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以下の物語と連動しております。
宿禰凛一編「only one」
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宿禰慧一編「GLORIA」
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藤宮紫乃編「早春散歩」
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10、
箱根湯本までは一時間程で着く。
「旅館へはバスの方が駅からは近いけど、やっぱり登山電車かな。時間はかかるけどそれでいい?ミナ」
「うん。乗りたい」
登山電車は思っていたよりこじんまりとして遊園地の電車みたいと口元が綻ぶ。
日没は早く、辺りの景色はもう味わえない。
客も少ないからリンとくっついて座った。
おれ達は人前では絶対に身体を触れたり手も握ったりしない。そういう風におれが頼んでいるからだ。
リンは人前でも平気だろうが、おれは他人の目が気になる。
誰が見ても男同士だとわかるおれ達を、他人はどう見ているのだろうかとか、変なかんぐりをしないだろうかとか…いや変なかんぐりは当たっているけれど…
気にしすぎと言われても、おれは普通でありたい。
下らない見栄だし、嘘をつく意味があるのかと自分自身を罵りたくなるけれど、やっぱり世間の目が怖いんだ。どうしようもなく…
リンは「別にミナがそう思うのは当たり前だと思うよ。俺は気にしないから大丈夫。ミナに合わせるよ」と、平気な顔をする。
リンが平気なのはそういうゲイだとかを含めたとしても、リン自身が魅力的なのだから彼の尊厳を少しも損なうことはないと感じさせられるからだ。おれには無理だ。おれは普通の常識的な人間であることが、おのれの意味を示すことのような気がするのだ。
「箱根が初めてなんて珍しいね。俺は小学校の修学旅行やら、親戚連中と4,5回は来てる」
すっかり日が暮れた外を見ても景色は判らないが、そうしても目は窓の外を向く。
ガチャリガチャリと登山電車のスイッチバックの切り替えで進路が逆方向に変わる。
「おれんとこは小学校は水戸で、中学は信州だった」
「俺は中学の時は行ってない。不良でしたので」と、舌を出して笑うリンに暗さはない。
どんな不良なのかおれには全く想像できないけれど、リンがどんな過去をもっていようと、今のリンを構成しているのならば否定することはない。
おれにとって大事なのは、今のリンの存在なのだから。
小涌谷で降りた。辺りには誰も居なかったから、暗い夜道をふたり手を繋いで歩く。
「たぬきが出るかも」「へえ~見たいね」「いのししも出るって。でも襲ってきたらたまったもんじゃないけどな」「それはちょっと怖い…逃げたら間に合うかな?」「さあ、無理かもなあ。それより、寒くない?」「おれは一杯着てる。リンこそ薄着だろ?大丈夫?」「ミナの手があったかいから平気だよ。でも旅館に着いたらすぐに風呂につかろうぜ」「うん」
山なりの小道を15分ほど歩いたら漸く旅館の全景が見えてきた。
一目見て格式のある老舗旅館だとわかる。
独特な和風建築の玄関を入り、宿の方々の丁寧な歓迎を受ける。
リンがフロントで受付をしている間、おれは靴を脱いで広い板張りのロビーをウロウロと見学する。一つ一つの調度品が時代物の骨董品らしくてなんだか大正時代にスリップしたみたいだ。
「ミナ、おいで」
リンが呼ぶ。
「離れのお部屋だって」
「へえ~すごい」
おれは仲居さんの後に続くリンの少し後ろを付いて行く。時折後ろに居るおれを確認するように振り向くリンがたまらなく好きだ。
案内された離れは間取りも広く、風呂も内風呂と露天と二箇所あって景色も良く見える。庭は真っ暗だけど照明に照らし出された紅葉が少しだけ見える。
広縁の籐の椅子に座って庭を眺めていると、リンの姿が見えない。
「リン、どこだよ?」
「ミナ、早く来いよ。俺、もう露天に入ってるから」
…早い。
さっき仲居さんが出ていったばかりなのに…
おれは玄関の鍵を閉めて、脱衣所で服を脱ぐと浴室へ向かった。
内湯から露天までは敷居もなくそのまま繋がっているから、内湯で簡単に身体を洗ってリンのいる露天に向かった。
「リン、早いよ」
「早く温まりたかったの。ミナもおいで」
差し出す手につかまりながら、ゆっくりと湯に入る。
「熱いね」
「源泉掛け流しだって。すぐに気持ち良くなるよ」
家の風呂と違って外の暗さと薄暗い照明の所為で妙にリンが色っぽく見えて仕方が無い。
「眼鏡つけたまま?」
「うん、初めての場所ってなにがどこにあるのかわからないからね。蛇口の場所も見えないんだもん。それにお湯に濡らせば曇らないしね」
「そりゃそうだけどね…でもまあ…外さねえと、色気が足りねえ…かな?」と、言ってリンはおれの眼鏡を外して、後ろからおれを抱き寄せる。
「リ、リン…しないよ。ご、はん、部屋食でしょ?」
夕食を7時に予定していたからもう30分もない。リンのが立ち上がっているのは判るが、今は困る。
