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時計塔

 遊園地はヴェガの慰めには、十分すぎるほど役に立ってくれていた。


 始めは遊園地の賑やかさに、一人取り残されているような感覚を覚えていたが、今では乗り物も、騒がしい人ごみも、立っているだけで絵になるような親切なスタッフたちも全て、ヴェガの沈んでいた気持ちを晴らしてくれる。


 何より、亡くなった父が作り上げた遊園地で、みんなが幸せそうに笑っているところを見ると、本当に心が安らいだ。父が亡くなってからは、屋敷だけが唯一父を感じられる場所となっていて、それが取り上げられたことで絶望を感じていた。そんなヴェガを、この遊園地は優しく包み込んでくれるのだ。


 エルニーヤに連れられて、沢山のアトラクションにも乗った。ガウルと別れた後もジェットコースターは他に二つ乗ったし、エルニーヤの運転でゴーカートも楽しんだ。コーヒーカップでは、調子に乗ったヴェガのとばっちりで、エルニーヤの具合が一時的に落ち込んだが、ホラーハウスで喉が千切れるほどの悲鳴をあげるヴェガを見て、腹を抱えて笑えるまでに回復した。



 とにかく園内が広いので、一時休憩しようという話になった。


「ここまでは、順調に楽しめているかい?」


 売店でストロベリーのフラッペを買ってきてくれたエルニーヤが、調子よく聞いてくる。ヴェガは目を逸らしつつ、それでも笑みが零れるのは抑えられなかった。


「・・・・自分でもびっくりするぐらい楽しんでいるわ。不思議な遊園地よね。まるで魔法がかかっているみたい!」


 言って、ヴェガは咄嗟に口元を押えた。きっと今の自分は、目をきらきらさせていたに違いない。おまけに“魔法”などという非現実的なことをさらっと言ってしまったことに、顔が熱くなる。人の悪いエルニーヤのことだ、きっと盛大にからかってくるに違いない。


 そう思ってヴェガがそうっとエルニーヤの顔を窺うと、彼は予想に反して実に微妙な顔をしていた。そして黙ったまま、何も言ってこない。


 それはそれでなんだか気味が悪く、ヴェガは耐え切れなくなった。


「ええと・・・エル?」

「ん?ああ、なんだいお嬢さん?」

「なんだいって・・・・」


 ひょっとして聞いていなかったのか。人に質問しておいて聞いていないとは非常識な。そう思うも、やはりエルニーヤの様子はどこかおかしい気がした。「お嬢さん」と呼ばないでと言ってからは、すっかり名前で呼んでいたのに、まるで何かを誤魔化すような「お嬢さん」呼び。


 疑うような視線のヴェガに、エルニーヤは早業でその表情を胡散臭いあの笑みへと変えた。


「びっくりするぐらい楽しんでもらえて嬉しいよ、ヴェガナーデ」

「え、ええ・・・・」


 どうやら全く聞いていなかったわけではないらしい。しかし、エルニーヤはからかってくる様子はなく、ヴェガにしてみればありがたいが拍子抜けだった。


 ヴェガはまあいいや、と深く考えることを辞め、フラッペを口にしながら遊園地内の景色に視線を向けた。今いる場所はアトラクションエリアから少し離れ、フードとグッズのショップが立ち並ぶ広場で、遊園地というよりは栄えた一つの街中と見間違えてしまう。


「本当に広いのね。迷子になっちゃいそう」

「君は迷子にはならないよ」


 客観的事実を言ったまでだったのだが、先ほどから、ちょっとだけ調子の悪いエルニーヤは、真剣な顔をしてそんな意味深なことを言う。ヴェガはいよいよ気にしないではいられなくなった。


