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館 後編

「……レイチェル! レイチェル!!」


気を失っていたのはそう長くはなかったと思う。


あたしの名を呼ぶ声に意識が一気に引き戻された。


気が付けば、炎に包まれた屋敷の中であたしはシモンに背負われていた。


「気が付いたか、レイチェル。呼吸を浅くして、できるだけ煙を吸うなよ。有毒なものが含まれてる可能性がある」


多分、水をかぶってきたのだろう。シモンの服は体に張り付いて、鳥の巣髪は普段以上に乱れて濡れそぼち、ハリネズミみたいになっている。


「シモン……これ、夢?」


「夢じゃない。馬鹿、しっかりしろ!」


「どうしているのよ……」


「やっぱり、お前ともう一度話がしたくて……そうしたら、女の人は飛び出してくるし、お前が行ったはずの屋敷は燃えてるしで――」


「彼女に会ったの!? 保護してくれた!?」


「あ、ああ。僕の代わりに馬に乗せて……」


ばりばりと激しく木の割れる音がして、強く熱風が吹き付けてくる。


後ろを振り返ると、玄関をふさぐように燃えた梁が落ちているのが見えた。2階はもちろん、緞帳を伝ってすでに火は屋根にまで燃え広がっていた。


シモンは地下に向かっていた。一歩一歩、あたしをおぶったまま、シモンは進んでいく。


「思った通りだ。正面扉が開かないから他の入口を捜している時に窓を見つけたんだ。ここから出られる」


シモンはあたしを例の白い部屋まで連れてきた。そして、令嬢を逃がしたあの窓を見上げて安堵の息を吐く。


確かにあの窓は外に繋がっている。でもあれは、いくら小柄だといっても男のシモンには抜けられない幅だった。


呆けていた頭が、段々とはっきりしていくる。


シモンがここにいるという意味が。あたしを助けに炎の中に飛び込んできたという、その意味が。地下にきた、その絶望的な意味がようやく呑み込めた。


「ここじゃだめ……地下じゃない逃げ場所をさがさないと……!」


「レイチェル」


「あ、あたし、ばかだからすぐには思いつかないけど、大丈夫よ! 絶対に考え付いてみせるから!」


「レイチェル!」


「鉈で窓の周りの壁を壊せばシモンも通れるようになるんじゃないかしら。そうだわ! あたしが水をかぶって、シモンの上に覆いかぶさるのはどうかしら!?」


炎は、焼け焦げた木々は、熱かったに違いない。それなのに、構わずシモンはあたしを捜しに屋敷に入ってきた。ここに来るのにだって相当無理をしたのが、彼の真っ赤に膨れ上がった手からわかる。


あたしのために。


あたしを助けるために。


「レイチェル、聞け!!」


シモンの怒鳴り声に体が強張る。


「お前は馬鹿なんかじゃない。逆だ。お前は賢い。だから、分かるだろ? 怪我をしたお前がいるほうが足手まといなんだ。僕は別のところから逃げる」


とても冷静に、あたしを諭すように告げる。


別のところなんてあるわけがない。


もうこの上は炎に包まれているのだろう。この部屋はたまたまタイルで覆われているから、火の回りが遅いだけだ。


「だから、僕のことはいいから、まずお前だけ逃げろ」


「そんなことできるわけないでしょ……」


あたしの口から出た声はひび割れていた。


逆なのだ。どっちにしろあたしはもうすぐ死ぬ。助ける必要はないのだ。


あたしは過去に焼け死んだことがある。


肺が焼けると呼吸ができなくて苦しむ。皮膚が焼けると何千という針で刺されたように痛む。どちらもじわじわと死ぬことになる。血液が沸騰するつらさ、苦しさを味わわせることなんてできない。


助かるべきはシモンなのだ。


何とか彼をこの火事から救う方法がないかとあたしは辺りを見回す。懸命に考える。


なのに、どこからそんな力が湧いて出ているのか、あたしの努力をぶち壊すようにシモンはあたしをむりやり抱えあげる。


「何やってるの! やめて! やめてよ!!」


暴れるあたしをシモンは持ち上げて、窓から押し出そうとする。あたしが彼女にしたみたいに。


でもあの時とは違う。残ってもほんとうの意味ではあたしは死なないけど、シモンは終わるのだ。


窓枠にしがみつくのを無理矢理下から押し上げられ、あたしは外に落ちた。あたしだけが。


「ねえ、嘘でしょ!?」


足の痛みも忘れ、細い窓から必死に手を伸ばすと指の先に何かが触れた。火傷を負って腫れ上がったシモンの手だった。


「屋敷が崩れると危ない。できるだけ遠くへ行け。足の手当ても忘れずにしてもらうんだぞ」


一瞬だけぎゅっとあたしの指を握りしめてから離れる。


「手を離さないって約束したじゃない!! シモン!!」


こんなうそは反則だ。


シモンの名を呼び続け、がむしゃらに手を伸ばすものの、もう二度と応える声も触れてくるものもない。


「シモン! 返事をして、シモン!!」


叫びつづけ、声が嗄れてくる。段々と目もかすんできた。呼吸をしているはずなのに、喉に何か詰まっているみたいに息がしにくい。


嫌な予感がして空を見上げる。


まるであたしに時を告げるように、厚く黒い雲の隙間から、高く昇った月が一瞬見えた。日をまたいだのだ。


「そんな……嘘でしょ……神さま、ねえ、もう少しだけ待って……」


せめてシモンを助けるまでは……。


「お願い、神さま……」


さっきより息が苦しい。足に力が入らない。心臓がバクバクして、のどの奥からぜえぜえと妙な音が聞こえてきている。


意思とは反対にずるずると壁から滑るようにして体が地面に勝手に倒れ伏す。


視界が白んで何も見えない。


「神さま……」


あたしは一生繰り返しても構わない。


満足するまで踊れと言うのなら、永遠に踊り続けてみせるから。道化を演じ、ずっと滑車の中を走ってみせるから。


だから、どうか、


「シモン……を……助けて」


それが最後だった。

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