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ハガキ 風の物語  作者: 伊諾 愛彩
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風の物語 3.不登校の代償


「おはよう、椥紗。いつまで寝てるんだ。9時回ってるぞ」

部屋の前から、聞き慣れた声が聞こえた。そうなのに、見えるのは、家の天井ではなくて、寮の天井で……。その違和感の理由に気付いた時、篠塚椥紗は慌てて飛び起きた。

(やばいじゃん。教科書配布とか10時からだ)

「何で起こしてくれないの〜」

「昨日別れる前に、ちゃんと起きとけって言っただろ」

「え、あれ、何で春日ちゃん、ダイニングに入ってこれてるの?」

「双葉が入れてくれた。もう双葉は学校向かった」

「はぁ!?」

「早めに行けば、自由に校内の見学できるだろ。私も付いていきたかったんだが」

春日伊織は苛立ったような口調だったが、それは、椥紗にとっては慣れたことだった。このような言葉は大体が椥紗の父親の祥悟に向いているのだが、そのおかげでどんな風に伊織が振る舞うのかは大体予想がつく。むしろ伊織が部屋にいることに、椥紗は安心感を覚えた。

「はい。サンドイッチとお茶。とりあえずそれを食べて行くぞ」

「春日ちゃんは?」

「もちろん部屋で食べてきた。起きてないだろうなと思っていたけど、予想通りだな」

春日はため息をついた。この雁湖は、『ギュフ』の保養所でもあって、社員用の宿泊施設がある。その施設は生徒の関係者も宿泊できるようになっていて、伊織はそこに泊まっており、椥紗の部屋からは歩いて5分くらいの位置だった。

「双葉に毎朝起こしてもらうように頼んだからな」

「うん。ありがとう。気が効くね」

「何を嬉しそうに。毎日学校に通うというのは大事なことだし、特にお前にとっては、簡単なことじゃない。朝、双葉に起こしてもらう。その代わりに椥紗がご飯を用意する。朝御飯か、晩御飯」

「は? 何その交換条件。私が料理することになるじゃん」

「それだけじゃないぞ。買い物もだ」

「えぇ。それはないよ。

「その代わりに、『アイロンがけでどう?』って言ってたぞ」

「ちょっと、知らないうちに約束しないでよ」

「悪い条件ではないだろ?」

「そうだけど」

「お前が起きてこなかったのが悪い。双葉とじっくり話し合ったんだ」

「もう何で。目覚まし、7時半にかけておいたはずだし、スヌーズしてるはずだし」

「あ、何度か部屋からアラームが聞こえたな。しばらくして消えたけど」

「だったら、起こしてよ」

「自分で起きられるようにならないといけないだろう。スマホのアラーム機能で起きられないんだったら、時計を買うとか、工夫しないと」

「そうだけど、起きられないと思わなかったんだもん」

「お前は規則正しい生活が出来ていないんだからな。そこら辺を考えて行動しろ」

言い返すことができず、椥紗は大人しくサンドイッチを頬張った。こういうやりとりは、本当の母娘じゃないからできるのかもしれない。二人の間にあるのは、血のつながりとか全くない他人同士、いつでも解消できる「脆い」絆だ。


都会のように電柱や電線があるわけでもなく、ありのままの自然の中に現れた街が、この雁湖。ひんやりとした空気の中、舗装された道を進んでいくと、校舎は木造の温かみのある建物だった。よくある都会のコンクリートを打ちつけただけの機能性のみに特化した校舎とは異なり、ナチュラル志向の『ギュフ』らしいデザインとも言える。

「うわー本格的。おっしゃれ~」

「椥紗、気を付けろ。そこ、穴が空いてるみたいだぞ」

「違うよ。ガラスになってて、下が見えるようになってる」

わざわざ元々の地面が見えるように、一階の床が一部透明になっている。今まで手がつけられることのない土地だったから、先史時代の痕跡が見つかったらしい。その痕跡が、博物館のようにされている。

「遺跡なんて、言われなきゃ意識できないもんな。例えば、ここに海の貝殻がある。これがどういうことを意味するのか。海からだいぶん離れているのに、貝が生息していたということは考えにくい。ということは、誰かが海からここまで運んで、ここで捨てた。住民が海まで行って、採ってきたということも否定できないけれども、おそらく他の集落の人々との交易が行われていた。そんな可能性が想定できるだろ?」

「本当に、誰かなのかな? もしかしたら、動物、ううん、妖精とか妖怪とかそういうものが運んだとかはないのかな」

椥紗が、空想世界を交えた解釈をすると、伊織は笑った。

「相変わらずお前は面白いことを考えるんだな、椥紗。そんなものの可能性を含めてしまったら、科学的な説明にならないじゃないか。でも、ここは、北海道だから、コロポックルはいるだろうな」

「コロポックル?」

「フキの下にいる小さな妖精だ。もしかしたら、妖怪かもな」

「会えるかな?」

「どうかな。でも、こんな自然のあるところなら、フキも沢山あるし、会えるかもな」

伊織は、教養の高い人だったけれども、決してそのことを根拠に偉ぶったりしない。文学的な素養がある人だったから、非科学的なことを無闇に否定しなかったし、どんなことでも真っ直ぐに受け止めてくれる人だった。

 受付では、小型のスーツケースが渡され、中にはタブレットやノートパソコンが入っていた。生体認証のために使う情報を認識するために、新入生たちは病院の健診とか、空港の安全保安検査などで使うような機械に入る。

