3 負けるもんか(1)
よくよく考えたら腹が立つ話だ。薬を悪用する不届き者も許せないし、自分に無実の罪が着せられていることも納得がいかない。そして何よりも腹立たしいのは、警備のために見回りしますとか言っていたあの男は、本当は自分を疑っていたということだ!
安心できるとか、ほんのちょっとでもかっこいいかもと思った自分が馬鹿だった。ただ、自分を守るのは自分しかいないと再確認できたことには礼を言おう。だからあとは、この怒りを正しい場所に正しくぶつけるだけ。
そろそろあの男がやってくる時間だ。扉の前にスタンバイ完了。そして、あの男がこの扉を開けたらこう言ってやるのだ!
「うちは怪しい事なんて何もしてないんだから!」
――扉に手をかけたまま固まるダレルと、目の前で仁王立ちしたマーガレット。開いた扉を挟んで固まる二人の間に、広場の喧騒と涼やかな扉の鈴の音だけが鳴った。
「……は?」
いつも人を馬鹿にしたような事ばかり言うダレルが、豆鉄砲を食らった鳩のような顔だ。マーガレットは胸がすく思いだった。一矢報いてやったぞ、どうだ!
そんな満足気な顔をしたマーガレットにダレルは一瞬あっけにとられたものの、すぐににやりとした表情に変わった。
え?とマーガレットが思ったのは一瞬で、まるで『そちらが売ってきた喧嘩なのだから逃がさないぞ』とでも言うように、ダレルはにこやかな顔で言った。
「知られてんなら話は早い。それじゃこの店の帳簿でも見せてもらおうかな」
「へ?」
今度はマーガレットの方があっけにとられた。つい今まで主導権を取っていたのは自分のはずだったのに、一瞬でダレルにもっていかれた、みたいな。
驚きを隠せず冷や汗が滲むマーガレットを、ダレルは覗き込むように目を合わせ、意地の悪い笑顔で言葉を待っている。自分の考えでは焦って帰って行くのはダレルのはずだったのに、どうして自分がはらはらしてるんだ。いやしかし、先に喧嘩を吹っ掛けたのはこちらなのだから、ここで退くわけにはいかない!
「いいわよ!全部出してやるから、刮目して見なさい!」
負けるものか、とキッと睨みつけて踵を返し勇ましく歩いて行くマーガレットに、ダレルが堪えるようにこっそり笑った。
そう勢いよく啖呵をきったものの、マーガレットは一気に冷静になり、店の裏に続く扉の前で立ち止まった。
営業中の今、店を放って出しに行くわけにはいかない。昔の分は仕舞ってあるし、もっと古いものは物置に置いてある。たった今大口叩いたばかりで非常に言いづらいが――自分のプライドよりお店の方が大事だ。いや負けてはいない、これは単なる店の都合だ。だからまた今度に……そう思い切ってダレルに振り返った時、店の扉の鈴が鳴った。目を向けると、案の定お客さんだった。
「あら、ナタリーさんじゃない、いらっしゃい」
市街の近くにある畑を管理している農家の奥さん、赤毛が特徴的なナタリーさんだ。
「ごきげんようマーガレット。うちのが風邪で寝込んじゃったのよ、お薬貰えるかしら」
「もちろんよ」
正直、助かったー!と思いつつ、当然のようにお客さん優先みたいな顔をしてダレルに目配せすると、ダレルは軽く肩をすくめて了承した。
さっそく準備を始めようと袖をまくる。ナタリーさんは「お願いね」と言うと、すぐにダレルの存在に気付き声を掛けた。
「あら、隊長さんじゃない。お邪魔したかしら」
「邪魔?いえ、見回りに伺っただけですので、私はすぐ失礼しますよ」
「あらそうなの?あんまり足繁く通ってるもんだから、隊長さんはマーガレットにお熱なんじゃないかってここ最近もっぱらの噂よ」
「なんですって!?」
ごとり、と薬瓶がマーガレットの手から滑り落ちた。今、とても聞き捨てならない言葉が聞こえた。
この男が、自分に、会いに来ているだって!?
