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ハガキ 風の物語  作者: 伊諾 愛彩
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風の物語 4.出会い

 目を開けると、椥紗から見える天井は見覚えのないものだった。

「あれ?」

「やっと目が覚めたわね。うふふ、私の武器がそれだけ優秀だったってことなんだけど。安心して、ただちょっと眠ってもらっただけだから」

そこは、実験室のようだった。そこには窓がなくて、今何時ごろなのか、わからない。

「それで、片桐双葉。私はアナタの頭脳に興味があるんだけど」

外見から推測するに、彼女はこの学校の生徒、同級生だろう。どうして、椥紗のことを双葉だと思っているのかよくわからないが、身体を起こして応えた。

「あの、私は双葉じゃなくて」

「嘘をついても無駄よ。アンタは確かにその名前を自分で言っていたわ。私にはちゃんと聞こえていたんだから」

強い口調で詰め寄る背の低い少女に、椥紗は面喰いながら記憶を辿った。ここに来る前の記憶……。遅刻して、時間までに教室につかなくて、誰もいない教室のほうに向かうのが怖くて、階段をそのまま上って行って……。その先にはドアがあって、開けると屋上につながっていた。よくある学校のフェンスに囲まれた何もない場所ではなくて、庭園があって、鑑賞の花や木が植えられていた。端までは、木の板を敷いて作られた道がある。それを進んでいって、端までたどり着きふっと息を吐いた。そして、昨晩、うんざりするほど聞かされた新入生の言葉を椥紗は唱え始めた。唱えながら、思いを巡らせた。学校までは来たものの、クラスメートが集まっている場所に行けない。

(あれ、それで、私は何をしたんだっけ)

「意識を取り戻すまで約3時間。まずまずといったところかしら。でも個人差あるだろうから、実験は数あるに越したことないけど」

その少女は白衣を着ているのだが、椥紗の記憶が確かであるのであれば、違和感がある。

「あの、入学式って、どうなってるのかな」

「入学式? そんなの私が行くわけないでしょ。広い場所で、偉そうな人の話を聞いて、歌を歌う。そういうイベントでしょ。時間の無駄」

「でも、あなたは、この学校の生徒なんでしょ? あの、さ、普通は入学式にいって……、それも大事なことだと思うんだけど」

「じゃあ、アナタも普通じゃないってことね?」

「あ」

少女の指摘に、椥紗は黙った。

「この天才が、普通なわけないでしょ。アナタ、頭悪いの? 模試で常に上位成績を叩き出す片桐双葉がどんな人間かと思ったら、凝り固まったバカね。あーあ。面白そうって思ったのに、がっかりだわ」

椥紗のことを双葉だと勘違いしていることを訂正したほうがいいのではないかと思ったが、それで、責められるはごめんだ。

「あの、ここに来る前、私、どうしていたんだっけ?」

「覚えていない、ということは気を失っていたってことね」

「ここは、雁湖学院のどこか?」

「そうよ。私の実験室」

「あなたは誰? 生徒?」

「アンタと同じよ。余計なことは知らなくていいわ。アンタは、私と対等な立場じゃないの」

「いや、対等だよ。だって、生徒だったら、同級生でしょ」

「これだからバカは困るわ。アンタ、自分の状況を理解してるの?」

よくわからない状況を経て、少女の実験室という場所にいる。不思議と不安ではなくて、とにかく前に出て何とかしなければならないという気持ちが湧いてきた。

「こうすれば、何もできないよね」

椥紗は、咄嗟に少女に抱きついた。少女は椥紗に対して強く出ていたけれども、動物の威嚇のような感じに思われた。

「アンタ何、考えてんの。抱きつくなんて、不潔、野蛮よ」

「照れてる? なんか、可愛い」

「可愛い、ってそれはいつでも私を殺せるってこと? 調子に乗らないで。私はアンタの好きになんてさせないから」

「あ、ごめん。嫌だった」

椥紗が少女から、手を離すと、少女は椥紗が触れていたところを念入りに手で振り払った。

「これだから、野蛮人は困るのよ」

「でも、顔赤くなってない?」

「なってないわよ。アンタのような蛮族に出会うなんて初めてだったから怒ってるのよ」

怒ってるようには見えないけれども、そのことを指摘しても認めないだろうな。椥紗は、腰を下ろして、少女に問いかけた。

「ねぇ、どうして私のこと、片桐双葉って呼ぶの?」

「そりゃあ、アンタが、言ってたじゃない」

「新入生の言葉? あれは、双葉の練習に付き合ってたから、なんか覚えちゃって言ってただけで」

「はぁ? どういうこと。嘘つきだっていうこと?」

動揺する少女に、椥紗は説明を始める。

「うんっとさ。違うって言ってるんだけどな。片桐双葉は、入学式の新入生代表で、新入生の言葉を述べることになっていたのね。だから、入学式の時間に、こんなところで暗唱しているはずないよね?」

「じゃあ、アンタは誰よ? 片桐双葉の何なのよ?」

「私は、篠塚椥紗。双葉とは、中学校からの友達、かな。あなたは?」

「あなた?」

「そう、名前、教えて」

「他人に指示されるの、私好きじゃないんだけど」

「じゃあ、お願い、教えて」

少女から、寂しさを感じた。それが少女の中でこんがらがって、攻撃的な振る舞いにつながっているような気がする。こういうのに効くのは、適度なスキンシップ……、というのを、最適解として導き出した。それは、椥紗自身が春日伊織から受けてきた療法である。躊躇う少女に、椥紗は両腕を広げて、再び抱きつこうとした。少女は慌てて、椥紗を振り払おうとしたけれども、彼女の細い腕では抵抗することができず、おとなしくなった。

「わかったわよ。私はコーラル。コーラル=ロックアンダーよ」

「コーラル? 日本人じゃないの?」

「横文字の名前だったら、日本人じゃないなんて、それは偏見よ。日本国籍は持っているわよ。ふふふふふ」

「それで、どうして、私はここに居るの?」

「光栄に思いなさい。アンタは私の実験の被検体第一号に選ばれたのよ」

椥紗の抱擁が緩んだ隙に、少女はするりと抜け出して、机にあった鉄砲を手に取って、自慢するように見せた。

「これを使ったのよ。熊とか鹿とか危険な動物に遭遇した時に、使うように言われてるんだけど、残念ながら、まだ遭ったことないのよね。どういう威力か気になるでしょ。だから、撃ってみたかったの」