「教科書はタブレット、課題はノートパソコンで提出していただきます。お渡ししたこれらの機器は、篠塚さんご本人にしか利用できない設定になっております。オンラインでの試験での不正を防止するための措置です。生体データはこれ以外の用途では一切利用致しません。このことにご了承いただけましたら、こちらにサインを」

まるで一人の大人として認められたかのような契約。法定代理人である親権者が合意しなければ、15歳の椥紗が契約することはできない。伊織は「他人」なので、そのことを傍にいた他のスタッフに確認すると、そのスタッフは言った。

「契約の予行演習ですよ。成人すればサインひとつでいろんな契約を結ぶようになる。その責任はたった一筆から始まるんです。そのことを知ってもらうための」

伊織にはよく理解できなかったが、何らかの教育的な意図があることはわかった。

「故障などの際は、システム担当室にくるか、メールで連絡してください。詳しくはこちらページをご参照ください。篠塚さんのメールアドレスに送らせていただきます」

椥紗は横にいた伊織に耳打ちした。

「なんか、不思議じゃない? 先生っぽくないというか」

「先生じゃないからな」

「え、先生じゃないんだ?」

「ギュフから派遣されている社員だと思うぞ。教師が教育に専念できるような環境を整えているって学校案内に書かれてた。先生は授業以外のことは極力やらなくてもすむようにしてるんだと」

「え。なんか中学校とは全然違うね」

「こんなの、ここだけだぞ。雁湖学院は、教育用システムの構築を実験施設でもあるんだ、と。教育に限らずだろうな。この雁湖地域自体が、実験的な地域だ。例えば電気。当面は道内の電力会社と契約をする予定だが、計画では、10年後には雁湖学研都市で作った電気で半分をまかない、最終的には自給自足を目指すそうだ」

「え、ってことは自転車とか漕いで学生に発電させるとか」

伊織は笑う。

「それじゃあ、そんなに大きな電気は作れないよ。ちゃんとした大掛かりな施設を作るんだ。高校だけではなく、大学や研究機関を作り、水力発電、風力発電、地熱発電、太陽光発電といった自然エネルギーで賄う社会を創造する。やることが大がかりだな。資本があって、椎野真生の大胆さがあって実現したプロジェクトだな」

「パパが好きそうだね」

「祥悟だけじゃなく、お前もだろ」

「うん、そうだね。ワクワクする。きっと、パパもそう思ってると思うけど」

嬉しそうに答える椥紗を見て、伊織は皮肉を返す。

「壮大で訳のわからない社会に飛び込もうなんて、正気とは思えない。お前たちは通じ合ってるよな」

「そうかな。そうだといいな」

もうしばらく会っていないし、話もしていない。彼が椥紗の「父親」になって数年なのに、椥紗は「父親」を保護者として好意的に見つめていた。


 クラスの確認、教室の確認、学内の情報が得られる掲示板を探して、廊下を歩いていると、木のいい匂いがする。伊織は、地図を見ながら、次にやるべきことを確認しているが、椥紗は新しい学校の雰囲気を堪能していた。

「森よりも、もっと森っぽいよね。なんだか変だけど」

爽やかで、気持ちいい。椥紗の顔は綻んだ。

「何、笑ってるの?」

伊織とは違う聴き慣れた声が聞こえて、椥紗は振り返った。

「双葉」

嬉しそうな椥紗の姿を見て、片桐双葉は笑っていた。

「おはよ。なんとか起きられたんだね」

椥紗はすかさず双葉にハグをする。

「もう、くっつくな。同じクラスだから、一緒にいられるでしょ」

「本当に? やったー。双葉と同じクラスなら、むっちゃ安心」

「全然起きてこなかったから、かなり呼んだぞ。こんなので本当に授業受けられるんだか」

「やっぱり、私が椥紗を起こさないといけないのかな」

「まぁ、そうならないのがいいんだが、『手伝った』分はちゃんと働かせたらいいから。ご飯でも、掃除でも」

「だからといって自分の部屋の掃除を頼むわけにはいかないしな。考えときます」

双葉と伊織は楽しそうに話しているが、椥紗には耳の痛い話だ。椥紗は話題を戻した。

「同じクラスってことは、結構一緒にいれるってことだね」

「というか、各科1クラスずつだけどね。普通科は男子と女子に分かれているから合計2クラスだけど。同じクラスって言っても、ホームルーム活動で集まるだけだけどね」

「え」

「単位制だから、それぞれ自分の目的に合わせて授業を取るんだよ。普通科同士だから、同じような授業を取ることになると思うけど、中学校みたいな感じではないんじゃないかな。新しいことが始まるって楽しいよね」

不登校だった椥紗のことを気遣っての発言である。双葉のことを全面的に信じているせいか、鈍いせいか、椥紗はその真意に気づいていなかった。

「うん。なんかね、すごくワクワクするの。私ね、こんなに自然のあるところに住むの初めてなんだもん」

「それ、昨日も聞いた。そんなにワクワクする? 私は、同意しかねるなぁ。結構中学も自然の多いところだったと思うけど。山まで歩いて行けたし、学校に虫も多かったし」

「確かにそうかもしれないけど、なんか違うんだよね。もっと深くて、溶けていきそうな感じ」

「それは、困るなぁ。椥が溶けちゃったら。溶けないで、ちゃんと部屋に帰ってきてね」

「大丈夫だと思うけど。あれ、双葉は1人なの?」

「兄さんが手伝ってくれてたんだけど、今日中に帰らないといけないからって、さっき別れたんだ。必要だったら、また助けに来るって言ってた。でもそんな必要ってないよね」

「じゃあ、一緒に見学しよ。良いよね、春日ちゃん」

「お前、その荷物持ったままいくのか?」

「あれ? 双葉、荷物は?」

「いらないものは寮に置いてきたよ」

「あと何ヵ所か配布物を取りに行かないといけないし、その後メンターとの面談の時間だし、寮に荷物を置きに戻るなら、見学する時間はもうほとんどないぞ」

椥紗が不服そうな顔をすると、伊織は嗜めた。

「だから、ギリギリまで寝ているお前が悪いんだろ。夜に明日の準備をするのはもちろん、朝もちゃんと早めに起きて、身なりを整える。今まではお前のペースでやってこれたけれども、これからはそうじゃないからな」


