たちもあたしの人生に影響を及ぼすほど重要な人物ではないだろう。
でも、そういう人以外にあたしのそばにいて、かつあたしがあまり関わらなかった人なんていたかしら。
「お嬢さま、屋敷に到着いたしました」
頭の中であらためて人間関係を整理していると、外から声がかけられる。
扉が開いて、降りるあたしを支えるために手が差し出された。
「アーヴィング……」
「なんでしょうか?」
こちらを覗き込むのは夜の明かりに輝く金の髪に若芽の色の瞳を持つ、舞台俳優のように端正な青年。
この田舎では珍しい騎士の称号を持っており、あたしの護衛を担当している。年は確か、あたしより5歳くらい上だったはず。
整った顔だけれども、資産家でも貴族でもないから今まで存在を気にしたことはなかった。でも、この男は確かにどの人生でもあたしの非常に近くにいたわ。
「お嬢さま?」
なかなか彼の手を取らないあたしに首をかしげる。
「なんでもないわ、ありがとう」
手袋越しの手は騎士らしく固い。華やかな外見とは反して彼は自分の仕事にとても誠実なのだ。
エスコートするアーヴィングの横顔を盗み見る。
華々しい都ならともかく、ここで彼の容姿は、かなり上の部類に入るだろう。
事実、彼を従えていると、街で少女たちが振り返るほどだった。
……そうね、兄の服を着せれば、上流階級にまじっていても違和感はないかもしれない程度には見栄えがするわ。つまり、あたしの横に並んでもおかしくはないということよ。
候補を見つけたかもしれない。
期待と興奮に胸が高鳴る。
こっちの心中などあずかり知らぬ彼が、あたしが踏み台から降りるのを見届けてから告げる。
「お嬢さま、お客さまがお見えだそうです」
「お客? 誰なの?」
ちょうどその会話を聞きつけたのか、玄関広間からこっちを振り返る青年がいた。
光の加減によっては黒にも見える紺色の夜会服に身を包んだ彼と目が合う。外から現れたあたしを見て目をすがめている。
「ああ、そういえば……」
この男もいたわね。教会の衝撃で今日この男が来ることをすっかり忘れていた。
彼はあたしの幼馴染で名をシモンという。
知識だけが取り柄の地味でやぼったくて本の虫で口うるさくて髪の毛くるくるの、誰の記憶にも残らない男。この男がたとえ全く似合っていない、ありえないような派手なネクタイをしていたとしても、誰にも気づかれることはない、そんな存在だった。
彼の印象を訊けば大抵の人が、「ああ、あの大きな眼鏡の」、「ああ、あの鳥の巣みたいな」というはずだ。そのくらい外見に取り立てて特徴がない。むしろ、太い縁の眼鏡が本体といっていいほどに。
仇名は常に“くるくる眼鏡”。あたしも喧嘩した時は心の中でそう呼んでいる。
興味がないので覚えていないけれど、医者だったか法律家だったか、とにかくに何かを目指して現在は遠い何処かの有名な学校に寄宿して通っているはず。
非常に頭が良くて、そのため、なにかあるとこっちが理解できないのをいいことに、すぐに小難しい言葉を使って言い負かそうとしてくるところも嫌いだった。
確かに、この男もあたしの周囲にいる者のひとりではあるけれども、この男だけはない。そもそも地味な存在が、可愛らしいあたしとは釣り合わないし、身長だってあたしより少し高いだけで男性らしい逞しさも欠片もない。それに繰り返した人生の中で、なんどかシモンはすぐに寄宿先に戻ったっきり帰ってこなかったことがあった。だから、この男は特別な相手ではない。だって、司祭さまの言う通りなら運命は常に傍にあるはずなのだから。
しかも、この男は大うそつきなのだ。重ね重ね、絶対にない。
「お前、出かけてたのか」
てっきり家の中にいるのだと思っていたのだろう。外から帰ってきたあたしを見て、シモンが尋ねる。
「今から準備するつもりか? 夜会に間に合うのか?」
「行くつもりはないわ」
彼が露骨に眉を顰める。
この時期になると街では頻繁に夜会が催される。たいていはうちの家のような有産階級が主催者で、その場合の目的はただ一つ、貴族たちを招待し、交流し、つてを作ること。そしていつか彼らに認められ、正式に貴族の一員に加わることである。大きな功績をあげる以外に、同胞に相応しいとして推薦されることもまた貴族になる重要な条件であり、それを狙っているのだ。
まぁ、あたし自身はたんに舞踏会だとかそういう派手な人の集まる催しが好きなだけなのだけれど。
逆にシモンはこういった騒がしいものが嫌いだった。それでも参加しているのは、うちの母が彼を同伴者に選んだから。母が親族以外の男性を連れていくのに対外的に問題にならないのはこの男くらいだ。つまり、シモンはあたしの母親と自分の母親のお守りをさせられるというわけ。
シモンの家もそこそこお金は持っているのだけれど、少なくともうちほどの資産はない。それでも、曾祖父同士が釣りという共通の趣味を持ち仲が良かったこともあり2家はずっと交流が続いていて、母親同士も非常に仲がいい。多分、顔を合わせばこのような空気になるのはあたしたちだけのはずだ。
シモンはとても信じられないというように言葉を繰り返す。
「行かない、と言ったのか? お前が?」
「ええ、そうよ」
「なんでだ。お前、ああいうのが好きだっただろ。お前が喜びそうな貴族さま方も大勢来るんだぞ?」
「あんたと約束しているわけでもないのに説明する必要があるの?」
教会に返事をもらってそれどころではないから、などと律儀に告げる義理はない。
彼はあたしの言葉に一瞬詰まり、
「別に知りたくて言ったわけじゃない。そっちのお母上が困るだろうから言っただけだ」
「あら、そう。だとしても、あんたには関係ないでしょ。困ったとして、それなら直接あたしに文句を言えばいいだけなのだから。母が代わりに苦情を伝えろとでも言ったわけ?」
「そういうことじゃ――おい、どこに行く?」
2階の私室に向かうあたしを彼が咎める。もううんざりだった。
あたしの時間は有限なのだ。夢想家で残酷な神に定められているあたしの命の時間。1秒1秒があたしの命の欠片、あたしの鼓動、あたしの血にも等しい。
1滴たりとも彼に分け与える余裕はない。
あたしは笑う。
「ありがとう、シモン。おしゃべり、とっても楽しかったわ」