「え、そんなことしたらダメでしょ」

「大丈夫よ。製作者は、私と肩を並べるほどの天才よ。その天才が、死には至らない、しばらくの間動けなくなるだけだっていってたから、問題ないわよ。それで、どれくらいの間、動けなくなるのかなぁって」

「人間で試すなんて、暴行罪でしょ」

「あら、でもこの銃から発するのはただの弾じゃないのよ。『何もしなければ』引き金を引いても何も出てこないから。何も出てこない鉄砲を持っていたからって、訴えるなんて出来ないわよね」

「でも、実際に私は気絶してたんでしょ?」

「でも、私がやったっていう証拠はないわ」

「何言ってんの。コーラル、言ったじゃない。自分がやったって」

「供述はしたけど、物的証拠はないわ。この銃、凡人には分からない機能を備えているから。ふふふふ」

コーラルは、楽しそうに銃を見つめながら笑った。楽しそうで何よりだ。椥紗が、腕時計を確認すると、12時を回っていた。慌ててスマホを見ると、学校からのメッセージが届いている。

「んっと、ここって、どこ? 屋上? 私、ちゃんと家に戻って、連絡しないと」

「連絡? どこに?」

「学校に。だってメール来てるし」

「メールを返せばいいだけじゃない。ははーん。メールが来たってことは、アンタ、事前に欠席連絡出してなかったのね。ここの学校の入学式は任意参加よ。通信科の生徒もいるんだもの。当然よね。オンラインで参加もありだし、任意。だけど、欠席する場合は連絡することって書いてあったわよね。知らないの?」

初日から欠席する気なんてなかったし、欠席連絡の方法なんて見ていない。立ち上がって、その場を去ろうとすると、コーラルは、不思議そうに問いかけた。

「アンタなんで、家に帰る必要があるの? ここでメッセージ返せばいいじゃない。ネット通じるんだし」

どうしてだろうか。椥紗は自問した。中学生の間は、家でしかネットを使えなかったから、家でメッセージを返すという習慣がついてしまっていることはあるだろう。でも、それ以上に双葉を心配させまいというのがあった。もうお昼になっているのならば、双葉は家に戻っているだろう。朝の予定では、新入生代表の打合せのある双葉からは遅れて登校する予定だったし、支度をしながら双葉を送り出した。それなのに椥紗が学校に現れないとなると、双葉は心配しているだろう。

「そうだ、颯」

こういう時にこそ、颯だ。颯という風を使えば、双葉には伝わる。

「ってこの状況知ったら、余計双葉が心配するじゃないか」

「何をブツブツと。さっさと連絡して、私の実験に付き合いなさい」

「いや、嫌ですよ」

「こんなチャンスはないわよ。この世界には、まだ知られていない力がある。そのことに関することを教えてあげるのに」

「いや、いいです。だって、怪しいじゃないですか」

「怪しくなんてないわ。ただ、この世界の人間の科学の範疇に入っていないだけで、それはあるものなんだから。」

「それってオカルトとかそういうやつでしょ。いや、いきなり気絶させて来る人に、何か教わりたいとか思わないでしょ」

「仕方ないわね。じゃあ、どうやって気絶させたのか。その仕組みを教えてあげるから、私に付き合いなさい」

コーラルは上から目線で話してくる。腹立たしいというのもあるけれども、それ以上に、どうしてこんな風に攻撃的になるのか、椥紗は首を傾げた。

「残念ながら、この部屋は私のプーちゃんが守ってるから、逃げられないわよ。諦めて、私の話を聞きなさい」

高圧的な態度をとっているけれども、コーラルは小柄なので、そんなに怖くない。ちょっと面倒くさそうだなと、椥紗はため息をついた。

(よくわからないけど、コーラル=ロックアンダーっていう子につかまって、なんか戻るのに苦労してる。私は大丈夫だから)

颯に、強く心の中で語りかけて、双葉に伝えるように促した。

「はい。じゃあ、教えてください。付き合うよ。学校の生徒っていうことは同級生で、友達になれるかもしれないってことだから」

椥紗は覚悟を決めて、コーラルの話を聞くことにした。


 遅めの昼食を食堂で取って、双葉は自分のブロックに戻ろうとしていた。ブロックの入口の前のオートロックを解除し、自動扉が開いたときに、一人の女子生徒に声をかけられた。

「あの、椥紗ちゃんいますか?」

「えっと、まだ帰っていないけど」

颯からの知らせを受けて、双葉は、椥紗の場所も状況も大体わかっていた。名前を手掛かりに、データで渡された生徒名簿と照合しようかと考えていたところだった。

(無事みたいだけど、余計な事を話さないほうがいいよね)

「今日、入学式、来てなかったから、ちょっと心配で」

「あ、大丈夫だと思う。元気そうだったから」

「今はどこに?」

「んっと、ちょっと出かけてるみたい。詳しいことは分からないけど。あ、でも心配することはないと思うよ」

その言葉に、その生徒は胸をなでおろした。

「あ、ごめんなさい。自己紹介してなかった。私、技術科の龍野理真美。よろしく……お願いします」

「私は、普通科女子の片桐双葉です。こちらこそ」

「椥紗ちゃんのこと、よく知っているんですか?」

「あ、はい。椥紗とは、中学校が同じだったので」

「そうなんですね。」

双葉の振る舞いは、高校生にしては優雅で、それが近寄りがたい空気を醸し出している。だから、理真美は、椥紗に初めて会った時のように親しく話しかけることができなかった。

「失礼かもしれないんですけど、双葉さんはちょっと椥紗ちゃんとは違っていて、同じ学校に通った感じがしないなって」

「まぁ、椥紗とは学校ではあまり関わっていないので」

「え、中学校が同じというのは、学校で親しくしていたという意味ではないのですか?」

理真美の追及に、双葉は黙った。椥紗が中学校の間、不登校だったということは、双葉の口から話すようなことではない。今、双葉が話さなくても、周りの人間には分かってしまうことだろうけれども、本当のことは椥紗が打ち明けてもいいと思った時に彼女自身がするほうがいい。

