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心に花を、二人に愛を  作者:
彼女と彼の、この街
7/9

7 堕ちた天使(2)

 エンジェは娼館につくと、息を切らしているのも構わずすぐに娼館の応接間に向かい、扉を開けた。

 扉が開いた音に反応してサンドラは期待に満ちた顔で恰幅の良い体を振り向かせた。

「エンジェ!待っていたよ、どうだった――」

「私やっぱりやめます、こんなこと」

 決意の声でサンドラの言葉を遮った。思ってもみなかったのだろう言葉に目を見開いたサンドラを、エンジェは正面から見据えた。

「私はずっと自分が不幸だと思っていました。そして自分を不幸にする全てが嫌いだった。だけど、私を不幸にしていたのは他でもない、あなたに簡単に唆されてしまうような弱い自分のせいだと気付きました」

 ずっと、マーガレットが羨ましかった。

 快活で、前向きで、みんなに好かれて。そして、まっすぐに自分を貫ける強さがあって。

 その強さはマーガレットにそなわった特別なものなんだとずっと思っていたけれど、それは違う。

 彼女が強いのは、彼女が強くあろうと頑張っているからなんだ。

 辛い事に立ち向かわずに、自分のせいじゃないと全てを周囲のせいにして嘆いてる方が楽だから、私は逃げる事で自分を守ろうとしていただけ。

 そして、自分に出来ないことができる人を「自分と違う人間だから」と切り捨てて、逃げるための言い訳にしていた。

 今なら分かる。私はマーガレットのことが羨ましかったし、多分妬ましかったんだ。

「あの店を、マーガレットを不幸にしてまで、自分が幸せだなんて思えません。これが今の私の答えです」

 あの時の、涙に濡れたマーガレットの目を思い出す。きっとマーガレットも自分と同じように、これまで色々な障害に思い悩みながらも立ち向かっていったんだ。

 マーガレットが闘っているのなら、私だって闘わないといけない。

「このっ……役立たずが!」

 予想外の言葉を聞かされたサンドラは初め呆けていたが、やがて怒りが頂点に達し、エンジェの頭を髪ごと乱暴に掴みあげた。

「いっ……!」

「お前を買ったのが失敗だった!貧相な成りのくせにうちに来て、自分の食い扶持さえ稼げないお前を買って世話してやって、挙句の果てに私の邪魔をするのか!」

 恐ろしい声で怒鳴られても、髪を掴まれ振り回されても、エンジェの決意は揺るがなかった。もう辛いことから逃げないと決めたんだ。

 どんなに手荒にされてもエンジェはサンドラを強く見据えて揺るがない。その貫くような視線にサンドラは「ああそうかい」と諦めた口調で言った。

「そんなに嫌なら仕方がないね、残念だけれどお前を処分しないと」

 髪を掴んだ手を乱暴に振りほどかれ、エンジェは勢いのまま床に放り出された。

 処分。その言葉に、心臓がどくりと音を立てる。

「お前はもう私たちの事情を知ってしまっているからねえ。だけどお前を買った分の金は回収したいね。噂話さえ届かないほど遠い所へ売り払おうか。娼婦より辛く苦しい仕事はいくらでもあるんだ。ああ、それとも――」

 勿体ぶるように言葉を切って、いやらしい顔でエンジェを覗き込んだ。

「――目の届くところに置いて、薬を欲しがる男どもの間に放りこんでやろうか」

「え……?」

「お前の分の薬はもちろん無いよ。薬が欲しい男に売りつけるのさ、“薬“と”女“を一緒にね。そうしたらその分高く売れるだろう?そうだ、それがいい!どうして今まで思いつかなかったんだろう、うちの女どもの薬を抜いて少しずつちょろまかすよりずっと手っ取り早いじゃないか!」

 この女は今、何と言った?

