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心に花を、二人に愛を  作者:
彼女と彼の、この街
6/9

6 堕ちた天使(1)

 マーガレットの追求に降参のポーズを取っていたダレルだったが、一瞬、エンジェが飛び出していった店の扉に目をやった後、ふと真面目な顔をして言った。

「悪い、用事が出来た。行かないと」

「……エンジェのこと、追いかけるの?」

「なんだ、妬いてんのか?」

 急に真面目な雰囲気が一変して軽い口調になり、にやけた顔でマーガレットをからかう。

「ちっがうに決まってるでしょ。エンジェのことが心配なの!」

「はいはい、わかってるよ」

 いつものように悪い顔でからかうダレルのおかげで、マーガレットもいつもの調子が戻ってきた。

 それにしても、質問をはぐらかされたような気がする。さっきの真面目な顔は見間違いだったのかと思うほど一瞬の出来事だったが、ふとエンジェが言っていた言葉を思い出した。

『彼は他人に覗かれまいとしているみたい』

 本当に、掴めない奴だ。何を考えているのか分からない。

「それじゃあな」

 ダレルが扉に向かおうとマーガレットに挨拶をした時、マーガレットはハッとして、これだけは言っておかなければと、おずおずと口を開いた。

「……あの、さっきは酷いこと言って、ごめんなさい」

 冷静になった今、さっきの出来事を思い出すと、八つ当たりでダレルに酷い事を言ってしまった罪悪感とか、未熟な自分の情けなさとか、いろんな感情がいっぱいになって恥ずかしくなる。

「……え?」

 ダレルは驚いて足を止め、マーガレットを見た。まるで予想外の言葉を聞いたかのような反応だ。そんなに意外ですかそうですか!ええそうでしょうね、あれだけ憎まれ口叩いてたきたんだから!

 素直になった恥ずかしさに居た堪れず俯いたが、何も言わないダレルが自分を見ているのは感じる。またからかわれるか、馬鹿にされるか。いずれにしても自分の責任なのだから恥ずかしくても耐えなければ。

 ……とは思うけど、やっぱり無言は無理!

「ちょっと、何か言って――」

 マーガレットが空気に耐えかねて口を開くと、ぽん、とダレルの手がマーガレットの頭に乗った。

「お前は何も心配しなくていい。帳簿も出さなくていいから、今日はゆっくり休んでな」

 え?と返事をする暇もなく、ダレルはそのまま店を出て行った。強く開かれた扉の鈴が普段より大きく鳴った。そして、閉まる時はゆっくりと。

 呆然とダレルが出て行った扉を見る。

「一体、なんなのよ……」

 訳が分からないままのマーガレットの呟きが、静かな店内に溶けていった。





――――――――――





 ――私は何てことをしようとしたんだろう!


 エンジェは激しい後悔の念に苛まれながら、大通り(メインストリート)に面したマーガレットの店を飛び出し、人を避けるように細い横道を走っていた。


 定休日で店には居ないはずマーガレットが、弱々しい目をして自分を見ていた。

 マーガレットが自分の名前を呼んだ瞬間我に帰り、そしてその時ようやく涙に濡れた彼女の瞳に気付いた。


 あれだけ強気に振舞っていたマーガレットだって、自分と同じく不安を抱えて悩んでいる普通の女の子だったのに!


 ここまで来る道すがら、自分は悪くないだなんて延々と罪悪感を正当化し続けていた。

 すべて他人のせいにして悲劇ぶる弱い自分。「天使エンジェ」が聞いて呆れる!心に宿るこの悪魔が、自分の本性なんだ!何のために自分は家を捨てて娼館にまで入ったのよ!

「……おばあちゃん、ごめんなさい……っ」

 この名前をくれた、一番大切な人を裏切ってしまった。

 エンジェは娼館への道を走りながら、後悔の涙が止まらなかった。



 エンジェはこの街から馬車でも数週間かかるような遠くの農村で生まれた。

 ありふれた貧村の、ありふれた農家の長女。エンジェの家も他と同じように子供が多かった。人手は欲しいが食事が足りない。そんな中で、エンジェは一番の年長として、妹や弟たちの為にあらゆる我慢をしなければいけなかった。

『お姉さんなんだからお願い』

 父や母が言うその言葉を小さい頃は不満に思っていたが、だんだんと年を重ねるにつれて、あちらを立てればこちらが立たない、そんなぎりぎりの家庭事情も嫌が応に理解できた。