「内地から来るっていうのは、事情があるんだろうって思ったんですけど……」

「生徒の人数の多い学校だったので、あまり接点がなくて、関わることがなかったんです。一緒に遊ぶのは学校が終わってからだったんです。椥紗は、式典とか人が集まること、あまり好きじゃないみたいだからさぼったのかも」

「そうなんですね。でも、椥紗ちゃんって、不良って感じがしないから、意外だなって思って」

双葉は理真美の追及を面倒くさいなと思ったが、同時にそれは椥紗への好意からより知りたいという好奇心がそうさせているということも分かった。どう煙に巻こうか。椥紗が、学校で友達を作ってうまくやっていくためにどうするのがいいんだろうか。

 その時、入口の扉の音がして、建物の中に人が入ってきた。

「お、井戸端会議だな」

双葉と理真美の後ろから、男子の声がして、二人はそちらのほうを見た。

「あ、篠塚さん?」

栗色の髪の少年が、親しげにこちらを向いて、話しかけてきて双葉は驚いた。

「あの、椥紗は……」

「椥紗じゃないのか」

「ごめんなさい。間違えちゃったみたい」

栗色の髪の少年は、ペロッと舌を出してウィンクをした。普段の双葉なら、それを冷静に受け取れたと思うのだが、少年の顔や容姿が彼女のドストライクで、顔が赤くなってしまった。

「だからお前、そういう可愛い仕草するのやめろって」

「えー。僕、いや、俺、こういうの似合うと思うんだけどな」

一人称を俺に変えても、男性的な勇ましさとか豪胆さとかは一切見受けられない。栗毛の髪の少年は、織原レオン謙人、その横にいるしっかりとした体格の少年は島田蒼佑である。椥紗が王子と海の男と呼んでいたのはおそらくこの二人だろう。湧き出てくる感情をどう扱っていいのかわからず、双葉は謙人の姿を視線に入れないようにした。

「レオンが言ってたんだけど、椥紗、入学式に来てなかったのか?」

強引にミドルネームで呼び続ける蒼佑に苦笑いをしながら、謙人は口を開いた。

「織原謙人。で、こっちは、島田蒼佑。俺のことは、謙人って呼んでもらえるほうが嬉しいな」

「片桐双葉です」

「私は、龍野理真美です」

「あ、片桐双葉さんって、新入生代表だよね。すごいね。握手お願いしまーす」

謙人は無邪気に手を差し出して、双葉に近付いた。謙人の顔が不意に目の前にきて、驚いて双葉は手を振り払ってしまった。

「あれ、嫌だった?」

「お前、馴れ馴れしすぎじゃね?」

「いえ、何でもないです。気にしないでください」

なぜか心臓の音が大きく聞こえる。双葉は、惚れっぽいわけではない。だからこそ、こういう時、どういう風に自分の感情を制御していいのかよくわからない。蒼佑のフォローをありがたいと思って、取り繕うような返事をした。今なら、椥紗がイケメンパラダイスと叫びながら、部屋に戻ってきた理由も分かる。

「入学式の時、席はランダムだったっしょ。でも、何か意図があったんじゃないかって思ったんだ。それで、周りを見ながらどういう順序で決めたのか考えていたんだけどね」

雁湖学院から支給されたものの中には、スマホがあって、それは出欠確認にも使われるようになっている。授業のある教室に設置されている出席マシンにかざして、出席を知らせる。その際に、必要な連絡がスマホに入るようになっていて、入学式の時はかざした際にスマホに席の番号が通知されて、その場所に着席するように促された。その席は、学科別でもなく、出席マシンにかざした順でもなく、適当に決められたように思われた。双葉は、新入生代表だったから、舞台に出やすい場所に着席した。前方だったから、他の生徒がどのように座っているのかは分からなかった。

「僕の席は、中央の通路から一列目で、その辺りで式の時、たくさん写真撮ってたんだよね。しかも、式が始まる前にスタイリストさんのチェックがあったの」

そう言われて、双葉は、打ち合わせの時に身なりを整えてくれた人がいたということを思い出した。新入生の言葉を読んでいるときに写真が撮られたけれども、それは、不思議なことではないので気にはしていなかった。

「っていうか、俺は知らねぇぞ。スタイリストとかいたの?」

「あ、たしかに蒼佑は結構後ろのほうだったよね。被写体として適してないって思ったんじゃない? 雰囲気が暑苦しいし、むさくるしいし。えへ」

可愛い顔をして、謙人は毒の吐き方が強烈である。

「それで、気付いたんだけどね。あの席順って、バランスとか見栄えとか考えて設定したのかなって。自分で言うのもなんだけど、俺って顔が整ってるし、外国人顔で多様性とかそういうのアピールするのに良いでしょ。そういう新しい雰囲気になりそうな生徒が同じ列にいて、適当じゃなかったんだなって、見てたんだ。結構時間があって、会場全体を見回したんだけど、椥紗はいなかったんだよね。それで、どうしたのかなって。やっぱり来てなかったんだね」

自分がいないほんの少しの間に、椥紗はちゃんと友達を作っている。謙人の言葉を聞きながら、双葉はつい笑みを浮かべた。

「で、椥紗は、さぼりだったのか? それとも、病気か何かなのか?」

「元気なんだけどね。今は出かけているから」

「じゃあさ、今晩、俺のところでたこ焼きしねぇ? まだうちのブロックには俺の他に誰もいないから、人呼びやすいんだ。実家からタコとタコ焼き機が送られてきてさ。こいつ全然食べないし、一緒にどう?」