 エンジェは信じられない気持ちで、名案だとでも言うように満足そうに頷くサンドラを見た。

 薬の横流しをしていたのは分かっていたが、どうやっていたのかとは考えていなかった。サンドラが今言った事が本当ならつまり、何も知らない姐さんたちを犠牲にして、薬の金を稼いでいたということだ。

「あなた、なんてことを……!」

 仮にもこの娼館のオーナーであるサンドラが彼女たちを蔑ろにして悪事を働いていたという事実。

 自分はこれからおそろしい運命に向かうことになったのかもしれない。

 男に買われる覚悟はこの店に入った時にすでに終えたが、サンドラが言っているのはきっとそれだけではない。これから自分はこの女の元で道具のように使われ、捨てられるのだ。女としての、人としての尊厳も無く。

 これが、これまでの私の罪の報いなのか。

 息が詰まり、涙がこみ上げる。

 しかし、今までの覚悟も決意も絶望の中に挫かれそうになったその時、部屋の扉がバン!と大きな音を立てて開いた。

「なっ!?」

 驚いた様子のサンドラにつられてエンジェも振り返り、扉に目をやるとそこには――


「こちらはピアリーフ警備隊である。サンドラ・パーマー、お前を拘束する」


 良く通る、落ちついた声が部屋に響いた。

 そこには、隊員を率いたダレル・ノーランド警備隊長が立っていた。見慣れた紺色の隊服と栗色の髪。人々を魅了する甘い顔立ちが、今は冷たく感じる。


「ち、ちょっと何なの、触らないでよっ」

 素早い動きでサンドラを取り囲んだ警備隊員が、すぐさまサンドラを後ろ手に拘束する。サンドラは抵抗するが、体格の違う相手に敵うはずは無かった。

 ダレルはじたばたと暴れるサンドラに向かい、冷たい声で言った。

「今、楽しそうにお話されていた件について、隊舎で詳しく聞かせて頂きます」

 言葉は丁寧なのに、まるで優しさを感じない態度だ。ダレルの言葉にサンドラはサッと顔が蒼くなったが、ダレルは返事など期待していないとばかりに、連れていけ、と隊員に告げた。サンドラは半ば引きずられるようにして扉から出て行った。

 騒ぎを聞きつけ、休んでいた店の女達が何事だと顔を出し始めるのを警備隊員が対応しているようだったが、エンジェはあまりに急な展開についていけず、床に呆然と座ったまま、サンドラが消えていった扉に立つダレルを見た。

「どうしてここに……」

 一体何が起こったのか分からないまま、気の抜けた声でエンジェはダレルに問いかけた。

「数日おきにしか店に来ない娼館からの使いが、よりによって定休日にくるはずないだろう」

 そう言ったダレルは、いつものように過剰なほど恭しい態度ではなかった。

 混乱した頭ではダレルが言った言葉の意味が理解できない。エンジェが怪訝な顔をしたのを見てダレルが続けた。

「ここ最近、君の動向を調べさせてもらっていた。今日あの薬屋に来た君を見て、裏が取れると思って様子を窺わせてもらっていたが、まさか主犯を押さえられるとは思わなかったよ」

 床に座ったままだったエンジェに、ダレルが手を差し伸べた。もう、いつものようにエスコートをするかのような手つきではない。ダレルの手を取って、エンジェは立ちあがった。

「……つまり、初めから疑われていたんですね、私は」

「正確に言えば、君ではなく店をね」

 エンジェはおおよその事情をようやく理解した。初めから娼館を疑っていたのなら、これまでの不自然な紳士ぶりは、娼館の見習いであるエンジェに警戒心を抱かせないためだったんだろう。見習いとはいえ、日常的に薬に関わっているエンジェが主犯かその一味である可能性も十分ある。警備隊にとっては注意を払うべき人間だ。

「私も捕まるんですか」

 未遂とはいえ、罪の肩棒を担いだようなものだ。それに、今日は偶然マーガレットの店の鍵が開いていた(マーガレットがいたからだけど)だけで、もし鍵が閉まっていたらエンジェは隠しの合い鍵を使って強盗していたはずなのだ。

エンジェは覚悟を決めて問いかけると、ダレルは肩をすくめて軽く笑った。

「さすがにさっきの会話を聞いてそうしようとは思わないよ。話は聞かせてもらいたいけどね」

 その言葉を聞いて、エンジェは安心したような納まりが悪いような、複雑な気持ちになった。どちらにしても、自分もこのまま警備隊の詰所に行かないといけないらしい。

 床に倒れたせいで服についた埃を払って、ひどく乱れていた髪を軽く整えた。行きましょう、とダレルに目配せをすると彼も頷き、エンジェは促されるまま歩き始めた。抵抗せずついていけば引きずって連れて行かれることはないようだ。


「思い留まってくれて、ありがとう」

 部屋を出るとき、ダレルが優しい声でエンジェに言った。

 ホッとした、とでもいうようなその言葉は、エンジェを心配したというよりは、マーガレットのための言葉に聞こえた。


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