 どう願ってもまともなご飯は無いし、いずれ自分よりも大きな労働力となる弟たちを食べさせるために、エンジェは耐えるしかない。だけど、朝早くに起きて日が暮れるまで農作業の手伝いをする日々を仕方がないと思いながらも、そんな理不尽な日々に涙が出ることもあった。

 だがそんな時、エンジェにはいつも駆け込む場所があった。

『辛いのかい、アンジュ。ここで沢山お泣き』

『みんな、私のことなんて何とも思っていないんだわ……』

 ベッドから体を起して、エンジェの頭を優しく撫でる祖母のことが、エンジェは大好きだった。足を悪くした祖母は介助が無いと移動できない。エンジェが祖母の世話をする時、誰にも言えなかった思いを打ち明けていた。

『アンジュ。お前が生まれた時にね、皆天使のように美しい子だと口を揃えて言ったんだ』

自分にエンジェと名付けた祖母は、若いころ海の向こうの国から渡ってこの村に移り住んだらしく、いつもエンジェのことを母国語ふうに、“アンジュ”と呼んでいた。

『そこに居るだけで、私たちは幸せになれる。そんなお前のことをみんな愛しているんだ。分かっておあげ』

 そして、祖母はエンジェの涙をぬぐいながら『そのかわり』と言って微笑んだ。

『辛くなったらいつでもここにおいで。天使にだって休息は必要だからね』


 いつも優しげに、顔にしわを寄せて微笑む祖母に、沢山救われた。だから、偶然聞いてしまった両親の会話に、頭が真っ白になった。

『労働力にならない祖母が“お荷物”のようで疎ましく思う』

 と。

 両親はただ、食事もままならない現状を嘆いているだけだということもエンジェには分かっていた。だが、天使ではないアンジュ(・・・・)には、とても許せなかった。

 ――自分の容姿が美しいというのなら、娼婦にでもなってやろう。二度と、あの優しい祖母のことを“お荷物”だなんて言わせない。

 その日、すぐさま村に通りがかった行商にエンジェから声をかけた。

 もちろん家族中から、特に祖母から大反対された。両親からは、良い嫁ぎ先をみつけてやるからと引きとめられたが、エンジェは両親に対する不信感は強かった。

『どうせその辺の小金持ちでも適当に見繕うつもりなんでしょう、それと何が違うって言うのよ!』

 結局最後まで喧嘩が絶えず、そのまま家から飛び出すように行商の馬車に乗り、このピアリーフの街まで出てきたのだった。


 家出同然で街に出てきたエンジェの身元を保証できる人間はおらず、まともな仕事は紹介出来ない。案の定、娼館・セブンスローズに入ることになった。

 しかし、容姿はともかく、これまでまともな食事もできていなかったエンジェは、まず痩せた体に肉をつけなければならなかった。そこで「見習い」として店の小間使いをすることになったのだった。

 そして家を出てからあっという間に半年がたち、店にも街にも慣れ始めた。そろそろ店に出られるような体つきになってきて――ようやくこれからだと思っていたのに。



 昨日、色々な荷物を抱えながら買ったお菓子が、今日お店に来るお客様の為のものだとは聞いていたが、普通、お店の姐さん達を買いに来るお客にわざわざお茶と茶菓子を用意することはない。なので、娼館そのものへのお客ということで、なにも不審に思う所は無かった。

 応接間の扉の裏で、館長サンドラと“お客”の男の会話を聞いてしまうまでは。


「――例の娘が昨日手紙を寄こしたんですの。一回の取引量を減らし、取引回数を増やして互いに疑いを晴らしましょう、ですって。」

「それは面倒ですね」

「わたくしたちには何の旨みもないでしょう?勘違いしてるみたいですわ、うちの疑いは晴れたというのに。最近は警備隊もあの薬屋の方を疑っていると公言しはじめました」

「そのようですね。さすがお貴族のお坊ちゃまだ、我々の根回しに上手く撒かれてくれましたね」

「ええ。ですがあまりやりすぎるとあの薬屋が捕まって……」

「本末転倒、ですね」

「”隠れ蓑”が無くなってしまっては、水の泡ですわ」


 サンドラ館長のいやらしい高笑いを聞きながら、エンジェは自分の心臓の音が大きくなっていくのがわかった。

 いつもマーガレットの店から仕入れているあの避妊薬。娼館セブンスローズと薬屋ケリーズ・ファーマシーの二つのどちらか、もしくはどちらもが例の薬物を秘密裏に売りさばき、そのせいでここ最近おかしな人間が増えたという話は、、今や街中が知っている。

