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心に花を、二人に愛を  作者:
彼女と彼の、この街
5/9

5 こんなやつなんかに

 街の広場にほど近く、人通りの多い通りに面したこの店『ケリーズ・ファーマシー』で、マーガレットは入り口に特に気を配っている。

 店先には季節ごとに映える花を植えて、定休日でも欠かさず掃除と花の水やりをして、できるだけ明るい趣にして誰でも気軽に入って来られるように。

 しかし、こんなに空が晴れた気持ちいい朝なのに、いつもより花も元気が無いように見えてしまうのは自分の心が沈んでいるせいだろうか。

 昨日、フィリップさんに言われた言葉が頭の中をぐるぐる回っている。気持ちに体が引っ張られているのか、何をするにも億劫だ。マーガレットはジョウロからさわさわと花に水がかかるのをぼうっと見ながら、ああこれが終わったら帳簿を出さなきゃ、と頭の片隅に追いやっていた事に向き合うことにした。

 と同時に、今となってはさらに憎らしい、いつもすかした態度のあの男のことも思いだしてしまう。

「……明日は花と一緒に水でもぶっかけてやろうかしら」

「心当たりがありすぎるが、それが俺の話なら今日のうちに断っておく」

 突然背後から聞き覚えのある声がし、マーガレットは驚いて振り返った。

「よう」

 栗色の髪に紺の上着、そして甘い顔。案の定、右手を軽くあげて挨拶するダレルが立っていた。

「……あんたって人を驚かす声の掛け方しか知らないの?」

「お前がぼんやりしてただけだ」

 じとり、と睨んでも今日はどうにも力が入らない。一方、ダレルは何も変わらず普段通りだ。マーガレットはこれ以上何かを言い返す気分も起こらず、ジョウロを花壇の横に置いて店の中に入ろうと扉を開いた。

「なんだ、今日は妙におとなしいな」

 呑気な声で話しかけてくるダレルの言葉に、今日はいちいち責められているような気がしてくる。いらいらする。私に構わないでよ。

 元々マーガレットは短気だが、こんな心の奥から湧き上がるような苛立ちは初めてだった。自分らしくなくて、すごく気分が悪い。

「私昨日言ったわよね、今日は定休日だから見回りはいらないって」

「あ、おい」

 マーガレットは逃げるように店の中に入ったが、様子のおかしいマーガレットを不審がるように、続いてダレルも店に入った。

「べつに見回りで来たわけじゃない」

「それなら一体何しに来たの?これから取りかかるんだから、帳簿の準備なんてまだできてないわよ」

「だから来たんだよ」

 その言葉に、マーガレットは身を強張らせた。まさか本当に燃やすんじゃないかと監視しにきたのか。自分のことを疑っているから――自分はダレルの敵だから。

 しかし次の瞬間、ダレルの思いもよらない言葉にマーガレットは固まってしまった。

「男を頼れっていったろ」

「……え?」

 思わず、口をぽかんと開けてダレルを見た。その言葉は確か、前に戸棚の上にある箱を取る時に言われたものだ。手が届かず、諦めて踏み台を持ってこようとしたマーガレットに、ダレルがこう言って手助けした。