「それ、ナンパじゃない?」

謙人が笑うと、蒼佑は慌てて否定する。

「そうじゃねぇよ。でけぇタコだから。だけど、新鮮なうちに食ったほうがいいし。まぁ、無理にとは言わねぇけど」

謙人の言葉で、意識したのか、蒼佑は顔を赤らめた。

「タコとタコ焼き機? 関西の人なんだ?」

理真美が尋ねる。

「いや、俺の家は漁師でタコを振舞えってことで送ってきたんだ。みんなで食うにはたこ焼きがいいんじゃないかっていう母親の心遣いっていうか」

「私も行っていいの?」

理真美が尋ねると、蒼佑はすぐに返答した。

「もちろん。それじゃ、椥紗にも伝えようぜ。早く帰ってきて、参加しろって」

「三人の連絡先は知ってるな。じゃあ、片桐さんも連絡先教えて。俺、グループ作る」

謙人がスマホを近付けてくると、また鼓動が速くなったが、それを悟られないように双葉は装った。

 夕飯は、蒼佑のところでタコパになったから。

 早く戻ってきてね、椥紗ちゃん。

 タコうまいぞ。

各々のメッセージを見て、双葉も書き込んだ。

 帰ってくるの、楽しみにしてるからね。


 その部屋は、ブラインドで外の光がさえぎられていた。コーラルは、部屋の照明を落として、蝋燭に灯をともした。

「この世界には、科学では証明できないことがあるの。アンタはそれを面白いと思えるかしら? それとも、理解の出来ない愚か者なのかしら?」

緊張感が高まる演出までして、話そうとしていることは何なのだろうか。椥紗は息をのんだ。

「人間は思考する。フランスのパスカルは『人間は考える葦である』という言葉を遺したけれども、考えることは、人間という生き物の大きな特徴なのよ。そして、人間は考えた。なぜ自分は存在するのか。この世界の物質はどうして存在するのか、と」

コーラルは、恭しくコインを手に取り椥紗に見せた。

「四元素という考え方を知ってるかしら? 水、火、風、地。この世界にある全ての物質は、この四つの元素からできていると考えられた。アリストテレス、古代ギリシャの哲学者よ。四元素に立ち返って考えてみるのは面白いと思ったの。この四つのクーゲルは、それぞれ、水、火、風、地の力を封じ込めているものなの。これをね、この銃に装填して、その力を想像して引き金を弾くと、その力が放出されるっていう仕組みになってるわけ」

「想像して力を出す。それって、魔法ってこと? んっと、よくわからないけど、それを作ったってことですか? すごくない?」

「言ったじゃない。私は天才だって。でも、残念だけどこの作ったのは、私じゃないわ。まぁ、私に並ぶ天才っていうところかしら」

コーラルは自信満々に話す。

「クーゲルを装填して、イメージをして撃つ。総称するなら、この銃から放出できるものは、魔法ね。その人間曰はく、この魔装銃で熊ぐらいでもしばらく気絶させられるらしいんだけど、残念ながらまだ熊に遭ったことがないのよ。だから、使ってみようかな、と」

「熊の代わりの実験台が私というわけですか」

「気絶しかしなかったでしょ。外傷も残らないから、ちょっと寝ていたみたいなものよ」

「いや、気絶しかしませんでしたけど、いや、気絶させたらだめでしょ」

「何がダメなのよ。知行合一、知識は実践によって確認されることに意味がある。人類の進歩に必要な貢献よ」

「うんっとですねぇ」

自分の身体に異常はないし、ただ眠っていただけというのも嘘じゃない。説得を試みることは無理だし、そろそろ面倒になってきた。椥紗が、スマホを確認すると、グループメッセージに双葉たちからのメッセージが入っていた。

「あの、ちょっと聞きたいんですけど、タコ焼き食べにかえらないといけないので帰ってもいいですか?」

「あのね。今から話すのは世界の理に関することなのよ。タコ焼き。はぁ?」

「この後、四元素の話をするだけでしょ?」

「だけじゃないわよ。この世界に存在するもののことについての面白い話なのよ。それを天才の私が説明しようって言っているのに、アンタは、タコなんていう軟体動物のほうを優先するなんて」

軟体動物なんて、なぜあえて難しい言葉でタコを表現するのだろうか。もちろん、タコ焼きを食べたいというのもあるけれども、双葉、蒼佑、理真美、謙人なんていう「つながっていなかった」はずのメンバーが一緒にパーティーをしようとしている場があるなら、行きたいに決まっている。そのメンバーの繋がりを媒介しているのが、椥紗なのだから、現れないというのは、ありえない。

とは言っても、目の前の偉そうで、どこか寂しそうなコーラルを一人にするのも、何か良くない気がして、椥紗は手を差し出した。

「一緒にタコ焼きしに行こうよ?」

「はぁ? あんたね、行くわけないでしょ。そもそもタコは軟体動物で、食べれるわけないでしょ?」

「は? どういうこと?」

「タコなんて、食べないわよ。そもそも食べ物というのは、身体を動かすための動力源ってだけでしょ」

「ちょっと待って、食べ物が動力源? そんなのじゃなくて、食べるのって楽しいでしょ?」

「それには同意するけど、軟体動物を食べるということについては理解の範囲を超えているわ」

「え、可哀そう。タコ焼き、おいしいのに」

「なぜ、私がアンタに哀れまれなきゃいけないの」

「とりあえず、食べたほうがいいよ」

「いやよ、なんでそんなものを口にしないといけないの」

椥紗はタコ焼きが好きだし、春日伊織が色々な店のものを買ってきてくれたから、詳しく知っている。大きなサイズも、小ぶりでかけらのようなタコしか入っていないものも、表面がカリカリで中はふわふわのもの、全体的にふわふわのもの、椥紗がそれぞれの味を思い出しながら、たこ焼きのおいしさについて語ると、コーラルは不機嫌になった。

「ごめん、好きだからつい語っちゃったよ。四元素っていうもののことも興味があるけど、やっぱ、おいしいものって魅力的だよね」

「あさましいわね。食欲という動物的欲求に忠実なだけじゃない。アンタには理性を持つ人間としての尊厳はないわけ。物理的に存在しないものを想像するという知的活動をアンタはないがしろにしているのね。見えないものを形にする力、それが……」

「見えないもの、ああ、見えないものならね、四元素よりも大事なものあるよ」

「大事なもの?」

「それはね、絆かな」

「絆?」

「うん。同じ見えないものだったら、四元素っていうものよりも、絆のほうに興味がある。だから、今は、たこ焼きに行きたい。一緒にたこ焼きして、同じ時間を過ごす。そして、絆を深めていく。でも、可能だったら、かな」

