親友の元カレを好きになってはいけないでしょうか。
高校生になって三年間、私は誰も好きになることがなかった。なかったと言うよりも、好きにならないように努力して自分で自分に壁を作っていたのだ。
「美優、どうしたの? 浮かない顔をして……」
この子は明美。小学校からの親友で、万年セミロングで覇気のない私と対照的で、ショートカットが似合う元気のいい女の子だ。
「ん~ん、何でもない。ただ、もうすぐ高校生活も終わりだなぁなんて」
「急にどうしたの? 美優らしくもないじゃん」
「そんなことないよ。私だって偶にはそういう時もあるっていうこと」
明美には強がって見せたが、内心焦りにも似た感情が私を襲っていた。それは、今まで避けてきた恋愛に終止符を打ちたいと思い始めていたからだ。
つまり――私もみんなのように恋がしたい……そういうことだ。
「明美?」
「な、何よ。急に改まって……」
「明美は博人君と上手くいってるの?」
「実は一ヶ月前、別れたんだ……博人……好きな人が出来たって……」
「そうなんだ……」
別れた明美の辛さより、今まで黙っていたことに悲しさを覚えた。仮に自分がそうだとしたら、明美には絶対に話している。でも、それは私と明美の違いで、人それぞれである。
なんか私……覚めてるな――
この時の私は自分自身をそう評価していた。
それから何日が過ぎて、生徒会の役員会で博人君と一緒になる機会があった。
「よう! 美優。元気にやってっか?」
「ま、まぁ……」
明美には悪いが、正直この手のノリの男子は苦手だ。地球上に博人君と二人きりになっても、好きになることはない……そのくらい、タイプではなかった。
「何だよ、相変わらず冷てぇな。美優は……」
「あ、あの博人君?」
「何?」
「悪いけど呼び捨ては止めてくれる? 彼女でもないし……」
「はぁ? 何よ、その拘り。美優は美優だろ? 俺はこれからも美優って呼ぶぜ!」
「…………」
何で明美はこんな男を好きになったんだろう。好感どころか、憎しみさえ抱く。
しかし、そんな思いを打ち砕かれる出来事が、それから二時間後に訪れた。
「それではこれで役員会を終わります。ですが、博人さんと美優さんは引き続き、資料を纏めてもらうために残ってもらいます」
「えぇ、何でだよ。生徒会長~、俺……早く帰りたいんだけど。美優もそうだろ? なぁ?」
「私は……」
勿論、私も早く帰りたい。それよりも、博人君と一緒にいる空間がたまらなくイヤなのだ。だが、そうも言ってはいられない。役員である以上は責任がある。
「私一人でも残ります」
一人でやるには仕事量が半端ない。だが、こう言えば博人君は帰ってくれるだろうと高を括ったのだ。
「美優……残るのかよ。じゃ、俺も残るわ」
「え? いいよ、私一人で大丈夫だから」
「あん? 俺が残ったら都合が悪りぃのかよ」
「そ、そんなことないよ。だって、ほら……さっき早く帰りたいって……」
「ありゃ嘘だ。さぁ、張り切って片付けちまおうぜ!」
一体どうなっているか。やはり、博人君の考えはわからない。まぁ、一人で作業するよりは効率がいいから文句は言えないが。
◇◇◇◇◇◇
「よし、これで終わりだな」
「えぇ。思ったより大変だったね」
「すっかり暗くなっちまったしな。そうだ、途中まで一緒に帰るか? 美優は〇〇駅方面だったよな?」
「え~、でも博人君、逆方向じゃん」
「気にすんなって。それに今のご時世、変な奴等も多いからな。ボディガード代わりになってやるよ」
「ボディガード? 何それ~、ふふふ……」
「お? 珍しく笑ったな?」
博人君のその一言で、自分でも気付かなかった一面に気付いた。
確かに最近笑っていなかった。笑ったとしても愛想笑いで、“上手く笑えてるかな”なんて意識して笑う時もあったのだ。
「博人君……ボディガード宜しくお願いしてます」
「喜んで。お姫様」
「お姫様? ふふふっ」
「美優は笑った顔の方が似合うぜ」
何故だろう……あんなにイヤだった博人君に、こんなベタな台詞を言われただけで耳が赤くなっている。セミロングだからそれはバレていない筈だが、サラサラの髪の中で耳は脈を打つほどに真っ赤になっていたに違いない。
帰り道、タブーとされる質問を博人君に投げ掛けた。明美を擁護するつもりは毛頭ないが、途切れた会話を埋めるために口から勝手に躍り出たのだ。
「博人君は、何で明美と別れたの?」
「明美から聞いたんだね。実は俺……好きな人が出来てな。ていうか、もともとそいつが好きだったんだよ」
「てことは、好きでもないのに明美と付き合っていたってワケ? 信じられない」
「好きになろうと努力はしたさ。でも、自分に嘘は付けなかった。だって、高校に入学した時から好きだったからな。諦められくて……」
