命の正しい数え方
初の短編投稿です。
これは小学生の純粋な疑問と命の話です。
命という言葉が単位であれば、僕の足元で隊列をなしている蟻一匹一匹の命と人間である僕一人分の命は等価である。蟻の命も一命であり、人の命も一命である。
僕は数十人の人間を殺したことがあるが、自分が地獄行きの人間だとは考えたこともない。殺人が罪であるという考え方は人間の尺度での話であるからだ。僕が人間を数十人殺した所で、人が一生を終えるまでに奪う命は数え切れないものだ。家に虫が出れば駆除するし、知らぬ間に踏みつけていることもある。そもそも生きるための食事を済ますのにだって多くの命を使っている。人間の命だけが特別価値のあるものだというのは酷く傲慢にも思えるし、そんな考えを持つ奴こそが地獄行きに相応しい。僕がハイジャックを行い、乗客全ての命を奪った所で、他の誰かがイクラ丼でも食べれば、僕のとった行動はなんてことはないものになる。
こんな冒頭ではじまる物語を夏休みの宿題として提出したら、職員室に呼ばれてしまった。物語の内容としては人を数十人殺したことのある主人公が、誰一人殺さず、何一つ事件を起こさないまま物語が終わるという話だ。人を殺す描写はおろか、軽犯罪すら描いていないのに、先生方は書き直しを要求してきた。そして道徳があーだの、倫理観がなんだのとピーチクパーチクはじめるわけだ。馬鹿馬鹿しい話だ。皆いい歳をして、現実とフィクションの区別がついていないのだ。
大人という存在は皆一様に馬鹿な物だと決めつけていた僕だが、実際には違ったのだ。このおじさんだけは僕を理解してくれた。
公園のベンチに腰掛け、自分が書いた物語を読み返していた所、となりに人が座る気配を感じた。ふと気になりそちらを見ると、40代位の髪の長いおじさんが、僕の手に持つ作文用紙を興味深く眺めていた。
「そんなに気になるなら見せてあげようか?」
僕がそういうと、おじさんはとても大きく頷いた。
それから、おじさんは一時間近くかけて、じっくりと僕の物語を読み続けた。
あまりに手持ち無沙汰だった僕は、足元を這う蟻の数を数え始めていた。
おじさんがやっと顔をあげた。
「君に特別な力をあげよう。ただしこの力には対価がいる。力を使うたびに君の中にある罪悪感がなくなっていく」
そういっておじさんは僕に薬の入った瓶を渡してきた。
「この薬は一錠飲めば人が死ぬ。遺体から薬の痕跡は絶対に見つからない。現代においては、この薬による殺人は絶対に見つかることはない。だからね、嫌いな奴の給食に薬を入れるだけでもそいつを殺せるよ」
「おじさん、僕に嫌いな人はいないよ」
「じゃあ薬はいらないかい?」
「いや、嫌いな奴はいないけど、死んでも気にならない人はいるよ」
「そうかい、その瓶には30錠分の薬が入っているから、使い切ったら、またこの時間に公園においで、新しいのをあげるからさ」
薬を貰った翌週、僕の班が給食当番を担当することになった。
誰に当たるかはわからないけれど、ポテトポタージュの一つにその薬を入れてみた。
このクラスに嫌いな人はいないけれど、死んで気になる人もいない、だから薬の効果を試すのだ。
その日の夜、斜め向かいの席の岡田くんが死んだ。そして次の日の学校は休みになった。
そっか、生徒が死ぬと休みが増えるのか。
読んでいただき、ありがとうございます。
この物語は、お寿司屋さんで、となりの席に座った、小学生の「イクラってかわいそう」という発言を聞いて、思いついた話です。
少しでも何かが伝われば幸いです。
哲学を題材にした、『世界で唯一のフィロソファー』という連載も書いているので、よろしければ読んでみて下さい。