騒がしい歓迎会
人だかりとアトラクションを次々と追い越し、大観覧車に目を奪われながらエルニーヤの後を歩いていると、いつしかお客のいないエリアに入った。それこそ迷子になりかねないような獣道を通った先に、蔓に覆われた巨大な扉が突如として出現した。
「ここから先は遊園地のバックヤード。お客さんは一切見ることのできない場所さ」
エルニーヤの言葉に、ヴェガは心のときめきを抑えきれなかった。一部の人しか知らない「特別な場所」を垣間見ることのできる優越感に、どうしようもなく笑みが零れた。
エルニーヤは自身の首に下げていたらしい鍵束を取り出した。沢山の鍵の中から、瞬時に一つを選び出し、扉の古びた鍵穴にそれを差し込んで回した。
ガチャリという音の後、勝手に扉が内側に開いた。
「エルニーヤさん。忘れ物ですか?」
「いや、今度は今日の主役を連れてきたのさ」
どうやら自動扉なわけではないらしい。中から顔を出したのは壮年の男性である。服装は遊園地内で働くスタッフの煌びやかな衣装とは違い、落ち着いた紺色の、ホテルマンの様な装いだ。二、三言葉を交わしてから中に入るエルニーヤに、ヴェガも続く。
中、といっても扉の向こうは室内ではなく、塀に囲われた外だった。ただ、扉の外では見えなかった洋館が、どっしりと構えてヴェガを迎える。
「大きな建物ね」
「遊園地のスタッフのほとんどが、ここで寝泊まりしているからね。裏手にグランドホールがあって、催しとして舞踏会を開くこともあるんだよ。今日の君の歓迎会もそこでやるんだ」
今更だが、エルニーヤは歓迎会を秘密にしようという心意気は、さらさらないらしい。もうばれてしまったのだから、仕方がないという気持ちはわかるが、もう少し気を遣って話題を逸らして欲しい。逆にこちらが気を遣って、聞こえないふりをしなくてはならないではないか。
ヴェガが内心呆れていると、エルニーヤは何を勘違いしたのか、ぐいっといきなり覗き込むように顔を近づけてきた。
「な、何っ!?」
「いや、疲れたって言てたから。はしゃぎすぎちゃったのかなと思ってさ」
心底驚くヴェガを見て、エルニーヤがからからと、わざとらしく笑う。それからくるりと体の向きを変え、何事もなかったかのような軽い足取りで洋館へと向かっていった。そんな彼の後ろ姿に、ヴェガは眉間に皺を寄せる。
遊園地が楽しかったのは確かだが、「はしゃぎすぎて」とは心外な。そんなに子供じゃないぞ、と胸中で反抗し、楽しそうなエルニーヤの背を追った。
洋館の玄関まで辿り着き、ヴェガは改めてその佇まいをまじまじと見つめた。かなり年季が入っているが、古臭さは感じさせない、威厳の様なもの纏っている。
どことなく、実家に似ている気がして、ヴェガは少しだけ感傷に浸った。数時間前に手放した屋敷のことを思い出して、気持ちが現実に引き戻されてしまう。
黙り込むヴェガの変化には気づかぬふりをして、エルニーヤが両開きの扉を開け「どうぞ」と言ってヴェガを中へと誘った。
一歩足を踏み入れれば、洋館の中は住んでいた屋敷とは雰囲気を違え、一見ホテルのエントランスの様な造りになっている。ここだけ吹き抜けになっている様で、見上げると天井の高さに思わず目が眩んだ。
物珍しく辺りを見渡すヴェガを、エルニーヤは黙って見つめていた。その目には確かにヴェガが映っていたはずだが、遠くを見るようなその瞳は、どこか懐古の色を含む。それにヴェガが気付くことはなかったが。
「さあヴェガ。そろそろ部屋に・・・・」
「エル!!」
玄関ホールに、鋭い女性の声が響き渡る。ヴェガも思わず、肩をびくっと震わせ、声の主を探す。視線を彷徨わせると、奥に続いた長い廊下の向こうから、車椅子をかなりのスピードで走らせて来る、赤髪の女性を見つけた。
「どうしたんだい、ジュリア。そんな怖い顔して」
惚けたようなエルニーヤの声色に、近づいてきたジュリアと呼ばれた女性は、眉根を釣り上げた。凛々しい顔立ちをした美女。その所為か、怒りを張り付けた表情の迫力が尋常ではない。ヴェガは、まるで自分が叱責されているかのように慄いて背を伸ばした。
しかし、当のエルニーヤは相変わらずどこ吹く風の物腰。
