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伯爵

「シモン、あたしも連れて行って」


そう彼に声をかけて、夜会のエスコートをシモンに頼んだ。


今まで護衛も兼ねて入場のエスコートはアーヴィングが受け持つことが多かった。でも、重ねて言うけど彼は母に頼んで外してもらったからもういない。


新しい護衛はただの傭兵で騎士ではないし、夜会のマナーも知らないと言った。だから、妥協してシモンにお願いしたのだ。


「ほら、受け取れ」


当日、シモンはわざわざ花束を携えてやってきた。どこで覚えてきたのか、今までそんなことしなかったくせに。


ただ、リボンこそあたしの好きな色だったけれど到底お店で買ったものには見えず、明らかに庭で摘んできた花だった。


青紫の、リンドウみたいな花。そういえば、結局本当の名前は知らない。


「なにこれ?」


「お前、昔からうちの庭でそれが一番好きだったろ。み、見たくなったら、またいつでも来ていいぞ……と、母さんが言っていた」


それはあんたの家の庭での限定の話よ。


普通、こういうときは真っ赤なバラとかそういう花を持ってくるものだ。


渡し方もぶっきら棒だし、本当に気が利かない。


でもまぁ、シモンにそういうことを求めちゃダメなのよね。だって、シモンだもの。と思い直す。


それに、確かにこの花は嫌いじゃない。抱えきれないほどのバラの花束に憧れるけど、こっちだってあたしは結構好き。


シモンには絶対言わないけど。


部屋に飾っておいて、と指示を出して馬車に乗り込む。


予定が入ったらしく、母たちは揃って夜会を急遽休むことになったのでふたりっきりだった。


「そういえば、なぜ、僕を選んだんだ?」


夜会への道すがら、馬車の向かいに腰掛けた彼が問う。


「なにがよ」


「お前は、あの男の容姿を気に入っていただろう」


「外見だけね。中身が嫌いになったの」


シモンは咳払いをして、中指で眼鏡の位置を治す。


「……ま、まぁ、分からなくはない。彼は所詮護衛だ。学がない。程度の低い会話しかできないからな」


そういうことじゃない、と言いたいけれど説明するのも面倒なので放っておく。


あたしを妹代わりに監禁してくるような男よりは、人畜無害なくるくる眼鏡のほうがよほどマシというだけ。


あたしにとっては程度の低い高いは関係ない。あたしをこの終わらない輪から連れ出してくれる男がいい。それだけだった。


だいたい、学がないのはあたしも同じだ。女は学校にも行けないし、学がないことが彼にとって無価値な存在を意味するならば、まずあたしはシモンにとって空気以下の存在なのだろう。


この男、毎回あたしに喧嘩を売っているのに気が付いているのかしら。


入場するのにひとりでは恥ずかしいから誘っただけで、シモンとは現地解散した。ダンスもなし。もともとこういう場所があまり得意ではない彼への、せめてものあたしの気遣いだ。嫌になったら勝手に帰るだろう。


「……だめね。気分が乗らない」


気分転換もかねて夜会に来てみたけれど、やっぱり気持ちは冴えない。


当然と言えば当然だ。つい先日まで数か月監禁され続けていたのだから。なんなら問題なく動く足にまだ違和感すら覚えているくらいだった。


「あたしも帰ろうかしら……」


シモンはもう帰ったかしらと玄関口に目をやった時、つんと澄ました、甲高い、女性たちの笑い声が背後から聞こえてきた。


発生源はこの集まりの中でもひときわ若い、華やかな貴族の少女たちの集団だった。


「まぁ、レジーナさまったら……流石ロビー家は違いますわね!」


扇を振りつつ、少女が集団の中心にいる人物に話かける。


見事にカールした髪を上等のリボンで結びあげた、いかにもお貴族さまなお嬢さまだった。若干吊り上がった目を濃い化粧で垂れ目に仕上げている。初めて見る顔だった。でも、


「レジーナ・ロビー……?」


何処かで聞いた覚えがする。今回の人生ではない。以前のどこかで。


「……そうだわ、夜会で行方不明になった女性!」


アーヴィングは多分気を遣って誤魔化したのだろうけれど、たしか、靴だけが森で見つかっていたのだとあとで知った。誰かと待ち合わせたのか、駆け落ちで人目を避けて森を抜けようとしたのかは分からないが、彼女も獣にやられたのだ。


