市民課住民係窓口
「大変申し訳ありませんがこの書類は受理できません」
白い物の混じった髪を、丁寧に撫でつけて七三分けにした男は、黒いスーツの上着のポケットから白いハンカチを取り出して、額ににじむ汗を拭きながらそう言った。
「はい?」
男と机を挟んだ、反対側の席に並んで腰掛けていたタローとカリンは、思わず顔を見合わせた。
あの年越しのプロポーズから数ヶ月。タローとカリンが素っ頓狂な声を上げたのは、第十八次移民船団の八番艦「イーゴリ」にあるパラディズム市役所第三イーゴリ出張所の住民課においてだった。
幾度にも渡って地球を出発した移民船団の規模は、旧時代における小規模国家並みになっていて、当然、いつ発見できるともわからない移民先への旅路においては、船団の組織は行政組織とイコールにもなっている。
つまり、一つの船団が一つの国家、あるいは自治体と同義になって久しいのだ。それは数十万から数百万規模の人類の生活する場所でもあるのだから、船団を構成する各船には、生活に必要な組織や施設が整備されていて、役所のような行政や立法、司法のための機関はもちろん、農場や工場も造られ確固たる大地に根を張って生きていた頃と同じような生活が送れるだけの設備があるわけだ。
そして、タローたちは人生の大きなイベントである婚姻を届け出るために、市役所を訪れているのだった。
その市役所での予期せぬ場面に、思わずタローの手が机の上に置かれた婚姻届に伸びる。灰色のスチール製のデスクの上には、書類が数枚広げられていて、その他には男の物である文具などが整然と並んでいた。机上のプラスチック製の名立てには「主任 ポール・ハルタ」と印刷された紙が挟まっている。ディスプレイやタブレット、モニターが随分と普及したこのご時世において、紙を使うというのは一種の贅沢と言えるが、役所に提出する書類に関して言えば、未だに手書きの紙媒体が多数を占める。
防犯上の観点からの、複製の困難さというメリットが、コストやリスクを凌駕しているのだ。便利さの行き着く先がアナクロというのも皮肉である。
タローが、自ら提出するべく用意した書類を取り上げて眺めようとするのを見て、ポールは口を開いた。
「書類上の不備ではありません……誤記がないわけではありませんが……もっと根本的な理由でお受けできません」
「……どういうことです?」
訝しげにタローが問う。
突然のことでよく事態が飲み込めず、感情がフラットなままだ。唖然としているといったほうがよいかも知れない。
「端的に申し上げまして、この婚姻は成立すると船団市民籍法違法です」
「はい?」
「というか、近現代に整備されたほとんどの国の法律に照らし合わせても、この書類を見る限りはお二人の婚姻を認める例はないでしょうな」
職員のポールは、特に感情を込める風でもなく、マニュアルでも読むかのように言った。
「ええと……よくわからないんですが、どいうことでしょう?」
タローは眉をひそめて訊ねる。ポールが黒い腕抜を付けた手で、机の上の婚姻届を抜き取ると、一番下に隠して提出書類を重ね直した。一番上の書類を指しながら説明を始める。
「これはオットーさんの市民籍謄本ですよね?」
カリンが、隣のタローをちらりと見てから頷く。
「お生まれは……AL340年でお間違いはないですね?」
「ええ。そこにも書いてあります」
「……そうですね」
ポールは机の端に置かれていた、数字の書かれた小さな機械のキーを手早く弾く。
「……電卓といって旧時代の計算機なんです。まだ細々と造っているところがあって……便利なんですよ……と、それで……十二次移民船団でお生まれになって、先月こちらに引っ越されたと……」
「いえ、生まれてすぐに引っ越しました」
「……市民籍上の話です」
「ああ……それは結婚が決まって、書類を揃えるときに移したんです」
「それまでは、住民票と市民籍の移転をされてなかったんですね」
「はい」
まだ話が飲み込めず、カリンが自信なさげに答えた。
「まあ、そうでしょうね……三歳には見えないですものねえ」
「え?」
タローとカリンの声が寸分違わずハモった。
「……時々ある話なんですが……オットーさんは市民籍上は三歳でらっしゃいます。法律上も社会通念上も、三歳の女性の婚姻は認められていません」
右手に持ったペンで頭を掻きながらポールはそう宣告した。