そんなひどい誤解はない。カッとなり、ダレルを指さして言った。
「違うわよ!こいつ、私が裏で危ない薬売りさばいてるって疑ってるだけなのよ!」
――目を丸くしたナタリーさんと呆れ笑いのダレルを見て、あ、と思った時には遅かった。その日のうちに、妙な薬についての諸々の話は、街中の知るところとなってしまった。
結局あれからずっと街の人たちから質問攻めにあい、帳簿どころの話ではなくなってしまったのでダレルは帰らざるを得なくなった。
「あれから外出るたびに、あいつを捕まえるなんてそりゃねえよ、なんて責められるんだよ。移動が大変だった。おまえ街じゃ人気者なんだな」
「あんたそれでもうちに来るのね……」
一日が明け、相変わらず今日も店にやってきたダレルに呆れてそう言うと、ダレルは肩をすくめた。大変だったと言いながら、ダレルはそれほど困っている様子でもない。以前とかわらず何でもない顔でマーガレットと話をしていた。
「こんなに注目されてちゃ私を捕まえるのも難しいんじゃないの?」
「いーや別に」
「……あっそ」
挑発してみてもどこ吹く風といった様子だ。
ひょうひょうとした態度が気に入らない。それほどこの男には自分を捕まえる自信があるということなのだろうか。悔しいような悲しいような、よくわからない気持ちを振り切るように、マーガレットは渡された注文の紙に目を落とした。
「今日はええと……刀傷に効く薬?警備隊って物騒ね」
「物騒なのは俺らじゃなくてあちらさん方だ」
「確かにそうね。ほんと、変な人間が急に増えたわよね」
“切り傷“ではなく”刀傷“ということは、包丁で切った時のように浅くはないが、病院へ行くほどのものでもない、ということだろう。こんな中途半端な注文が何とも警備隊らしい。この街が物騒になったという証のようだ。
そんなことを考えながら戸棚の上にある箱を取ろうと手を伸ばしたが、あと少しのところで届かない。仕方ないので踏み台を持ってこようと諦めた時、ダレルが苦笑しながら「なんで男に頼らねえんだよ」と後ろから手を伸ばした。
え、と言う暇もなく、棚とマーガレットに影がかかる。棚についた左手を支えにして、まるで自分に覆いかぶさっているような体勢にマーガレットの体がカッと熱くなった。部屋中に聞こえるほど、自分の胸がどくりと鳴ったような気がする。
「よっと、ほら」
そう言ってダレルが箱を取り差し出すまでほんの一瞬の出来事だったが、マーガレットにはとても長い時間に感じた。そしてダレルの大きな手から優しく差し出される箱を呆然と眺める。
「……おい、どうした?」
様子がおかしいのを不思議に思ったダレルがマーガレットの顔を覗き込んだ。綺麗な顔が近付き、マーガレットはハッと我に返った。
「な、なんでもない!これは私の仕事よ」
差し出された箱をしっかり受け取り背を向ける。お礼は言わない。こいつは自分を疑う敵なのだから。
「俺もすっかり嫌われたもんだな」
「当然じゃない」
いつものように軽く肩をすくめたダレルを背に、マーガレットは熱くなった顔を落ちつけていた。
取ってもらった箱から薬を出し、準備をはじめた。刀傷なんて言っても実際切り傷の延長だ。湿布がいいだろうと布も用意しながら、昨日の話について切り出した。
「帳簿の件だけど、古いものは奥にしまいこんであるから時間がかかるわ。次の定休日にでも準備しておくからその次の日ならいいわよ」
「わかった。どさくさにまぎれて燃やすなよ」
その言葉に、バチン、と大きな音を立てて、鋏を当てた布に最後の一裁ちを入れた。
いつもの軽口とはいえ、さすがに頭にきた。無言で、手渡す袋に布を乱暴に突っ込む。全て入れ終わると袋の口をいつもよりキツく締め、ダレルを睨みつけた。
「ここ数年分の帳簿、きっちり耳揃えて出してやるから待ってなさい。はい薬と湿布用の布と包帯!湿布と包帯は毎日取り替えてくださいね!ごきげんよう!」
薬と布をつっこんだ袋をダレルの胸に押し付ける。さっさと出て行けと怒りの視線で語るマーガレットを、ダレルは少し驚いたような表情で見ていた。
「なによ」
「……いや、別に」
そう言うと、ぽんぽんとマーガレットの頭を軽く叩いて帰って行った。扉の鈴がちりんちりんと鳴って、店内にはマーガレット一人になった。
なんだ今のは、とダレルが帰って行った方を呆然と見てしまう。
ダレルの考えている事が全く読めない。犯人扱いしてるくせに助けてくれるし、失礼なことばかり言うのに仕草は優しいし。そして最後のアレはなんなのか。
一体どれが本当の彼なんだろう。もやもやした思いを抱えながら、マーガレットはダレルに取ってもらった箱を片付けるため、踏み台を取りに行った。
加筆修正しました(20170826)