「可能だったら?」

椥紗は、いたずらっぽく笑って答えた。

「今ね、ここに居たら、コーラルのこともっとわかりそうだから、どうしようかなって。あ、そっか、今、私、捕まっていて仕方なくここにいるんだった。だから、たこ焼きいけないのか。いやぁ、残念だなぁ」

椥紗は言葉が通じない海外で過ごしたこともあるし、いじめも受けたことがある。ネガティブな出来事は結構経験していて、耐性がそれなりにある。不安な時にその感情をそのまま表情に出すのは、あまり良い方法ではない。そうではないように振舞うことで、相手がひるんだり、その場の空気が変わることがある。案の定、言葉とは裏腹な態度で話す椥紗に、コーラルは怯んだ。

「何なの、アンタ。何かアンタと一緒に居たら、頭が痛くなってきたわ」

「アンタじゃないよ、椥紗だよ」

こういう時、笑うと、相手はもっと混乱する。椥紗は更に口角を上げるよう努めた。そして、コーラルに近づいて抱き着いた。

「じゃあ、帰ったほうがいいよね。ごめんね。コーラルのことも大切なんだけどね」

ヘラヘラ笑って、掴みどころがなくて、でも自分の意思をしっかり通す。面と向かって硬くなると、意見がぶつかって弾けてしまう。これは、経験から学んだ処世術だ。

(これ、パパとおんなじことしてる……かも)

父親から学んだことをしているというのは、椥紗には不本意だったが、コーラルは諦めてくれた。

「わかったわ。行きなさいよ。今のアンタに話しても、理解してもらえないってことね。でもね、これは、貸し、よ」

「貸し?」

「だって、アンタは、私の話、好きでしょ。だから、今度聞くっていう」

「わかった。うん。必ず時間作るよ。四元素のこと、気になるし。私ね、絆とか魔法とか、見えないもの好きなの。想像力、それが求められるようなこと、ワクワクするの」

コーラルは、常識はずれな行動をとるけれども、決して悪い人じゃない。むしろ友達になりたいかもしれない。閉じ込められたから、入学式に行けなかった。仮にコーラルに出会わなかったとしたら、入学式に行っていただろうか。むしろ、行けなかった理由を作ってくれた。そんな風に考えることもできる。

それにしても、コーラルは変わった子だ。気絶させるという行為は、攻撃的だけれども、それに比する悪意が彼女にはないのだ。純粋な好奇心が強くて、寂しそうなくすんだ目、階段を下りながら、椥紗は彼女を思い返しながら、近いうちにまた話しようと心に決めた。


 島田蒼佑の部屋の近くについたので、椥紗は電話をかけた。ほぼその瞬間、扉が開いて、中から織原レオン謙人が飛び出してきた。そして、椥紗にハグして頬を摺り寄せてきた。

「椥紗―。何で、入学式来なかったの?」

「うわぁぁぁ」

突然の歓待に、椥紗は驚いた。謙人から名前で呼ばれるのは初めてかもしれない。

(こんなに親しい仲だったっけ。一応、異性なんだけど、まぁ良いのかな。まぁ、パパだってハグしてくるし)

ハグ自体は慣れているけれども、同い年の、しかも整った顔立ちの謙人からのハグは初めてだったから、戸惑った。とはいえ、ヨーロッパの学校に短期間通ったこともあるし、スキンシップの多い家庭環境だったから、その行為自体は好きだし、苦手じゃない。自分の思いを相手に伝えるというか、ひけらかすというか、身体と身体が触れ合うと情報が交換される。ハグが持つ力を知っているからこそ、コーラルには、椥紗からハグをした。

「うんとね。行こうとは思ったんだけど、何か、途中でダメになっちゃって」

「まぁ、入学式なんてダルイのが普通だから、行きたくなくなるのもわかるよ。でも、本当に良かった。僕……」

「僕じゃなくて、俺って言えっていっただろ」

「蒼佑、汚い。たこ焼き回してるときに叫ばない」

謙人が後ろから、蒼佑の声が飛んできて、それを龍野理真美が嗜める。そのコミュニケーションの間は、もう既に打ち解けた友達同士みたいな感じで、後ろでは片桐双葉が食事をしている。

「おいしいよ~。椥も早く食べよ~」

「ねぇ、空気感が何か違うのって、双葉、何かした?」

「うふふ。どうだろうね」

酔ったような双葉は、ニヤニヤと笑いながら椥紗の腕にしがみついてきて、またこれにも椥紗は驚いた。

「どうして、椥、入学式に来てくれなかったの。来てくれるの楽しみにしてたのになぁ」

「お酒とか入れた?」

「いやいや。全員未成年だから」

蒼佑に続いて、理真美が口を開いた。

「入学式が終わったら、疲れが一気に来たみたい。とてもいい新入生の言葉だったよ」

「お前、薄情だよな。親友が新入生代表で挨拶読むって言うのに、ぶっちするなんて」

「あの、親友って、確かに仲がいいけど、親友って言われると……」

「親友じゃないの?」

椥紗が照れて返答に困ると、双葉は強い口調で責めた。双葉がいたからこそ、何とかやってこれて、ここに居るというのは認識しているけれども、宣言するのは恥ずかしい。

「じゃあ、りーまが親友に立候補します!」

困る椥紗を理真美が煽ってきた。

「親友なんて、そんな宣言するものでもなくて、心の中でそう認識するみたいなもので、双葉は、大事な友達だし、友達以上だけど、親友って言うと……。あの、双葉がそれでいいって言うなら、多分親友だし、うんっと」

照れる椥紗を謙人がからかう。

「椥紗って、ピュアだね。親友って言うのに照れてる」

「っていうか、何なのこの空気。もう、私はタコ焼きを食べに来たんだけど」

甘い匂いだ。多分この匂いが、思考を麻痺させているような感じがする。

「ねぇ、双葉」

椥紗が振り返ると、双葉は床で横になって眠ってしまっていた。フローリングの床だから、硬いのに、こてんと眠ってしまっている。新入生の言葉のために頑張っていたから、疲れがたまっていたのだ。ソファにあったブランケットを取り、椥紗は双葉に言った。

