第一話 令和に降り立つ昭和の雀狂
「チー! それ貰うぜ」
男は煙草を咥え、慣れた手つきで上家の「二萬」を取った。
時は昭和六年。世は麻雀狂時代。
後に第一次麻雀ブームと呼ばれるその真っ只中に男たちは居た。
正方形の卓が九つ並ぶ広めのホールは、新宿でも少し大きめの雀荘だ。
一つの卓を四人の男がそれぞれ囲む。だが卓はそれでも足りていない。空きを待つ客が二組、入り口で紫煙をくゆらす。
やれ禁煙だ、分煙だ、などという言葉が存在しないこの時代。麻雀打ちのみならず煙草を吸っていない男は居なかった。場内に立ち込める白煙は天井に溜まり電灯の光に靄をかけ、濃い霧の如く場内の視界を遮る。
その霧の中から若い男の声が聞こえてきた。
「はっ。チーだとよ。おっさん、鳴いてちゃ上がれねえぜ? 天運は自分で摑むもんだ」
「うるせーな」
チーを鳴いた男は、タンッと白を切った。
「ホラ。お前の番だぞ」
言われるまでも無く若者は自摸る。
直後に目を閉じ、口角を上げた。
「ツモ」
手配の山をパタンと倒す。
「四暗刻 3000点」
昭和六年の麻雀のルールは、二十二麻雀と呼ばれる、今日の立直麻雀の原型となるものだ。最低点のアガリ点の元が二十二符から数える為、中国語の発音に寄せ、アルシーアルと読むのが所以である。立直やドラが無いため点数が小さく、最高でも満貫点(荘家3000点、散家2000点)。
跳満以上は無く、役満も満貫点である。
「な⁉︎」
「言ったろおっさん。天運は自分で摑むもんだ」
「何モンだ。テメェ……」
「人呼んで、雀狂のカズ……おっさんも、そう呼んでいいぜ?」
* * *
令和元年、夏──
ここに一人の少年が居た。
寺崎蓮、小学六年生。
祖父から蔵の整理をするよう言いつかり、小遣い目当てに渋々承諾。埃っぽい部屋のガラクタを片付けていた。
……が、好奇心旺盛な子供が素直に言うことを聞く訳も無く、むしろちょっとした宝物探しに夢中になっていた。
「うわー! なんだこれ? 古そう!」
小学生の蓮でも片手で持ち上げられる、木で出来た小さな箱。持ち運びやすいように皮の取っ手が付いていた。なんだか高級そうである。振るとガシャガシャと何かが詰まった音が鳴る。
「何が入ってるんだろぅ?」
蓮は木箱にふーっと息を吹きかけた。すると、ぶわっと辺り一面に埃が舞う。
想像以上だ。
「ゲホッゲホッ」
むせながら、蓮は箱を床に置きカチャリと蓋を開けた。
「うごおお! ゴホッゴホッ。何處だここは、隨分と埃っぽいところだな!」
──え⁉︎
聞き慣れない青年の声。いや、この蔵には蓮一人しか居ない筈だ。
「誰⁉︎ 誰かいるの?」
後ろ、横、上?
何処を見渡しても誰も居ない。
「何處見てんだよ。此處だよ 」
──前!
目の前に、いつの間にか青年が座って居た。スーツに身を包むも、髪はボサボサ、無精髭まで生えている。
「おい坊主、何處だ此處は?」
「お、お前こそ誰だよ?」
「俺か? ま、ガキじゃ知らないのも無理ねぇわな。人呼んで雀狂のカズ」
「雀狂のカズ? 何でもいいよ。怪しいヤツ!」
蓮は蔵の外に聞こえる様に大きな声で叫びだす。
「じーちゃん! 蔵に知らないヤツが居るぞ!」
「は? お前、大聲で何言ってんだ? テメエの方こそ何モンだ? いきなり俺の前に現れやがって」
程なくしてガラガラっと蔵の扉が開いた。外から漏れる光は部屋に舞う埃を照らす。
「なんじゃ、蓮。大声出しよってうるさいぞ」
「じいちゃん! コイツだよ!」
祖父は蓮のそばに寄るも、隣に居るカズを気にも留めない。
「……蓮。全然片付いて無いじゃないか。これじゃお小遣いはやれんぞ?」
蔵を見渡して、ため息をつきながら祖父は蓮に諭す。片付いてないどころか、前よりも散らかっているではないか。孫であるが故、期待はしていなかったといえば嘘になるが、前より散らかるとは想像していなかった。
「そうじゃなくって! じいちゃん、このおっさんが見えないの?」
「オッサ……! 馬鹿野郎! こちとらまだ二十八歳だぞ!」
蓮はしきりにカズを指すも、祖父にその姿が伝わることはない。
「おや? どうやら爺さんには、俺の姿が見えて無い樣だな。聲もか」
「そんな……」
「もうイイぞ、蓮。あとはじいちゃんがやっとくから。お前はもう帰れ」
祖父はごそごそとポケットに手を入れて蓮にお札を差し出した。これ以上、蓮に任せると逆に仕事が増えると、そう判断したのだ。
「ホレ約束通り千円じゃ」
「お! いいの? じいちゃんありがとう!」
「おいおい、千圓⁉︎ めちゃくちゃ大金じゃねえか!」
驚く青年に、少年は驚いた。
「何千円で驚いてんだよ、おっさん」
「お前、千圓って言ったら壹年以上、餘裕で暮らして行ける……ってなんだそれ」
蓮が持つ千円札を見て今度は落胆する。
「なんだ、おもちゃの金か」
「違うよ、おっさん。これ本物だよ?」
「はぁ?」
「何一人でぶつくさ言っておる。蓮、夏休みの宿題は済んだのか?」
宿題を持ち出され、蔵から出るように促されるも……。
「ちょっと待った」
「なんだよおっさん」
「あれ、持っていけ」
青年が指さすのは、蓮が開けた木箱。
中には見たことがない模様と数字が並んでいた。
「えー。要らないよ。あんな古いの。何なのかも知らないし」
「なんじゃ、蓮。麻雀牌が気になるのか」
「マージャンパイ? ははは、イヤ、別にそんなことは」
「はて、そんなものこの蔵にあったかな……まあいい。蓮にやるよその雀牌」
祖父に言われ、断れない蓮であった。




