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以下の物語と連動しております。
宿禰凛一編「only one」
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宿禰慧一編「GLORIA」
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藤宮紫乃編「早春散歩」
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その夜、寮に帰ったおれは、夜遅く、同室の三上が眠ったのを確認して、隠しておいたリンの破れたリボンタイをそっと机の引き出しから出してみた。
あれから、俺たちは結び付けられたリボンにお互い身動きが取れないと閉口しながらも、楽しんだ。
二人並んで座り、おれはスケッチを、リンは読書をしようとする。
絵を描くにもつい左手を動かすから、そうなると隣で本を読んでいるリンがぎゃっと叫ぶ。ページを開こうとした手が弾かれて、破いてしまったのだ。
「どうする?これ図書館の本だぜ?」
「テープじゃ駄目かな?」
「逆に目立つな。このままにしておくか。破れたといってもちょっとだしな」
「…いや、十センチは重症の部類に入る。だけど、本が本だろ。誰も埴谷雄高なんか読まないよ」
「そうか?コレ、アングラではウケてるって話だぜ。確かに難解だが、俺みたいな異端者には丁度いい」
「…」
自分のことを異端って言うリンが可愛かった。
その後、まあ、色んなことをしている最中も、繋がれているリボンが何をするにも邪魔になった。
片腕しか使えないことの不自由さは勿論、繋がれた方の腕はふたりで協力しなきゃ快感も得られないなんて…やってる最中、なんでこんな不便なことをしているんだ?この縛り付けているものを外すのは簡単じゃないかと、恨めしげに口にしたが、リンは一向に構わなかった。
片方の腕だけで器用におれの腰を抱くと、そのまま混ざりこんだ。
「手首も身体もお互いを結びつけ欲を食い散らかしている。こういうのを一心同体っていうのかね」と、悪どい顔でねめつけ、おれの目じりを舐める。
皮肉のひとつもこの状態で言えるわけが無い。
片方の腕でリンの背中に必死でしがみ付く。
燃える吐息が夏の最後の夕暮れで紅く見える。
あれは情念というものかも知れない。
帰り際、リンとおれを繋いだリボンを解き、リンは一瞥も無くゴミ箱に捨てた。
おれはリンには黙ったまま、このリボンを拾って自分のものにした。
今はもう薄っすらとしか残っていない左手首の痕を撫でる。
明日には消えてしまうものだが、この肌に甘い痕が刻まれてしまったことに違いは無い。
これだけじゃない。おれの身体の至る所まで、リンという人間の情念が刻み込まれている。
それに触れるだけで、たちまちのうちにおれの肌は燃え上がる様に、作り変えられたのだ。
別に後悔はしていない。
が…
リンは…一体おれという人間をどうするつもりなのだろう。
八月になって、おれは世田谷の実家へ戻った。
両親は久しぶりに息子と暮らす日々を味わいたかったのか、喜びを隠しきれないでいる。
おれの部屋のエアコンは新しく買い換えられ、部屋の隅にコンパクト冷蔵庫まで置かれてあったのには驚いた。
「階下まで降りなくていいようにね。青弥の勉強の手を止まらせちゃいけないもんね」と、ペットボトルを冷蔵庫の中に入れつつ、母親は自慢げに言う。
愛情のベクトルが何か間違ってないか?
