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心に花を、二人に愛を  作者:
彼女と彼の、この街
4/9

4 負けるもんか(2)

「本人に言っちゃったのね……」

 今日はケリーズ・ファーマシーに娼館セブンスローズからエンジェがお使いに来る日だった。

 ダレルに宣戦布告した話から怒りの帳簿話まで、ここ数日の顛末をエンジェに伝えると、エンジェは驚き、呆れ、そして諦めて、最後にため息を吐いた。

「マーガレットにはいつもはらはらさせられるわ……」

「清廉潔白なんだから、堂々としていればいいのよ。それなのに、燃やすなよーとか、馬鹿言うなって話よ!」

 その言葉が相当腹に据えかねたらしい。そんなマーガレットを見てエンジェは笑ったが、いつもの薬を用意していたマーガレットの手がふと止まった。

「……ほんと何考えてんのか、全然わかんないわ」

 自分を疑っていることを隠しもしないくせに、そんな自分をためらいなく手助けする。あの男の考えている事がわからない。でも、わからないのはあいつだけはない。自分もだ。いつも失礼な事を言ってくるあいつの態度に腹が立つのに、あの時優しく頭を叩いた手の感触がずっと離れない。

 あの時みたいに自分で頭に手を添えながらぽつりと呟いたマーガレットに、エンジェはふふ、と優しく笑って言った。

「そうね。確かに彼は、明るく振舞って他人に覗かれまいとしているように見えるわ」

 二人の接点はうちにやって来た時の少しの時間だけだと思っていたが、いつのまに奴の事が分かるほどに交流を深めていたのだろう。

「……二人がそんなに仲良くなっていたなんて知らなかったわ」

 素直に驚いてマーガレットはそう言ったが、マーガレットの言葉にエンジェも目を丸くし、そしておかしそうに笑った。

「違うわ。娼館はいろんな方がいらっしゃる所だもの、私だってそれなりに人を見る目はあるつもりよ」

 内緒の話をするみたいに人差し指を口元にあて、いたずらっぽくエンジェが笑った。

 どうやら、エンジェはダレルの事をそれほど悪く思っているわけではないらしい。そういえば、ダレルもエンジェには意地の悪いことは一度も言わないし、やたらと紳士ぶって接している。二人が並んでいると格好だけなら美男美女でとてもお似合いだ――余裕のない自分とは違って。

 なんて考えて、いやいや自分には全く関係ない話だと頭を振った。これではまるで自分がダレルと並びたいとでも思っているみたいだ。まだあの“カンチガイ運命の出会い“に気持ちが引っ張られているのか。

 いけないいけない、気を確かに持たないと。変な考えを振り切るために止まっていた手を動かした。


「そういえば、この前この薬の話を聞いてから私考えてたのよ」

 数が合っているか確認しながらエンジェに話かけた。エンジェが使いにこの店にやって来る理由であるこの避妊薬。まさに今頭を悩ませているこの薬と聞いて、エンジェはすぐに真剣な顔でマーガレットに向き合った。

「今、うちとこの薬の取引をしているのは娼館セブンスローズだけよ。うちとしては大のお得意様だけれど……あんな話が出てきたからには、少し考えないといけないと思って」

「考える?」

「ええ。この薬は限度ぎりぎりの間隔で渡しているけれど、飲ませ方を変える事が出来ないかと考えているの。例えば、一回の分量をもっと少なくすれば、薬の受取りと服用の間隔はさらに短くなるから多少面倒でしょうけど、不正を疑われる余地も少なくなると思うの」

 今、きちんとしたルールの上で売買しているのに疑われているのだ。多少面倒でも今よりもっと厳しいルールを自ら課し、必要があれば、販売量と使用料を警備隊に確認してもらってもいい。そうすれば、疑いを軽くすることができるかもしれないと思ったのだ。もちろん、近いうちに帳簿を警備隊に提出することはするが、それ以降も疑われ続けたら堪ったものではない。これからも商売を続けていく以上、不安は減らしておきたい。

「いずれにしてもセブンスローズの主人と相談をしたいの。手紙を書いておいたから渡してもらえるかしら」

「ええ、わかったわ」

「お願いね」

 薬の袋に手紙を一緒に入れてエンジェに手渡し、いつものようにサインをお願いした。

「今日はお茶葉とお菓子と、薬に手紙まであって忙しいわ」

 エンジェ・ロランド、と拙い手付きでサインをしながら、エンジェが苦笑した。その言葉にマーガレットがエンジェの足元を覗くと、今日はいつもより荷物が多いようだった。

「何かあるの?」

「明日お客さんがいらっしゃるから、薬を受け取るついでに買ってこいって。サンドラさんは人使いが荒いわ」

「そうだったの。そんなときにこちらの用事まで増やしちゃってごめんなさい」

「手紙くらい構わないのよ。ただ、何かお使い忘れがあったりしたら彼女の機嫌を落としてしまうと思って」

 いつもカリカリしている印象の、恰幅の良い姿を思い浮かべた。サンドラとは娼館セブンスローズを一人でやりくりしている女主人だ。資産家だった旦那と死に別れ、残った資産を元手にこの街に娼館を構えたという話だ。数人から始まった娼館セブンスローズを女だてらでこの数年で大型娼館にしたやり手だ。

