第一章 1 『ダイブインザブック』
僕の親が離婚した.
そして母親の実家へ引っ越しして、高2の夏休み明けから新しい学校、新しい生活が始まった.
しかし残念なことに学校が始まってから約1か月、僕はどうやら友達作りに失敗してしまったらしい.
最初は積極的に話しかけに来てくれてい人たちにも、方言が出ないように意識してしどろもどろになってしまっていた僕は見限られてしまったらしく、その人たちはすでにそれぞれの友達グループに戻ってしまった.
だから、特に休み時間にすることがなく、でも無駄に時間を消費していくのも何だかもったいない気がして、僕は読書をすることに決めた.
そこで僕は、ある一冊の本にドはまりした.
高名な魔法使いの一族出身だが出来損ないの魔女が山奥の凶悪なドラゴンを討伐して自分の価値を証明しようとする物語だ.
ストーリーはシンプル、そのうえありふれた物語のうえ話題作というわけでもなく、何となく立ち寄った古本屋の奥で格安で売られていた表紙までぼろぼろの本だ.
そんな本にどうしようもなく、僕は夢中になった.
その世界はどこまでも広く、そして限りなく神秘的だった.海、山、森、砂漠、氷結地帯、熱帯雨林.描かれていた景色は多岐にわたる.
僕は束縛されない自然の広大さ、一族からドラゴン討伐のため一時であれど家柄という縛りから解放された魔女の子の姿に憧れた.
しかし、どこまでも肯定的描写しかなく、常にクールに物事を素早くこなしていく主人公の物語は面白く読んでいてとても気持ちいいとは思うけれど、何周も同じ文章を読むほど熱中することは稀有な例だろう.
だからたぶん、僕がこの本に憑りつかれたように目がなくなったことの原因はこの物語の結末にあるんだと思う.
一言で言おう.
この物語はバットエンドで終わる.
バットエンドとはいえ、単純にドラゴン討伐に失敗したわけではない.さすがにそこまでシンプルではなく、
『魔女は無事ドラゴンを討伐し、そのドラゴンの被害にあっていた山奥の近隣に住む村人たちから魔女はすごく感謝された.しかし本来認めさせたかった一族の連中からは迫害を受けることになり、鬱になって、努力することに価値なんてない』
そんな暗い雰囲気でこの物語は幕を引く.
僕はいつもここに嫌悪感を感じつつも、同時に魅力も感じていた.
だって普通に考えて、小説ってのは読者を楽しませたり、幸せな気分を読者と共有するために書くものだ.なのに、読者を鬱な気分にさせるこんな結末の文章をこの作者はどうして書いたのだろうか、僕は疑問でならなかった.
でも自分より下だと見下していた人に抜かされたとき、人は素直に認めたくないものだから、実際問題、そういう結末になることはあり得ない話じゃない気もして.
そのリアリティな部分に僕は臨場感を感じて、完全に一日の半分は、僕の意識はファンタジーの世界の中にいた.
今日という、秋の到来を知らせる秋雨前線が本州上空に停滞し始めたこの頃も変わらず、僕は現在下校中の市バスの中で魔女の葛藤の物語を読み、空想の世界に浸っていた.
(この魔女の人は一族の枷から解き放たれて自然の世界に放り出されたとき、どんなことを思って、そしてどんなことを考えたんだろうか……楽になれて嬉しかったのか、それとも捨てられて悲しかったのか...)
「僕なら……少し喜んだあと……夜眠る前に少しだけ泣くかな……」
この物語に夜眠るシーンはなかった.もしかすると記録を残す中で、寂しさと恐怖に打ちひしがれる姿だけは見せたくなかったから、魔女の人は夜のことを何も記さなかったのかもしれない.
僕はそんなことを思いつつ、信号でバスが止まったので、何を見ようと思ったわけではなく、ぼーっと雨粒が滴り落ちていく窓から外を眺める.
すると詳細は知らないが、見た感じ恐喝されている静かそうな1人の男の子の姿が視界に飛び込んできた.相手はチャラそうな男たちが3人.どう見積もっても、その勝負に勝ち目はなかった.
(力のない人はこの本の魔女と同じでどうすることもできずに涙を流すことしかできないんだ……)
如何なる勝負においてでも弱者は蹂躙される.それは常識だ.それは誰もが知っていること.
分かっていて、はぁ、とため息をいったん吐いてから、もう一度視線をそこへ向けると、立ち向かおうと少年は立ち上がっていた.
しかし、最終的に上手に影の方へと連れていかれる後ろ姿を僕は見た.
誰も関わりたくないから、メリットなく助ける人も現れない.
(やっぱりな……所詮そんなところだ.あきらめも肝心、あと1年半僕も妥協が肝心)
あまりいい結論だとは言えないかもしれないけれど、僕の中で友達は今は必要ない、とにかく高校を卒業して新しい生活が始まれば友達くらいできるだろう.
というわけで、高校では友達と青春は捨てて、しっかり勉強しつつ、方言なんかもなくす、能率のいい時間を過ごしていこう.
その瞬間、僕の中でひとまずそんな諦めがファイナルアンサーとなった.
すると何だか約1か月分のストレスがどっと溢れてきて、僕は眠気に意識を吸われ、視界はブラックアウトした.
ブラックアウト.つまり眠ってしまった.
《助けて……!》
《もう嫌だ……!》
《どうして私ばっかりが……!》
《感謝なんていらない……!》
《どうでもいい……皆んな死んで仕舞えばいいのに……!!》
目が覚めると、なぜだかバスはどこだか知らない真っ白な世界を走っていた.いや、「飛んでいる」ようだった.
