クイビヘラーテカ商会 応接室 2
「……困りましたね」
大して困っていないような顔でマルコは言った。タローの脳裏にいやな感覚がじわりと湧いた。
「……さすがに二ヶ月は待てませんね……」
マルコの指先がテーブルをコツコツと叩いた。
「お金はご用意できない?借り入れは?」
「……事業本体の資金準備のためと新生活のためとで……もう限度を……」
「そうですか……先ほど申し上げたとおり、中古とはいえ状態のいい人気の軽宇宙艇ですから押さえておくことにも限界があります。二ヶ月は待てませんね。待てても一日、二日と言うところでしょうか」
タローとカリンは失望で顔色は蒼白なり、目を伏せてうつむいた。
「……無理です」カリンが絞り出すように答える。
「それでは残念ですがキャンセルと言うことで……よろしいですか?」
紙を裂くような音が聞こえ、二人が顔を上げると、マルコが机の上の契約用の用紙を真っ二つに裂いたところだった。
「残念ですよ」
冷たくはなかったが、なにやら含みのある言葉だった。タローとカリンは耐えがたい気持ちになって、立ち上がった。
「ご迷惑をおかけしました。また、ご縁がありましたらよろしくお願いします」
それだけを言うのがやっとだった。くるりと振り向いて、踵を返そうとしたとき、マルコが立ち上がりタローの肩に手を伸ばした。
「お待ちください。まあ、そう焦らずに」
タローはハッと顔を上げた。まだ、希望があるのだろうか。追い詰められた二人にそんな考えが浮かび、タローはカリンと顔を見合わせ、一瞬笑顔を作りかける……が、続きは言葉ではなく行動で突きつけられた。
視界一杯に突然、細かな文字の羅列が広がった。文字通り、目の前に仮契約書が突きつけられたのだった。
「別の契約書にサインをしていただいてよろしいですかね?」
先ほどまでとは打って変わった、ひどく冷たい響きだった。
「どういうことです?何の書類ですか?」
訝しげにタローが聞く。
「あなた方は、私に支払いをしないといけないんですよ。その、支払いのためのローン契約みたいなものですね」
にこりと笑顔を作るマルコの目は笑ってはいなかった。タローの背筋を冷たいものが走る。目の前の文字の羅列にマルコの指が割り込み、一文をなぞるように示した。
「……入金予定日までに指定の金額を支払えなかった場合、売買契約は白紙となり、乙は甲へ違約金として、指定の金額の二倍を支払わなければならない……とあります。あなた方へ交付した控えにも記載はありますよ」
マルコの言葉に、カリンが慌ててバッグを探るがすぐに手が止まった。
「……役所に置いてきたみたい……」
「まあ、記載に間違いはありませんから。さて、新しい契約書にサインをいただけますかね?金銭貸借契約ですけどね」
タローの腰が、すとんとソファに落ちた。まるで膝から崩れ落ちたようでもあった。
「聞いてないぞ」
「契約書に記載の事項は、ご確認くださいと申し上げております」
「しかし……」
「そんな……なんで……」カリンが呟き、タローの横に沈み込んだ。
マルコが大きく肩をすくめ、ソファに再び座った。
「お気の毒とは思いますがね。契約ですから」
少しドスのきいた声で書類をテーブルに広げた。
「なんでこんなことに……私たちはただ、幸せになろうとしただけなのに」
カリンが小さく嗚咽の声を漏らす。
「さて、運ですかね?」
「うるさい、そんなもので片付けられて……」
「おっと、ヤシマさま、大きな声を出されてもダメですよ。ご同情は申し上げますがね。詳細は存じ上げませんが、あなた方に手落ちはなかったんですか?」
痛いところを突かれて、タローの頭の中がぐるぐる回る。とはいえ、親が住所変更をしなかった。自分が預金の特約のことをきちんと把握していなかった。そのことで一日を棒に振ってしまうのは仕方がないにしても、先々まで響く、まして、ずいぶんな借金を背負うのには納得がいかなかった。たとえ、それがカリンの債務でも、だ。
二人はもう、本来なら届け出を済ませて、夫婦になっているはずだったのだから。タローが拳を握る。マルコがやれやれといった風にため息をつく。
「暴力に訴えてもいいことはありませんよ。すべては法と契約書です。商人にとっての聖書ですよ」
マルコがそう言ったとき、タロー達の背後、入ってきた扉からノックの音が聞こえた。




