愉快な仲間たち
「挨拶が必要なら、初めからそう言ってくれれば良かったじゃない」
「サプライズ歓迎会っていう体だったから。反応がリアルになっただろう?」
ヴェガの紹介が終わり、会は純粋に食事や会話を楽しむパーティーとなっていた。ヴェガはというと、昼間遊園地で出会ったマリナ、ビウ、アレイ達を見つけて、漸く落ち着いて文句を口にすることができていた。
「自分で歓迎会のこと、バラしたくせにっ」
「ああ、それは耳が痛いな」
かれこれ十分ほど、エルニーヤと言い合っていると、傍でその様子を見ていたマリナが、手にしていた空のシャンパングラスを隣のビウに押し付けながら、呆れた様子で溜息を零した。
「せっかくの歓迎会なのに。口軽案内人の所為で、台無しね」
「呑んで腹が膨れりゃいいだろ・・・・おい、掃除屋。酒とってくるついでにこれ、置いてこい」
マリナから渡されたグラスを、ビウがアレイに横流しする。反射的に受け取ってしまったアレイは、顔を顰めてビウを睨んだ。
「酒飲めない奴に酒頼むって。常識とかないわけ」
「お前の常識なんて知るか。俺の常識は、後輩は先輩の言うことを聞く」
「アレイが飲み物取って来てくれるって。ヴェガは何が良い?口軽案内人は?」
近場で新しく始まった応酬に嫌気が指したのか、マリナが有無を言わさないトーンで問いかける。
流石のアレイも、マリナには軽口を叩けない様で、顔を顰めながらも大人しく皆のオーダーを聞いてから人ごみに消えた。
飲み物を取りに行ったアレイの背を見送りつつ、会場を見渡すマリナがそっと呟く。
「今日は、出席率がいいわね」
「そりゃそうさ。今日の主催は、案内人様だからな。みんな媚び売りたいんだろうよ」
ビウが鼻を鳴らして吐き出した言葉に、エルニーヤはわざとらしく「えー」と困り顔をつくった。
「純粋に、この会を楽しんでよ」
「サプライズ潰した張本人が、よく言うわ」
マリナに手痛く返されても、調子よく笑うエルニーヤを、ヴェガはそっと見上げた。
遊園地を回った時も思ったが、ビウの口ぶりからも、やはりエルニーヤは特別な存在であるらしい。今も、遠巻きから大勢の人たちが、ちらちらとこちらの様子を窺っている。
一応、今日の主役のヴェガに気を遣ってか、無理に話しかけにはやって来ないが、エルニーヤの存在を皆が気にしていることは、容易に知れた。
なんとなく居心地の悪さを感じつつ、周囲を観察していると、不意に後ろから声がかかった。
「こんばんは、エルニーヤさん。新しい仲間にご挨拶をしても?」
ヴェガが振り返ると、そこには紺色のタキシードを身に付けた、精悍な顔立ちの青年が立っていた。後ろに体躯の良い金髪の男性と、ベリーショートの女性を従えている。
青年の申し出に、エルニーヤは持ち前のうさんくさい笑顔で「勿論」と回答して、ヴェガの背をそっと押し出す。ヴェガは緊張に顔を強張らせたが、青年は気にした様子もなく、胸に片手をあてて軽く頭を下げてきた。
「初めまして、ヨークと申します。後ろにいるのは、カヤとグリィ。お見知りおきを」
紹介に合わせて、後ろの二人も軽く頭を下げる。ヴェガも慌てて頭を下げて、ぎこちなく自己紹介をする。
「ヴェガナーデです。よろしく・・・・」
「ああいた!やっと見つけたわ、エルニーヤさん」
ヴェガの声を遮ったのは、良く通る女性の声。
声の主をちらりと見たマリナが、小さな声で「めんどうなのが来たわね」と顔を引き攣らせた。
どういうことだろうと、ヴェガが首を傾げていると、煌びやかな衣装に負けない派手な顔立ちの長身美女が、つかつかとやって来てエルニーヤに勢いよく飛びついた。急な展開に、ヴェガは唖然として見つめることしかできない。
飛びつかれた側のエルニーヤは、バランスを崩しつつもしっかりとその女性を受け止め、やんわりと体を離す。女性は少し不満そうに頬を膨らませたが、すぐにエルニーヤの腕に絡みついて、その豊満な体を摺り寄せた。
「久々にゆっくりお話しできそうで、私楽しみにしていたのよ?会えて嬉しいわ」
「僕も嬉しいよ。クレアが元気そうで」
クレアと呼ばれたその女性は、エルニーヤの返事に満面の笑みで答える。見とれる程の美貌だが、その迫力に異常な圧を感じてしまう。
完全に場を持って行ったクレアに、それまで黙っていたヨークが澄まし顔で指摘を入れた。
「相変わらず騒がしい人だ。作法も何もない、劇場型」
「あら、警備隊の方々。いらっしゃったのね?あんまり地味だから、わからなかったわ」
