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うそつき

あの庭園での会話が功を奏したのかもしれない。もしくは、貴族のご令嬢たちに嗤われたあたしを哀れに思ったのやも。


あの日以来、結構な頻度で、あたしは伯爵さまのお屋敷に招待を受けるようになった。


まぁ、あたしだけでなく、他にも数人、あたしと同じように招かれている令嬢たちがいるけれど。あの助けた令嬢もそのひとりだった。


彼女たちは露骨にあたしを蔑んだ目で見てくる。美しいお屋敷に紛れ込んだ、汚い鼠みたいに。


あたしが伯爵さまの気まぐれとお情けで呼ばれていると思っているらしい。


実際にその通りだとしてもあたしは構わない。同情でも結局は、最後に彼をつかまえればいいのだから。


あたしと伯爵さまの距離が近づくと同時に、シモンも以前よりももっとうちを訪れるようになった。そして、大抵は小言をならべたててあたしを苛立たせる。


「あの人は伯爵さまだぞ。田舎の娘では遊んで捨てられるのがオチだ」


今日もシモンは朝から屋敷を訪れてはぐちぐちと人の欠点を並べ立てて、あたしに説教を続けていた。


もう昼近くになるというのに、終わりを見せる様子はない。


ただでさえ伯爵さまのお屋敷で嫌というほど平民であることを当てこすられ、嫌味を浴びせ続けられているというのに、家でもそうなるだなんて本当に嫌になる。


「お前はいつも、その場限りの行動しかしないな。しっかり将来を見据え、確固とした――」


彼に言われずとも身分差がありすぎることくらいあたしにだって分かっている。


それでも、こっちは必死なのだ。もういい加減に終わらせたい。終わらせることができない人生がどれだけ苦しいかなんて説明したところで伝わらない。


今日までなんとかあたしが正気を保って耐えてこられたのは、出来るだけ今のことしか考えないようにしてきたからだ。シモンが蔑む、先を見ない生き方こそが何とかあたしを支えてきた。


けれどこのままだと、多分、そう遠くない内に本当にあたしはおかしくなってしまうだろう。


そうして壊れたままずっと人生を繰り返すのだ。苦しみからは解放されるかわりに、今度こそ永遠のくびきにつながれる。


その恐怖に抗うことがどれだけのものか、常識的なご高説を垂れる目の前の男にはわかるはずもない。


「おい、聞いているのか? 大体、いつも自分に都合の悪い話を聞き流そうとするのはお前の悪い癖だぞ。今のうちに直しておいた方がいい。僕は慣れてるが、伯爵さまに限らず、そういう点を喜ぶ男はまずいないからな。他にもお前の直すべきところは――」


彼の小言が少しずつ細くなる。


世界は遠い。目の前にあるのに、結局あたしをすり抜けてひとり取り残される。


水の中でもがき続けて、いつもあたしだけが水面に顔を出せない。


苦しくて苦しくてたまらないのに、抜け出せない。いっそ命が終わってくれれば楽になれるのに、それすらも許されない。


言ったら今度こそ歩けなくなってしまうような気がして言えなかったけれど、あたしの本音はこうだ。


もう疲れた。休みたい。


「……誰か、助けて」


「故に――……何か言ったか? おい、どうした、顔色が悪いぞ? レイチェル、どうしたんだ!?」


うるさいと押しのけたつもりの手がシモンを空振りする。


騒ぐ彼の声が一気に小さくなって聞こえなくなった。


あたしの記憶はそこで途切れ、次に目覚めたときは寝台の上だった。


見慣れた天井。この景色があたしは大嫌いだ。回帰した時、一番最初に見るものだから。


人の気配に顔を横に向けると、寝台の脇で心配そうにこっちをうかがっている幼馴染の姿が目に入った。目を覚ましたあたしを見て、ほっとした顔をしている。


「目が覚めたか。気分はどうだ? お前、体調が良くなかったんだな。すまない。だけど、先に言ってくれたら――いや、これは僕の悪い癖だ。どうしてもお前と張り合おうとしてしまう。本当に悪かった」


今回ばかりは本当に反省しているみたいで、水の足りない薔薇の新芽みたいに萎れうつむいている。心なしか、鳥の巣もしょげているように見える。


「……今って夜?」


「藍の雲の時間を回ったところだ――し、心配するな。お前には触れていないし、許可なく何かをするつもりもない。今まで使用人も一緒にいたんだ。水を変えにいったが……」


あんたにそんな心配しないわよ。と言ってやる気力もわかなかった。


体が重い。床に沈み込んでいるのではないかと錯覚するくらい、目を開けるのすら億劫だった。


あの日が近づいてきている。それがあたしを焦らせる。


時々本当に自分がこま鼠になったように思える。ずっと滑車の中で走り続ける哀れな生き物。自分ではとめられず、懸命に足を進めているのに前には進まない。眺めて笑っているのは神さまだ。


あたしはすでに戦いに破れているのだろうか。今回もまた間違った人生を突き進んでいるのだと、無駄な足掻きをしている滑稽なあたしを上から笑って見ているのだろうか。


「レイチェル、してほしいことはないか? なにか果物でももらってくるか?」


隣にはシモンがいる。でも同じ場所に立っていても、あたしだけが遠く隔たっている。


あたしだけがのけ者。あたしだけが置いて行かれる。あたしだけが世界から拒絶されている。


本当のあたしを覚えている人は世界に誰もいない。


あたしはずっとひとりだ。ずっと、ずうっと。きっと、これからも。


「……手を握ってて」


彼はすっと中指で眼鏡の位置を直し、


「気落ちしている時はどうしても寂しくなってしまうからな。それだけだな。わかってる。ああ、手を握っておこう」


「離さないで」


「わかった、お前がいいというまで離さない」


「……うそつき」


あんたは先に行ってしまうくせに――話しても、信じてくれなかったくせに。


シモンは誰よりも賢いから、何か知っているかもしれないとなによりも一番最初に相談したのに。それなのに、


「思春期によくあることだ、気にするな」


期待してたのはそんな言葉じゃない。


力になるって言ったくせに。まかせろって。


あたしだって解決してくれると思ったわけじゃない。問題なのはそこじゃない。


重要なのは、シモンはあたしを信じなかったということだ。あたしはシモンを信じて話したのに。


そういうところが嫌いなのよ。


目を瞑る。


「あんたなんか、大嫌い」


彼が何か言い返そうとして止めたのが気配から伝わり、言葉の代わりにわずかに手がぎゅっと握り返されたのが分かった。

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