何度も死を経験して、でも獣に喰われたことは一度もない。そうとう痛そうだということだけは想像がつく。


牙が肉に食い込み、鋭い爪が皮膚を切り裂く。獣の生臭い息と滴るよだれが恐怖を倍増させ、容赦なくかぶりつかれる。骨が砕ける音、腱が噛みちぎられる感触。すぐに死ぬことはできないだろう。


シモンと出かけたときに思ったことが、頭をよぎる。


そして、ひとり後悔の海に沈んで暮らしていたアーヴィングのことが。


アーヴィングを許したわけではないけれど、でも、この目の前の女性の家族もあんなふうに壊れてしまうかもしれないのだ。


「ひとりにならないでください。森にもいかないで!」


気が付けば、彼女を追いかけ、その袖をつかんでそう告げていた。


「な、なんなの!?」


突然乱入したあたしを頭のおかしな女を見るような目で彼女は見つめる。


あたしが掴んだ袖を汚れるとでも言いたげに扇で力強く叩き払い、あたしを突き飛ばした。


「無礼者! 触らないで頂戴!! 平民の分際で!!」


あたしはたたらを踏んで、後ろの人にぶつかってしまう。


「おや、これは失礼」


「こちらこそ、しつれ――は、伯爵さま!?」


該当の人物を見て、血の気が一気に引いた。


よりにもよってこの集まりの中でも1,2を争う来賓に粗相をはたらいてしまうだなんて。おまけにあたしを突き飛ばした張本人たちはさっさと何処かに消えてしまっていた。これでは、あたしが伯爵さまにぶつかりにいったように思われてしまう。


「大変申し訳ございません! お怪我はなさいませんでしたか!?」


慌てて低く、低く謝罪する――たしかこういうのを平身低頭というのだとシモンは言っていた。そんなあたしに伯爵さまは、


「お顔をあげてください。お嬢さんがたのような洒落た夜会靴では、よろめいてしまうのも仕方がありません。そちらこそ、お怪我はありませんでしたか」


「お気遣いいただき感謝いたします。あの、本当に、本当に申し訳ございませんでした!!」


「そんなにかしこまらなくても――ああ、そうだ。でしたら、謝罪の代わりにあちらの椅子で少し休憩にお付き合いいただけないでしょうか。実は昨日この街に着いたばかりで、疲れが少々残っておりまして。ひとりで椅子に座っているのも味気ないと困っていたところだったのです」


「ええ、そのようなことでお詫びになるのでしたら喜んで」


あたしが疲れてよろめいてしまったと推量しての、なんてこまやかな心遣い。さすが紳士。さすが貴族。さすが伯爵さま。


礼儀作法だけでなく、見目もとても麗しい。


絹のようにさらさらと零れる美しい黒髪。美術品のように整った顔立ち。長いまつげ、薄い唇、白い肌。


着ているものも上等で、指の動きひとつとっても上品で洗練されている。


まずあたしに椅子を勧め、あたしが座ったのを確認してから、自分も腰を落ち着ける。手にくちづけの挨拶も、何か飲み物をと通りかかった給仕に出す指示も、なにもかもが上流の振る舞いだった。