 つまり「頼れ」というのは、今日帳簿を引っ張りだすと言ったマーガレットを手助けに来たという意味なのか。

 ――そう気付いた瞬間、苛立ちが限界に達しマーガレットは堪え切れず叫んでしまった。

「あんた意味わかんない、これから捕まえる人間に優しくしてどうしようってのよ!」

 マーガレットの突然の大声に、ダレルは驚いて目を開いた。

 こいつのこんな表情初めて見たかも、なんて頭のどこかで思った時、二階からガタガタと音が聞こえた。

「……今の声、マギーなの?どうかした?」

 二階で寝ていたはずのマーガレットの母が、マーガレットの大声で起きてしまったらしい。階段を下りてきたことに気付き、マーガレットはハッと我に返った。

「何でもないのお母さん、大声出してごめんなさい。大丈夫だから寝ていて――」

「あら」

 マーガレットの止める声は間に合わず、マーガレットの母リンダは寝間着のまま、カウンターの壁を挟んだ裏にある階段から顔を覗かせ、ダレルとはち合わせてしまった。

「あの、こんにちは。お邪魔しています」

「きゃ、いやだわ。こんな男前な方の前にこんな格好で出て来ちゃって恥ずかし……っ」

 最後まで言えず、ゴホゴホ、と咳込んだリンダにマーガレットは慌てて寄り添い、背中を擦った。

「もうお母さん、無理しないでったら」

「っごめんなさいね、マーガレット。心配かけて」

「私のことは構わないから、ベッドに上がって寝ていて。ほら」

 マーガレットが背を押してついていこうとすると、リンダは添えられた手に自分の手をそっと重ねて制止した。

「二階に行くだけだから付き添いはいらないわ」

「でも――」

「ダメよ、お店を離れたらお客様に失礼でしょう」

「……わかったわ」

 いい子ね、と笑うと、リンダは二階の寝室に帰っていった。

 階段を上っていくリンダを心配そうに見上げていたが、寝室のドアが閉まるとホッと息を吐く。そんなマーガレットに、ダレルが切り出すように声をかけた。

「家族でやっている店だと聞いていたのに、いつも店にいるのはお前だけだったから不思議に思っていた」

 もしかして、と言われた言葉に、マーガレットはダレルに背を向けたまま答えた。

「……ずっと、病気なの」

 マーガレットの声は硬く、表情は窺えない。

「お父さんが亡くなってすぐにかかってしまって。私とお母さん二人が生きて行くために、お父さんが残したこの店を私が守っていかなきゃいけないと思ってこれまでやってきたわ。でも薬屋なんて、皆がこぞってやって来るような場所じゃない。だけどそれじゃ、お母さんの看病の分はまかなえないの。だから、なんとか色々なお店と契約を取り付けてやってきたの」

 普通に店をやっていくだけなら、贅沢はできないにしてもマーガレットとリンダ二人程度はなんとか暮らしていける。だが、リンダの看病に何かとお金がかかるのだ。それを考えると、お金はあるにこしたことは無い。だからこそ、マーガレットは娼館や食堂なんかと大口の契約をして、普通の薬屋以上の仕事をやってきたのだ。

「それがこんなことになって。だけどそれでも、この店を守るために負けるもんかって思ってたわ。無実だって自分が一番よく知ってるもの。強気でいれば悪い流れも断ち切れるって信じてた」

 ぎりぎりで堰き止めていた堰が決壊したみたいに、口から言葉がついて出てくる。

 これまでやり場のなかった思いが溢れてきてしまってもう止まらなかった。ダレルの反応が無くなったことも構わず、まくし立てるようにマーガレットは言葉をぶつけた。

「だけど昨日、食用ハーブを卸してる食堂のフィリップさんがうちに来てこう言ったの。来月からの契約を考えたい、って。この店が怪しいっていう噂を信じる人もいるんだ、って」

 昨日、フィリップさんはすごく申し訳なさそうに話してくれた。

 マーガレット本人を信じる人ももちろんいるが、噂が大きくなってしまって食堂のお客さんからも苦情をもらうことも増えてきた。すぐに止めたいというわけではないが、このまま噂が大きくなるようだったら考え直さないといけない。と。

 ただでさえ、一番の大口である娼館との取引が不安になってきているのだ。ここで、食堂との契約まで無くなってしまったら大打撃だ。なんとか考え直してくれないかと頼んでも、フィリップさんは苦い顔だった。

 こちらも客商売だからフィリップさんの気持ちはとてもよくわかるし、きっとフィリップさんも沢山悩んだ末にマーガレットに相談に来たのだ。だからもうそれ以上は何も言えなくて、話は保留としてもらった。

 ――涙がこみ上げてくる。自分だけが自分を信じてたって何の意味もないんだ。店のこと、父のこと、母のこと、考えれば考えるほどどうにもならないような気がしてきて、ずっと恐かった。昨日は一晩中眠れなくて、不安に押しつぶされないように耐えているのが精いっぱいだった。

