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まわる人生

「あの近親ド変態男が!!」


目覚めて一番、そう叫んでしまった。


周囲で朝の準備を静かに行っていた使用人たちが突然の大声に洗面器や水差しを落とし、固まっている。


結局、あたしはあの男に囚われ続け、最期はお定まりの日に突然の胸痛で終わりを迎えた。


「絶対心労よ! 心労でやられたのよ!!」


あの男は運命ではなかったのだ。それどころかあたしにとっては死神だった。


もう戻らないつもりだったのに、また戻ってきてしまった。


悔しい。


とりあえず、今やるべきことは決まっている。あの男は解雇しなくてはならない。危険だ。またひとつでも間違えたら何をしでかすか分からない。近くにいてほしくもない。


あたしは使用人に告げる。


「服はリボンのドレスにするわ。それから、食事の後に母とふたりきりで話をしたいから、伝えておいて」


 * * *


「ねぇ、シモン、縄から抜け出す方法って本に載ってるものなの?」


「は?」


午後の日差しの下、向かいでお茶を相変わらずちびちび飲んでいた鳥の巣が間抜けな声を出す。笑えることに、さっきまでほんとうに頭に小鳥がとまってもいた。


「だから、縄抜けの本よ! あるの? ないの? どっちなの!」


「いや、あるだろうけど……手品とか奇術の類か? それなら結び方のほうが多分重要だと思うぞ」


あたしに誰かを縛る趣味はないのよ。


とりあえず、あたしの希望通りにアーヴィングを護衛からは外してもらえたけど、優秀な男のため家の警備のほうに回されてしまった。あたしを監禁する可能性があるから家からも遠ざけてほしい、なんて言えるわけがない。あたしの方が頭がおかしいと思われるに決まっている。


でもこのままだと、いつ何時あの男がまた可愛いあたしに目をつけてくるか分からない。絶対に二人きりにならないようにするのは基本として、念には念を入れて、縛られたときに脱出する方法など対抗策も練っておくべきかもしれない、と思ってのことだった。


「あるのね? じゃあ、本屋に行ってくるわ」


早速、アーヴィングの代わりに着任した冴えない護衛に合図して席を立つ。


「ち、ちょっと待て! 僕も行く!」


振り返るとシモンがお茶を一気に飲み干し、むせながらこっちに走ってきた。


「お前、本屋に行ったことがないだろ? 僕が案内してやる」


「いらないわ」


「お、お前はこの世にどれだけの本が存在するのか、知ってるのか? その中で素人のお前が自分が求めている本を的確に見つけられると思っているのか?」


何言ってんの? 街の本屋に世界中の本が集まっているわけでもなし、そもそも店員に訊けばいいだけのこと。


でも問答が面倒だし、そのままシモンの好きにさせた。


それに今もしアーヴィングが現れたら、シモンを盾にして逃げよう。そう思って。


案内してもらった本屋はとても大きくて、本の数もすごいのに、それでもこの世界に存在するもののほんの一部でしかないことに驚いた。


「すごい。あたし、そういえば家の書架室にも行ったことなかったわ。こんな感じなのかしら」


自分の家なのにうそだろ、とシモンがあたしの発言に驚いている。


その態度に、幼い頃はシモンは近所というわけでもないのにうちに毎日のように本を借りにきていたのを思いだした。そのついでにおしゃべりもして、あの頃は今よりももう少しだけ距離が近かった気がする。


彼はもしかしてうちにある本を全部読んだのかしら。


読み終わったから、家にあまり来なくなったのかしら。


「レイちゃん、レイちゃん」って幼い頃はどちらかというとあたしのあとをついて回るような子だったのに。


「――お前が欲しい本は、このあたりだと思うぞ」


シモンの声に思い出を頭から追い払う。あたしにとって幼い頃の記憶は遠すぎる。


彼が指さした棚は本屋の占有的には小さくはあるのだろうけれど、それでもめまいがするほどたくさんあった。


軽く見たところでそれがいいのか悪いのかわからないから、包装の歴史に始まってとりあえず手当たり次第に護衛の手に持たせる。


野営の紐の結び方あたりまでは良かったけれど、護身のためについでに警備隊が使うような武器や道具の解説書なども次々と棚から取り出していくあたしを見て、シモンがのけぞっていた。無視してやったけど。


お小遣い用の小切手帳から支払い、家に送ってもらう手続きが終わったところで、シモンが「帰るにはまだ早い」などと意味不明のことを言うので、仕方なく近くの喫茶室にお茶に寄った。実際、あたしもつかれていたし。


