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時間違いの恋人  作者: 春成 源貴
9/12

クイビヘラーテカ商会 応接室 1

 以前、タローが契約書のコピーと共に受け取ったチラシの住所にあったのは、随分と古い小さな雑居ビルだった。

 船団の建造当時から残るであろうビルは、四半世紀を六度は迎えているはずだったが、堅牢なまま、そこに染みついたか、根を張ったかのように、静かに佇んでいた。昔は白かったであろう壁面は薄く苔むし、ペンキは色あせていて、ひどく寂れた印象はあったが、不思議と不気味さや怖さはなかった。

 周囲を最新の高層ビルやデザインビルに囲まれた雑居ビルは、入口は一つで、中に入ってから各テナントのドアが付いているタイプだった。入口はかろうじて電動で開く、当たり前のガラス製の自動ドアではあったが、オートロックも何もなく出入り自由だったので、商業用の雑居ビルであるのは確かなようだった。

 ドアを入った正面には、数えるほどしかない社名の入った小型看板と、数えるのが面倒なほどのテナント募集のステッカーが貼ってあるボードが掲げられていた。ひとことで言えば「胡散臭い」ビルだったが、ボードからお目当ての看板を見つけたタロー達は、それが指し示す三階を目指してエレベーターに乗った。

 四人も乗ればブザーが鳴るかと思うような、小さく古いエレベーターは二人を乗せてガタゴトと不吉な音を立てて昇っていく。到着を知らせるのが電子音ではなく、本物のベルの音だったあたりで、タローはカリンと顔を見合わせる。


「レトロ趣味で建てられたと思いたいけれど……」

「……古いだけだけじゃないのかな?」


 小声で言葉を交わす二人を迎えたのは、銀色の突起の付いた、分厚い鉄の扉だった。

 側の壁の小さなプレートに「クイビヘラーテカ商会」と刻まれた文字が、天井の明かりを鈍く反射している。色あせたクリーム色の扉は、タローが昔見た旧時代の映画でしか出てこないような扉で、開け方すらわからない。

 とりあえずノックをしてみると、奥の方からくぐもった男性の返事が聞こえた。

 聞こえたのだが、中の人が動く気配も、扉が開く様子も全くなかった。仕方なく、タローは映画の記憶を揺り起こし、開けて中に入るためには、たしかノブとか言う突起を回すのだったと思い出す。

 右手を掛けて静かにノブを捻って回してみる。

 カリンが隣でごくりと唾を飲み込み、喉を鳴らすのが聞こえた。

 ガチャリとノブの回る音がした後、今度はギィと鉄のこすれる大きな音がして、ようやく扉が開いた。二人は目の前に広がるあまりの想像外の様子に絶句した。

 真っ白な壁に清潔に磨かれた床。ビルの外装や部屋の外とは全く正反対の現代的、機能的にリフォームされた綺麗な部屋だった。玄関を開けると中は廊下もなにもない、ただの広い一室で、右の手前に応接セットがあった。奥には一枚の自動ドアと、ドアの手前に大きく重厚な木製の机と、大きな椅子が置いてある。部屋の中には男性が一人いるだけで、扉が開いたとき、ちょうど彼は奥のデスクから立ち上がったところだった。


「お待ちしてましたよ」


 スーツにネクタイと、ビジネスマンを絵に描いたような男は、芝居がかった口調で言った。三十代くらいの銀縁メガネを掛けた男で、人当たりはよかったが、眼光鋭くなにか不思議な威圧感があった。


「どうぞ、お入りください」


 応接セットを手で示される。タローとカリンはぎこちなく頭を下げると、二人がけのソファに腰を下ろした。


「遅くなりました……」


 タローがボソリと言うと、男はニコニコしながら「いいえ、大丈夫ですよ。お客さまが遅れてらっしゃることはよくあることですから」と笑顔を向けた。

 それから、彼自身の机の上にあった機械から、琥珀色の液体の満ちたフラスコのようなものを取り出すと、カップを三つ、左手の指にぶら下げて、タローの向かいの一人がけのソファに座った。カップを丁寧に並べると、液体をそれぞれのカップに注いだ。


「今時珍しい、地球産のお茶です。どうぞ召し上がってください」


 男の言葉は慇懃だった。言葉をくりながら、男自身がカップに口を付ける。


「オットーさま、名刺はお渡ししておりましたよね」

「ええ、いただいております」


 カリンが答える。そして、自分のバックから「クイビヘラーテカ商会 代表取締役 マルコ・ヘラーテカ」と綺麗に印字された名刺を取り出し、テーブルの上に置いた。


「大切にしていただきましてありがとうございます、オットーさま。それでは、本日はこの間の仮契約でご注文いただいておりました、軽宇宙艇のお支払いと本契約と言うことでよろしいですか?人気機種の出物でしたので、押さえておくのが大変でしたよ」


 マルコはテーブルの下から大きめの封筒を出しながら言った。


「契約書はご用意しております。現金ですか?チャージカードですか?どちらでもお受けできますよ。小切手でもかまいませんが……」


 一人でペラペラとしゃべり続けるマルコに、タローが遠慮がちに切り出した。


「……その……契約のことなんですが、実は……」


 そこまでをタローが口にすると、マルコのお喋りはピタリと止まった。


「はい?契約が……なんでしょう?ご心配は何もいりませんよ。準備は整っております。あとはサインとお金だけです」

「そのお金なんですが……」


 タローは口ごもる。マルコは眉を上げて首を一つかしげた。足を組み直す。タローは気力を振り絞って言った。


「当てにしていた預金があったんですが……手違いで、あと二ヶ月ほど、引き出しができなくて……」

「……つまり、今日はお金が用意できない……と?……」


 マルコは復唱するように訊ね、カリンはタローの横で小さく頷いた。


「……オットーさま、今のお言葉はヤシマさまの口からいただきましたが、ご契約者は貴女になっております。お訊ねしても?」


 結婚に際し、もちろん二人はこれからのことを話し合った。住む所や生活のことなどがあるので、ほとんどの購入や支払いの名義はタローにしていたが、事業用のこの船のことに関しては、カリンを契約者として話を進めていた。整理のためであり、マルコにも説明した上での契約形態だ。カリンは一つ小さく頷いた。


「そうです。用意ができませんでした」

「ええと……」


 マルコは戸惑ったような表情を作ってから言った。


「ご入金の予定は今日というのはご承知でしたよね」

「はい……承知しています。ですが、お金の用意に後二ヶ月ほどかかることがわかりまして……その、ご入金を待っていただけませんでしょうか?」

「二ヶ月ですか」

「お願いします」

 タローが頭を下げた。額が膝の高さのテーブルに着こうかという程だった。

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