「……全部、あんたのせいよ!あんたさえいなきゃ……っ!」

 振り返って、涙で歪んだダレルの顔を見ると、悔しさとか悲しさとか、いろんな思いがこみ上げて堪らなくなった。

 この憎らしい男の広い胸を、握っても力の入らない手でポカ、と叩く。続けて叩いても、抵抗はなかった。ダレルが何も言わないのをいいことに、泣きながらポカポカと叩き続けた。


 本当は、この男のせいじゃないことはわかってる。

 この男はいけすかないけれど、警備隊が出来てから街が前より安心できると住民はみんな感謝してるし、警備隊が頑張ってくれていることも知ってる。自分を疑っているのだって、間違いなくこの街の為なのだ。

 ただ自分は、自分の無力さが嫌で、そしてそんな自分を隠すために虚勢を張っているのも嫌で、八つ当たりしているだけだ。抱えている不安のやり場がなくて、ずっとダレルにつんけんしていた。本当に情けない。情けなくてさらに涙がこみ上げる。ポカポカと自分に殴られるまま立っているダレルはきっと、こんな情けない自分に呆れて言葉を失っているのだ。

 なんだか急に恥ずかしくなり、叩いていた手を止めてダレルから離れようとしたが、ダレルはマーガレットの頭に手をやると、そのまま強く引き寄せた。

「え――」

「すまなかった」

 気付いたら、マーガレットの視界はダレルが着ている上着の紺一色になった。突然のことにびくりと震える。

 驚きで涙も止まり、顔が熱くなるのを感じたが、引き寄せられた胸からダレルの心臓の音が聞こえてきて、なぜかホッとして力が抜けた。居心地がいいような悪いような変な感じ。だけど不思議と安心する。その感覚に縋るように、マーガレットはダレルに預けるように体を寄せた。

 だって体の力が抜けたから。なんて、何に言い訳しているんだろう。

 寄りかかるマーガレットの重みを感じたダレルが、さらにマーガレットの背中を左手で引き寄せた。その力強さに、ぎゅうっと心が締め付けられる。

 ――こんな時に、なぜかふとエンジェの顔が頭を過った。この男といつも仲睦まじくしている、あの美しい女の子。この間も楽しそうに笑い合いながら帰っていってた。

「……あのっ」

 ハッとして、再び体を強張らせたマーガレットがダレルから離れようとしたその時、店の扉が開き、チリンチリン、と鈴が鳴った。

「えっ」

 マーガレットが驚いて入り口を振り向くと、そこにいたのはたった今考えていたエンジェその人だった。

 すぐに、突き飛ばすような勢いで慌ててダレルから離れる。

「エンジェ、違うの、これはその――」

「マーガレット……?」

 一体何を言うつもりなのか自分でも分からないまま、マーガレットは弁明しようと違う違うと手を振りエンジェに声を掛けたが、エンジェは聞こえていないのか、呆然とマーガレットの顔を見た。

「っ……!」

 そして途端に泣きそうな顔になり、身を翻して走っていってしまった。

「ねえ誤解なの、ごかい……」

 マーガレットの言葉は最後まで届かず、勢いを失った「ごかい……」の言葉が狭い店内を漂っていた。

 見られた、見られてしまった、この男と抱き合ってるみたいな格好を!

 冷静になった今、そんな恥ずかしい場面を見られた事もショックだったが、自分をみてエンジェが泣きそうな顔をして走り去ったこともショックだった。エンジェは初めからこの男を悪く思ってはいなかったようだったし、やっぱり本当にこの男の事を――と考えて、胸の奥がちり、と痛んだ。

 そんなマーガレットの横で、ダレルが額を押さえ、やってしまった、という顔で呟いた。

「最悪だ……」

 ……最悪ってなんだ、最悪って。口をついて出たみたいなダレルの言葉にムッとして、マーガレットはダレルに言い返した。自分は誤解とか言っていたことは忘れて。

「私だって、あんたなんかと良い仲だなんて思われるのはお断りだわ」

「はあ?何言って、そう言う意味じゃ」

「じゃあどういう意味よ」

「いや、それは……」

 珍しく焦った様子で言葉を濁すダレルに「何も言えないんじゃない」と言うと、ダレルは目を逸らして降参するように両手を上げた。

章機能使ってみました。

第一章はあと数話です。


加筆修正しました(20170826)

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