 双葉とは別れて、椥紗と伊織は荷物を寮に持っていき、再び校舎の中を歩いていた。雁湖学院には、担任もいるが、それと並行してメンター制度を採用している。生徒それぞれには担当のメンターがつき、学内外問わず相談事に乗ってくれる。希望すれば、担当のメンター以外に相談することもできるし、担当と合わなければ、変更も可能になっている。

「こんにちは、篠塚椥紗さんですね」

「あの、はい」

「初めまして。メンターを担当します、冴山(さえやま)和奈(かずな)です。よろしくお願い致します。一緒に来られているのは、お知らせいただいていた保護者の代理の方ですか?」

「はい」

「春日伊織さんですね。よろしくお願い致します。それではおかけください」

面談というのは、狭い空間で行われて、重苦しい感じがする。椥紗が緊張した面持ちでいると、和奈は微笑んだ。

「緊張しないでくださいね。答えたくないことだったら、答えなくて大丈夫なので」

「あの、冴山先生は…」

「あ、私は先生じゃないので、先生って呼ばないでください。メンターでも、冴山でも、和奈でも、和奈ちゃんでも、あなたが呼びたい名前でどうぞ」

「じゃあ、和奈さんで、いいですか。素敵なお姉さんっていう感じで」

椥紗が照れながらいうと和奈は大きく頷いた。

「素敵なお姉さんか、嬉しいな。じゃあ、あなたはどう呼ばれたい?」

「あの、私は下の名前で呼ばれる方が好きで」

「じゃあ、椥紗…さん?」

「あの、…ちゃんがいいです」

「了解。じゃあ、椥紗ちゃん、よろしくね」

サラッとした綺麗な長い髪をした優しそうなお姉さん。そんな和奈の雰囲気が椥紗は好きで、彼女がフランクでグイグイくるのに嫌な気分がしなかった。むしろもっと親しくなりたくて、椥紗は意気込んだ。

「あの、話に入って申し訳ないんですが、椥紗には親しい間柄で話すような感じで接していただける方が、良いです。相手を敬う意志を、言葉で表現することが苦手なようですので」

(そんな風に見てくれていたんだ)

伊織のフォローを聞いて、椥紗は彼女の観察の鋭さに驚いた。和奈はアドバイスに従い、居住いを正して、仕切り直した。

「了解です。椥紗ちゃんは、緊張しているみたいだから、まずは、私の自己紹介と、この学校の紹介をするね」

言葉遣いは、相手との距離を縮めたり拡げたりする。椥紗は、丁寧に接されるよりも、フランクな方が好きだ。それは椥紗本人が、他人とどのように距離を取るべきか押しはかるのが苦手で、敬語を使われるとどのように返していいのかわからなくなるから。自分がどのように接したいかよりも、相手に合わせて、振る舞いを変えるべきという姿勢が、椥紗には身についていて、敬語を使われると自分も使うべきではないのかとか、適切な敬語が使えているのか、考え込んでしまって全く話せなくなることもあった。

「私は、冴山和奈。学生時代から、『ギュフ』でバイトを始めて、そのまま社員になったの。今は、人気店のマネージャーを任されているんだけど、そうなるとなかなかバイトの子たちをどうやって育てたら良いとのかとか迷っていてね。メンターとして、高校生の相談に乗るっていう社内プログラムに応募したの。心理学とかそういうのを専門的に勉強したことはないから、そういう視点でアドバイスっていうのはできないけど、人生のちょっと先輩として、困ったときとか、悩んだ時とかに寄り添ってあげたらなって思っています。あ、そういうのじゃない時でも、たわいないことで一緒に笑い合えたらなって思っています」

和奈は、雁湖学院の学校案内のパンフレットをカバンから出して拡げた。

「本当は、生徒募集要項と一緒にできているはずだったんだけど、役に立つだろうから、私ます。どうぞ、お納めくだされ」

和奈が深々と頭を下げると、椥紗はそれに釣られて同じように深々と頭を下げた。


「では、そのお礼に、自己紹介お願いできますでしょうか?」

「あの、はい。私は篠塚椥紗です。好きなことはボーッと色んなことを考えること。あと、音楽とか、歌うことが好きです。……あの、和奈さんはどれだけ私のこと知っているんですか? 春日ちゃん、いえ、伊織さんが私の母でないことを知っていたようですし、中学の時のこととか、知っているのかなって。その内容によって、私が伝えないといけないことって、違ってくるのかなって」