「君が陽の高いうちから執務室の外にいるなんて、珍しいこともあったもんだ」
「珍しいですって?」
ジュリアの視線が、刃物の様に鋭くなる。
「私がこんなに忙しい理由、あなたわかってる?その全ては遊園地の案内人さんが、職務放棄する所為よ」
「とんでもない奴だね」
ここまで言われてしらばっくれるエルニーヤに、ヴェガは呆れを通り越して恐ろしさを感じた。こんなにもわかりやすく怒りを向けられ、飄々としていられる彼には、大事な何かが欠けているとしか思えない。
「だいたい今回のことだって勝手に決めて━━━━」
「そうだジュリア。彼女がヴェガナーデだよ。ヴェガ、この怖いお姉さんはジュリア。ここの事務仕事をしているんだ」
「は、初めまして」
ジュリアの言葉を遮って、エルニーヤが早口で紹介をしてくれる。彼にもどうやら「怖い」という認識はあるようで、ただそれが本当にわかっているなら、言うべきでないのではと、ヴェガはぎこちなく微笑みながら肝を冷やした。
「━━━ジュリアよ。宜しく」
「は、はい」
数秒の間に、ヴェガは緊張を高めた。硬いジュリアの声は、ヴェガのことを歓迎している様なものではない気がした。気の所為かと惑うヴェガの腕を、エルニーヤがそっと引いた。
「ジュリア、用があるなら後で執務室に寄るからその時に。今はこの子に部屋を案内してくるから」
そのまま逃げようとするエルニーヤを、ジュリアの手が逃さなかった。細いその腕のどこにそんな力があるのか、がっちりと腕を掴まれたエルニーヤは、その拍子にヴェガの腕を離した。
「・・・・・・・そんなに僕に、傍に居て欲しい?」
エルニーヤの声色が、聞いたことのない甘いものに変わり、何故かヴェガの方が赤面してしまう。この二人の関係性が気になり、気配を消して見守っていると、ジュリアが獣の様な眼光でエルニーヤを貫いた。
「寄るってねえ、あなた・・・・・・・仕事をしに、執務室に来なさい!!!!」
「あっははは」
ジュリアの怒号を背中に、エルニーヤが軽い足取りで去っていく。置いてかれては困るので、ヴェガはジュリアに軽く頭を下げてからその場を後にした。
結局、二人の関係についてはわからなかった。
道すがら簡単に洋館内を案内され、階段を上がって三階まで来たところで、漸くエルニーヤは足を止めた。
「ここが君の部屋だよ」
ずらりと並ぶ部屋の扉の一つを指し示めされ、ヴェガは緊張しながらその扉を開けた。
「荷物は中にあるからね。夕方には呼びに来るから、それまでゆっくりすると良いよ」
一応女性の部屋ということで気を遣っているのか、エルニーヤは中には入らない。時折見せる節度ある態度に、ヴェガは逆に落ち着かない気持ちになる。
「ええ。そうするわ」
「それじゃ、僕はジュリアに叱られに行ってくるよ」
せめて「仕事をしてくるよ」と言いなさい、と思いつつ、エルニーヤらしさに思わずほっと肩を撫で下ろして見送った。
一人きりになり、ヴェガは置かれた荷物の近くにあった一人掛けのソファに、ゆっくりと腰かけた。
急に、屋敷を出てきた時のことが思い出された。片づけられ、他人のものの顔をした我が家。離れて暮らすことになった、疲れた様子の母の顔。言葉にならない虚しさに、ヴェガはソファの上で膝を抱えた。
今日は本当に疲れている。早く寝て、嫌なことは忘れて、新しい生活に慣れなければ。焦る気持ちは、ヴェガの不安を一掃掻き立てた。
こんなことではいけないと、ばっと顔を上げて頭を振る。じっとしていられなくなり、思い立ったように荷解きを始めた。少ない荷物で引っ越してきたので、あっという間にカバンの中は空になった。
やることのなくなったヴェガは、自分がまた物思いに耽ってしまいそうになるのを感じ、飛び込むようにベッドに横になった。無心に眠ることを考えていると、体の疲れのおかげもあり、すぐに眠りにつくことができた。
夢の中には、時計塔で見た不思議な鏡がでてきた。
夢の中のヴェガは、現実の自分と同じように鏡に手を伸ばした。
夢の中では、好奇心につられるヴェガを止めるものはなかった。
夢だと理解していたヴェガは、“あの時の続き”を見ようと足を踏み出した。
どん、どん、どん!