「ねえエル。ひょっとして、さっきのコーヒーカップが相当にまずかったのかしら?それとも、その後のホラーハウス?」

「ホラーハウスで絶叫していたのは、君だろう?」

「それは、まぁ・・・・」


 ヴェガは苦虫を噛み潰したような顔で、エルニーヤを窺った。どうにも、先刻とは様子が違う気がして気持ちが悪い。


 そんなヴェガの胸中はお構いなしに、エルニーヤはケロッと元の調子に戻ってヴェガの頭の向こう側を指さした。


「見なよヴェガ、あの広場の中心」


 エルニーヤの長い指につられて、ヴェガも視線を動かす。見えるのは広場中心に集まる多くの人だかり。


 「なにかあるの?」とヴェガが聞こうと口を開いたその瞬間、人だかりが悲鳴を上げた。勿論、恐怖の悲鳴ではない。遊園地らしい幸せな悲鳴だ。


「何!?」


 ヴェガが疑問の声を上げるのと、それ・・は同時に起きた。


 人だかりを囲う様に地面から水が噴き出し、高く上がってその人だかりを包み込んでいく。どうやら、なかなか規模の大きい噴水のようだ。


「すごいわ、エル!とっても楽しそう!」


 ヴェガは、噴水に囲まれた人たちを頭の中で想像した。きっとみんな笑顔で、爆笑しながらびしょ濡れになっているのだろう。


 反応の良いヴェガに、エルニーヤは気分を良くしたようだった。


「あれは不定期イベントなんだ。いつ水が噴き出すかはわからない」

「でもあなた、さっき噴水が上がる前に教えてくれたじゃない」

「僕はこの遊園地の案内人だからね。知らないことなんてないさ」


 そもそもその「案内人」という役割が、ヴェガにはいまいちしっくりきていない。すれ違うスタッフのほとんどがエルニーヤに挨拶してきたり、頭を軽く下げたりしていくところを目の当たりにしては、本当に何者なんだと首を傾げた。


 ヴェガが探るような視線を向けていると、エルニーヤは「なーんて」と惚けるように首を竦めた。


「噴水の上がる時間は、遊園地のスタッフなら皆知っているんだけどね、朝の連絡会で」

「ああ、そうなの」


 遊園地の朝の連絡会というものにはそれなりの興味が湧いたが、スタッフの人は全員知っているという事実には、つまらなさを感じた。それまではレアに思えた今の体験が、一気に仕組まれたものに変わってしまったような気分になる。


「だったらお客さんにも教えてくれたらいいのに。本当は知っているのに黙っているなんて、ちょっと意地悪なんじゃない?」


 ヴェガが気分を害した子供の様なつれなさで、文句を垂れる。するとエルニーヤはヴェガの顔を凝視して、徐にヴェガの口元に指を滑らせた。正確には、唇の左端。


 ヴェガが困惑する間に、エルニーヤはヴェガの口元からはみ出たフラッペのクリームを拭い取った。


「“偶然”訪れる楽しいことに、人は何倍もの幸福を感じるんだよ。例えそれが、誰かに仕組まれたものでもね」

「・・・・・」


 いろいろな意味でヴェガは黙り込んだ。まず、口にクリームが付いていたことが恥ずかしい。次に、エルニーヤの全てを見透かしたような、淡々とした口調に言葉にできないものを感じた。


 周りの騒がしさも、二人の間だけは通り過ぎられないような静寂が舞い降りた。焦りもせずにどうしようか、と客観的にヴェガが考えていると、その空気は第三者によって破られた。


「見つけた!エルニーヤさん」


 声は若い少年のものだった。ヴェガが声に振り向くと、そこには予想違わぬ年齢の少年が、エルニーヤの元へと駆けてきていた。カーキ色の帽子をかぶった、ヴェガより背の低い少年。


 少年はエルニーヤの元に辿り着くと、走ってきた疲れも見せずに要件を口にした。


「こんなところにいたんだね。エリアマネージャーが探してたよ」

「ああ、ありがとう。・・・・ヴェガ、紹介しよう」


 伝言にエルニーヤは軽く礼を述べて、少年をヴェガの方に向かせてきた。目が合った少年をよく見ると、まだあどけない造りの顔が見て取れる。帽子から除く茶髪は少年らしい綺麗な髪だった。