「ふ~ん……」
本当はもっと問い詰めてやりたかった。でも、通常このパターンは、“美優の方こそどうなんだよ”と言われるのがオチだ。
私は敢えてそれ以上、言及しなかった。博人君もその空気を読んだのか、私に振ることはなかった。
「あ、ここまででいいよ」
「そうか……」
心なしか博人君の瞳の奥に寂しさが伺える。それは私も同じだ。
早く帰りたいという気持ちよりも、名残惜しいという感情さえ芽生えてくる。
「じゃあ……また、明日ね」
「お、おう」
制服のポケットに左手を入れながら、右手で手を振る博人君。振り返っても、それは暫く続いた。
もう振り返らない――そう思った瞬間、博人君は突然走りだし、再び私の元へと駆け寄った。
「はぁ……はぁ……はぁ……あのさぁ、さっき言った好きな人って、美優のことなんだ。返事はいい……聞かなくてもわかってる。今日は楽しかったよ。じゃあな」
一方的に話し終わると、博人君は再び走りだし雑踏へと消えていった。
「博人君……」
その名を呼べば、また現れてくれそう。でも、それは越えてはいけない一線。
私自身どうなんだろ……それよりも明美になんて言ったらいいかわからない――
「ただいま……」
私は気持ちの整理がつかないまま、玄関のドアを開けた。
◇◇◇◇◇◇
それからというもの、博人君からはなんのアクションもない。明美はというと、まだ博人君を引き摺っているようだ。
「美優はバレンタイン、誰かにチョコをあげるの?」
そう、今日はバレンタインディ。バックの中には、夕べ悪戦苦闘しながら作り上げた博人君へのチョコが今か今かと出番を待っている。
「えっ? 私は……」
脳裏には博人君の笑顔が写し出される。
チョコを渡す覚悟を決めたワケじゃないが、思わず笑みが溢れた。そんな私の思いを覆すように、明美は続けた。
「私はね、博人にあげるの」
「博人君?」
私は思わず聞き返した。明美と博人君は既に終わっているはず――
でも、確かに明美は博人君にチョコを渡すと言ってのけたのだ。
「博人君とは別れたんじゃないの?」
「うん……でも、忘れられなくて……ダメ元で渡すつもり」
一度は振られたが、やはり忘れられなかったのだろう。
「チョコを渡して、寄りを戻すつもり。美優は誰に渡すの?」
「私は……今回パスかな」
手を伸ばし掛けたバックから一旦引き、明美の様子を伺う。
冗談ではない――正直、嘘であって欲しいと願ったが、これは紛れもない現実であった。
「じゃあ……私、帰るね。邪魔しちゃ悪いしね」
「ちょっと待ってよ……美優。一緒に付き合ってよ」
なんて残酷な台詞。一歩引いただけでも精一杯なのに、その結果まで見届けなくてはいけないなんて。
「ねぇ、お願い……」
身支度を整えた私のコートを掴んで離さない明美。
やむを得ない……恋より友情を選んだのだから――
「わかったわ……少しだけ」
少しだけ……それが明美に対するほんの僅かな抵抗だった。
「ありがとう、美優。美優もいい人が見付かるといいね」
明美に悪気がないのはわかっている。でも、私の心は果てしなく傷付き……これでもかってほど打ちのめされていった。
自分が自分であるかさえもわからない。
手を引かれながら辿り着いた場所は、博人君を好きになったきっかけの生徒会室。
「どうしよう……美優」
生徒会室のドアの前で、彫刻のように固まる明美。無論、私も同様の状況だ。
心拍数を上げる原因は異なるが、出来ることならここから逃げ出したいというのが本音だ。
と、その時、おもむろに生徒会室のドアは開かれた。
そこには呆気に取られながらも、冷静な一面を見せる博人君の姿があった。
「何やってんだ? お前ら」
「実は……」
赤面しながらうつむく明美。そんな状況を見て、私はその背中を押した。
「明美! ほら、ちゃんと言いなよ」
私ったら何を言ってるのだろうか。本当は辛くて辛くて切ないのに――博人君に思いを伝えたいのに――
「博人……こ、これ。バレンタインのチョコ。私達やり直せないかな?」
明美……遂に言った。もう戻れない。
「んん……」
思わず博人君から視線を反らす。だが、博人君の瞳は確実に私を捉えていた。
「……考えさせてくれ。これは貰っとく」
中途半端な答え――それでも私の心は闇の中に消えていった。
“考えさせてくれ”
つまりそれは……可能性があるということ――あの日、私に打ち明けた思いは嘘だったのだろうか――
そう思うと、私はやりきれなくなり、明美を置いてその場から逃げ出していた。
「泣くな……まだ、泣くな……」
呪文のようにそう唱えても、瞳からは拭っても拭っても涙が溢れでた。
恋より友情を取ったのだから仕方ない……そう思いたい。
ほろ苦いチョコを食べながら、またいつものように学校へ行くことを想像した。