 そして先日、警備隊が娼館の調査に入った。しかし娼館の疑いが晴れるとすぐ、もう一方のマーガレットの店が疑われ始めた。

 二人の会話から察するに、この事件の一連にあの男が言った“根回し”があったのだろう。

 つまり、この娼館の館長サンドラが、マーガレットに罪を着せて例の薬を売りさばいていたということだ。


 ようやく男が店を出て行き、サンドラが応接間の後片付けの為にエンジェを呼んだ時、エンジェは耐えきれず、サンドラに詰め寄った。

「サンドラさんだったんですね、あの薬を出回らせていたのは」

「聞いていたのかい、エンジェ!」

 エンジェの言葉を聞いたサンドラの顔はサッと青くなり、慌て始めた。

「あ、あんたは誤解しているんだよ」

 都合が悪くなるとすぐ猫なで声で相手の機嫌をとろうとする。だがそれは、頭に血が上っていたエンジェには逆効果だった。

「何が誤解ですか!マーガレットに疑いを被せて金儲けだなんて、信じられない!」

「落ちつきなさい。ゆっくり話を――」

「私、警備隊に全て話します!」

 決意を込めてエンジェがそう言った瞬間、サンドラの様子が変わった。

「……おまえの面倒を見てきた私に、よくそんな口が聞けたもんだね」

 その声を聞いた時、ぞくっと背中が震えた。ハッとして見上げると、サンドラはこれまで見た事が無いほど恐ろしい顔をしていた。

「わかってんのかい、私の金と引き替えに貧しい家から逃げてきたお前に、どれだけ借金があるのか。顔だけは綺麗だったから引き取ってやったんだ。店に出せない、金にならないお前を!」

 これまで彼女の機嫌が悪い時でもこれほど恐ろしくはなかった。だんだんと強くなるサンドラの声に、エンジェの恐怖も増していく。

 今まで生きてきた中で、こんなむき出しの悪意をぶつけられたことはなかった。

 多分、この人は自分の利益のために他人を切り捨てられる人間なんだ。そして、今まさに自分がその番なんだ。

 そう気付いた時、エンジェの心から悪魔が顔を出した。


 どうして、私ばっかりこんな目にあわないといけないの。


「――そうだ、お前今からあの店に行ってきな」

 サンドラは名案を思い付いたとでも言うように、俯いたエンジェに優しく声を掛けた。

「今日は定休日なんだろう?あの店に置いてあるあの薬、全部持ってきな」

「そんな……っ」

 さすがにそんなことをしたら薬どころの話ではない。驚いて顔を上げたエンジェを諭すように、サンドラはエンジェの肩に手をかけて言った。

「わかるだろう?あの薬ね、身入りがいいんだよ。お前もこの商売に手を貸してくれるというのなら、お前にも金を分けてやるよ」

 サンドラの声が絡みついてくるように感じた。ゆっくりと、体に理解させるように。

「店に出て男に買われずとも借金を減らせるんだ。まだ見習いでしかないおまえにとっても良い機会だろう?」

 そうかもしれない、とエンジェはぼんやりした頭で思った。

 自分の借金だって見習いのままじゃ1ペンスだって減らない。

 それに、“隠れ蓑“であり、そもそも薬の供給元でもあるケリーズ・ファーマシーが駄目になってしまうような事態は、おそらく“根回し”をして避けるのだろう。つまりマーガレットが捕まってしまうことは無い。

 今日は店の定休日。マーガレットはいつも店の掃除をしてから、次の定休日まで必要な日用品を買いに街に出るようだった。今なら居ないはず。店の合い鍵は裏の鉢植えの下だって前に言ってた。


 ちょっとくらいいいわよね。だって、これからも疑われ続けたとしても、あのお店が無くなる事はきっとない。

 だけど彼女たちにとって不利益な人間になってしまえば、私は。


 ――なんだ、それなら誰も損しないじゃない。


 そして、私はそれが大きな間違いだったと気付き、後悔することになるのだった。



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