「彼はアレイ。遊園地内の清掃をしてくれているんだ」

「誰ですかこの人、エルニーヤさん?」


 アレイと紹介された少年は、年齢にそぐわない疑いの目でヴェガを見上げてきた。その態度に、ヴェガも少しだけむっとなる。しかし、エルニーヤはへらへらと笑うだけだ。


「ヴェガナーデだよ。今朝、話しただろう?歓迎会をするって」

「え、それ言っていいんですか・・・・・?」


 エルニーヤの軽率な発言に、アレイはしどろもどろで突っ込む。すっかり歓迎会を秘密にするというミッションを忘れ、ヴェガが知ってしまったのをいいことに、開き直っているようだ。ヴェガは呆れかえった。


「本当にあなたって人は・・・・」

「あはは・・・・あ、そうだヴェガ。君はまだ遊園地を回りたいだろう?僕はちょっと用事ができたから、少しの間このアレイと遊んでてよ」

「は!?オレ!?」


 急にふられた役目に、アレイは心底驚いたようだった。勿論、ヴェガにしても驚きの展開である。


 訳を聞こうとヴェガが口を開くよりも先に、嫌そうにアレイが非難の声を上げた。


「勘弁してくださいよ、エルニーヤさん。仕事あるのに、こんなガキの面倒なんてっ」

「優秀な君なら僕のいない少しの間、なんの問題もないだろう?あと、彼女は君より三つも年上だよ」

「けっ。箱入りなんかに、年上面されたくないよ」

「ちょっと」


 いい加減言わせておくことはできなかった。ヴェガが顰め面でアレイに詰め寄ると、アレイは生意気にも睨み返してきた。

 

 とてもではないが、こんな奴と遊園地を回るなんてできそうもない。変人エルニーヤと一緒にいる方が遥かにましといえる。ヴェガはエルニーヤに視線を向けた。


「私もエルについていくから、それじゃダメなの?」


 仕事の邪魔はしないから、と食い下がるヴェガに、エルニーヤは困った顔ひとつ見せてくれない。


「う~ん、僕が行くところ、ここから少し遠いからさ。行ったり来たりすると、君も疲れるだろう?」

「それでもいいから!」


 とにかく、アレイと二人きりでいることが絶対に無理なのだ。それくらいなら、ここらで一旦引き上げ、エルニーヤについていった方がいい。今日から自分はこの遊園地に住むのだから、アトラクションにはいつだって乗ることができる。


 ヴェガの渾身の訴えに、エルニーヤは悩んでくれる様子もなかった。代わりに、ヴェガの両肩を軽くぽんぽん、とたたいた。


「僕はすぐに戻ってくるよ?君に寂しい思いは、させないからさ」

「別に寂しいとかじゃないから」


 冷たいが本心を告げると、エルニーヤは少しも傷ついていない顔で「ええー」と漏らした。どうやら、何を言ってももう、ヴェガを一緒に連れて行ってくれる気はなさそうである。


 完全に根負けして、ヴェガは小さく俯いて了承の意を示した。アレイは未だに納得がいかない顔をしていたが、エルニーヤ相手にこれ以上何も言えないと言った感じで、不機嫌顔のまま二人でエルニーヤを見送った。


「じゃ、よろしくね」


 ひらひらと手を振るエルニーヤがとても薄情に思えた。口をすぼめていると、隣でアレイが盛大なため息を吐いた。


「何でオレが、こんな子守みたいなことを」

「失礼ね。私の方が年上なんだけど?」

「だったら迷子になんてなるなよ」


 ヴェガは首を傾げた。遊園地にきて、迷子にはまだなっていない。アレイは何を言っているのか。


「私、別に迷子になんてなってないわよ」

「エルニーヤさんがオレに人を任せるときは、大概迷子なんだよ」


 腹の立つアレイに、ヴェガは大人の対応を取る気にはなれなかった。年下といっても三つ下なだけでは、折れてやろうと思うことができない。


「その大概に、私を含めるのはやめてちょうだい。一人でだって回れるんだから」

「言ったな?じゃあオレはいらないな?」

「いらないわよ!仕事でも何でもしてきたら、この生ガキ!」


 修復不可能までに言い合うと、アレイはふんっと鼻を鳴らして人ごみに消えていった。先刻までの楽しい気持ちが一変、苛立ちがヴェガの鼻息を荒くさせた。


「本当に腹が立つわっ」


 ヴェガはその場で立ち尽くしていては苛立ちを消化できず、目的もなく大股で歩き出す。何度か人とぶつかりそうになっても、波に流されることのない強い足取りで、アレイが消えた方向とは反対側を目指した。


