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以下の物語と連動しております。
宿禰凛一編「only one」
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宿禰慧一編「GLORIA」
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藤宮紫乃編「早春散歩」
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9、
センター試験が目前の明後日に迫った。
リンはまだ帰ってこない。
おれは東京の試験会場を選んでいるから、夕方には実家に帰る予定だ。
補習授業が終わり、自習室へ向かおうとするおれにクラスの高橋が声を掛けてきた。
「いよいよ明後日だな」
「ああ」
「水川とは色々あったけど、おまえがいてくれたおかげで、俺も充実した高校生活が送れたよ。礼を言う」
「…別におまえに礼を言われるようなことはしてないけど」
「おまえの存在が、俺の自尊心を打ち砕いてくれたんだよ。この学校に来るまで、俺は勉強では誰にも負けたことはなかった。だけどここに来て、初めて自分以上勉強のできる奴に出会った。おまえに負けたくない一心で俺は俺なりに頑張ってきた。最後まで、おまえに勝てなかったけれど…悔いはないって思えるんだ。だからありがとうって言わせてくれ」
「…うん」
差し出した高橋の右手を握った。固く握手を交す手を見つめる。
そうだな…拘っていた下らないプライドさえ、きっと大切な意味があったかも知れないんだろうな。
「宿禰もT大受けるんだろ?おまえと同じ物理工学科?」」
「いや、あいつは建築学科だよ」
「俺と…同じじゃないか。最後まで俺の足を引っ張る気なのか…嫌味な奴だ」
「…」
別にリンはおまえを相手にしてないと思うけど…と、心で思ったが口には出さなかった。
口では嫌がる風を気取る高橋は、本気で嫌がっては居ない…どころかなにやら少し嬉しそうでもある。
「皆受かるといいな」と、らしくないことを言う。
「きっと…絶対合格するさ。おれたちはそれだけのことをやり遂げただろう?」
「ああ、俺もそう思う。まあ、水川には勉強も敵わなかったし、恋の相手にも太刀打ちできなかったがね」
「…恋愛は楽しいばっかりじゃないけどね」
「…そりゃそうだろう。相手は数学でも国語でもない。正しい解き方もない。だから、人は恋をするんだろうか。自分だけの答えを導くために…なんてね。まあ、俺は恋より、豊かな老後の為に生きる方が大事だがね」
「恋に狂うのは愚か者だろうから、高橋の生き方は正しいのかもしれないね」
「人間の愚かさは無限だって言うじゃないか。だったらそれを追求しても楽しいんじゃないか?…俺はおまえがうらやましいと、言ってるんだぜ。絶望なんかするなよ」
「ああ、そうだな」
言うべき本音ではなかったが、つい口に出してしまった。
どっちにしてもこの学院ではおれの事はいざ知らず、リンの話題が出ない日はない。
ひと月以上も姿を見ないリンが、どこで何をしているのかを、おれに毎日尋ねる後輩だっているんだ。
皆ゴシップ記事みたいにおれ達の行き先がどうなるのか、噂しているに決まっている。
教室を出て、しばらく自習室で過ごした。
その後、日課の温室の水遣りをする。
さっきの高橋の言葉がきっかけで、押さえていた感情が膨らんでいくのがわかった。
高橋の言うとおりだ。
これは、この感情は愚かな恋なんかじゃない。
たとえそうであっても俺自身、この想いを誇れるほどに愛おしいと思えるんだ。
おれがリンを愛している。
これこそが一番輝かしいものではないだろうか。
リンに会いたいと思った。会えなければ、声だけでも聞きたいと…
携帯電話は寮に置いてきた。今、ニューヨークは何時だろうか…
12時間前だから…夜中だ。それでも許してくれるだろうか。
水撒きを急いで終わらせ、ヨハネ寮に帰った。
部屋に戻り、机から携帯を取り出す。液晶画面にリンの番号を確認して、ボタンを押した。
心臓がバクバク鳴ってるのが可笑しい。顔が火照っているのも笑うしかなかった。
…リン。どうか、電話を取ってくれ。
『ミナっ?』
「お、どろいた…取るの早い」
『ちょうど、ミナに電話しようとしてた。俺、今、温室にいるんだけど』
「え?リン、こっちに居るの?い、いつ、戻ってきたの?」
『あ、言ってなかったか…ごめん、昨日鎌倉に帰ってきてた。で、今日久しぶりに登校したの。ミナを探しに教室まで行ったんだよ。高橋は学校には来てたって言うから、あちこち探したけど見つかんなくて…ミナ、どこに居るの?』
「寮に戻ってたんだ。携帯を取りに帰ってた。リンに連絡したくて…」
『そうか…会いたいんだけど、会える?』
「う、ん。勿論、おれも会いたい」
『じゃあ、寮へ行くよ』
「いや、おれが行くから、温室で待っててくれ」
『いいけど…おまえ、また外に出なきゃならなくなるだろ?もうすぐ日も暮れるし、外もここも寒くなるよ』
「いいんだ。温室で会いたいんだ」
『わかった。待ってるから早くおいで』
電話を切った後、大きく息を吐いた。
こっちに帰って来てるなんで思いもよらなかった。
学校に来てたのに、会えなかったなんて…よっぽど運が悪いや。
ああ、すぐ行かなきゃ、早く会いたい。
…落ち着けよ。馬鹿みたいにはしゃいで、肝心なものを忘れるな。
しまっていたリンへの贈り物を机から取り出し、紙袋に入れた。
焦る心を落ち着かせるように、深呼吸をひとつして、部屋から出た。
温室まで、駆け足で急ぐ。
早く行かなきゃリンが消えてしまうみたいで、焦ってしまう。
空気の冷たさなんて感じない。
背中を射す夕日を振り返る暇なんてない。
リン、君を確かめなきゃおれは…
温室のドアを開けた。
「リンっ!」と、叫ぶ。
だが、返事はない。
「リン、どこだよ!」
中を見渡してもリンの姿は見えない。
間違いなく温室で待ってるって言ったのに…
「リン…」
帰ってきたっていうのは嘘だったのか?それともあの電話の声は幻なのか?
…そうだよ。だいたい学校に来ているなら、そういうニュースがおれの耳に聞こえてもいいはずだもの…
あれはリンの嘘だったんだ…
期待が大きかっただけに、ひどく落胆した。
椅子に座り、窓の外を眺めた。
ちょうど太陽が教会の屋根に隠れる寸前だった。
ガラス窓に映った自分が見えた。
情けない顔でこちらを見ている。
「まるで桜が散った受験生の顔だな」
おれじゃない声がガラス窓から聞こえた。
ガラスに映るおれの顔の後ろに、リンの姿がはっきりと見えた。
「…」
おれは怖くて、後ろを振り返れなかった。
だって、振り向いたら消えてしまうかもしれない。
「リ…ン?」
「うん。…ただいま、ミナ」
おれの背中を抱き、その口唇がおれの頬に口づけるのが、ガラスに映る。
おれは回されたリンの手を握り締めた。
立ち上がり振り返り、両手でその身体を確かめる。
「リン…会いたかった…」
それだけ言うのが精一杯だ。後は声にならなかった。
リンの胸は温かく、おれの涙をぬぐう口唇は柔らかい。
…愛おしい。愛おしい…離れないでくれ、離れないで…愛している。
沸き起こる得体も知れないすさまじい感情。
このおれに?
孤独で恋に怯えていたおれに、こんな感情が存在するのか?
あるとは思わなかった。思えなかった。
リンはおれの感情をまさぐる唯一のものだ…
未来永劫こんな恋を知るのは、おれには、リンしかいない。