生活相談課相談係受付 3
「ありがとうございます。問題のオットーさまの市民籍なんですが、オットーさま自身は幼い頃にこちらに引っ越され、二十数年の時を過ごされています。しかし、市民籍はあちらの船団のサーバーに保存されたままで……まあ、紙媒体でも同じですが……時間を刻みました。先ほど申し上げたとおり、我が船団よりもかなりの速い速度で移動していますから、時間の進み方はゆっくりで、こちらで二十数年、向こうで三年近く経過したところで、こちらに市民籍が移されました。その結果、本人との時間差が発生したということです。これが原因ですね」
「それで?どうしたら彼女は成人になれるんです?」
「そうですね……そこなんですが……方法が全くないわけではないんですが、一応手続きを確認しますね。間違えたらいけないんで……」
「面倒くさいんですね」
「申し訳ありませんが……」
グリムは、タロー達からは見えない足下の引き出しから、分厚いファイルを取り出すと、パソコンのキーボードを叩きながらページを繰り始めた。画面とページの間を、視線が往復している。
「端末で調べればいいんですが、探しにくいんですよ。検索だけして当たりを付けたら、紙媒体を見る方が調べ易いんです」
聞かれてもないことをぺらぺらと答えながら、グリムはファイルから目を離さずにページを繰り続ける。やがて、目的のページを見つけたのか、捲る手が止まった。
「お訊ねしてみるんですが……オットーさまはこちらの船団に移船された際の入船証明か何か、引っ越しを証明されるような物はお持ちですか?」
「え?……証明?」
戸惑ったようにカリンは呟き、しばらく視線を上に向けて考えていたが、やがて、肩を落として力なく言った。
「引っ越して来た時は子供ですもの。なにも残ってはない……あ、そういえば、両親が記念に、移動したときの宇宙艇のチケットをとっておいたような……?」
「それだ。いいぞ、カリン。どうです?」
タローが少し元気づけられたように言ったが、グリムは首を振って答えた。
「申し訳ありませんが、それは旅行でも発行される物ですし、証明にはなりませんね」
「……どうにかならないんですか?目の前に大人がいるじゃないですか。三歳じゃないでしょ?」
「確かに私達が届けをしていなかったのがいけないんですが……」
カリンも加勢するがグリムは困った表情を浮かべるだけだ。
「そのために法律で異動するよう定められているんですし……」
「そこをどうにか……」
「とおっしゃられましても……」
「少しくらいどうにかしてくださいよ。お客さまは……」
「……神様ではありませんよ。千年以上も昔の流行よくご存じで」
グリムは興奮したタローにやんわりと、しかし、眼光鋭く断固とした口調で言った。
「正確には、私どもは公務員ですからお客さまとは呼びませんが……民間のお店や会社でも、もうそんなことは廃れています。お客と店員は対等ですよ。もちろん、サービスや丁寧な接客は心がけますが、お客が必要以上に要求するものではない、というのが現在の主流ですよ」
「……でもあなたたちは公僕でしょう?」
タローは憮然としたまま言った。
「それもよく言われますが、公に公平に仕えるという意味です。誰かの便宜を図ったり、特別扱いするという意味ではありません。それでも、私だって、受理できるように知恵を絞ってるんですよ、これでも……信じてくださいよ……」
グリムはファイルを膝と机の端で固定すると、キーボードを素早く叩きながら、タローに目を向けた。
タローはひとつため息をつくと「わかりましたよ」とだけ答えた。グリムは再び視線を落としてぶつぶつと呟き始める。
「なにか、入船時期が証明できればいいんだけどなあ……」
聞いていたカリンが答える。
「なにも……心当たりがないわ。パスポートも期限が切れて処分したし、証明書はたぶん母が処分してしまっていると思う」
「そうですか……そうしましたら……新婚旅行しかないかなぁ……」
最後の方は、ひとりごとのように呟いたグリムの言葉だったが、それがいけなかった。聞き咎めたタローは突然に立ち上がると、大きな声を上げた。
「ふざけるな!新婚旅行だと!」
グリムの顔がアッと歪む。しまった、という表情が一瞬走ったが、すぐに消えた。
「その新婚旅行に行くにも、おまえ達が受理しないんじゃないか!なのに新婚旅行だ?ふざけるな!侮辱してるのか」
カリンも静かに立ち上がる。グリムが慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません。言葉を間違えました。私どもの部内用語だったんですが……私がいけませんでした。ご不快にさせてしまって申し訳ありません」
立ち上がり、腰を折った礼だったが、タローは机の上にあった書類をつかみ取ると、そのまま踵を返した。
「ふざけるんじゃないぞ!」
慌ててカリンが後を追う。タローの大声に辺りの雑然とした空気は消え、静まりかえった。リノリウムの床をこつこつと、二人分の靴が叩く音だけが鳴り響き、やがて自動ドアの作動音がしてから、女性を模した機械音声がむなしく流れる。
「ご利用ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
こうして、二人は目的を果たせずに役所を後にすることになった。