「冴山さん、私から説明しましょうか?」

伊織がそう提案したが、和奈は首を振った。

「いえ、私が説明しますね。この面談の前に、学校から保護者の方に連絡して、それぞれのお子さんのことで考えていることを送ってもらいました。高校生活でのこと、卒業後のこと、将来のこと、自由に書いてもらうということでお願いしていて、椥紗ちゃんの場合、保護者の方が春日伊織さんに一任するということで、性格や中学でのことや家庭環境のことなどを詳細に書いてもらっています。かなり椥紗ちゃんのことを見てくださっているんだな、と。」

椥紗が、伊織の方を見ると、伊織は少し照れていた。椥紗は保護者の欄に有佐の名前を書いていた。伊織は父親の祥悟に雇われて、仕事の一部として椥紗の世話をしているから、保護者が一任するということは、両方の承諾をもらったということだ。

「手紙の内容については、有佐さんと祥悟にも確認してもらっている。分量が多くなったのは、私に文章を纏める力がないからで」

「でも、それだけ、私のこと見てくれてるってことだよね?」

「仕事の一環でやっているだけだ。それが、祥悟との契約だから」

伊織はきっちりとした仕事のできる女性で、感情を自制するところがある。契約だと言い捨てるのは思いをうまく表現することができないからなんだろう。そんな伊織を見て、椥紗が嬉しくて、つい鼻歌を歌うと、和奈は笑っていった。

「歌うこと、好きなんだね」

「あ、すいません。ついつい気を抜いてしまって。はい。あの、ピアノ少しやってて、上手じゃないんですけど、まぁ、歌もそんなにうまくないけど、あの、歌うと気持ちが出てくるっていうか、湧いてくるっていうか」

「そっか。じゃあ、学校に行っていない間も、歌っていたりしたのかな?」

「あの、それって、私が学校に行けてなかったこと、知っているってことですよね?」

「ええ」

「それを聞いて、和奈さんは、どう思いました? 困った子だなとか、問題がある子だなとか、そんな風に思いましたよね?」

椥紗が、警戒した言葉を発すると、和奈はふっと息を吐いて応える。

「学校に行くことは、大事なこと。だから、ずっと学校に行けていなかったというのは、何かがあったなということはわかるよ。椥紗ちゃんに問題があったかどうかは、詳細を聞かないとわからない。伊織さんのお手紙からは、何が起こったのか、どうして椥紗ちゃんが中学校に行きたくなくなったのか、詳しくはわからないし、書きたくても書けないとあったの。理由がないのに不登校なんて、わがままだとかそういう風に言う人もいるかもしれないけれども、私は、勉強に集中できない状態なのに、学校に行くべきなんて言えない。不登校になったのは、椥紗ちゃんなりに考えた結果なんでしょ」

「はい、そうです」

「でも、椥紗ちゃんは真面目だからね。雁湖学院ではちゃんと毎日学校に通おうと思っている。椥紗ちゃんって頑張り屋なのね」

「頑張り屋?」

責められるかと思ったのに、予想外の褒め言葉が返ってきて椥紗は驚いた。

「中学校で毎日朝起きて、授業受けて、部活やって夕方に家に帰る。それを繰り返してやっていれば、家族から離れて、寮生活を始めても、そのペースでやっていけるだろうけど、不登校だったってことは、そのペースを作っていくことからやっていかないといけないわけでしょ。頑張るとストレスもかかると思うよ」

「ストレスは……耐えます」

「うーん。それはダメだと思うな、好きなこと、発散できることを持たないと」

「じゃあ、歌います。歌っていると、気持ちが軽くなるから。でも、部屋で、歌っても大丈夫なのかな。まだ私のキッチンには双葉しかいないから問題ないけど、後から他の生徒が入ってくるってこともあるんですよね?」

「そうね。なら、個人練習室の申請の仕方教えるわね」

和奈は手元のメモに練習室申請と書き込む。

「他にはあるかな?」

「うんっと、温泉かな」

「なかなか渋いわね」

「ババ臭いって、あったばかりの生徒に言われました」

「椥紗ちゃんは、心が成熟してるの。そう言った相手は子供なだけよ」

和奈の表情は悪戯っぽい感じで、大人と話している感じがしない。だから、椥紗は躊躇せずに思っていることがすらすらと出てくる。

「ねぇ、椥紗ちゃん。自分の生活を変える時、自分にどんな変化が現れると思う?」

「もっと良い感じになると思う。きっと良いことが起こるし、変わってみないとわからない、けど」

「そう思って始めることはとても良いことだと思うよ。同時に変わることはとても大変なことというのも、覚えておいてね」

「それは、脅してるんですか?」

「そうじゃないわ。大変じゃなかったらそれに越したことはないの。取り越し苦労だったら、いいのだけど、もしも、何かしんどいとか、良くないものを感じたら、すぐに教えて。一人で悩まないで、誰かと共有しよう。ここではね、頑張らなくて大丈夫。むしろ楽になるにはどうすれば良いのかを考えよう。簡単なことじゃないけどね。特に椥紗ちゃんのような真面目な子には。自分で解決する、それが良いことだって思っているし、そうしてきただろうから」

「それが、わがままなことだとしてもですか?」

「あなたの考えていることが、他の人にとってもわがままなことなのかどうかは、その人に伝えないとわからない。同じ中学校から入学した片桐双葉さんは、椥紗ちゃんが思っていることを伝えたら、一緒に考えてくれる人じゃないのかな」

「双葉は、親身になってくれるけれども、色々あった時のこと、あまり知らなくて」

「すいません。手紙に書いた通り、不登校になっていたきっかけになった時のことは、あまり思い返さないようにさせてるんです。家族のことが色々あって、精神的に不安定だったということもありますし、私は家族ではないので、全貌は知りません。親は把握しているようですが……。それも分かっていなくて」

