告白
あたしが定められた道に戻る切っ掛けとはどこまでのことを指すのだろう。
相思相愛? 口づけをしたら? それとも体を重ねたら? 心は必要?
過去、自暴自棄になって異性と遊んで回ったときもあった。結局、後悔しただけだったけれど。
だから、多分同年代の少女よりは抵抗がなく覚悟もある。
その行為があたしを救ってくれるかもしれないと思えばなおさら。
「お前、なにか悩んでいるんじゃないのか? 僕で良ければ話を聞くぞ」
あたしが倒れて以降、シモンは更に頻繁に、それこそ毎日のように屋敷に顔を見せるようになった。心配した母に気にかけてほしいと頼まれたのかもしれない。
そして、伯爵さまの家に出かけようとするあたしを邪魔する。
「まさか、こんな時間から出かけるのか? もう夕方だぞ?」
「ええ、そうよ。今日は、お昼のお茶会じゃないの。晩餐に招かれているの。すごいでしょ?」
そう。もうひとり、あの令嬢にも声をかけたそうだけれど、それ以外に招待客はいないらしい。今までとは明らかに違う。
足踏み状態で関係が進まないと焦っていたけれど、伯爵さまはあたしに確実に好意を抱いている。すくなくとも選ばれた。
そう希望を持たずにはいられなかった。
きっと、この晩餐会で彼女かあたしかを決めようというのだろう。
これは最後の関門だ。まさに明日という最後の日を迎えるに相応しい試験。絶対に勝ってみせる。
「今度にしてもらったら、どうだ? 自分でも分かってるだろ? 前に倒れて以来、ずっと顔色が良くないんだぞ」
シモンが腕をつかんでひきとめる。思っていたよりも強い力だった。前に進めず、馬車に乗ることができない。
「……手を放してちょうだい。出かけられないじゃない」
遅刻をして、こんなところで失点を重ねたくはない。
不機嫌になるあたしに、彼は我が儘を口にする子どもを躾けるかのように一語一語を区切って言葉を聞かせる。
「今度にしたらどうだと言っているんだ」
「あんたには関係ないでしょ、ほうっておいて」
今度なんて、あたしにはない。
あたしの人生は今、取り上げられてしまっている。
明日には真っ白になった容赦のない世界にまた放り出されるだけだ。
「ただ、心配してるだけだ」
「あら、心配してくれてありがとう――とでも言うと思った?」
「……お前、ここ最近本当におかしいぞ?」
それは真実心から心配している、いたわりの声だった。
胸の中で何かが揺らぎそうになるのを懸命に耐える。
動揺も不安も認めてはいけない。優しさは何の助けにもならない。
今、たとえすがったとしても明日には消えてしまうものに気を許してはいけない。
神経をすり減らし、追い立てられる日々を何でもないふりをして生きていくのはつらい。でも、そうしなければ、どうやってこの人生を生き抜いていけばいいというの。
愚かでも滑稽でも、わずかな希望にすべてを託すことの何が悪いというの。
今、無理をしなければあたしはきっとまた……。
訳もなく涙が出てきそうになるのをぐっとこらえる。
「余計なおせっかいはやめて。伯爵さまのところに行けないじゃない」
「行くなと言っている」
「何の権限があってあたしに命令するのよ……家族でもないくせにいちいち人のことに首突っ込んできて。何の理由があってそんなことするのよ? あたしがそんなに目障り? あんたにそこまでされるほどのことをあたしが何かした?!」
「そうじゃない!」
「じゃあ、何なのよ!!」
「そ、それは……」
そこまで言ってシモンは唇を引き結ぶ。あたしには読み取れない、さまざまな感情が目まぐるしく彼の顔をよぎっては消えていく。
体の両側に下ろされた手がぎゅっと握りしめられたのが視界の隅に見えた。やがて、震える声で言った。
「好き……だからだ、お前のことが……」
「はぁ?!」
今更何なのよ、いったい。
あたしは今崖っぷちぎりぎりのところに立っていて、足元が崩れそうになっている。他人のことなど考えている余裕がない。
あたしには先がないの! あたしはまた、明日には死んでしまうのよ!
そう叫ぶ代わりに、彼に苛立ちをぶつけてしまった。
「あんたの感情なんかぶつけられてもいい迷惑なのよ! あたしには人生が掛かってんの!! 好きだというなら、それこそ邪魔しないでよ!!」
ただの八つ当たりだった。ままならない人生への、どうしても抗えない先のない病への、あの時に信じてくれなかったことへの。
言ったあとに後悔したけれど、もう口から出てしまったものは取り消せない。
いつもなら言い返してくるはずの彼がそうしなかった。少しうつむいた彼の顔にかかった眼鏡は光を反射し、その奥の表情が読めない。ただ、勢いの落ちた声が淡々と告げる。
「そう……だな。お前は昔から貴族になりたがってたもんな。それが夢だってずっと言ってたよな」
「は? そういうことじゃ――」
「やっぱり帰ってくるべきじゃなかった。母さんの勧めるとおりに見合いを受けておけばよかったんだ……」
「見合い? 何の話?」
表情が消えた蒼ざめた顔にシモンは弱弱しく笑みを浮かべる。
「何でもない。行ってくるといい。その――……とても綺麗だ」




