第六話 ガキの小遣い
「山下! もう一回やろうぜ」
蓮は先程、大敗を喫した山下に勝負を挑んだ。
「ははは、良いぜ寺崎! 何回やっても同じだからな」
「サシで勝負だ」
「面白いな。でも何回やったって同じだからな。一生勝つぜ!」
仲の良い友達同士の煽りだからこそ、山下の言葉が癪に触った。
──何が「一生勝つ」だ! 山下の野郎!
カズは、リベンジに燃える蓮の姿を見て、在りし日の自分を重ねていた。
──まるで、あの時の俺のようだ。
* * *
雑居ビルの屋上、快晴ではあるが冬の風は容赦なく吹き荒ぶ。大型の室外機は湿気を含んだ温風を吐き、束の間の暖かさを対峙する男二人に届けた。
「代打ちか」
白い息を吐きながら、カズが問う。
「嫌か?」
応じるは、黒のスーツにサングラス。
怪しい黒服の男はカズの出方を伺う。
カズは踵を返し、ビルの端へと歩いて行った。
昭和初期。
雀荘は客を集める為に、こぞって『トップ賞』に高額景品を掲げるようになっていた。当然、客は高額景品を目的に雀荘へ集まってくる。やがて麻雀は受け入れられ人気を博し、麻雀ブームが到来するのだが、その隆盛は長くは続かなかった。
警察は『トップ賞』のあり方に『賭博性』を指摘し、取り締まりを強化。さらに追い討ちをかけたのは戦争だ。支那事変から始まる日中戦争によって、麻雀は敵国遊戯であると決め付けられ、軍からも圧力が掛かる様になる。結果、町中にあった雀荘は次々と閉店に追い込まれたのだった。
そして昭和十六年十二月。遂に大東亜戦争(後の太平洋戦争)が勃発する。
そんな中、面識のない男に誘われて「代わりに麻雀を打って欲しい」と持ちかけられたのだ。
「相手は?」
屋上から新宿の景色を眺めつつ、カズは背中で黒服に尋ねた。
「雀鬼、五十嵐晶」
「五十嵐晶ねぇ……、最近聞く名前だな。何でも、まだ壹度も負けたことがねぇとか?」
黒服は答えない。
「……相手が五十嵐だと分かって、慌てて俺の所に來たんだろ? 宛ら鬼退治って譯だ」
「私が聞いているのは、受けるかどうか。それだけだ」
「焦るなよ……、で? 幾らだ」
負けられない者同士の戦いが、代打ちを産む。
それ故、高額報酬を懸けるのが、代打ちの常である。
「報酬は千圓だ」
「はっ、ガキの小遣いじゃねぇんだ……」
カズは黒服に向かって人差指を一つ見せた。
「一夲だ」
「い……壹萬」
「十萬」
「じゅ……!」
当時、公務員の初任給が七十五円のこの時代、十万円は高額だ。
現代レートでいうと、約二億七千万円。
「無理なら受けねえ。そもそも代打ちなんざ、厄介な話しか無いからな」
すると突如、屋上に繋がる扉がバタンと開いた。
「話は聞かせてもらったよ」
カズと黒服は声の方を見る。
すると咥え煙草の中年が扉から姿を現した。
「雀狂のカズ。やはり、俺が見込んだだけはある」
「⁉︎ アンタは……?」
「十萬圓、出そうじゃないか」
「! ……ほう」
「オーナー! 夲氣ですか⁉︎」
黒服はうろたえる。
──オーナー?
「十萬圓で済むなら、安い買い物だ」
男は煙草を軽く吸って、次の言葉に時間を作った。
「カズよ。俺は十年前、お前と麻雀を打った。覺えてるか? その時はお前に四暗刻を食らったけどな……ハハ」
煙草を吸う中年男性なんてのは掃いて捨てるほど居るが、カズは四暗刻の言葉にピンときた。十年前、四暗刻で上がった時の男だった。役満はそんなにホイホイと上がれる易い手では無い。それだけに、役満が出た場の記憶は、そうそう薄れ無い。
「ああ、思い出した」
「俺はあの雀莊のオーナーだ」
「え?」
間髪を入れず、黒服が語り出す。
「それだけでは無いぞ、この方はここ新宿壹帶の雀莊を經營されているオーナー、平川グループの會長、平川權藏樣だ」「へぇ……そりゃ知らなかった。麻雀以外に興味がない人閒で。惡いね」
「構わん。……いや、寧ろそうでなければ、雀狂は名乘れまい。お前の麻雀の打ち筋、そして四暗刻を摑む天運……。あの日からこの十年、俺はお前に梦中だった。來る日も來る日も雀莊を訪れて、そして絕對に負けない雀狂のカズ……、五十嵐との對局が决まった時、俺は眞っ先にお前の顏が浮かんだんだ」
そして平川の目が変わる。
「カズ、この壹戰にはな。新宿の未來が掛かってるんだ。受けてくれ……賴む。この通りだ」
年下のカズに深々と頭を垂れるその姿、オーナーという威厳など感じ取れなかった。
「オーナー!」
黒服はそのサングラスの奥に熱いものを感じていた。
「新宿の未來とか……、やっぱりロクでもねえ話じゃねえか」
「ダメか……」
「分かった。受けるぜ、その代打ち」
カズは端から代打ちを受けると決めていた。
戦前の混乱期、カズは麻雀に飢えていたのだ。
麻雀が打てればそれで良かった。
同年大晦日──。
一台のタクシーが止まり、三人が降車する。
「ここです」
黒服に案内されたのは、街外れにある一軒の料亭。
カズには縁のない、格式高い料亭だった。
「おまえ、夜でもサングラスなんだな。前見えてんのか」
集合の時間は午後六時。すっかり日が落ち辺りは真っ暗だ。
「うるせーな。さあ平川樣、參りましょう」
「よし……行こうか」
覚悟を決めたかのように平川は声を絞り出す。
──一体何を賭けているんだコイツら。
カズは代打ちを受けたものの、何が賭かっているのかについては知らなかった。平川に聞いても「行けばわかる」の一点張りだったのだ。
三人は「雅」と書かれた間に通された。
平川がスッと襖を開ける。
「おお、來たか平川。約束の時閒ギリギリだな、來ないかと思ったぞ」
入るなり、一人の男が声を掛けてきた。
「いや、惡いな」
平川が応える。
──! どういう事だこれは……
座敷の中心には一基の雀卓。
そして周りを囲むのは、警察と軍関係者だった。三十名は居ようか。
警官は平川を見てこう言った。
「くくく、いいか平川。負けたら約束通り、新宿の雀莊が消えるからな」