 そんな事を考えていると扉の鈴が鳴り、いつもの顔が店に入ってきた。もう見慣れた紺の上着と、南向きの扉から逆光できらりと透ける栗色の髪。ダレルだ。

「どうも見回りです……おや、これはエンジェ嬢ごきげんよう」

「あら、隊長さま御苦労さまです」

「何度も言うようですが、堅苦しい肩書ではなく『ダレル』とお呼び下さって結構ですよ」

 エンジェもダレルのこの態度には慣れてきたらしく、最近は苦笑で応対するようになってきた。エンジェの手を取り、背をかがめて“挨拶”するダレルに、あの最近流行りのロマンス小説に出てくる姫と騎士みたい、とマーガレットはぼんやり思った。

 ちなみにあのロマンス小説はなにかと女性好みのシーンが多く、ダレルと初めて出会った時にも小説を連想して……なんてこともあったが、その時のことはもう忘れることにした。

「エンジェへの挨拶が先なのはもう諦めたわ」

 もう見慣れてしまった光景にマーガレットが呆れてそう言うと、ダレルはすぐ合点がいったふうに「ああ」とマーガレットの手を取った。

「お前もされたかったのか」

「ちっがうわよ!」

 反射でダレルの手を振りほどく。

 一応形だけでも“見回り”としてうちにくるのなら、客でなくまず店に声を掛けろと言っているだけで、自分にもしろなんて一言も言ってない。

 でも、そんなことも分かって言っているのだこの男は。ダレルはすぐにいつものからかうような顔になる。くっと顎を上げ、こちらの反応を見るように屈んだこの男を睨みつける。

「今日はご注文は無いみたいですね!“見回り”もお済みでしょうからどうぞお帰りくださいませ!」

 店の扉を指差してそう言うと、ダレルは腹立たしい笑い顔のまま肩をすくめた。

「そうだな、それじゃ失礼するか。おやエンジェ嬢、今日は荷物が多くて大変そうだ。よろしければ近くまで私がお持ちいたしましょう」

「あら、大した量ではありませんわ」

「遠慮なさらず。お送りできないのは心苦しいですが、隊舎の近くまでご一緒いたします」

 流石のお家柄というべきか、ダレルは流れるように自然な動作でエンジェの手荷物を取り、店の扉を開け促した。なんなんだこの光景。こんな街の一角にあるただの薬屋で繰り広げられる非日常的な光景に、マーガレットは呆れてため息を吐いた。

「ええと、マーガレットそれじゃあね」

「ええ、ごきげんよう」

 流されるままエスコートを受けるエンジェはそれでもマーガレットに挨拶を忘れず、店を出て行った。エンジェには笑って手を振り、その後ダレルを向いて言った。

「明日は定休日だから“見回り”は必要ないわ。帳簿引っ張り出しといてやるから、明後日は首洗って待ってなさいよ」

「待つっていうか俺が出向く立場なんだが」

「ぐっ……」

 こうやって揚げ足をとる所が本当に腹立たしい!

 一応、店の扉を閉める時にはダレルも「それじゃ」と言ってから帰っていった。本当に嵐のような奴だ。


 店の中から、遠ざかっていくエンジェとダレルの二人を見る。ダレルが冗談でも言ったのか、エンジェと二人でおかしそうに笑いあったのをマーガレットは何故か苦い気持ちで見ていた。

 どうしてこんなにもやもやするんだろう。ダレルとエンジェが楽しそうに歩いていたところで、マーガレットには何の関係もないはずだ。二人が仲良くなったって、あの意地悪男に助けられたって、あの大きな手で頭を撫でられたって、何の関係も無いはず。無いはずなのに。

 マーガレット自身には問題が山積みだし、これ以上何かに心を割いている余裕なんてない。それなのに、一体何を考えているかわからないあの男は、自分は何も明かさないくせにこちらの心にどんどん入り込んでくるのだ。

 いけない。初心を思い出せ、あいつは敵なんだ。これ以上侵食される前に奴のことなんて心から追い出さないと――と考えてマーガレットはふと思い至った。敵だ敵だと思っていたけれど、それは自分だけに限ったことではないのではないか。相手だって、同じように自分のことを敵だと思っているはずじゃないのか。

「……そりゃそうよね」

 考えてみれば当然のことだ。ダレルが意地悪だったのは初めからで、そもそもダレルは初めから自分のことを疑っていたんだから。

 お互い敵同士。初めから自分は敵だと思われていたんだし、自分だってあいつのことを敵だと思ってる。

 だから、マーガレットがダレルに悩まされる筋合いなんて無い。

 それなのにマーガレットはいま確かに、その考えにショックを受けていた。



 その時、店の扉が開き鈴が鳴った。

「あっ、いらっしゃいませ!」

「やあ、マーガレット」

 マーガレットがハッとして顔を上げると、見知った顔だった。この街で食堂を営んでいるフィリップさんだ。サボるのが好きで、いつも女将さんに怒られているのがこの街の名物になっている陽気な人で、食用の香草を卸しているお得意様でもある。ちなみに先日のダレルに助けられた一件でマーガレットが無茶しているのを野次馬していた一人だ。

 だが、今日はそんな普段の様子とは打って変わって深刻な顔をしている。

「……どうかしたの?」

 その様子を不思議に思い、マーガレットは尋ねた。何より今の時間は食堂もディナータイムの準備で忙しいはずなのに。

 するとフィリップはようやく、あのな、と口を開いた。

「うちの店との契約のことなんだけど……」

 躊躇いながら切り出されたその内容に、マーガレットは言葉を失ってしまった。

加筆修正しました(20170826)

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