(何だか、物凄くネガティブな夢をみたきがするけど.そんなことより……)
「なんじゃこりゃ……!っと、一旦冷静になろう.焦ったって慌てたって結果は変わらないんなら、落ち着いて正確に物事とは相対した方が賢明だ」
僕はざっと首を180度回してみて、
(客が誰もいなくなってる……ここへ来たのは僕だけか)
知りたくない情報を認知してしまった.
「あー、見なけりゃよかった」
(んじゃ、とりあえず、何でこんなことになってんのか推測してみっか)
「つっても、アレしかないよな.こんな奇妙な状況下で考えられることといえば」
そんな僕にはこんな状況になった理由はひとつしか考えつかなかった.
シンプルにいって、僕は無防備に外で眠った.そこをどこかのヤバめの科学者組織的な奴らに拉致され監禁され、仮想世界的な空間に僕の意識だけが入れらた.そんなようなことだ.
「ありえねぇ……けど常識に配慮して譲歩した最もあり得なさそうな展開といえばそんなとこか……」
次に僕はリュックを手に持ち、バスなので運転手のもとへ歩いていって、「次の停車駅はどこでしょうか?」という質問を投げかけようと思った.
でも質問することを失敗した.だってファンタジーな世界観なんだから考えてみればおかしくはないかもしれないけど、あんな奴がいるなんて思いもしなかったんだ.
「犬型ロボット!?」
かの有名な猫型ロボット様のパクリではないのだが、頭が犬で体が人間という少し気持ち悪い生物がそこにいた.
「誠に恐縮ながら、私は犬族の者ではありますが、ロボットという物ではありません」
「へぇ、犬族……黒人・白人・黄色人種みたいなもんか」
「まあ、あなたの世界観でいえばそれらと同義ですね」
「なるほど、つまり今の言い分だとここはやはり地球における現代社会の日本ではないと、あるいはその他の国の土地でもないと」
「あなたにとってどうかは知りませんが、残念ながら」
犬と会話をし始めてしまったあたりから、その辺の覚悟はしていたので、特に驚くこともなく、平然と僕はその事実を受け入れていた.
二度と家族に会えないかもしれない.二度と学校にも通えないかもしれない.そんな二度とが溢れる世界へ来てしまって帰れないかもしれない.
けれど、タイミングとしては良かったのかなと思ってしまった.
今の僕に向こうの世界に残る理由はかけらもない.つまり未練なくリスタートできる状況下に僕はあった.だからか、
「そうですか.わかりました.ところで停車駅は当然あるんですよね?」
むしろ好奇心が恐怖心より若干優っていた.
「ええ、ありますよ.もうすぐです.その駅の名前は【皮肉を切り捨て嫉妬を愛して】です.あなたは、あなたには宿命が与えられました」
「何その駅の名前……なんか怖ぇ……ん?宿命?」
「はい、あなたにはある人を救ってもらいたいのです.それがあなたの宿命です.でもあなたにとっても悪い話ではないだろう、と私の雇い主はおっしゃっていました」
「なるほど、で、僕は誰を救えばいいって?」
「それは、あなたのよく知る人だと思いますが.そうですね、簡単なクイズをしましょう.あなたにとって架空の存在ですが、同族嫌悪と守護欲を同時に向けるお人のことです」
答えを聞かずともその答えは分かった.
そう、あの物語の魔女のことだ.
とすると、さっき見た夢の切り抜きのような声ももしかすると、彼女の心の叫びだったのかもしれない.
なにせここはファンタジーが通用する場所のようだからだ.
「ドラゴン討伐の英雄の魔女のことですね?」
「その通りです」
「僕に与えられた宿命、という名のミッションはその魔女さんを幸せにすることだと」
「いいえ、少しニュアンスが違います.正確にはその魔女さんが幸せならばあなたの存在はなくてもいい、という少し酷な条件も含まれています」
「それは頑張る前からやる気を根こそぎ奪っていく条件だこと」
「すみませんね、自由奔放な主で」そう言って犬族の運転手は小さく会釈した.
「いえいえ、気にしないでください」と僕.
それから数分して、バスは空中で停止した.
「お待たせいたしました.到着でございます.【皮肉を切り捨て嫉妬を愛して】到着です」
到着のアナウンスが1人と1頭の間で流れた.
到着とのことなので僕はいつも通りにリュックから財布を取り出し、
「はぁ、で、どうやって降りれば?」
と言いつつ、手の中で小銭を転がして、
「いくらか払えばいいんですか?」
と質問したが、
「いえいえ」
「では、その扉を開けてスカイダイビングですか?」
「当たらずとも遠からずといった感じでしょうか」
「ではどうすれば?」
「ただそこに立っていればいいのです.覚悟はよろしいですか?」
「はい」
返事を返すと、犬の運転手は爪が鋭く毛深い形は人と同じ手を出して、数字の3を指でつくる.
「カウントダウンです」
自己防衛本能をここまで刺激されるカウントダウンを僕は知らない.
「はぁ」
嫌な緊張感が僕の身体を硬直させ、冷や汗が額を伝う.
「3,2,1……で行きますよ」
「お決まりだけど、ここでやるのは純粋にタチが悪いよ!」
「ハハッ、すみません.少し冗談が過ぎましたかね」
ワンテンポ置いて、指を折りたたみながら、
「3,2,1……では良い旅を、そして懸命に努力してみてください.私も陰ながら応援していますよ」
犬の運転手は渋かっこいい声でそう言った.
同時に僕の足元の床のみが円形になくなり、僕は急転直下でどこを見ても真っ白な世界をどこまでも落ちていった.
第一章 1 『ブックインザダイブ』