部屋の扉が大きく叩かれる音に、ヴェガは慌てて飛び起きた。
「ヴェガ?いるの?」
「い、います!」
急いでヴェガが扉を開けると、そこには昼間の遊園地で会ったマリナが立っていた。部屋から出てきたヴェガを一目見たマリナは、呆れたように肩を竦めた。
「エルニーヤに頼まれて呼んで来てみれば・・・・あの人、何考えてんのかしら」
「?」
マリナの言葉に首を傾げていると、それを見たマリナも不思議そうに首を傾げた。
「聞いてない?今日は“お客様”が見えて、軽く祝賀会をするから、それなりの格好してきなさいって」
「え?歓迎会をやるから、エルが夕方に呼びにるとしか・・・・・」
「はぁ!?」
言ってから、しまったとヴェガは気が付いた。もはや完全に忘れていたが、歓迎会はヴェガには秘密ということになっているのだ。マリナはきっと、ヴェガが歓迎会の予定を知らないと思って、呼びに来たに違いない。
というか、本来ならばそれが正しい。エルニーヤのマイペースさの所為で、自分まで口を滑らせてしまったと、ヴェガはこの場にいない彼に胸中で文句を垂らした。
そして、目の前のマリナは口に出して文句を吐き出す。
「あの口軽案内人!自分が企画して、自分で秘密にしろとか言っていたくせに!」
「ご、ごめんなさい・・・・」
いたたまれなくなったヴェガは、思わず小さく謝る。マリナは自分を落ち着かせようと、大きく息を吸い込んでから、ヴェガに向き直った。
「あなたは何にも悪くないんだから、謝らないの。それより、早く着替えないと」
「えっ」
戸惑うヴェガの手を、マリナが引いて廊下を走りだす。よく見れば、マリナはくすみピンクの、綺麗目なイブニングドレスに身を包んでいる。髪も、それに合わせてアップにしており、遊園地で見かけた時とは違う雰囲気をしていた。
どこをどう通ったかは覚えていないが、ある扉の前で、マリナが漸く足を止めた。すると丁度、その部屋の中から人が慌てた様子で出てきた。
「ああ、ごめんなさい・・・・って、マリナじゃない。忘れ物?」
「そんなところよ」
マリナと同じように、ドレスアップした女性と入れ違う様にして、二人は部屋に入った。
中は衣装部屋のようで、他にも女優が使うような鏡台が並んで設置されている。物珍し気にヴェガが部屋の中を見回していると、沢山の衣装の合間から背の高い女性が顔を出した。
「あら、どうしたの?マリナ、早くしないと、パーティーに遅れちゃうんじゃない?」
「それどころじゃないわ。主役の準備が未だよ!」
マリナが、ヴェガをその背の高い女性の前に突き出す。状況のわからない様子の彼女は、困った様にヴェガを見つめる。
「ええと・・・・この子はどちら様?」
「だから、今日の歓迎会の主役のヴェガナーデよ!」
「ちょ、あなたそれ、内緒なんじゃないの?」
堂々宣言するマリナに、背の高い女性は決まりの悪そうな視線をヴェガに向けた。
エルニーヤの所為で、マリナまで口を滑らせてしまったが、当のマリナはもう気にすることを止めたらしい。並んだ衣装をかき分けて、背の高い女性に助けを求める。
「主役の準備ができてないのよ。サーヤなんとかして!」
「わ、わかったわ。すらっとした子だから、エンパイアラインのドレスワンピースがいいんじゃない?色は・・・・」
サーヤと呼ばれた背の高い女性とマリナが、衣装の群れの中に消えては、ドレスを持って現れ、また消えては別のドレスを持って現れた。
「これがいいんじゃない?」
「後は髪ね。準備するから、着替えてらっしゃい」
二人の女性に、慌ただしく試着室に押し込められ、ヴェガは急かされるようにして着替えを済ませた。
淡いブルーのワンピースドレスに着替えたヴェガが、試着室のカーテンを開けると、サーヤが白い箱を持ってこちらにやってきた。
「はい、これを履いて」
箱の中身は、ドレスの色に合わせた少しヒールの高い靴。サーヤが箱から出して床に置いてくれたので、ヴェガはその靴に恐る恐る足を収めた。サイズは驚く程ぴったりで、そういえばドレスもぴったりだったと、遅れて感動した。
「さぁ、後は髪と・・・・お化粧も軽くしましょうか」
サーヤに連れられて、鏡台の前の椅子にヴェガは腰を下ろした。
「髪、少し揃えてもいいかしら」
「あ、はい」
そういえば、髪は家を出る時に自分で切ったのであった。自分ではあまり気にしていなかったが、傍から見れば奇妙に映ったかもしれない。エルニーヤが一度も指摘しなかったので、ヴェガ自身もすっかり忘れてしまっていた。
