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以下の物語と連動しております。
宿禰凛一編「only one」
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宿禰慧一編「GLORIA」
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藤宮紫乃編「早春散歩」
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ウリエルから逃げるように、チャペルの中に駆け込んだ。
教会の中にも先生やお年を召された卒業生の方たちが、幾つかの塊になって、談笑している。
おれは通路を真っ直ぐに歩き、祭壇へ向かった。
まだ学院の生徒だった頃、隔週月曜日の朝、礼拝のミサがあった。
一般の朝礼と変わらないものだったけれど、最後に必ず賛美歌を歌わされていた。
男子校のしかもほとんどが宗教を持たない生徒ばかりだ。真面目に歌う奴はコーラス部と生徒会ぐらいだった。
だけど、リンは周囲の目なんか気にせず、高らかに歌っていた。
サンクチュアリによく通る綺麗なテノール。響くシンプルな祈りの歌詞。
おれは歌うリンの姿に何度も見惚れ、歌うことすら忘れていた。
リンは美しかった。
あれがおれの恋人とは、当人でさえ信じられないほどに、尊いものに見えた。
それは、リンが望んでいた思いじゃないのはわかっていた。
だからおれはリンと、対等になりたかったんだ。
十字架も何も無いシンプルな祭壇は、宗教色の少ないこの学院特有のものだ。そして光を受けて輝くステンドグラスもまた、虹色の鳩が飛翔している姿だけが描かれている。
「あの七羽のハトの意味を知っていますか?」
後ろから声を掛けられ、驚いて振り向いた。
「鳴海…総長」
前学長の鳴海先生が立っていた。
リンが剣舞を演じた際、熱心に指導されたと聞かされていた。遠目には何回も見たことはあったけれど、直々に話すのは初めてかもしれない。
「去年、この学院のすべての職務からも卒業しましてね、今は隠居の身ですよ。ただのじじいです」
「そんな…」
年は取っていてもこんなに品格のある紳士なんか、早々見当たらない。
それになんて優しい眼差しなんだろう。聖職者ってみんなこうなら、もっと信仰深くなるんじゃないのかな。
「水川…くんでしたよね」
「あ、はい…光栄です。名前を覚えてもらえたなんて」
「卒業生全員を覚えることはさすがに出来ませんが、優秀な生徒は自然に記憶しているものですから」
「ありがとうございます」
「君は画家になったと聞き及んでいますが」
「どうしてそれを?」
「宿禰君から聞きました。私は海外によく出かけるので、ニューヨークへ行くと宿禰君に連絡をするんですよ。彼は自ら運転して、色んな穴場へ連れて行ってくれる。この学院では君と特に仲が良かったそうですね」
「…はい」
「水川君が画家の道を歩んでいる事を、宿禰君は嬉しそうに話していました」
「…」
複雑な気がした。おれの知らないところで、リンはおれのことをそんな風に話しているのか…笑いながら話せるものなのか…おれには無理だ。嘘でもリンとの思い出を嬉しそうに話すほど、心の整理は付いてない。
…付いてないって?
もう、ずっと前に付けたはずじゃないのか?
おれははっきりとリンと決別したって…
そう、思い込んでいるだけなのか?
「あのハトの意味ですが、七つの美徳の意味があります」
「…」
昔、リンがそんなことを言っていたような気がする。
「純潔、希望、知識、正義…」
リンは作り話がうまいから、また適当に話しているのだと思ってた。
「勇気、忍耐、そして…純愛です」
おれはリンの作り話がとても好きで、好きで、何回もねだって…おれは…
「純愛はこの世の理想ですね。欲も得もなくただひたすら愛するという想いは、家族愛でもなかなか難しいものです。他人同士の純愛なら…奇跡かもしれない」
「奇跡?」
「キリスト教では神の力とも言いますが、恋愛する当事者には神は邪魔者でしかないと思いませんか?…これは内密に」
「…はい」
「それよりこれを見てもらえませんか?」
鳴海先生は、祭壇の左端の壁に置かれてある台におれを案内した。
白い建築模型だ。
教会の形をしている。その横には体育館だろうか。モダンな建物の模型がある。
「この教会堂も随分古くなりましたから、そろそろ建て替えの頃だろうと。ついでに生徒が増えたので体育館も新しく建て替えることにして、宿禰くんのアトリエに頼んだんです」
「リンの?」
思わずリンと呼んでしまった自分の口を押さえた。先生は穏やかに笑みをくれただけだ。
「そうです。凛くんは…彼がそう呼ぶのが好きなので。カテドラルの建築デザインを熱心に勉強していましてね。建築家を目指したのはお母さんとお姉さんの聖堂を作るのが目的のひとつだったそうです。アメリカで彼の設計デザインした教会をいくつか見せてもらいました。彼のひときわ華やかな外見とは全く違う、とてもシンプルで暖かい人々の拠り所であるカテドラルだった。建築家となったこの学院の卒業生もいますが、私は凛くんの教会を見たかったし、体育館との融合を有望なランドスケープデザイナーである慧一君にまかせたかった」
「そうだったんですか…リンは、頑張っているんですね。おれなんか…比べ物にならないほどに…」
「水川君にも頼みたいんですが…」
「え?」
「新しい教会堂に掲げる絵を描いてもらいたいのです。宗教に関係するものではなく、あなた自身が描きたいものを、期待しますが…どうでしょう」