…まあ、いいけどさあ…
こういう場合、家に居ても落ち着いて勉強なんぞしてられるか…と、なるから、朝早く自宅から脱出して図書館へ直行。時間が来れば夏期講習の為に予備校へ通う。終わったら、残って自習か、街をふらつき、夕食ぎりぎりに帰宅する。
夏期講習には中学の時の同級生の顔がちらほらと見えたりもするが、お互い会話をするわけでもない。それはそうだろう。ライバル関係以外の何者でもないのだから。
盆も近まった或る日、予備校のロビーで掲示板を見ていたら「水川?」と、声を掛けられた。
振り向くと懐かしい顔があった。
「桐生先輩!」
「ここの夏季講習を受けていたのか?」
「はい。母親が勝手に申し込んだんですよ。それより先輩はどうしてここに?」
「俺はここのアルバイト講師。折角だし、時間があるなら話でもしないか?昼飯まだだろ?おごるよ」
「はい。ご馳走になります」
人見知りのおれだけど、穏やかで外連味の無い桐生さんには何故か逆らえない。
強がる振りも自分を飾ることも、この人には通用しないというか…
結局は大人ってことなのかな…
近くのファミレスでランチを食べた。
先輩の恋人の美間坂さんはお盆が近いので、京都の実家に帰省していると言う。
美間坂さんの実家は大きな総合病院で、美間坂さんは跡取りなのだが、本人は継ぐつもりはないらしい。
「先のことなんてわからないよ。特に男同士の付き合いなんてさ、証なんて何ひとつないんだから、感情が違えば簡単に別れられる」
「…根本先輩も同じようなことを言ってました。だけど意外だな。桐生さんは美間坂先輩との付き合いをそんな風に考えているんですか?一緒に住んでいるんでしょ?それでも不安になりますか?」
「いつだって不安だよ。世の中に不安のない恋愛なんてあるのかな?それは男女の結婚でも同じだろう?他人同士が愛によって一緒にいるということは、不安定なものなんだよ。それでも男女だったら家族ができる。それは血の繋がりになる。一種の聖域だな。…残念だが俺達には持てないものだ。それでも人は愛を求め、それでしか生きれない俗物でもある。だから、美間坂に愛されている限りは付き合っていくつもりだが…だが、世間の事情って奴が美間坂を壊すというのなら、俺は自ら引くことには拘らないよ」
「…諦めるんですか?美間坂さんを」
「愛を貪っているばかりでは生活は成り立たない。俺だってこうやってバイト費を稼いでいるんだ。授業料以外に親に世話にならなくていいようにね。本当はゲイの息子に授業料だってやりたくないのさ。だけどこんな息子でも血の繋がりがあるのだから、仕方ないのだろうね。幸せになりなさいと言う」
「…」
「充分にありがたいと思っているよ」
「おれは…恵まれすぎているのかな。今の今まで親に有り難味を感じたことはなかったけど…」
「目の前に出された食べ物がどんなに好物でも、押し付けられると美味くは感じない。人とは全く持って複雑だね。水川は間違ってはいないよ。愛情とは自分の感情だ。その感情の表し方は一様ではない。友情、恋、家族愛、憎しみ…どれも愛には違いない。愛するなと言うのは構わないが、それを受け入れるかどうかは本人にしか決められらない。その逆も然り」
「…」
桐生さんの言葉はどれもこれも俺にはなぞ掛けのようで釈然としない。それでも否定する気が起きないのは、どこかで受け入れてしまっているからだろう。
この人は大人だ。俺にはわからないこともこの人にはわかるのだろうか…
「桐生さん」
「ん?」
「リン…宿禰のことなんですが…」
「リンって呼んでるんだろ?リンでいいよ」
「おれにはリンがわからない。リンはおれを愛してると言うけど、リンの語る未来におれの姿は無いんです。それって…おれと一緒には生きていく気はないってことでしょ?勿論、桐生先輩の言うとおり、恋に保障なんてない。感情だって移り変わるものだ。だけど、おれは、おれにとってリンは今まで生きてきて一番大事な…何事にも代えられない人で、この感情ももう他にはありえないぐらいリンに繋がれていて…これを失ったらおれは…生きてはいけないぐらいに思っているのに…。リンは違う。おれを愛していると誓うのに、おれみたいに必死じゃない。おれがいなくても…」
リンには慧一さんがいる。
切っても切れない血の繋がりだ。しかも家族愛だけではなく、彼らには…愛という情念がある。
おれは…ふたりの絆の強さにどうしても勝てる気がしないのだ。