それなりの意気込みで切ったつもりだったのだが、今日一日を騒がしく過ごしたおかげか、随分と昔の出来事の様な気がしてしまう。呆けた様にそんなことを考えていると、圧巻としか言いようのないサーヤの手さばきによって、あっという間に髪のセットが完成した。
「あの、マリナさんは・・・・」
「あの子は先に行かせたわ。主役は・・・・ちょっとくらい遅れても大丈夫」
鏡越しにウインクされ、ヴェガは同姓だというのにどきどきしてしまう。サーヤの様に色気のある大人の女性には、あまり免疫がない。
簡単に化粧をしてもらい、サーヤから「若いっていいわね」と真剣に褒められたところで、控えめなノックが部屋に響いた。
「誰?」
「口軽な案内人です」
サーヤの問いかけに、エルニーヤが顔だけ覗かせた。
「あーら、エルニーヤさん。口軽って?」
「歓迎会の準備をしていたら、鬼みたいな顔したマリナに散々言われたんだよ」
「自業自得でしょ」
ヴェガが突っ込むと、何故かエルニーヤは楽しそうに笑って手招きをした。
「おいで、ヴェガ。そろそろ主役の出番だからね」
「ああ、なんだ。エルニーヤさんが喋っちゃったのね。しょうがない人」
状況を察したサーヤは、ヴェガの様に呆れたり、マリナの様に憤怒したりせず、大人の余裕で静かに笑って見せた。
「さ、いってらっしゃい」
軽く背中を押され、ヴェガはサーヤに礼を述べてから部屋をあとにした。
会場までの道のりを急ごうとするヴェガを、エルニーヤがやんわり制止する。
「そんなに急がなくても大丈夫さ。ゆっくり行こう」
「でも、遅れていくのは申し訳ないわ」
食い下がるヴェガに、エルニーヤは余裕の笑みを返す。
「大丈夫。君には歓迎会は秘密にしてある、ってことにしているから。だから君も、歓迎会だって知っているってこと、秘密にしておいてね」
「え、今更?」
いけしゃあしゃあとお願いしてくるエルニーヤに、ヴェガはやはり呆れてしまった。
自分は、サーヤの様にはなれそうもない。
エルニーヤに連れられて、歓迎会が行われるグランドホールに辿り着いた。慣れない高いヒールに、途中何度か転びそうになり、その度に斜め前を行くエルニーヤがさっとフォローしてくれたのだが、そういった、たまに見せるエルニーヤの紳士行動は、どこか居心地が悪い気がしてしまう。
「パーティー会場は、この扉の向こうだよ。心の準備はいいかい?」
エルニーヤの声掛けに、ヴェガは一つ大きく深呼吸をしてから、静かに頷いた。目の前の大きな両開きの扉の向こうから、人々の賑やかな声と、美しい楽器の音色がかすかに聞こえてくる。
緊張に肩を張っていると、エルニーヤがその肩にそっと手を添えてきた。
「僕が一緒に出て、ヴェガのことを紹介するから、君は微笑んでくれれば大丈夫だよ」
「わ、わかった」
今まで大勢の前に立つような経験が無かった為、未知の体験への緊張は収まらなかったが、エルニーヤの頼れる発言に、漸く決心がついた。
エルニーヤの手が、ヴェガの肩を離れて、扉の取手にかけられる。
「行くよ!」
「っ━━━━」
開かれた景色に息を飲みながら、エルニーヤの後に続く。ホールの中は、煌びやかな装飾がなされ、着飾った人々が軽食と談笑を楽しんでいた。その視線が、エルニーヤの登場で一斉にこちら集まり、軽やかな音楽を奏でていた演奏隊も手を止めた。
緊張で気絶するのではないかと思うヴェガを、エルニーヤがそっと前に押し出して声を上げる。
「皆注目!今日の主役の登場だよ。彼女がヴェガナーデ。新しい遊園地の仲間に、盛大な拍手を!」
エルニーヤの紹介に、ヴェガは言われた通りに微笑んだ。すると、少しだけ静まっていた会場が拍手と共に湧き、盛大な演奏も再開した。歓迎されたことにほっと肩を撫で下ろしていると、エルニーヤが爆弾を投げつけてきた。
「それじゃ、新しい仲間のヴェガから一言!」
「は!?」
さっきと言ってることが違うじゃない!とヴェガは胸中で叫んだ。微笑んでいればいいと言ったくせに。完全に嵌められたヴェガは、撫で下ろした筈の肩を一気に強張らせた。
人々の期待の目が、再びヴェガに向く。
「よ、よろしくお願いしますっ」
頑張って大きな声を出そうとしたら、声が裏返ってしまった。恥ずかしさに顔を赤らめるヴェガだったが、遊園地のスタッフたちは、もう一度大きな拍手をしてくれた。
そのまま腰を抜かしてしまいそうなヴェガに、エルニーヤも拍手を送る。
「上出来じゃないか」
「嘘つき!」
白々しいエルニーヤの労いを、ヴェガは緊張を解いて一喝した。