伊織は、椥紗が考え込まないように割って入った。和奈はその様子を見て、ペンを机の上に置いた。

「今日は、これくらいにしましょう。最初の出会いで、嫌な印象を持たれたら、後に引き摺るだろうし、仕事よりも椥紗ちゃんと仲良くなれる方が大事だからね」

「はい」

和奈の表情が柔らかくなって、椥紗は思わず大きな声で返事をした。

「さて、今日のブリーフィング、要点をまとめるわね。1つ目、椥紗ちゃんは真面目なので、頑張りすぎない。二つ目、椥紗ちゃんは、自分の中で抱えすぎない、しんどいと思ったことを誰かと共有する。三つ目、毎日規則正しい生活をするというのは、大変なことなので、できなくても自分を責めない、オッケー?」

「はい」

「その上で、一つアドバイス。ここの学校はね、通信科もあるでしょう。もしも、学校の授業に行けなければ、通信科の生徒向けの授業動画とか利用できるし、オンラインでメンターと相談もできるから、そういうの使ってくれたら良いから」

「毎日学校に行けるようになりたいので、できれば、そういうのは……」

言い返そうとする椥紗をメンターは笑った。

「そんなに真面目じゃなくても大丈夫よ。頑張りすぎない。でも、椥紗ちゃんは真面目な自分が好きなのかな?」

「真面目な自分が好き?」

「そんなこと、ないのかな?」

「そう、見えるんだ」

椥紗は保護者代理の伊織の方を見ると、彼女は頷いた。

「真面目に普通になろうとしなくても良いわよ。椥紗ちゃん、雁湖学院はね、普通じゃない人、大歓迎なの。普通の人にない素養、経験とか、センスとか、そういうものって、異端とか問題児とか言われるけど、他にはないもの、天才と紙一重なのよね。そういう変わった人たちを集めたら、面白い化学反応が起こるかもしれない。あなたは、『人とは違う』ことを活かせる場所に来た。まずは、あなたがあなたを好きになれるように、過ごしていこう」

「はい、ありがとうございます」

たくさん欲しい言葉をもらった。優しさをくれた。椥紗は身体が熱くなるような感じがした。椥紗の目が輝いているように見えて、伊織まで嬉しくなった。

 寮に戻るまでの間、椥紗は鼻歌を歌いながらスキップしていた。そして、振り返って、後に続いて歩いていた伊織に言った。

「今日はありがとね」

「なんだ急に、今日のことだけじゃないだろ、感謝するべきは。仕事休んで、わざわざここまできてるんだか…ら…」

「じゃあ、それも含めて、ありがとね。あ、でも私の面倒を見るのは、仕事なのか。じゃあ、ご苦労様、かな?」

「ご苦労さまは、目上の人に使うものじゃないって言っただろ。まぁ、言葉は変わるものだから、今は使っても良いのかもしれないが」

「先人の知恵は参考にしないとね。あ、私がババ臭いの、春日ちゃんの影響なんだろうな」

椥紗は口ずさみながら、くるくると回ってダンスを始めた。そして、しばらくした後ピタッと止まって、伊織を見てニンマリ笑った。

「ねぇ、私と春日ちゃんってね。家族みたいな関係、ううん。私にとっては、家族以上に信頼できる存在なのね。なのにさ、私、春日ちゃんからプレゼント何ももらってないんだよね」

「プレゼント?」

「そ、合格祝い。または、入学祝い」

「お前、わざわざこんなところまできてやっているのに、更に何か出せと? これは仕事だっていっただろ」

「ん〜。春日ちゃんと私は、特別な関係だなって思ってたんだけどな」

「ただの契約関係だ」

「そうかなぁ。こんなに世話焼いてくれるの、春日ちゃん、私のこと好きだからでしょ」

「お前な、何言って…」

「私さ、私は、春日ちゃんのこと、家族だと思ってるし、一番頼りになる家族だと思ってる。本当の家族じゃないから、血は繋がっていない関係だから、こういう気持ち、伝えたらダメかなって思ったけど、伝えたら、嬉しいって思ってるのかなって。言っちゃった」

照れて、黙った伊織を見て、椥紗は悪戯っぽく笑った。

「だからね、何かお祝い頂戴」

伊織は大きく息を吐いて答えた。

「考えておく」

「ありがと」

「すまんが、今日はお前を部屋まで送ったら、私は仕事をしないといけない。だからこれでまた明日だ」

「了解。じゃあ、いいよ、ここで。また明日」

「いや、部屋まで」

「いいよ、遠回りしなくても」

想いは、執着でもあり、それはポジティブにもネガティブにも作用する。一緒にいる時に満たされれば満たされるほど、離れる時の喪失は大きくなる。伊織への想いを言葉にすることで、それはより強いものになったが、それ故に彼女なしのこれからの生活への不安が大きくなった。

(大丈夫、双葉はそばにいるから)

椥紗は自分を鼓舞して、部屋に向かった。


 寮の入り口にたどり着くと、ロビーには十数人の生徒が居た。同じ歳の男子がいることや、顔立ちや肌や髪の色が自分とは明らかに違う生徒もいて、椥紗はそのことに驚いた。

(全然違う)

