概観
一生、という言葉がある。
一度の生、あるいは生きてから死ぬまで。
どちらにしろ、レイチェル・プリンシス、つまりあたしには縁のない言葉だ。
「また、始まったのね」
あたしの目覚め。
窓掛けの隙間から差す朝の光、主たちの眠りを妨げぬよう声を控えて働く使用人たち。また新たな、過去の時間が始まる。
これから半年――それがあたしに許された期間だった。ちょうど半年後、必ず決まった日にあたしは原因こそ違えど死を迎え、今日に逆戻りする。
もう何度こうして繰り返しただろう。両手両足では足りなくなってからは数えるのをやめた。記憶だけは持ち越すことができるけれど、いっそない方が今となってはどれほど楽だったろうと思う。なにもかもが白紙に戻り、唯一記憶だけが積み上げられていくことに気がふれそうだった。
死に戻ればそれまで築いた情も、絆も、傷も、怒りも、悲しみも、全てが無理矢理断ち切られ、なかったことにされる。無価値な紙切れのように燃えて灰になり何も残らない。
最初の頃はおかしな夢を見ているのだと疑いもしなかった。楽しむ余裕すらあった。次の十数回はこの悪夢は現実なのだと理解して繰り返す恐怖におびえ、次の数十回は必死に抗い、終わらせる道を探り、そして次の何回かは虚無で過ごした。
何をしても、何もしなくても、結果は同じ。ただ、決まった日を起点と終点に繰り返される。
「今回はどう時間を潰そうかしら」
今更新しいことを試す気概はないし、でも死んだように無気力で過ごせば母が心配して余計ややこしいことになってしまうのは経験済みだ。
「お嬢さま、本日はどのお衣装にいたしましょう?」
「どれでもいいわ」
毎朝細かく注文をつけ、髪形もドレスもその日の格好を決めるだけで1時間以上かけていた令嬢から突然投げやりな回答をうけ、使用人たちが困ったように顔を見合わせる。
このやり取りももう幾度繰り返してきたか。彼女たちが悪いわけではないのは分かっているけれど、いらいらする。
「本当に何でもいいの。一番手前のでいいわ。持ってきて」
持ってこられたのは手前にあるものではなく、あたしが一番気に入っていた、柔らかなひだのリボンのドレスだった。もう過去形なんだけど、説明するのも面倒だからそれを着る。
顔を洗い、着替えながら、ふと机の上の本が目に入った。ふらふらと遊びまわっていないでたまには何か学んだらどうだ、という余計なおせっかいの手紙と共に幼馴染が送ってきたものだ。一番上の、こっちに表紙を向けているのは外国語で書かれた子ども向けの聖書だった。
神は信じていなかった。何度目かの回帰の際に、すでに縋ったあとだったから。
もしかしたら、幼馴染の言う通り、資産家の娘として恩恵は受けながらも世の中に何一つ貢献していない生活が神を怒らせたのかもしれないと、慈善活動に全てを捧げたり、意を決して修道院に入ったりもしてみた。でも何も変わらなかった。神と信仰の元にいても死は常にあたしに手を伸ばし、またあの日に引き戻される。
「……食事の後に手紙を書くから、準備しておいて」
だから、教会に向けて手紙を書いたのは単にこの理不尽な人生に対する恨みのぶつけ処を求めていただけだった。司祭さまなら普段から理解しがたいとんでもない告解も受けていそうだし、どんな内容であっても司祭の仕事中に知ったことは誰かに話すことができない。また、思春期にありがちな自意識の暴走からくる妄想として、そう真面目に受け止められることもないだろうとの目算もあった。
期待していなかったし、そもそも返事が来るとは思っていなかった。届いても、中身はおためごかしの聖句が書き連ねてあるだけだろうから見ることなく破り捨てるつもりでもあった。
けれど、思っていたよりもずっと早く、まるで重要な秘密でも書いてあるかのように丁寧に返信は届けられた。文面に目を通したあたしはこの閉じた人生の中で、初めて、神を信じる気になった。
手紙には、こう書いてあったのだ。
“その症状に心当たりがある”と。