「そうだね。夕食が終わったらいっぱいしような。あ、でも大浴場もあるから、そこへも行こう。折角だしね」
「うん」
いつもながらリンは潔い。おれがうじうじ悩んでいる間に自分のするべきことを決めてしまう。
おれ達は充分に温まり、お互いの身体を洗い、軽くキスをするだけでさっさと露天から上がった。
「え…これなんだろ」
「献立表に書いてあるよ。え~と、こっちが鮎味噌で、こっちが鱧かな?」
「はあ…なんか珍しいもんばっかで…どれから箸をつけていいのか悩むね」
ふたつある和室の広い方の部屋で食事を取る。たぶん狭い方はお布団を敷くんだろうな。
広いテーブルに載りきれないほどの豪華な料理が次から次へと出てくるから、唖然とする。
「料理がいいとリピーターが増えるっていうからね。今はどこの旅館もこんな感じだよ。ミナは家族旅行はしなかったの?」
「父の会社の保養所は行った事あるけど、こんな豪勢じゃないし…それも小学生の頃に2,3回で。親父は根っからの技術者だから家庭サービスには向かないタイプだね。母親もおれもそういうのをあまり気にしてはいないからいいんだけど…だからかな…リンとこんな風に贅沢させてもらうのがとっても不思議だよ」
「俺も親父が再婚してから家族旅行へは行くようになったんだ。親戚連中とも最近は付き合うようになったけど、とにかく昔は俺が手をつけられないどうにもならないガキでさ。思い上がっていたから目に余っていただろうね。今になって考えるとちゃんとかわいがってもらっていたのに、あの頃は同情なんかいらねえって息気がっててね。伸ばされた手をことごとく払いのけていたんだな~」
「リンは今は幸せなの?」
「うん、すごくね。大好きな奴とこうして向かい合わせで箸を突きあうなんてさ、これ以上の幸せはないよ」
恥ずかしげも無く言い切るリンを正面切って見れないのはいつもの事だが、リンはわざと赤面するおれの顔を覗き込んでからかうんだ。
食事が終わった後はお腹が落ち着くのを待って、大浴場に行った。
平日でお客さんはそんなに多くない。気持ち良くお湯に浸かっていると、品の良い老年の方が声をかけてくる。
「きれいな坊やだね。女の子かと思いました」とリンと見て笑う。
リンは長い髪を髪ゴムでポニーテールにしていて確かに顔だけを見たら女子に見えるかもしれない。
「小さい頃は良く間違えられましたけどね」
「学生さんにお見受けするけれど、家族で来られたの?」
「いえ、従兄弟と二人です。明日は学校はお休みなんです。ここのクーポン券を貰っていたので、ふたりで来たんです」
「そう、今は紅葉が見ごろだから、どこを観光しても美しいですよ。でも若い君達には退屈かもしれないね」
「いいえ、紅葉を楽しみに来たんです。彼は絵を描くんです。いい穴場があったら教えていただけますか?」
「絵を描かれるの?それじゃあ…」
リンは知らない人と直ぐに打ち解けて仲良くなれる体質だ。
さっきも仲居さんが食事の用意をしていると、彼は仲居さんにこっそりと小さなポチ袋を渡していた。何かと聞くと「心付けだよ。要はチップみたいなもん。ちょっとした金額でも、その気持ちが接待に繋がるって、ママさんがゆってた」
「和佳子さん?」
「そう」と、ニコリと笑う
継母とリンは仲がいいらしい。近頃彼の口からちょくちょくその名前が出てくるようになった。
確かに仲居さんはおれ達みたいな子供の客にも、とっても愛想が良かったし、色々気を使ってくれていた気がする。
おれ達二人の関係を聞かれたら、リンは即座に「従兄弟です。母同士が姉妹なんですよ。小さい頃から兄弟みたいに育ってて。なあ?高校もたまたま一緒になって、いまではクサレ縁ですよ」と、デタラメの話をスラスラと講じる。
あの顔で言われたら信じる他はないので、仲居さんもすっかり騙されてる始末。まあ、どう考えても高校生の友人同士で泊まる部屋ではないよなあ~と、俺は苦笑いをする。
大浴場から部屋に戻ると、思ったとおり6畳の和室にはお布団が二つ並べて敷いてある。普段ベッドしか見ていない風景とは違って、なんだかちょっとエロく感じる。それを見透かされたみたいにリンが「フカフカの布団ってなんだかやらしいな。後でたっぷり楽しもうな、ミナ」とおれの耳元で囁く。
そうは言っても幾分湯中りの所為か、冷蔵庫からミネラルウォーターを出して籐の椅子に座り込んだリンはおとなしい。
「ちょっと疲れたね」
おれも向かいの椅子に座って、リンの飲みかけたペットボトルを貰う。
生乾きの髪がばらばらと浴衣の襟に散らばって、その合わせた襟がしどけなく大きく広がって胸の奥まで見えてしまうから、いつもよりリンの色気が増している気がする。恥ずかしくて直視するのを避けたいのに目はどうしてもそこにいってしまう。
リンの肌は白い。
おれの病的な白さと違って表面が薄い桃色に滲んでいる。その薄桃と影になった暗い部分のグラデーションの細やかさをカンバスに描けるかな…
見惚れたままぼうっとしていると、リンが物憂げな顔をして口端だけで笑った。
「ミナが今何を考えているか、言ってやろうか」
「…」
そんなこと口に出さなくてもわかっているだろう。
おまえが欲しくて堪らないんだよ、リン。