 悲しい気持ちで遊園地に訪れ、アトラクションに乗っているうちに楽しい気持ちになり、生意気な少年の言葉に怒りが芽生えた。一日でこんなにも多くの感情を表に出したことが、これまでにあっただろうか。ヴェガは頭の片隅でそんなことを考えながら、今のままではアトラクションに乗る気にはなれないと、人の少ない方へと足を向けた。


 大盛況の遊園地なので、人がいない所などそうそうなかったが、無心で人気の少ない場所を目指していたヴェガがふと気づくと、辺りが木々に囲まれた静かなエリアに来ていた。どうやらまだ開発途中のエリアらしく、アトラクションのないここにはお客さんは来ないようであった。


 丁度良いところを見つけたと、ヴェガは更に奥へと進んだ。開発途中の割にはきちんと整備されたくねくねの一本道が続き、離れていく遊園地の喧騒がヴェガを不思議な気持ちにさせた。


 分かれ道がないので、迷子にもならずに歩いていくと、曲がりくねった道の終わりに、白い時計塔が現れた。あまり高くないので、観覧車にでも乗らない限り遠くからは見えそうもない。


 ヴェガは見上げながら、ゆっくり時計塔に近づいた。遊園地の他の建物や、アトラクションはとても綺麗に保たれているのに対して、この時計塔はかなり古びた様子をむき出しにしていた。


 白い塗装はところどころ剥がれ落ち、素材の木が顔を覗かせている。一番高いところにある文字盤は、どう考えても時刻は合っておらず、四時十五分で止まっていた。

 

 時計塔の周りを歩いていると、中へと入ることのできる扉を見つけた。黒くて重たそうな扉で、当然鍵は閉まっているはずと思いながらも、ヴェガは取手を手前に引いた。



ギィ



 開いたことにヴェガは心臓を飛び上がらせて、取手から手を離した。開けるために引いたのに、開いたら驚くなんて滑稽な話だが、まさか開くとは思っていなかったのだ。ただ、どこかで開くのではと、懇願に近いものを心に秘めていたことは、否定できそうもなかったが。


 なんにせよ、扉が開くことは証明されてしまった。ヴェガは罪悪感と恐怖を胸に宿しながらも、自分が時計塔の中に入ることはわかっていた。ここで引き返せるほど、ヴェガはできた人間ではないのだ。


 もう一度取手を引けば、中に入れと言わんばかりの扉の軽さに、背中を押されてしまった。暗闇に一歩、中に踏み込めば、埃臭さが鼻を通ってむせ返った。数度咳を払って落ち着くと、中の暗さにも目が慣れてくる。

 埃をかぶったガラクタが雑多に置かれており、物置といった感じだった。外観より中が広いことに驚きつつ、ヴェガは視線を巡らせ、それを一点の場所で止めた。瞳に映ったのは、時計塔の上へと続く埃まみれの階段。


 吸い寄せられるようにヴェガはその階段を上った。大きく軋む音が、古さを物語っている。


 十四段の階段を緊張しながらも登りきり、ヴェガは周囲を見渡した。下の階と同じ様に物が雑多に置かれており、唯一の窓はしっかりと閉ざされ釘打ちされていた。


 何となく足音をたてぬように部屋を一周していると、視界の隅で何かが動いた気がして、ヴェガは飛び上がった。


「鏡・・・・・」


 動いた何かの正体は自分だった。部屋の隅に置かれた姿見に、肩で息をする冴えない自分が写り込んでいる。しばらく鏡の中の自分と向き合って、ヴェガは吐き出すように自嘲した。こんなにも緊張していた自分に、馬鹿らしささえ感じてしまう。


