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心に花を、二人に愛を  作者:
彼女と彼の、この街
2/9

2 怪しい雲行き

 ここ数年、隣国ノースカロル公国の産業技術が向上するのに従って、ノースカロルと接するノーランド領の交易も増えて行った。その結果、ノースカロルをつなぐ主要街道があるノーランド領ピアリーフの街に人や物が集まるようになり、ピアリーフは流通の拠点として栄え始めていた。

 それまで小さなターミナル街でしかなかったピアリーフは次第に繁華街へと姿を変え、宿や酒場などの数も増え大きな娼館までもが現れた。街並みは変わらないが、新しい建物がいつもどこかで建てられているのが当たり前の光景になっている。

 人が集まれば街は賑わうが、光が出来れば影も強くなるもので、ピアリーフでは同時に治安の悪化も懸念され始めていた。

 そこで街の有志がピアリーフの自警団を結成することになったが、そこに領地発展を目的としていた領主ノーランドが目をつけ、自警団はノーランド領内警備という形で“警備隊“として発足した――というのが、この街の事情だ。

 どんどん広がっていく街の中で、栄え始めるより前からずっとピアリーフの街で店を構えていた繁華街広場周辺の人たちにとっては、昔はこんなんじゃなかったけどなあと、ちょっとした悩みの種になっていた。

 古参店の一つでもある『ケリーズ・ファーマシー』を支えるマーガレットも例に漏れず、若い女ということで変な人間に絡まれる事も少なくなかったが、そのたびに店から叩きだして水を引っ掛け追い返していた。

 まあそんなことはもう二度としないと先日強く誓ったが――

「やあこれはエンジェ嬢、今日もご機嫌麗しく」

「ごきげんよう隊長さま、お勤め御苦労さまです」

「ダレルとお呼び下さって結構ですよ」

 あの妙な来客の一件から早くも一週間が経とうとしていた。あれから目立っておかしな事は起きていないが、警備隊が見回りに来てくれるというあの言葉通り、毎日この店に立ち寄るようになった。この男が!

「……店への挨拶はないのかしら」

「おお悪かった、やあ今日もこの店は大丈夫そうだな」

「あんた、見回りに来てんのかエンジェに会いに来てんのかわかんないわよ!」

 先日の一件以来、警備隊長であるこの男の素性が街に知られるところとなったが、なんでも「気さくに接してくれって言ってた」とか「貴族様も偉そうな奴ばっかじゃないんだな」とか「こないだ井戸掘り手伝ってくれたよ」とか「かっこいいしそれで良い」とか、完全に街の信頼を得ていらっしゃるご様子である。

 本人も「俺ノーランドつっても次男だし大したもんじゃないしな」と(そんなわけあるかとは思ったが)言っていて、マーガレットもそれならと畏まらずにダレルに接するようにした。顔だけの敬意なんて性に合わないし。

 結論を言うとあの来世分の大後悔はまるきり杞憂だったのだが、やっぱり腑に落ちない。エンジェにはこうして優しい態度で話しかけるのに、自分にはいつもこうぞんざいな扱いだ。確かにエンジェはまだ見習いとはいえ、この街の娼館セブンスローズでも指折りの美人だ。美人に気が行くのは男の性だろうが、それにしてもちょっとひいきがすぎるのではないだろうか。

 マーガレットは何故かムカムカしながら、警備隊から注文を貰った傷薬や包帯なんかを詰めていく。

「はいどうぞ、1シリング2ペンスとここにサインちょうだい」

 あいよ、とダレルがペンを受け取った。紙の上をペンが滑らかに滑り、ダレル・ロレンス・ノーランド、と書かれていく。ミドルネームはロレンスというらしい。

(綺麗な字……)

 雑な返事とは裏腹に、流れるような筆記体は美しい。きちんとした教育を受けた証だ。

「……まいどどうも!」

 ダレルに見とれた自分を否定するように軽く頭を振る。代金を受け取り、荷物を手渡した。

「はいどーも。それでは、エンジェ嬢もまたお会いしましょう」

「え、ええ……」

「さっさと行きなさいよ、暇人隊長!」

 はは、と笑いながらダレルは店の扉につけた鈴を鳴らして帰って行った。扉が閉まるのを確認して、はあ、とため息をつく。

「あれからずっとあいつが来るのよ。隊長直々に来るなんてよっぽど暇なのかしら」

「だけど一度助けてもらったのだし、信頼できる人が来てくれるのは安心じゃないかしら」

「まあ、それはそうね」

「あら、何だかんだ言いながら、マーガレットも隊長さんのこと信頼しているのね」

「違っ……わないけど……」

 まあ、毎日来てくれるのは心配も減るから助かっているし、見知った人の方が安心感があるのも事実だ――ダレルに対して突っかかるのは、あの日助けてくれたお礼や怒ったことの謝罪のタイミングがわからなくて困っている、という所が大きい。やって来ても失礼なことしか言わないせいで、こちらからあの時ありがとうと言える雰囲気にできない。