「もう、仕方ないなぁ」

そうぼやきながらも、ずっと世話になってきた双葉の面倒を見ることができて、ちょっとした優越感も覚えた。

蒼佑のシェアキッチンは、椥紗と双葉のところと同じ間取りと家具の配置だった。八つの部屋があるのに入居しているのは蒼佑だけで、たくさん友達を呼ぶことができるが、一人で過ごすには寂しい。

「お前、下手だな」

蒼佑がうまく焼いているのを見ながら、たこ焼きを回そうとするが、生地がぐちゃぐちゃになっていくだけだった。

「うそ。家だったらもうちょっとできたんだよ。水が多すぎるんじゃない?」

「書いてる通りに入れたぞ。お前が不器用なだけだぞ。そんなんじゃ、お嫁にいけないんじゃないのか」

「ふぅん。蒼佑、何かおっさん臭い発言するんだね。それ、ハラスメント発言だよ」

「そう、ハラスメントだよ」

(うわぁ、イケメンで王子様だよ)

蒼佑は、雰囲気の流れでそういう発言をしただけというのはわかったけれども、その言葉はちくっとした痛みを伴っていた。その痛みをわざわざ指摘して場の空気を壊すことはあまりやりたくないのだけれども、謙人が助け舟を出してくれたのに乗っかって、椥紗は蒼佑に反論した。蒼佑は、ああそうかと頷いて、無言でタコ焼きを回していった。

「ちょっと、一個か二個残しといてよ。全部やっちゃったら、私、練習できないじゃん」

「はいはい。そうだよな。男も女も関係なく、料理はできた方がいいもんな」

「そうだよ。料理のできる男はモテるっていうけど、あれも男女差別じゃない?」

椥紗が強い口調で問題を提起すると、理真美は冷静に答える。

「料理ができる男性が少ないから、モテるんしょ。うちのお母さんは、料理ができると毎日やってくれるというのは違うから、それを考えたうえで付き合う方がいいよって言ってた」

「しっかりしたお母さんだね。でもさ、料理ができる人が魅力的なら、どうして料理のできる女性と付き合うってこと、考えないんだろ」

「女の人が女の人と付き合う? それって、LGBTQとかそういうの、でしょ?」

「そういう志向を持っている人が、傍にいないとは限らないでしょ?」

謙人の言葉に理真美が応えていくのを、椥紗はじっと聞いていた。

「僕、いや、俺ね。今、女の人に興味がないのね。恋愛をしたら変わるのかもしれないんだけど、恋愛って何だろうって思うのね」

ようやく発言できそうなところが来たと、椥紗は手を挙げた。

「私もわかんないよ。恋愛したことないもん。パパがゲイなんだけどさ」

「ちょっと、衝撃的なカミングアウトじゃん。親の話だけど」

「はぁ? パパがゲイだったら、お前、生まれてないだろ」

「そこらへんも難しくてさ、私もよく聞けてないんだけど」

「そもそも、性的志向なんて親と話さないでしょ」

「でもさ、パパ、そういうのを生業にしていて」

「生業ってどういうことだよ」

椥紗が発言するたびに、理真美と蒼佑が大きな反応を示して、話がそれてしまう。

「うちのパパのことは置いといて、LGBTQっていうのが身近だよ~ってことが言いたくて、それで、まぁ、謙人、大丈夫だよ。ってことが言いたかったの」

「俺はもともと大丈夫だよ。ありがとう、椥紗」

謙人はにっこりと笑った。その笑顔で、椥紗の心臓が大きな音を出した。

「やっぱりイケメンパラダーイス」

叫ぶ椥紗に反応して、双葉が声を出した。

「あ、しまったごめん。双葉」

大きな音で、眠っていた双葉を起こしてしまったらまずい。双葉は目を覚ましたわけではなかったけれども、苦しそうに口を歪めている。

「クッションとかない?」

「いや、ごめん。ないわ」

「膝枕とかしてあげると親切かな」

「確かに、首のすわりはよくなると思うけど、今、椥紗ちゃんしかできないでしょ」

「親友じゃないやつが膝枕するのもどうかと思うけどなぁ」

いちいち面倒くさいこと言う奴だな。こういうのは適当にあしらうのがいい。

「じゃあ、蒼佑、タコ焼きは任せた」

「はいはい、ソース付けて、近くまで運ばせていただきますよ」

「じゃあ、俺、椥紗の代わりにタコ焼き回すね」

こんな無防備な双葉を見たことはなかったような気がする。寝心地がよくなったのか、表情が和らいでいた。

「いやぁ、ぎゅっとしたくなるよね。こういう双葉」

「ぎゅっとしたら起きちゃうからやめといたほうがいいよ」

「だよね」

「片桐さんってすごいね。いつも全国模試で一番でしょ。そんな子がこんな田舎の高校に来るなんて思ってなかったよ。新入生代表なのは当たり前だよね」

「うん、そうなんだよね。中学校で大体いつも満点だったし、全国模試でも殆ど一位だよね。先生も含めて皆が一目置く優等生だったから、中高一貫校だったし、そのまま高校に上がって、良い大学に入って、良い就職するんだと思ってたし、思われてた。何で私と一緒にこんなところまで来たのかよくわからないんだよね」