保護者が一緒の人もいれば、そうでない人もいる。

「あ、篠塚椥紗」

男子に呼ばれて、振り返ると、島田蒼佑がソファに座っていた。

「あ、蒼佑」

「もう、片付け、終わったのか? あれだけ荷物あったから大変だろ」

「大丈夫。仕事ができる助っ人が内地から来てくれたから」

「助っ人ねぇ。ってことはお前も親来てないんだ」

「お前も?」

「俺も、来てないんだ。この学校、結構そういう奴多くてさ。ちょっとおどろいた」

蒼佑の言葉はアクセントとか、イントネーションが田舎くさくて、なんだか緩い。

「面談あるのに、珍しいね。蒼佑は来てないなら、三者面談どうしたの?」

「面談? ああ、俺の親はオンラインだった。漁の準備で忙しいだろうし、2回も高校入学準備させたくない。自分でできるし」

椥紗は、蒼佑の座っていたソファに、少し距離を置いて隣に座った。

「札幌の高校では、なんかいつも座って勉強ばっかりでさ。こんなことやってても、魚は取れるようにならないし、なんか札幌って水まずいよな。都会だからか? まぁ、退学したしな。今更文句言っても仕方ないけど」

椥紗は、うんうんと頷きながら、話を聞いていた。

「俺のメンター、煙草臭いおっさんでさ。地元にも居そうなおっさんで、俺のメンター、なんでこんなおっさんって思ったんだよな」

「メンターって変えれるって言ってたけど」

「でも、嫌な人ではなかったからさ。変えてやろうっていう気にもならなくて。そのおっさんがさ、お前の勉強したいことって普通科よりもむしろ技術科だろって言われたけど、ここ、海があるわけじゃないしさ。農業ってわからないし。確かに羊の放牧とか島でやってるところもあるけど、いや、俺、海だし」

「転科ってそんなに難しくないんじゃなかったっけ?」

「そういう手続きとか、もう面倒なんだよな。普通科でも受けられるし、もういいやって思って」

「それで、どうしてロビーにいるの?」

「俺、卒業したら、島に戻るつもりなんだ。海が好きだし。だけどさ、島に戻るなら、外で生活するのって今だけなんだよな。だとしたら、面白いやつと仲良くなるとか、そういうのに興味があるって話をしたら、部屋にいるよりも、外にいた方がいいんじゃないかってアドバイスされてさ。それで、今、ロビーにいる。本当はバイトしたかったんだけど、今仕事なくって、なんか面白そうなことないかなって思ったら、お前が来たわけ」

(蒼佑は結構おしゃべりだな。うちのパパに似てるかも)

椥紗は、クスクスと笑いながら、蒼佑の話を適当に聞いていた。

「あ、レオン」

突然、蒼佑は立ち上がると、髪の色素が薄く、明らかにモンゴロイドではない顔立ちの生徒の元に向かって行った。

「蒼佑。その名前で呼ばれると、自分のこと呼ばれている感じがしないんだけど」

「お前、その顔でその返答はないわ。あ、こいつレオン。名前、何だっけ?」

(なんかいやがっているみたいだけど、その名前で呼ぶっていうか。強引というかマイペースを崩さない奴だな)

よく言えば、ファンタジー世界の王子様、悪く言えば、線が細くて、ガリガリとも言えそうな体付きの少年は流暢な日本語を話した。

「もういいよ、じゃあそれで。隣の子も生徒? 僕は織原(おりはら)謙人(けんと)

「あ、そうだ、謙人だ」

「私は、篠塚椥紗です。織原くん、日本語上手だね」

「僕は、日本語しかできないよ。僕、養子で、物心つかないうちに引き取られたから。レオンも僕の名前だけど、普段はミドルネーム使わないし」

「なんか、外国人の顔から普通の日本語が出ていて不思議感」

「だろ?」

「あ、そう言えば、フランスを思い出す。たしか、ミハエルさんだったかな。うちの母さんのところによく来ていた、金髪のおじさんでって言ってもほとんど髪がなかったんだけど、目が青色のおじさんが日本語で話してた感じと似ているかも」

「フランス? お前外国行ったことあるのか」

「まぁ、親が住んでるから。仕事っていうか勉強でっていうか」

「あーそれで、助っ人なんだ」

椥紗が慌てて説明を付け加えると、蒼佑はうんうんと頷いて納得していた。

「普通は、現地の学校行けって言われても無理だよな」

「そうそう。しばらく、母がいるフランスに行ったことがあるのね。その時、ちょっと現地の学校行ったんだけど、全然無理だったし、それに母がずっと一つのところに留まるわけじゃなかったから、なんかバタバタでさ。面白かったんだけど、言葉がわかんないし、全然勉強できなくなっちゃって」

(それで、春日ちゃんが無茶苦茶うちの親にキレたんだよね。まぁ、不登校だったから、その期間、学校のことは問題なく滞在できたけどね)

椥紗はその頃のことを思い返しながら、うんうんと頷いた。

「お前のブロックに入る予定のやつ、今海外に親と行ってるんだよ。5月に帰ってくるとか言ってたけど。いや、まぁ、あいつの親がだけど。ちゃんとしているやつだから、勉強にはついていくと思うんだけど……」

「蒼佑って面倒見いいんだね」

謙人がそういったのに続いて、椥紗も続ける。

「やっぱり、その子のこと好きなんじゃないの?」

「ああ、そういうことなのね」

二人が囃し立てると、蒼佑はすぐに否定した。

「馬鹿か。あいつはただの妹だ。俺は年上だからな。それよりも、レオン。お前は、細すぎなんだよ。もうちょっと身体を鍛えるとか、俺はそれが心配だ」

「え、何で僕」

「そうだ、言葉遣いも『僕』だし、もうちょっと何とかしないと、お前、海でやっていけないぞ」

「僕、海でやっていくつもりないんだけど……。えー。それに、そういうのって、偏見というか」

「偏見じゃない。そもそも、お前は細すぎなんだよ。筋肉つけるぞ筋肉。そして、『俺』っていう」

「え、俺、か。なんかくすぐったいけど、わかった。蒼佑が俺を思って言ってくれているなら」

(おお、この子素直ないい子だ)

