15
以下の物語と連動しております。
宿禰凛一編「only one」
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宿禰慧一編「GLORIA」
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藤宮紫乃編「早春散歩」
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15、
翌日、大学に退学届を提出。その後、鎌倉までバイクを走らせ、町田先生に美大を受けたい旨を伝えた。
町田先生は大学を辞めたことをこそ驚いたが、美大受験に全面的に協力してくれると言ってくれた。
「よろしくお願いします」
「うん、とにかく学力テストの方は問題ないだろうから、後は実技だ。受ける大学にもよるが学科は決めているのかい?」
「一応、M大の油彩学科を目指したいです」
「俺の後輩になる気か?」
「そうなんですか?」
「だったら教えがいがあるな。実技はデッサンと油絵だ。デッサンはとにかく手当たり次第描き続ける事。油絵は六時間という限られた中で自分の絵を仕上げなきゃならない。早く自分なりの絵を探し出すことだ」
「はい、頑張ります」
高校は夏休みに入ってた。
しかし進学校であるヨハネでは夏休みといえど、生徒達は毎日の補習で日頃と変わりなく騒がしい。
「水川!」
去年の担任だった藤内先生が、廊下の窓から手を振っておれを呼ぶ。
「今から温室の水撒きに行くが、おまえも来ないか?」
毎日のように学院へは来ているが、学校の裏手にある温室には近づかなかった。
あんなところに入ったら、おれは…
「すみません。おれ、用事があるんで、またこの次に」
そう言って、その場から立ち去った。
その日はリンと初めて温室で出会った日だったんだ。それを覚えている自分が何故か悔しかった。
リンは…そんなことなんか、覚えちゃいない、きっと…
校門を出る時に毎回振りかって見るチャペルの尖塔に聳えるウリエルの像が、今日は憎かった。
秋が過ぎ、冬になった。
おれはデッサンと油彩のスキル向上に明け暮れる毎日だった。
独りで過ごすクリスマスも気にしなかった。桐生さんや美間坂さんや何人かの友人達はクリスマスパーティに誘ってくれたりするけれど、到底そんな気にはなれない。
今、やるべきことをやっておかないと、後悔しそうな気がしてた。
翌春、おれは第一希望のM美術大学に合格した。
一番お世話になった町田先生へすぐに報告へ行った。
先生は自分のことのように喜んでくれた。
「先生、お願いがあるんですが…」
「なんだ?」
「おれ、家を出ようと思っています。家から通えない距離じゃないけど、これ以上実家に甘えるのも気が引けるし、通学時間ももったいないから。授業料はともかく、バイトしてでも自分で生活だけはしたいんです。どこか、M大の近くに安いアパートはご存じないでしょうか?」
「あ…うん。ちょっと待ってろ。俺が前に世話になってた人に当たってみるから」
そう言って、町田先生は携帯電話を手にする。暫く話し込んでいた先生がおれを呼んだ。
「水川、安くていい下宿があるんだが…」
「本当ですか?」
「うん、俺も昔随分お世話になったんだ。もう15年前だったから、物も人も変わってしまっているだろうけれど」
「どんなところでも構いません」
「条件があるそうだ」
「なんですか?」
「そこは画材屋と画廊を営んでてね。二年前に世代が変わって息子さんが経営を継いだそうだ。丁度人手が足りないから、安く下宿させる代わりに店の手伝いをしてくれる学生が欲しいという条件つきだ」
「それなら構いません。画材屋で働けるなら好都合だ。画才も少しは安く買えるかもしれないし」
「向こうは土日も店を開くから、そのつもりで仕事をしてもらえる人じゃなきゃ駄目だって言ってるよ」
「それで結構です。是非お願いします、先生」
「わかった。先方に伝えておこう」
「ありがとうございます」
「確か名刺があった…これだ。水川に渡しておくから、暇なときに挨拶に伺えばいいよ」
「はい」
受け取った名刺には「美桜堂」という店の名前、裏には「ギャラリー時世」と、あった。
三月に入っておれは、その「美桜堂」へ向かった。
M大から歩いて十分もかからない。
小さな商店街を抜けて、路地を曲がった奥にその家屋が見えた。
瓦屋根の古い商家風の建物と、その横に外壁を漆喰で固めた土蔵が並んでいる。
土蔵には「ギャラリー時世」と、商家の二階に掲げられた趣のある看板には「美桜堂」と描いてある。
おれは格子戸をガラガラと開け、店の中に入った。