理真美は穏やかに微笑んで答えた。

「そりゃあ、椥紗ちゃんと一緒に居たかったから、でしょ」

むずむずするし、何か恥ずかしい。椥紗はタコ焼きをポイと口に入れて、美味しそうにほおばった後、膝の上で寝息を立てている双葉を見て呟いた。

「だといいな」

「そりゃ、親友でしょ。なのに、親友かどうか疑われたら、ショックだよ」

「いや、まぁ、そっか。私が親友っていうのをよくわかっていないだけなのかな」

「何か、引っかかってるの?」

「うん。なんだろう。私、全然双葉のこと支えられてないし」

「それは、片桐さんが話さないだけだよ。椥紗ちゃんは気付かない形で、大事な一部になってるんだよ」

そうかもしれないな。そうだといいな。椥紗は双葉の身体をポンポンと叩くと、瞳がうっすらと開いた。

「うわぁ、き、聞いてた?」

「……ごめん、私寝てた」

起き上がろうとする双葉は、しんどそうで椥紗は腕を掴んで言った。

「いいよいいよ、寝てな」

「何か、椥、今日優しくない?」

「そもそも、優しくする必要とかあるようなことなかったじゃん。双葉、弱いところ見せたことないでしょ」

「ごめん。まだもうちょっと寝る」

腕に力を入れたものの、無理だと悟ったのか、すぐにふにゃっと崩れて、また寝てしまった。

「よっぽど緊張してたんだな」

どれだけ作るつもりなんだろう。蒼佑はまだタコ焼きを回している。

「多めに作って冷凍しとくから、持って帰ってもいいぞ」

(全部食べなくていいのか、よかった)

「いや、別に食べてくれてもいいけど」

蒼佑の洞察力が良いわけではなく、椥紗がわかりやすい性格をしている。二人のやり取りをクスクスと笑いながら、謙人が尋ねた。

「それで、入学式に出ずに今までどうしてたの?」

「新しい友…いや、知り合いができて、ちょっと話してたら、盛り上がっちゃって」

コーラルに後ろから銃で撃たれて、気絶してという話をするのは理解してもらうのが難しいし、どう説明しようかと思いを巡らせていると、謙人が言葉をはさんできた。

「知り合いができる前はどうしていたの? 知り合いは、学校の人? 朝、ちゃんと起きていたって片桐さんに聞いたけど」

「いや、私、不登校だったから、何かね。『行くぞ、頑張るぞ』って思ったら、何だか体の調子がおかしくて、何か、おなか痛くなっちゃって」

「不登校ねぇ」

「椥紗ちゃん、本当に不登校だったの?」

三人には、にわかに信じられないようで、驚いた顔をした。

「え、うん。きっかけとかは、何か忘れちゃったけど、まぁちょっと色々あってさ。何か結構家で急に涙出てきたりとか、精神的にまいっちゃってて。それで、パパが、頑張らなきゃいけないなら、やめたらいいって」

「そこで、ゲイのパパか」

「普通は、学校に行きなさいって言うんだろうけどさ。パパはカミングアウトしちゃうような人で、自分の気持ちに正直になるのが良いっていう考えだからさ、許してくれたんだと思うけど」

「パパが変わっているっていうのは分かったけど、お母さんってどういう人なの?」

「うんっとね。お母さんは、パパのお姉さんで……」

「はぁ? それ、近親相姦じゃん」

「いやいや、そういうのじゃなくて、お母さんは戸籍上というか。生んだ本当のママのことは良くわからなくて、私には、パパとお母さんがいるって思ってる。ずっと傍にいてくれたのは、お母さんだったから。私が海外生活に合わなくて、日本に帰ってきて、お母さんはまだ外国。今は離れてるけどさ、お母さんは、私にとっては大事なお母さんだから。それにさ、近親相姦っていうのは、日本の歴史の中でよくあることで、ほら、古事記のイザナギとイザナミは兄弟だし、仮にそうだとしても、まぁ大したことでもない…」

「…わけ、あるか。神話の話持ち出されても」

「それ、しんどい」

「よく家を飛び出さなかったね」

「学校は飛び出したよ。まぁ、学校でもいろいろあったんだよね。相談に乗ってもらっていた先生が、辞めちゃったとか」

「聞けば聞くほど、更にしんどいわ」

真剣に聞きつつも、蒼佑はその間もずっとタコ焼きを回している。

「それで、不登校になって、何か学校に行くってなると、なんかエンジン上げないといけない感じになっちゃったんだよね。それで、時間通りに行けなくて」

同じような言い訳を繰り返す椥紗に、理真美は優しく語り掛けた。

「大丈夫だよ。事情は分かったよ。遅刻は良いことじゃないけど、理由があるなら仕方がないし。そっと講堂に入って後ろの席に座ればいいし」

「そもそも、うちの学校、自主性を重んじるから、遅刻で怒られるとかないと思うよ。出席点重視の授業で欠席多いとその授業、落とすことになるだろうけど、自己管理するというのが前提みたいだから」

「メンターから何か言われるとかはあるだろうな。まぁ、たかが入学式だろ。通信科はほとんど来てなかったし、欠席したからって、何か問題があるってわけじゃない。けど、親友が来てくれないとしたら、ショックだよなぁ」

