婚約者は私が思っていたような人だった
顔はいいのに見た目が軽い。
女好きで手が早い。
魔力が強くて剣の腕もいいのに不真面目な騎士。
伯爵家嫡男であるのにその座が危うい。
そんな噂をされている男が、私――子爵家長女であるオリビア・フォークトの婚約者になった。
しかも彼は、私の幼馴染。
「俺たち結婚するんだって。よろしくな」
「……」
両家の顔合わせの席で、彼はへらっと笑って噂通りの軽い口調でそう言った。
伯爵令息の彼、ラフェド・シュミットは、子供の頃はこんなふうに噂される人物とはかけ離れた性格をしていた。
父親同士が友人だった私たちは、子供の頃よく父に連れられ互いの家を行き来していた。
臆病で、泣き虫で、甘ったれで。いつも私が彼を引っ張って遊んでいた。
でも蛇に遭遇したとき、半べそをかきながらも一生懸命私を守ってくれた、優しい男の子だった。
けれど顔と身体がどんどん男性らしく、大きくたくましく凜々しく成長していくに連れて。内に秘めていた魔力の扱い方を身につけていくに連れて。
……そう、あれは確か彼が社交界デビューを果たしたあたりからだったと思う。
昔の彼からは想像もつかないような噂が、私の耳に届くようになっていった。
*
「本当にあんな男性が結婚相手でよろしいのですか!?」
学園で同じクラスだった子爵令嬢のラウラは、私が彼と婚約をしたという話をどこからか聞きつけ、お茶会に誘ってくれた。
彼女とはあまり仲がよかったわけじゃないから少し驚いたけど、どうやら私がろくでもない男と婚約してしまったことを、案じてくれたらしい。
「社交界でもかなり噂になっていますよ。先日もわたくしの友人が言ってましたわ。〝あいつはこのままじゃろくな女と結婚しない〟と。今まで何度も高位な家のご令嬢と婚約話が出ているらしいですけど、いっつもお相手の方に断られてきたんですって!」
「……へぇ」
「ですから、ついに下位貴族の令嬢であるあなたにこのお話が来たのよ!」
「……そうなのね」
辺りを気にしながらコソコソと声を抑えて話す彼女の言葉が、興奮のためかだんだん大きくなっていく。
それを聞いて、私は内心で小さく溜め息をついた。
その話は、もちろん私も知っている。
「それでも相手は伯爵家ですもの。子爵家の娘である私をもらってくれるのなら、やはり感謝しなくては」
紅茶を一口飲んで気持ちを落ち着けてからそう言うと、ラウラは「ええっ?」と顔をしかめて続けた。
「確かにラフェド様は顔もいいし、伯爵家の跡取りっていうのも魅力的よ? でも、きっとあなた以外にも女を囲うに決まっているわ。それにいつ騎士をクビにされるかわからないし! もしかしたら爵位だって弟のほうに継がされるかもしれないわよ?」
そういう噂があるのも知っている。
けれどもう、婚約をお受けしてしまったし……。今更そんな不安になるようなことを言われても。
「大丈夫よ。結婚したら妾は取らないでってお願いするし、真面目に働いてほしいとも頼んでみるわ」
「そんなの、あの男が素直に聞いてくれるわけないわよぉ!」
「……そうかしらねぇ」
「そうよそうよ、今からでもお父様にお願いして、やっぱりこの話はなかったことにしてもらったほうがいいわ!」
随分この結婚に反対なのね。
……でも、どうしてそこまで心配してくれるのかしら?
彼女とは、そこまで仲がよかったわけではないのに。
それにいくら彼にろくな噂がないとはいえ、伯爵令息である方を〝あの男〟呼ばわりして、そんなふうに言うのはよくない。それも仮にも私という婚約者の前で。
「ありがとう。でもいいのよ。人にはみんな、何かしら問題があったりするものじゃない?」
笑顔を作ってそう言えば、彼女は「ううん……」と悩んでからもう一度口を開いた。
「……せめてあなたが思っているような人じゃないといいわね」
情けをかけるような目で私にそう声をかけるラウラに、そっと口を開いた。
「彼はきっと、私が思っているような人よ」
「それじゃあ、最初から貴族同士の結婚には期待してないってこと?」
「……」
彼女の言葉には答えずに目を伏せて、私は深く息を吐いて紅茶をこくりと喉へ流した。
*
それから着々と結婚の準備は進み、式は滞りなく執り行われた。
そして私は、ついにラフェド・シュミットの妻となった。
「いやー、本当に綺麗になったな」
「……」
式のあと、新郎新婦二人だけで話す時間が設けられた。彼が希望したらしい。
「あなたも、昔はもっと可愛かったのに」
〝随分変わってしまったのね〟
その意味を込めて告げると、都合よく解釈したのか、ラフェドはにへっとだらしのない笑みを浮かべて、
「男前になっただろう?」
と言ってきた。
「そうじゃなくて……。それに何よ、そのしゃべり方。それが伯爵令息の話し方? それにあなた、騎士でしょう?」
私ももう立派な成人の貴族令嬢だけど、幼馴染のよしみで昔のように強めの口調で言った。今は二人きりだし、いいわよね。
ラフェドは騎士のくせに、襟足が少し長くて前髪も目にかかっている。昔はもう少しさっぱりとした髪型だった。結婚式には切ってきてくれたらよかったのに。