 しばらく立ち尽くして、ふと戻ろうと思い立った。どこに、という疑問は頭の隅に追いやる。


「・・・・・?」


 錯覚だろうか、姿見に映る自分と背景が滲んで、境界が一瞬なくなった様に見えた。


 もう一度しっかり見つめてみるが、そこには眉間に皺を寄せた自分と、埃まみれの部屋しか映らない。


 どうやら思っていた以上に疲れていたらしい。それもそのはずだ。引っ越ししてきたばかりで、遊園地内を遊びまわるなんてハードなことをしてしまったのだから。


 ヴェガは階段を下ろうと踵を返した。


「・・・・っガ・・・・・・・」

「!」


 背後の鏡から、声が聞こえた気がした。もっと正確に言えば、誰かに名前を呼ばれたような感じだ。驚いて鏡の方を振り返る。


「誰かいるの?」


 ヴェガの呼びかけに答えるものはいない。ただ、吸い寄せられるかのように、ヴェガの足はゆっくりと鏡へ向かう。心臓の音が耳元でするような感覚を覚えながら、ヴェガは鏡へ手を伸ばした。


 触れる寸前、


「おい!どこだ迷子!」


 怒鳴り声に、ヴェガの緊張感が弾け飛ぶ。大声を上げ続ける少年の声はどんどん近づいてくる様だ。ヴェガはここに入ったことを知られてはいけないという、奇妙な感覚にとりつかれて、鏡に後ろ髪ひかれながらも、くるりと踵を返して急いで階段を駆け下り、時計塔を飛び出した。


 外に出てすぐ、目じりを釣り上げるアレイとかち合った。


「ほんと、どーしよーもない迷子だな!一人で遊園地も回れないのかよ!」

「別に迷子になんてなってないわ。一人で戻れるもの」


 文句をたれるアレイと応酬しつつ、ヴェガは内心ほっと肩を撫で下ろしていた。先刻までは、鏡に魅せられて好奇心に負けそうになっていたが、今考えると得体の知れない何かに自ら足を突っ込むところだったに違いない。時計塔に入った時点で、好奇心には負けていたかもしれないが。


 しばらくアレイの暴言を聞き流していると、くねくね道からエルニーヤがひょっこりと顔を出した。


「やあやあ。ちょっといない間に、随分と仲が良くなったみたいだね」

「あら、あなたもガウルばりに目が悪くなったのかしら」


 皮肉に皮肉で返してやれば、エルニーヤは苦笑いをしてアレイに向き直った。


「ありがとうアレイ。僕の用事も済んだから、仕事に戻ってくれていいよ」

「エルニーヤさん、今度からは、俺よりでかい奴の子守は頼まないでくださいよ」


 最後まで棘のある言葉を残して、アレイが木々の合間に消えていく。その姿を呆けたように眺めていると、ふいにエルニーヤの顔が視界一杯に広がった。

 思わず一歩後ずさると、小さな段差に躓いて大きく体が後ろに傾く。それをエルニーヤが背中に手を回して支えてくれた。


「大丈夫?」

「え、ええ。ごめんなさい」


 思わぬ紳士的な対応に、ヴェガは目を白黒させて曖昧に頷く。自分でも驚く程動揺しているらしい。ヴェガはなんとか平静を装おうと、軽く咳払いしてからエルニーヤの腕の中からそっと逃れた。


「ちょっと疲れちゃったみたい。ここがあまりにも楽しくって」

「それはなによりだね」


 ヴェガの言葉に、エルニーヤはそう頷いてから時計塔を見上げた。


 その仕草に、ヴェガは自身の罪を暴かれるような焦りを感じた。別に大したことをしたわけではない。鍵の開いていたドアを開け、少し中を見て回っただけなのだから。だというのに、ヴェガの胸中は落ち着きなく動揺に揺れる。


「ねぇエル。私そろそろ自分の荷物の整理をしたいわ。歓迎会の前にばたばたするのも嫌だし」


 とってつけたような言い訳に、エルニーヤはゆっくりと視線をヴェガに戻してから「それもそうだね」と言って快く賛成してくれた。そのことに安堵しつつ、全て見透かすようなエルニーヤの言動に、少しだけ心臓を小さくした。


「それじゃあ、宿舎まで案内しよう」


 来た道を戻って行くエルニーヤの背に着いて行きながら、ヴェガは時計塔を振り返る。遊園地の楽しい雰囲気にはそぐわないその重たい佇まいは、数時間前の自分を見ている様だと思った。

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