「レイチェル……可憐なお名前ですね。まさにあなたに相応しい」


名乗ると、まるで詩を諳んじるようにあたしの名を舌先で転がしてそうほめたたえる。


「それにあなたの輝く瞳。素敵なお召し物もとてもお似合いだ。星のように麗しい」


「まぁ、お褒めのお言葉ありがたく存じます」


伯爵さまから見たら、今あたしが着ている衣装なんて安物でしかないだろうけれど、そんなことはおくびにも出さず、息を吐くように自然に女性を褒めそやすところは本当に流石としか言いようがない。シモンなんて、花は持ってきたものの、綺麗の一言すらなかったというのに。


そのあとも次々にあたしがまるで美の化身であるかのように賛辞が続き、やがて話題は伯爵さまやあたしのこと、また街へと移っていく。


「――まぁ、でしたら、こちらにいらっしゃるのは一時のことなのですね」


あたしの心底残念な声に、伯爵さまはおっとりと頷く。そして、驚くべきことを口にした。


「ええ、紫の角の月の3の日まで滞在する予定です」


「えっ……」


聞き覚えのある日付に耳を疑う。


紫の角の月の3、それは、あたしがいつも終わりを迎える日のことだった。


こんなところで定めの日を耳にするだなんて、とても偶然とは思えなかった。


「も、もしかして……」


余りにもショックな終わりを迎えたから考えないようにしていた希望がふつふつと湧きあがってくる。


すぐ近くにいたのに今までただの一度も交差しなかった人生。そして、あたしが回帰させられる終わりの日にここを離れる人。なぜ、3日が最終日だったのかもやっと合点がいったように思える。そこで交差する運命が終わるからよ。


それに、あたしはずっと貴族になりたかった。子どもの頃からの夢だった。


なにもかも、まさにぴったりじゃないかしら。


あたしは伯爵さまをじっと見る。その横に立つ自分を想像してみる。


全く違和感はなかった。


この人なのかもしれないわ。あたしの運命の相手は。


感動で震えるあたしに、伯爵さまは優雅な笑みで応える。 


……やっと、やっと見つけた。


あなたこそ、あたしの運命の人よ!!


 * * *


「アーヴィング、あなた、今日は仕事に来ているの?」


「はい。……いけなかったでしょうか?」


運命をやっと見つけた次の日、屋敷の警護に回っていたアーヴィングを見かけたあたしは思わず彼に話しかけた。解任されたこともあって、あたしの一言にアーヴィングが何か粗相をしたかと顔を曇らせる。


「いいえ、ごめんなさい。忘れてちょうだい」


夜会の次の日、たしかアーヴィングはいなくなった令嬢を探すために休んだはず。それなのに来ているということは、青年団の要請はなかった。つまり、令嬢はあたしの忠告を聞き入れて逃走はやめにしたということだ。


気分が上昇する。とてつもなくいいことをした気分だった。


実際、人の命をすくったのだから、とってもいいことをしたのは間違いない。


「あたしにできるのはここまでだもの。あとでまた駆け落ちをして不孝な目に遭ったとしても、それはあたしにはどうにもできないわ」


駆け落ちするくらいなのだから、いずれまた決行するだろう。その時成功し、西に無事たどり着けるかは、それこそ神のみぞ知るというものだ。


いや、むしろ駆け落ち後の方が問題だろう。全てを捨ててやり直さなければならないのだし。お金もない、全てを自分の手で行わなければならない生活に、生まれたときからしてもらうばかりで何もしなくて良かったお嬢さまが耐えられるのだろうか。


「まぁ、あたしの知ったことじゃないわね」


それこそ、駆け落ち相手は本当に彼女の運命の相手なのかもしれないのだし。


運命なら仕方ない。違えばまさしくあたしのような目に遭ってしまうかもしれないのだから。


ある意味、彼女もまた同士とも言えるのかもしれない。自分の運命をつかみとろうとしているという。


彼女に突きとばされたお陰で伯爵さまに会えたのだから、昨日やられたことはなかったことにして気持ちを切り替え、あたしはどこかにいる彼女に語りかける。


「お互いに、頑張りましょうね!」


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