元々明るい金髪をしているから、その口調と相まって余計軽く見えるのよね。
「これ結構気に入ってるんだけど……だめ?」
「結婚したのですから、きちんとしていただきます」
「はぁーい」
「だからそういうしゃべり方はやめてください」
「怖いなぁ。オリビアはせっかくこんなに綺麗なのに、もったいないよ」
ふざけたように笑っていたのに、ふと手が伸びてきて、私の頰に触れると上を向かされた。
本当に、こういう仕草が板に付いてしまうような男に、いつの間になったのだろうか。
「せっかく結婚できたんだから、そんなに怒らないで?」
「……そうよね、ごめんなさい。いきなり言い過ぎてしまったわ。すべて私のためにしてきてくれたことなのに」
「ちょっと癖になってしまったけど、少しずつ戻していくから。来月のお披露目式までには、必ずね」
「……ええ」
愛しげに見つめられると、私の頰もつい緩んでしまう。
本当に、いつの間にかこんなに大きく、素敵な男性になってしまって……。
「でもこれだけは信じてほしい。俺は君以外の女性に必要以上に触れたことはない。全部口だけだから、安心して」
「わかっているわ」
「よかった」
こんなに素敵になったのに、彼は高位貴族のご令嬢との結婚話がまとまらないよう、自分を偽ってまで私を選んでくれたのだから。
本当に感謝しなくては――。
*
一ヶ月後、友人や騎士たち同僚を招待したお披露目式が行われた。
私の隣で見事にエスコートして見せた彼の姿に、招待客は一瞬言葉を失ったようだった。
ピンと伸びた背筋、整えられた髪。凛々しく持ち上がった眉に、引き締まった口元。
どこか軽い印象があった以前の彼とは、明らかに違っていた。
「ねぇ、あの……本当に、ラフェド様、よね?」
子爵令嬢の友人、ラウラが信じられないと言うような顔で私たちに近づき、そっと私の耳元で声をかけてきた。
「もちろん、そうよ」
「なんだか以前とは、随分印象が違うようだけど……」
「そうかしら? でも彼はやっぱり、私が思っていたような人だったわよ」
「え?」
「本日はお忙しいところ私たちのために足を運んでいただきありがとうございます。ラウラ嬢」
「……ラフェド様」
彼女の存在に気がつき、ラフェドが丁寧に挨拶をする。とても立派な紳士に見える。うん、さすが伯爵令息。
「二人は知り合いだったの?」
「ええ、ラウラ嬢は以前私に想いを告げてくれたのですが……その節は申し訳なかったね。この通り、私にはずっと心に決めていた人がいたものですから」
ラフェドはすまなそうに微笑を浮かべてラウラにそう言うと、彼女は不快な様子を顔に表し眉を寄せた。
「え……? ずっと?」
「はい、私たちは幼馴染でして。小さな頃に二人で結婚の約束をしたのです。しかし私は伯爵家の跡継ぎですから、親に相手を決められてしまう。けれど初めて伯爵令嬢との婚約の話が来たとき、どうしてか向こうからお断りしてきた。どうやら私のよくない噂があるようだと知ったときは驚いたけど、ならばそれを利用させてもらおうと、その通りに振舞ってみた」
「え……? わざとそのように振る舞ったのですか?」
「はい。私たちの父は友人同士なので、婚約が何度も破談になればオリビアに話がいくだろうと思ってね。その通りになってよかった」
そう言って、彼は可愛らしく緩んだ笑顔を見せた。
まだ癖が抜けきっていないのね。
「そ、そんな……あえて噂に乗っていたというのですか……!? オリビアも、知っていたの!?」
「ええ……一応。でもさすがに少し不安だったけどね。彼はこんなに素敵になったから。もしかすると本当に噂のような方になってしまったのではと考えたこともあるけれど、信じていました」
「……」
私は隣にいる旦那様を見上げた。
「そしてやはり、私が思っているような方のままで、安心しました」
「当たり前だろう? 君と結婚するために演じていただけなのだから」
そうすれば彼からも昔と同じ、優しい眼差しが返ってくる。
「ありがとう、旦那様」
「……っ」
それを聞いたラウラはとても驚いたように目を開き、歯を食いしばった。
「それにしても噂を流してくれた方には感謝しなければ。ラウラ嬢、何か知っていませんか?」
「……!」
言葉とは裏腹に、鋭い視線をラウラに向けるラフェド。
「し、知りません……!! わ、私じゃないわよ……!!」
私を心配してくれていたはずのラウラは、なぜかとても悔しそうに顔を歪めると、逃げるように去っていった。
「別に彼女が噂を流したなんて一言も言ってないのに……」
「つまり、そういうことだったのかしら」
ラウラはラフェドのことが好きだったようだし。私もお断りすれば、次は自分に彼との婚約の話が来ると思っていたのかもしれない。
でもごめんなさい。私がこのお話をお断りするはずはないの。
「まぁいいか。愛してるよ、オリビア。幸せになろうね」
「ええ、もちろんよ」
だって婚約者は私が思っていたままの人だったのだから。
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