椥紗は二人をじっと観察している。

「お前、ちゃんと食っているのか。筋トレもするが、それより前に食事だ」

「えー。食べてるよ。でも、僕あまり肉が好きじゃなくて」

「そこだー。お前、今日うちの部屋に来い。俺が晩飯作る」

「え、僕、家帰るつもりだったんだけど」

「僕じゃない。俺だ。いくぞ」

「ちょっと、蒼佑。えっと、うん。篠塚さん、またね」

謙人は、強引に連れて行かれたが、そんなに嫌そうでもなかった。彼は、慌てながらも、椥紗に手を振ってくれるし、容姿を見ていると王子様みたいなのに、堂々としたオーラがない。二人に手を振りながら、椥紗は思った。

(よく喋るから、パパと蒼佑、おんなじ系かなと思ったけど、あ、やっぱパパとは違うかも。なんか色々言われると余裕がなくなる感じがする。なんかワイルドだし)

「あ、部屋戻るんだった」

椥紗は何をしようとしていたのか思い出して、立ち上がって歩き始めた。


 寮の自分の区画に戻ると、共有ダイニングは真っ暗で、でも双葉はいるだろうと思って、まず双葉の部屋に向かい、そしてノックをした。

「双葉〜。いるんでしょ? ただいまだよ」

中から物音がして、慌てて出てきてくれる様子が伺えた。

「おかえりー」

「何してた?」

「いわゆる課題かなぁ」

「課題?」

扉から出てきた双葉は、ダイニングの電気をつけにいった。電気がつくと、部屋も椥紗の気持ちもぱぁっと明るくなった。

「椥、遅かったね。面談、そんなに長引いたの?」

「いや、まぁ、ロビーで、井戸端会議的なのしてたから」

「井戸端って、じゃあ、もう友達できたんだ。順調じゃない」

「なんか海の男と、王子がいてね」

「王子!? 椎野真生ではなく?」

「うん。まぁ、日本語ペラペラの王子で、身体も比較的ペラペラなんだけど」

「それって二次元ってこと?」

「いや、現実にいるし、そこまでペラペラではないんだけど、まぁ、細いっていうか、吹き飛びそうっていうか」

椥紗は、冷蔵庫に向かいながら、双葉に問いかけた。

「双葉、ご飯食べた?」

「ん〜。ゼリー食べたー」

「それ、食べたことにならないよ」

「大丈夫、ちゃんとカロリーとかビタミンとか入っているのだから。なかなか課題が終わらなくて、食堂にいけなくて」

「私は今から夕食で、春日ちゃんがくれた冷凍食品系あるから、チンする。食べなよ」

「ありがと〜」

「何なら、なんか作るけど」

「いいよ〜。今から作ったら、だいぶん遅くなっちゃうから」

「ちゃんと盛り付けとかできないけど、我慢してね」

「ゼリーより絶対美味しいから。楽しみ〜」

双葉は優秀でいつも何かをしてもらってもらう関係だと思っていたから、椥紗が双葉よりも優れている何かを持っていることは少し優越感を覚える。よく考えると、不登校で家にいることが多い分、料理をする機会は多かったかもしれない。夕方以降に出かけるようにして、やむを得ず昼間出かける時は、大学生のようなふりをして。椥紗は比較的身長の高い中学生だったから、メイクをして、大人っぽく見せようとしたこともあった。そういうことを考えると、意外と椥紗にも強みがあるかもしれない。

「双葉はどんな面談だったの?」

「面談というより、ずっと新入生の言葉の添削だったな」

「は?」

「あ、言ってなかったっけ。私、入学式の新入生の言葉任されちゃったんだ。それで、今、取り組んでる。原稿はほぼできたんだけど、うまく読めなくて。難しいね」

課題とはそのことか。椥紗は、レンジの扉を開けながら、話を続ける。

「双葉はさ、お兄さんが面談に来たの?」

「うん。義理のお義母さんが、オンラインでやってくれる予定だったんだけど、ちょっと予定が合わなくて」

「お義母さん?」

「あ、後妻さん。うち、本当の母は小学校の時に亡くなったんだよね。それで、父はお義母さんと再婚して……。あ、私とお義母さんとはいい関係で、全然問題ないんだけどね。父は、母がいないと頼りないから、お義母さんが居ることでしっかりやれているところあるし。まぁ、ちょっとあって、裕也兄さんは家を出ちゃったんだけど」

初めて聞いた話だ。二人の中学校は、いわゆる進学校兼お嬢様学校で、家族に「問題がある」生徒はほとんどいないと思っていた。家庭が複雑なのは、自分だけだと椥紗は考えていたのだが、それは誤りだった。

「じゃあ、双葉も親が面談に来なかった」

「椥も、でしょ?」

「まぁ、うちは、色々あったから」

同性愛者(ゲイ)だと思ってたおじさんが、実の父親で、今まで母親だと思っていた人は、実は伯母だったっていう話ね。ちゃんと覚えてないけど」

「合ってるよ。何で、ゲイに子供ができるのかとか。色々考えた結果、わかんないものはわかんないし。細かいことは、考えないようにしよう。パパとお母さんでいいじゃないかって思ってさ。詳しいことは聞けないし。考えれば考えるほど、よくわかんないんだよね。なんでパパは自分がゲイって思ってるのかとか、わからん」