正直、今から家に帰ってあれを読んでいかなければいけないかと思うとうんざりする。内容をちょっと確かめようとちらっと見ただけでもこんなに疲れたのに。


それでも、自分の身を守るためだもの。やりぬかなくちゃ。


シモンも疲れたのかさっきからずっと黙りこんでいる。添えられた焼き菓子にも手を付けていない。


隠してはいるけれど、実は彼が甘党なのをあたしは知っている。


子どもの頃は違うものを選んで、お互いに半分ずつ分け合って両方の味を楽しんだし――2つ食べるのは虫歯になるからと許してもらえなかったのだ――さっきだって、お品書きのケーキ欄にこっそり目を輝かせていたのをあたしは見逃さなかった。結局、大人の男ぶってシモンは甘味を注文しなかったけど。


そのシモンが、大好きな焼き菓子にもお茶にも口をつけることもなくカップを握りこんだまま、黙って何かを考え続けている。


随分とたってから、顔をあげた。なにやら意を決して、


「――お前、まさか強盗とかする気じゃないよな?」


「はぁ!? この可憐なあたしがそんなこと企む悪党に見える!?」


なぜそんな荒唐無稽な考えに行きついたのか。


馬鹿じゃないの、とあたしがまくしたてるのを流して彼はぽつりと、


「だってさっき買った本……お前、金のためならやりそうだろ」


「さっき買った本をまずあんたで試してもいいのよ? 縛ってやりましょうか!」


腹の立つことに、割と本気でそう思っていたらしい。


よかった、強盗ほう助犯にならなくて。などと呟きながら、あたしの言葉に彼はようやく安堵した顔を見せ、焼き菓子に手を伸ばす。


口にした途端に、眉が垂れ、とろけるような笑顔に変わる。あたしが見ているのに気がついて、すぐ表情を引き締めたけど。


こういうところは変わらないのね。


あたしは何とか笑いをこらえて、


「ほら、あたしのも半分あげる」


「……いらない」


言いながらも、目はあたしが差し出したお皿の上のケーキに注がれている。


「今日のお礼よ。お陰で本が買えたから。それに、疲れてるから1個は食べられないの」


言い訳を付け足すとようやく彼が仕方がないとばかりに手を伸ばす。


お前のために食べてやるだけだからな。僕は大人だから甘い物は好きじゃないんだ。そんな感じでしぶしぶと。


使っていないフォークで綺麗に均等に半分にして、自分のお皿に移した。


少しずつ味わうように食べはじめる。その顔は本当に幸せそうだった。


流石にこれ以上揶揄うのは可哀そうだから、あたしは彼から視線をそらし、周囲の景色に目をやった。


夕刻が近づき、少しずつ通りに人が溢れてきていた。


家族や恋人同士、兄弟、姉妹、仲のいい人たちが連れ立って歩いている。


ふと思った。


「……ねぇ、もう行方不明者って出てるの?」


「ああ、森の獣のことか? お前がそんなこと知ってるなんて意外だな――いや、まだ被害は出てないときいてる。出るとしたら、これからだろうな。今年は灰の月にはもう雪が解け始めていたから、冬眠から目覚めるのも早かったはずだ」


「立ち入り禁止とかにできないの?」


「そんなことしたら猟や採取で生計を立てている者の生活が成り立たなくなる。それに、言ったところで入る者は入る。茸とか野苺とか、入口なら大丈夫だろうってのが気が付くとどんどん奥に行って、結局帰ってこられなくなる。一応最近は問題にもなってきていて、王都に討伐隊を要請するべきだという話が持ち上がってはいるそうだが、毎年ならともかく数年ごとの被害では聞き届けてもらえるかどうか」


「そうなの……」


単純に、行かなければいいだけじゃないと思っていたけれど、そういう問題ではないことは何となくわかった。


もしかして、あたしが今見ている人の中にも被害者がでるのかしら。これから死ぬ人がいるのかしら。


あたし以外の人は死ねば終わりだ。本当の終わりが無理矢理訪れる。


もし母や知り合いが獣に食べられたらなんて想像するのもおぞましい。長い間顔も見ていない父や兄ですら、想像したくもなかった。


でも、そんな目に遭う人たちが、そんな思いをする人たちが、これから出てくるのだ。


あたしにとってこの世界はまやかしであるのかもしれないけど、この世界自体が嘘なわけじゃない。ここに生きている人は本物で、本当で、彼らには一度きりなのだ。


「あたしも含めて、誰も死ななければいいのに……」


今まで考えたこともなかったそんなことを、初めて思った。

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