吹き抜けになった天上。黒く塗られた梁は大きく美しい。TVでよく見る記念物の民家みたいだ。
土間は広く、画材の並べ方ひとつとっても、単に棚に並べるのではなく、壁に沿わせて遠くからでもひと目で探せるように工夫されている。
知らない人が入ったら、オシャレな喫茶店か何かにも勘違いされそうな、モダンな雰囲気だ。
だけど、BGMなどは一切なく、通りからも離れている所為か、酷く静かだった。
しばらく佇んでいたが、誰も出てこない。
時折、ドンドンと何かを叩く音がする。
思い切って大声で叫んだ。
「すいませ~ん。あの…こちらにお世話になる水川と言うものですが、誰かいらっしゃいませんか?」
足音が聞こえ、作業用のエプロンをした男性が、奥の土間から出てきた。
年は三十ぐらいだろうか…手には金槌を持っている。
「水川?…ああ、町田さんが言ってた新入りか。良かった、ちょうど手が欲しかったところなんだ。手伝ってくれ…何だ?鳩が豆鉄砲食らったみたいにポカンとして?俺の顔に何か付いてるか?…そういやさっきデッサンしてて、炭舐めたから、汚れてたか…おい、なんか言えよ」
何か言えって…なにも言えない。
だって…その人の声は、あまりにリンに似ていて、似すぎてて…
心臓が止まるぐらいに驚いて、息が詰まって声が出なかったんだもの。
「あ、あの…水川…青弥って言います」
「そう。俺は櫻井季史だ。この春からM美大の学生なんだね」
「はい」
「良かったら、持っている絵でいいから見せてくれ」
おれは持ち合わせのスケッチブックを差し出した。
櫻井という人はそれを一枚一枚丁寧に捲り、頷きながら眺めている。
「君は何科?」
「油彩学科です」
「そう、じゃあ、今度は油絵も見せてくれよ」
「はい」
「ああ、ここに住むんだからいるでも見れるわけだね」
「そう、なりますか?」
「こちらの条件はわかってる?」
「はい、大学の講義がない時間はできるだけお店の手伝いをする。と、聞きました」
「うん。俺は時々お宝を探しに出かけたりするから、その時も店番を頼みたい。額縁のモールディングもやってるから、個展やらで飯も食えなくなるほど酷く忙しい時期もあるんだ。そういう時も、手伝って欲しい。全くのシロウトより、絵の事を知っている奴の方が助かるしね」
「はい、出来るだけお手伝いさせていただきます」
「じゃあ、こっちに来て」
うなぎの寝床のような狭い土間から板張りの部屋が奥まで繋がっている。
違う時代に来たみたいにドキドキする。
「こちらが台所とリビング。二階が俺の寝室。この土間を抜けたら、庭に出る」
暗い土間から一気に光の降り注ぐ芝生の庭に出た。
周りを囲んで色んな草木が無造作だけど植えてあるし、何より春の若芽が眩しい。
「あれがアトリエ兼、下宿部屋になる」
櫻井さんが指を示した先に先程とは違ってコンクリートの近代建築の家がある。こじんまりとしているが、下宿にするには立派過ぎる。
櫻井さんはそのドアを開けた。
「ここは絵を保管する倉庫に作ったんだ。画廊もしているだろ?どうしても沢山の絵を保管する場所がいるからね。今の画家はやたら号数のデカイ絵ばっかり描きやがるから場所を取っていけねえや。空いてる場所はアトリエに使っていいが、たまに色んな絵描きがここで描き足りたしたりするから落ち着かないかも。二階が君の部屋。と言っても、水屋も大して整ってないから、食事は母屋の台所を使ってくれていいよ。トイレは一階にある。風呂は母屋。バイト代下宿代を相殺してのただ働きになるけど…いいかな?」
「え?ただでいいんですか?」
「勿論水道、電気代込み。食事の材料もうちのあるもん使ってもらって結構だよ。なんかお金に苦労してるって聞いたからさ…働き次第ではバイト代を出すよ」
「あ、あの…本当にただでいいんすか?」
「いいよ」
「が、がんばります。ただで住めるなんて…アトリエも付いてるなんて…夢みたいだ」
「ついでに画材も安く提供しようか?」
「…あ、なんか変なこと企んでいませんよね?」
「へ?…よく判ったね」
「…」
「俺は将来見込みのある奴に唾をつけておくのがめっぽう上手くてね。これが大体ものになる。早くから才能を見込んでおいて、作品を安く手に入れるのさ。そして高値で売りさばく…どう?これ。最新の先物取引」
「リスクが半端ないや」
「芸術家としての才能は俺にはないが、投資家としては外れがないんだ。あんたも俺のお眼鏡にかなった逸材だ。頑張れよ」
「…」
なんだかね、リンと同じような声音で言われるとその気になってしまうから、癪にさわるし、嬉しくもなる。
マジで櫻井さんのことをリンって呼ばないように気をつけなくちゃ。