何度も嫌味なことを言ってくる奴だ。しつこい性格なんだろうな。一緒に作っていたはずの謙人はもうとっくに手伝うのをやめているのに、まだ蒼佑はタコ焼きを作っている。

「俺は、椥紗がいなくて寂しかったな」

謙人が無邪気な笑顔になると、椥紗の心臓がバクバクと鳴った。

「うぉぉ。イケメン、鼻血出るぅ」

その大きな声に反応して、双葉が、小さく唸り声をあげた。

「また起こした」

「いや、ごめんね。寝てていいよ、双葉」

目がうっすらと開いた後、再び双葉は目を閉じた。

「まぁ、寝心地がいいってことよね。私の優しさを感じてくれてるのよね」

「椥紗って、レズなの?」

謙人がぶしつけに尋ねると、椥紗は慌てて否定する。

「いや、あくまでこれは友情だよ。でも、愛情でもあるかも。特別だし」

「恋愛ではない。でも、親友でもないんでしょ。難しい関係だね」

「いちゃつくなら、部屋帰れよ。鬱陶しい」

「そうか、鬱陶しい、か」

謙人は、恋愛や友情という言葉の概念を捉えるために質問していて、その場にいるのに、

その関係性の輪には入っていかないような感じがした。近くにいるのに手が届かない。アイドルのような存在といえば聞こえがいいけれども、ある種の孤独が彼にはある。

「椥紗ちゃん。色々大変だったんだろうけどさ、頑張ってくれてよかったなって思うよ。都会の学校の居心地の悪さって、私もちょっとだけど、経験したことあるし」

「経験って?」

理真美が新しい話題を振ってきたので、椥紗は相槌を打った。

「うちね、大雨で、畑がめちゃくちゃになって、家の収入、ほとんどなくなっちゃったことあるんだよね。周りのみんな被害にあっちゃってね、集落全体が大変で、その間、内地のおばさんが預かってくれるっていうので、しばらく居候してたんだけど、都会でさ、全然合わなかった。6クラスくらいあってさ。クラスメイトだけでも覚えるの大変なのに、全員なんて無理っしょ。でも、私は変わった時期にやってきた転校生だったから、みんなに覚えられてたのね。卑怯な人がいっぱいいてね。こっちが誰なのかわからないからって、言いたい放題なんだよ。田舎から来た奴だとか。それなら仕方がないけど、アイツの家潰れたって後ろ指さしてくる奴とか。先生に相談したけど、こっちはそれが誰なのかわからないから、先生が誰に注意するべきかとか分かんないんだよね。誰が好きで都会になんて行くんだよって思うようになったのは、この経験があったからかな。高校は都会に行かなきゃいけなかったけど、全然乗り気がしなかったさ。人と人との距離が遠いし、あと服とかそういうのも、気にしないといけないでしょ。私、ずっと農家で暮らしてきたから、ブランドとかよくわかってなくてさ」

「あ~、それわかる。ブランドって難しいよね。うちはパパが、オシャレが得意でさ。コーディネートとか、よくわかんなくなったら、写メしてチェックしてもらうんだよね。『ここの長さ変えたらいいよ』とか、『椥紗はこの色が似あうよ』とか、『パパのこのスカーフ使いなよ』とか、的確にアドバイスをくれる。大体、パパはブランドとかチェックしてるし、好きなものは手に入れるから、いろいろ持ってるの。まぁ、かなーり個性的になっちゃうってのはあるけど、他人に文句は言わせない感じにしてくれたのはありがたかったかも」

「ゲイのパパすげえな」

「気に入ったものは、お金を払って手に入れる。そうすることがその作品に対する敬意なんだって。自分に合わないかもって思うものも手に入れちゃうんだって。それで春日ちゃんが『ものが多い』って切れたりするんだけど……、それはおいといて。ゲイって、なんていうの繊細なのかな。そういう風に自分のことを認められるのは、繊細だからだよね。アーティストっぽいことしてるのもあるだろうけど、パパって、色んな事に気付くんだよね」

「ブランドかぁ。馬子にも衣裳だったらいいけど、中身が伴っていなければ、豚に真珠だよね。ま、椥紗はそういうことないだろうけど」

謙人は、静かに毒を吐いた。この毒は結構心臓に来る。

 床に寝そべっていた双葉が、まだ眠そうな顔をして体を起こした。

「あ、椥、ごめん。膝貸してくれてた」

「気にしなくていいよ。疲れたんだし、可愛かったし」

「可愛いって」

「双葉って隙がないから、こういう顔見せてくれるんだなって」

「何言ってんの」

椥紗は思ったことを素直に言っているだけなのに、ぎこちなく反応する双葉を見て、蒼佑は白けた顔になって、話題を戻してきた。

「それで、入学式の間、会ってた相手って誰なんだ?」

「あのね、コーラルっていう子で」

「もしかして岩下?」

コーラルという言葉を聞いて、謙人が間髪入れず、問いかけてきた。

「岩下?」

「コーラル=ロックアンダーとか言ってなかった?」

「うん。そんな名字だった」

謙人はクスクスと笑いながら言った。

「結構長い間話していたみたいだけど、気に入られた?」

「気に入られたっていうか、四元素とかそういう理論について話してきた。ねぇ、どうして、謙人は知ってるの?」

「岩下珊瑚、俺の中学校の同級生。コーラルは、日本語で珊瑚。ロックが岩、アンダーは下。日本語に変換すると、岩下珊瑚、でしょ? 俺の中学校の同級生。山奥に住んでいるから、ほとんど学校に来ていなかったけど、面白い子だよ。ここに来るってことは、中学の先生から聞いてたけど、ほんとにいたんだね。入学式出ずに椥紗と喋ってたんだ」

謙人は穏やかに、嬉しそうに話をした。笑顔のイケメンは、眼福だけれども、その彼が他の女子のことを良く捉えているのはちょっと複雑な気分だ。

(まぁ、別に彼女になりたいとかないし、そもそも恋愛感情とかそういうのがわかんないみたいだし。っていうか、そういうことを話される自体、私は論外ってことだし。でもイケメンは見てるだけでドキドキするわ)

頭の中で色んな思いがぐるぐるし始めてきたので、椥紗は周りを見回した。蒼佑はいらなくなった食器を流しに運んでいて、理真美は机を拭いていた。

(あれ、双葉は?)

バルコニーに繋がる扉のカーテンが開いていて、椥紗は立ち上がってそちらに向かった。


 双葉は、バルコニーの柵に寄りかかって風に吹かれていた。少し肌寒い。椥紗は、瞳を閉じていた、双葉に話しかけた。

「もう、大丈夫?」

「大丈夫?」

「いや、結構ぐっすり寝てたから、疲れてたのかなって」

「そっか。ありがとう。確かに、今回はちょっとやりすぎた、かな」

双葉は、柵に肘をついて笑った。いつもの余裕のある表情だ。

「椥、よかったね。良い友達できたみたいで」

安心するけれども、引っかかる。いつも双葉は椥紗の少し前を歩いている。友達っていうより、先輩というか、リーダーというか、自分のことを引き出してくれる存在として双葉はいる。蒼佑と理真美と謙人と一緒に集まってタコ焼きを食べる、その機会をセッティングしてくれた。

「双葉のおかげだよね」

「それだけじゃないよ。椥が、仲良くなってくれてたから、今日は楽しかったんだよ」

「ねぇ、双葉」

「そろそろ、部屋帰って寝るのがよさそうだから、片付けて部屋に戻ろうか」

「あ、うん」

小さくあくびをして、部屋の中に入っていったから、椥紗は自分の話をするタイミングを逸してしまった。椥紗が今日のことを話そうとしたのをわざとさえぎったのか、偶然なのか。

(気にしても仕方ないか)

椥紗も双葉に続いて、部屋の中に入った。



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