妖艶に口元を笑ませたクレアが、挑発的に顎を上げる。二人の間に、目には見えない火花が散った。
急に訪れた不穏な展開にヴェガが一歩後退ると、マリナがこっそり耳打ちしてくれた。
「そっちの三人は、遊園地の警備隊に所属しているの。ヨークはそこの隊長ね。クレアはキャストのなかでもトップスター。遊園地の三大派閥のうちの、二大勢力をそれぞれ牛耳っている“混ぜるな危険”な二人なの」
「三大派閥・・・・」
楽しい場所である遊園地にも、派閥などという厄介なものが存在するのかと、ヴェガは少しだけ身を固くした。実際、目の前で繰り広げられるあからさまな対立は、その溝の深さを物語る。
そしてこうしている間にも、ヨークとクレアの応酬は淡々と続いていく。遂には、ヨークの後ろで控えていたグリィまでもが舌戦に加わってしまう。
「地味とはよく言えたもんだ。うちの隊長は、演者に紛れて警備してんだ。あんたのとこの、下手な奴らより余程華があるってもんだろ」
「くっ」
グリィの言い分に、クレアが苦虫を噛み潰した様な顔をして押し黙る。
確かにグリィの言う通り、格好は地味だが、ヨークにはどことなく華やかさがある。黙ってクレアと並べば、お似合いと言えるのだが、恐らく当人たちからすれば反吐が出るのであろう。
クレアは、涼しい顔をしているヨークが気に食わなかった様子で、警備隊の三人に詰め寄って更に抗戦しようと、大きく口を開けた。
そこで漸く、エルニーヤが静かに仲裁に入った。
「賑やかで結構。でもほどほどにしないとさ。ヴェガもびっくりしているじゃないか」
にこりと笑うエルニーヤの言葉に、警備隊とクレアはバツが悪そうな顔をして沈黙した。どうやら、“案内人”という立場は、派閥争いさえも止められるほどの高役職であるらしい。
より一層エルニーヤの立場に興味が湧いたところで、ヨークが一つ息を吐いてから小さく頭を下げた。
「失礼いたしました・・・・それでは、我々はここで失礼いたします。明日も早いですので」
早々に切り替えてその場を後にしようとする警備隊に、エルニーヤが軽く手を振る。
「いつもご苦労様。今度差し入れでも持っていくよ」
「お気遣い、感謝致します」
エルニーヤの労いに、ヨークは更に恭しく頭を下げ、部下二人を引き連れてその場を颯爽と去っていった。その姿が見えなくなった頃、クレアも興が逸れた様子で、少しつまらなさそうにエルニーヤに頭を下げる。
「騒がしく致しました。私も行きますわ。皆に呼ばれているので」
その言葉に、ヴェガはクレアの後ろを覗く。少し離れたところで、キャストと見られる華やかな集団が、こちらの様子を窺っている様だった。
クレアが踵を返してそちらへ行くと、一気にその集団に取り囲まれる。その様子から、クレアがキャスト陣から、圧倒的な支持を受けていることが窺い知れた。
何はともあれ、凄まじい嵐が去り、残されたヴェガたちは一様にほっと息を吐き出す。
二度と派閥争いの場には居合わせたくはないと思ったところで、アレイが器用にグラスを四つ持って駆け寄ってきた。
「終わった?」
「遅いんだよ、チビ。タイミング図ってただろ」
白々しく聞いてくるアレイから、ビウがウイスキーの入ったグラスを奪う様にして受け取って文句を垂らす。
確かに、飲み物を取りに行くだけにしては時間がかかりすぎだ。恐らく、派閥争いが生じていることを察して時間を潰していたのであろう。
ヴェガもアレイのことを狡いと思ったが、自分がアレイの立場なら同じことをしただろうとも思い、結局何も言えなくなってしまう。
いっそ一緒に飲み物を取りに行けば良かったと後悔ながら、ジュースの入ったグラスをアレイから受け取っていると、それまで静かにしていたエルニーヤが唐突にこちらに背を向けた。
「それじゃ、僕は演奏隊を労ってくるから。皆、楽しんでいってね」
顔だけ振り返り、軽く手を振るエルニーヤは、そう言うとあっという間にパーティー会場の群衆に紛れた。
自由人だなと呆れるヴェガの隣で、アレイが右手に持ったグラスを困り顔で見つめる。
「それじゃって・・・・エルニーヤさんの酒も持ってきちゃったよ」
「俺がもらってやるよ」
アレイの持つグラスを、ビウが上から引き抜く。既に自分のグラスの方は空になっているようで、その様子にマリナが眉を顰めた。
「飲み過ぎないでよ」
「お前に言われたかねーよ」
鼻を鳴らすビウに、マリナは澄まし顔で首を左右に振る。よく見れば、ワインの入ったマリナのグラスも、既に半分以上中身が消えていた。
一体いつの間に飲んだのかと、ヴェガが思うのと同時に、会場に鐘の音が威厳ありげに鳴り響く。
