生活相談課相談係受付 1
混乱する二人は、頭の中を渦巻く嵐が過ぎ去った後、血の気の引いた真っ青な顔をポールに向け、怒りをにじませて抗議しようと身を乗り出した。だが、彼は無言で一つ首を横に振ると、手のひらで二人の後ろを指し示した。
タローが振り返ると、視線の先には「生活相談課」の看板が表示されたディスプレイと、空いたカウンターがあった。
ふと気が付けば、周りには数人の順番待ちとおぼしき人が腰掛けていたし、彼自身も、暫し待たされてからの受付だったので、待ち人の気持ちもわかる。それで、仕方なく席を立った。カリンも青い顔をして、ふらふらと立ち上がる。
二人が生活相談課のカウンターに近づくと、カウンターの向こう側の事務机の島から、一人の男性が立ち上がって、すぐにカウンターに立った。
「どうぞこちらへ」
案内されたのは、個別の席がスチールで間仕切りされたローカウンターだった。促されて二人が席に腰を下ろすと、職員の男性も椅子に座ってノートパソコンを開き、電源を入れた。四十代くらいに見える職員は、スーツの上着は脱いだままで、皺ひとつない白のワイシャツに、赤いネクタイをきっちりと締めている。
柔らかな笑みを浮かべた愛想のいい男だった。
職員は机の引き出しを開けると、名刺を一枚取り出しタローに手渡した。
「相談員のグリム・アーチャーです。生活相談課は、市民の皆さまのご不安やご不満を取り除くための相談を承っております。なにか私どもにできることがあるかも知れません。今日はどうされました?」
タローは名刺を一瞥すると、先ほどポールに見せた書類を、不機嫌そうにバサリと投げ出した。カリンが軽く袖を引っ張ったが、タローは職員の方を見たまま言った。
「あちらの方からこちらを紹介されまして。どういうことか教えていただきたいんですが?」
意識して丁寧な口調を使う。キツい表情を見せながら使う丁寧な言葉は多分に圧力を含んでいるからだ。が、グリムは、特に動じた風もなく書類を手に取った。
「失礼します……婚姻届ですね。ええと、あ、受付はしてるのか。受付番号が……いち…はち…さん……で保留案件と……」
婚姻届にじっくりと目を通しながら、ポールが受付の時に押したスタンプの数字を呟いて、パソコンのキーボードをたたく。
「……ああ、ありましたね。ええと、ヤシマさまとオットーさまですね」
今度は画面と書類を見比べる。
「なるほど……婚姻届が受理されなかったということですね」
「ええ、受理できないとだけ言われまして。こちらで説明を受けるようにということみたいなんですがね?彼女が三歳って言うのはどういうことなんです?」
タローが怒気を強めて言ったが、グリムは少しだけ申し訳なさそうな表情を作っただけで、態度を変えることなく丁寧に書類を指した。
「AL340年のお生まれというのはお間違いないと思うんですが?」
カリンが無表情のまま首だけをこくりと動かした。
「まず、こういったケースはよくあることだということはご理解ください。その上でご承知のこともご説明するかと思いますが、お気を悪くしないでください」
「……前置きはいいですから早く説明してください」
タローの怒りは募っていく。軽く肩でも竦めたいところだったようだが、グリム眉も潜めずに続けた。
「ALというのは、異動前の市民籍のあった十二次移民船団で使われている暦で、船団ごとに違う物が使われています。これは、地球を出発するときに決められる物で、今現在、我が十八次移民船団の暦はARで表されています。今はAR125年ですね」
グリムは口を動かしながら、パソコンの側に積んであったプラスチックケースの中に手を入れ、フタの付いた紙コップを三つ取り出し並べると、底に付けられた、輪の付いた紐を引っ張った。シュッと軽い音を立てた後、伸びた紐が巻き取られ元に戻る。同時にフタに開けられた小さな穴から湯気が上がった。
二つはお客である二人に差し出され、グリムは自分の分のフタを取った。インスタントのコーヒーだった。
「お口に合うかわかりませんが……市民籍は生まれたときに登録され、異動がある時は届け出るように義務づけられています。今回のように婚姻であるとか、引っ越ししたときですね」
グリムはカップを口に運びながら続けた。
「さて、本題なんですが、なぜ船団ごとに暦が作られていると思います?……って、そんなすごい目で睨まないでくださいよ……わかりましたよ、説明しますから」
グリムは、タローの視線に耐えかねたように机の手元に視線を移した。
「それはですね、船団ごとに時間の流れが違うからです。理系だと学校で習うんですけどね」
「……あいにくと二人とも文系だったんで」タローが低い声で呟く。
現代においては、すでに義務教育というのは存在しない。けれども、各家庭が責任を持って子供に教育を施す義務は存在している。言い換えれば、各家庭の責任である以上、それぞれが、学びたいことを選択して教育を受けるのだ。そのため、一口に小学校といっても多種多様の学校が存在するし、最終的には、各段階での検定試験を受けて、小学校修了程度、中学校修了程度と学位を取得していくのだ。ちなみに、学校に行かず取得することも理屈上は可能である。
「簡単に申し上げると、船団はすべてが同じ速さで移動しているわけではありません。空間跳躍……いわゆるワープで跳躍していたり、亜光速で目的地まで移動していたり、通常の巡航速度で探索をしていたりと様々です。そこで相対性理論という旧時代に発見された理論が出てくるんですが……まあ、理屈は端折ります。物体は……この場合、船団ですが……速く動くほど時間の進み方が遅くなるという理論です。ですから、同じ暦に統一できないんですが……そこで結論だけ申し上げますね」
グリムはそこで一息ついてコーヒーに口を付けた。