「そんなの考えたって答えはでないんじゃない? それ、なぜある人が自分が好きにならないような他の人に惹かれるのかっていうような疑問でしょ。椥見ていて、私もわからないことあるよ」

「何?」

「どうして、椥が、椎野真生なんていうおっさんに惹かれているのかってこと」

「は? 惹かれてなんていないよ」

「整った顔かもしれないよ。でもね、あれに心臓がドキドキとか、私には信じ難いんだけど」

「そんな、ドキドキなんてしてないもん」

「でも、イケメンパラダイスーなんて叫んでたじゃん」

「それは、別に恋愛の好きとかじゃなくて、もう、ご飯食べよう。冷めちゃうし」

慌てる椥紗を見て、双葉は笑った。椥紗は、恋愛をしたことがなくて、それがどういうものかわからない。父親である祥悟が、自身のことをほかの人とは違う嗜好を持っていると認識するようになったのか。そういったマイノリティのことを理解することとはどういうことを意味するのか。考えれば考えるほど頭がぐるぐる回る。椥紗の箸が動いていないのを見て、双葉は言った。

「そうだね。折角、温かいご飯、食べれそうなのに、冷めちゃったらもったいよね」

テーブルに用意された皿と箸の前に座って、双葉は手を合わせた。ただレンジでチンしただけなのに、愛おしそうに見つめてくれている。

「いただきます」

双葉の仕草は、気品があって、きちんと躾けられていることが窺われる。食べながらも、じっと見つめてくる椥紗に、双葉は苦笑いをした。

「もう、何?」

「ねぇ、どうして、家族のこと話してくれたの? 今まで話してくれなかったでしょ?」

「ん……。 聞かれなかったし、たまたまそういう流れだったから、話そうって思った。裕也兄さんに当てられたかもしれないけどね。良い大学を出て、企業に就職して、自立できてから家族のことを考えようって思っていたけど、そのプランはこんなところに来ちゃったら、変わりそうだし。でもね、兄さんと話してこれで良いんだって思えた」

双葉は双葉なりに色々考えていて、なのに、椥紗は自分のことで精一杯で、何も知らなかった。

「ごめんね」

「何が?」

「私、ずっと自分のことでいっぱいいっぱいだった。そんなの友達じゃないな。ただ頼ってるだけの、ダメな関係だなって」

「そういうこと言わない。もっと自信持ってよ。卑屈なの、私は好きじゃないな。そうだ。じゃあ、練習付き合ってくれる?」

「うん、もちろん」

優秀な双葉から「当てにされる」ことは、嬉しかった。その後、双葉の練習は数時間に及び続いた。彼女は頭が良いだけでなく、地道な努力をする忍耐強さがあるから、良い成績が取れているのだ。

「ううう。まだやるの」

「うん。もう一回。だって、ここの読み方なんかおかしくなかった?」

「大丈夫だと思うよ」

(何度もやるから、原稿覚えちゃったじゃないか)

なかなか終わらない練習に、椥紗は気軽に承諾したことを後悔した。


 翌日の朝は、霧がかかっていて、寒かった。伊織の助言で、ダウンジャケットを荷物の中に入れておいたのは、正解だった。ジャージの上にそれを着て、サンダルで外に出た。外と言っても、待ち合わせのロビーまで、ほとんど屋内だし、外の部分にも屋根がある。といっても、部屋の中よりは寒いから、ジャケットは必要だった。こういう朝の空気を感じると、やはり北海道は寒い。雪の溶けた地面から、新しい芽が現れていて、春を感じるのだけれども、その春は椥紗の知っている内地の春とは明らかに違う。その対比を考えると、ここはどこか寂しい。

 待ち合わせていたロビーのベンチでは、小型のスーツケースを持った伊織がソファに座っていた。離れて暮らすと決意したのは、椥紗自身だが、伊織がいると思うとホッとする。

「おはよう。眠そうだな」

「うん。昨日、双葉と色々やってて寝るのが遅くなっちゃって」

「これから長いんだから、張り切る必要もないだろ」

「まぁ、そうなんだけどさ」

「着替えずにパジャマで来るなんて」

「どうせ後で制服に着替えるんだもん。洗濯物、増やさないほうがいいかなって思ってさ」

「そしたら、風呂の後、その汚れたパジャマに着替えるってことか」

何を言ったって、伊織には言いくるめられる。椥紗は、伊織の腕に抱きついて、言った。

「ありがと。春日ちゃんが支えてくれたから、私ここまでこれた」

小言を続けるつもりだった伊織は、咳払いをして言った。

「椥紗は、甘えるのがうまいな」

「そぉ? 春日ちゃんだから、甘えられるんだよ」

「椥紗、お前に、この大地の神様の恵みがありますように」

「何それ?」

「プレゼント、かな。私からの特別の。お前が楽しく過ごせるように」

伊織の存在、言葉、それは強くて、その時は、本当に頑張って皆勤賞を目指すくらいの気持ちになった。でも、どうしてだろう。思ったようになんてうまくいかない。時間に余裕をもって準備を始めたはずなのに、学校の門をくぐった時には、もう既に入学式は始まってしまっていた。

 学校でいじめられるかもしれない。そんな心配はここにはないはずなのに。



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