「あら、音止めてないの?催しの時は、いつも鳴らない様にしているのにね」
怪訝な顔をするマリナに、ビウがグラスを呷ってからゆっくり口を開いた。
「明日も仕事だから、途中で抜ける奴も多いんだろ。時間が分かりやすいように、切ってねーんだよ」
ビウの言う様に、鐘が鳴ってから少人数ではあるが、そそくさと会場を出ていく姿が見てとれる。
鐘の音にふと、ヴェガは昼間に訪れた時計塔を思い出した。
文字盤は完全に止まっていたので、あの時計塔が音を奏でることはないであろう。寂れた外観と、埃臭さは今でも鮮明に覚えている。
そして何より、あの鏡。
「そういえば、ヴェガは今日、遊園地を見て回ったんでしょ?楽しめた?」
「え?・・・・ああ、はい。楽しかった、です」
マリナからの急な問いかけに、ヴェガは歯切れ悪く答えた。
遊園地が楽しかったのは確かなことである。それにも関わらず、誤魔化すような片言になってしまったのは、脳裏に絡みついた“あの鏡”と“あの声”の所為。
一度思い出すと、まるで呪いにかかった様に、頭から離れてくれなくなった。
「ヴェガ?大丈夫?」
様子のおかしいヴェガを不思議に思ったマリナが、心配そうに声をかける。
しかし、ヴェガの心は既にあの鏡に向いて戻ることができず、マリナの言葉は耳を通り過ぎるだけ。
呼ばれている気がした。あの鏡に。
その“声”の方が、大きく聞こえてしまう。
「私・・・・行かなきゃ━━━━」
そう言うと、グラスをアレイに無理やり押し付けて、弾けた様にヴェガは走り出していた。
「ヴェガ!?」
「わっ!おいっ」
ヴェガの突然の行動に、マリナが驚いて追いかけようとしたが、派手にビウにぶつかってそのままワインをぶちまける。
「うわぁ・・・・」
アレイの小さな悲鳴を遠くに聞きながら、ヴェガは人の合間を縫って出口を目指した。
会場を出る直前、姿は見えなかったが、エルニーヤの「気を付けてね」という声が聞こえた気がした。
宿舎の洋館も、遊園地までの迷路も、時計塔までの曲がりくねった道も、何故か迷うことなく足が進む。
その不思議さにも気づかず、ヴェガはただ一心に鏡を目指した。
昼間の喧騒を失くした静かな遊園地は、息を顰めたアトラクションが威嚇してくるように冷たい気がしてしまう。
何かに引き寄せられるように、或いは何かに追われるようにして、ヴェガは時計塔までの道のりを走った。途中、何度か高いヒールに足をとられてふらついたが、足が止まることはない。
漸く目的地にたどり着いた時には、息も上がり、何度もくじいた足は悲鳴を上げていた。
それでも、ヴェガは真っすぐ鏡を目指して、時計塔の裏手へ回る。重厚な扉を前にして、初めて進むことを躊躇した。
こんなところまで来て、何をしようというのだと、自問する。早く戻らなければ、マリナが心配しているに違いない。
そう思うのとは裏腹に、取っ手へと伸びた手を、結局は止めることができずに、そのまま中へ侵入する。
埃臭さは昼間同様。扉の隙間から差し込む光が無い分、より寂しい感じがしてしまう。
ヴェガは自分の呼吸する音を他人事のように聞きながら、塔の二階へと続く階段を静かに上った。
そして、ついに辿り着いた、あの鏡の前。
昼間ぶりに向かい合うのは、肩で息をする冴えない鏡越しの自分。
サーヤの手によって、それなりに着飾った筈の姿と陰鬱とした自分の顔のコントラストが、酷く滑稽に思えた。
躊躇いがちにゆっくりと、一歩一歩、鏡へと近づいてみる。
足音の合間に、不安と好奇心から鼓動が高鳴った。
「ヴェ・・・・・ガッ━━━━」
「!」
鏡の目の前までやってくると、鏡から声がして思わず肩に力が入る。
今度は、昼間より鮮明に名前を呼ばれた。
頭がくらくらするような感覚を覚えたが、意を決して声を上げる。
「誰?どこにいるの?」
ヴェガの呼びかけに、答える者はいない。
再び静寂が訪れ、自分の息遣いだけが嫌に耳に付いた。
ヴェガは本能的に感じた。真相を知る術は、一つしかないと。
喉をごくりと鳴らしたヴェガは、鏡に向かって手を伸ばした。同じ様に、鏡の中の自分がこちらに手を伸ばしてくる。
当たり前のことに酷く緊張しながら、ヴェガの手が鏡に触れる。
鏡越しに自分の手が重なると、何故かひやりとして冷たく感じた。
頭の中がぼんやりとして、眩暈を覚えた頃、重なった手を、鏡の中の誰かに引かれた。
「っ━━━━━━━━」
抗う術もないままに、ヴェガは一気に鏡の中へと引き込まれてしまった。