「え?…僕が…そんな、無理です。僕はまだそんな…画家と言っても学生に過ぎません。教会に飾られる絵なんて今の僕では…描けません」
「有名な芸術家の絵を望んではいません。この学院を愛してくれた者にしか描けない絵を、新しい教会堂に飾りたいのです。水川君の絵画だけではありませんよ。この学院を卒業した多くの、芸術家や技能者、研究者…彼らの青春を刻み込んだ思い出の展示も考えているんですよ」
「…」
「水川君の時を刻んで見ませんか?ここで学んで経験した時が、未来の礎になれば、それが私の喜びとなります」
鳴海先生の好意は有り難かった。けれど自分に自信が持てなかった。
リンの建てた教会におれの絵を飾るなんて…
曖昧に返事をぼかしたまま、その場を後にした。
家に帰りついたのは十一時過ぎだった。
あれから寮の同窓会があり、久しぶりに学生気分で楽しめたんだ。
三上も周りの奴らもリンの事には触れないでくれたから、それも有り難かった。
みんな大人になり、そして優しくなっていた。人の心を尊ぶとはああいう空間なのかもしれない。
学生の頃には気づかないことばかりで、驚いてしまうと素直に白状すると、みんな口を揃えて、「俺もそうだよ」と、笑った。
「そうか、良かったな、青弥」
「うん」
ひとりで晩酌を楽しんでいたのか、ほろ酔い加減の季史さんが機嫌よくおれの帰りを待っていてくれた。
「そうだ。新鮮な鯛のさしみがあるんだ。鯛茶漬けでも食おうか?」
「うん、食べたい」
「じゃあ、用意するから待ってろ」
台所に立った季史さんにお礼を言い、何気なくテレビをつけてみる。
チャンネルを変えながらBSのCNNニュースで手を止めた。
何となくだか、リンの居る国の空気を感じたかったからだ。
流暢な英語に同時通訳が入ってくる。それも邪魔で通訳を消してみる。
英語の意味はある程度、理解できる。
ニュースは政治から世界情勢、そして今日の特集へ移っていった。
それは突然だった。
金髪のニュースキャスターが「The SIA prize with the authority was won to Mr.rinichi.sukune, architect. 」と、話し出したのだ。
同時に画面に映し出されたのはタキシードを着たリンの姿だった。
そうか…今日、藤宮先生が話していたリンの受賞した話だ。
おれの鼓動が次第に早くなる…耳元で心臓が破れるぐらいに鳴り響いている。
息をするのも、瞬くのも忘れ、画面を凝視した。
特集は5分くらいのもので、リンの日常の仕事の様子と授賞式が主なフィルムだった。
久しぶりに見るリンは、すっかり大人になっていた。
気品や艶やかさは昔より増して、いくらか退廃的な影がちらつく色気のある眼差しが、リンの美貌と不思議に調和している。
映像はニューヨークのリンのアトリエを映し出した。
一面のガラスから光零れる洗練されたオフィスで、事務所の仲間達と…慧一さんが紹介される。
慧一さんも当たり前だが、とても綺麗だ。リンと並んで映る姿も絵になっていた。
なんのしがらみもなければ、綺麗で素敵な兄弟だと思えるのに…心が痛むのは、おれの狭さなんだろう。
最後にリンの受賞式のメッセージが流された。
トロフィーを持ったリンが壇上で挨拶をする。
難しくない英語だったから、おれにもはっきりとわかった。
受賞の喜びと感謝を込めた言葉。
最後に…と彼は言った。
「この賞を僕を支えてくれた家族と敬愛するすべての人々に、そして…Eternal loverに捧げます。ミナ、君にだ」
「…」
…おれは耳を疑った。
リンは「Eternal lover」と言い、カメラに向かって日本語で「ミナ、君にだ」と、言ったのだ。
そして、自分の左指にキスをしたんだ。
薬指には見覚えのある指輪が嵌められていた。おれと誓った指輪…なのか。
おれは…もう…仰天を通り越して…気を失うかと思った。
馬鹿じゃないのか、あいつは!あんな恥ずかしいことを堂々とやってのける奴がこの世のどこにいる!
世界中に放映されるカメラに向かって…おれの…おれの名を…言うなんて…
「どうした?青弥。顔が茹でタコみたいに真っ赤だぞ」
「あ…な、なんでもない…ご、ごめん、季史さん。お、おれ、お腹一杯で…あ、の…絵、描きたくなったから、アトリエに行くよ」
「はあ」
「折角だから、鯛茶漬け食べてく」
おれはポカンとしている季史さんを尻目に急いでお茶漬けを搔き込み、母屋を後にした。
アトリエに入り、パソコンを付けた。
インターネットの動画サイトで先程のCNNのニュースを探した。
宿禰凛一で検索した方が早かった。
しかもリンの動画はいくつもあった。今までおれが全く気づいていなかっただけだ。
授賞式のリンのメッセージを探し、さっきの言葉を確かめた。
もしかしたらおれの聞き間違いかも知れない。おれの願望が目の前のテレビの画面におれの目だけに映っていたのかもしれない。
…だけど、違っていたんだ。
パソコンに映し出されたリンははっきりとおれに言う。
「Eternal lover、ミナ、君にだ」と。
あの頃と変わらないちょっといたずらを思いついたような顔で、おれをいとおしそうに見つめる目で…
おれは何度も何度も、リピートし続けた。
段々と涙で画面が見えなくなった。
それでもおれは繰り返した。
それはリンの想いだった。
嘘じゃない。噓つきじゃない。
リンは…おれを…ずっと、ずっと…
リン、君は…本当におれに純愛を誓ってくれたんだね。
見返りなんて求めていない。
ただ、ずっとおれを愛し続けてくれた。
ありがとう…ありがとう。
ありがとう…