 あの妙な男が剣を振りかぶった時、本当に命の危機を感じた。これまでの人生の事、お店の事、そして家族の事、色々な事がここで終わりになってしまうという思いが頭を駆け巡った。だから、命の恩人であるダレルには心から感謝しているのだが、あの口から言葉が出ると、どうしても噛みつかないと気が済まない。

 あの時のことを考えながら、準備していたエンジェのお使いのものを見てそういえば、と思いだした。

「あの時の変な客もこの薬が欲しいっておかしな様子で詰め寄ってきたのよね」

「そう……」

 この薬は元々女性の体調を整える薬だが、この地方に多く自生している植物が遠い国で薬として使われているという文献を、今は亡きマーガレットの父が見つけ、作ったものだった。だがこの薬を使うと子供が宿りにくくなる事がわかっているので、使い方に注意が必要である、と父のメモ書きが残っている。そこで、これを逆に利用し、子供を宿りにくくしたい女性のための薬として使い始めた。

 この街に娼館が出来た時から、娼館とこの店はずっとこの薬の取引をしてきた。エンジェとの交流もこのおかげだ。頻繁に来てもらうのはお互いに面倒ではあるが、こうやって薬が縁をつないでくれたと感じるとき、自分はこの店をやっていてよかったと思う。

「前に説明したけどこの薬、軽い中毒性があるみたいだから、正しく使わないとやめられなくなってしまう危険があるのよ」

 このためマーガレットはこの薬の販売をきちんと管理して、娼館に大量の薬を渡すことはせずに、面倒だとしても数日ごとに受け取りに来てもらっている。

 とはいえ、マーガレットはこれまで自分が出した薬でまだそんな女性を見た事はないし、中毒性といってもそれほど強烈なものではない。子を生み世代を繋げて行くことが女性の大事な役割であるこの世の中、子を生める女性がこの薬をやめられなくなってしまっては、男性のように強くない立場の女性は価値を落としてしまう。このことが一番問題だった。

 ただ、この薬は女性が使うことだけを想定していた。だからもちろん男性が服用した例は聞いたことが無い。もしかしたら、女性と男性で効果の程度が変わってしまうということも在り得るのかもしれない。

「だけど、もし男性にとってこの薬がとても激しい依存性があるのなら、あの男の様子にも納得がいくわ」

「……」

「……エンジェ?」

 なんだかエンジェの様子がおかしい。口を引き締め眉を寄せて、深刻そうな表情をしているエンジェに、マーガレットはこれはなにかありそうだと問いかけた。

「もしかして何か知っているの?」

「……ただの噂よ」

「噂でいいわ、教えてくれないかしら」

 エンジェの顔を覗き込んでそう言うと、エンジェが心を決めたように口を開いた。

「最近その薬を使っている男の人が多いらしいの。なんでも、とても気分が晴れるとかで……」


 ――女性用の避妊薬がこのあたりで男性に人気があり、場所によっては高値で売買されているという話だった。確かに、もとは体の調子を良くする薬だから、気分が晴れるということもあるだろう。しかし、それは女性にとっての話だ。どうやら話を聞く限り、やはり男性にとっては女性とは違った効果をもたらすという考えはあながち間違ってはいないようだ。

「だけど、それならどこかで誰かが金もうけのために薬を売っているということよね。それは危険だわ」

 薬師のはしくれとして、そういう使い方をする人間は許せない。まったくもってけしからん輩がいるものだ、と憤慨したが――同時に疑問が湧いた。

 この薬は父が古い文献を参考に、試行錯誤して作りあげたものだ。父が亡くなった今、この薬を調合できるのはマーガレットだけのはずだ。

 どういうことなの……と不思議に思った時、深刻な顔をしたエンジェが衝撃的な言葉を言った。

「あのね、その大元が、このお店なんじゃないかって噂があるの」

「……え?」

 一瞬、マーガレットは耳を疑った。今、エンジェは何と言った?

「実はね、少し前に警備隊が薬のことについて娼館うちに調べにきたの」

「警備隊が……?」

「最近、危険なふるまいをしていた男性を取り調べると、この薬を使っていた人が多かったらしくて。それで、うちがこのお薬を買った数とか使った数とか、色々な事を調べたそうよ。結局、うちにはおかしな所はなかったようで、帰って行ったわ」

「……」

「薬の出所はこの街のあたりだって考えられているみたいで、その、この街で薬を一番扱っているのは、うちの娼館とここの店だけらしいの。だから……」

「……うちが警備隊から疑われてるんじゃないかってことね」

 声のトーンが落ちたマーガレットに、エンジェはハッとした。

「もちろん私はマーガレットがそんなことをする人じゃないって知ってるわ!隊長さんが良い方だってことも……だけどごめんなさい、やっぱり言うべきじゃなかったわ」

「違うわ、言わせたのは私よ。エンジェは気にしないで」

 暗い顔をして落ち込んだエンジェを見て、これではいけない、とできるだけ明るい声で胸を張って言った。

「大丈夫、全く身に覚えのない話だもの、私は堂々と店を続けるわ!」

 マーガレットの力強い声に安心し、エンジェはホッと笑顔になった。

「本当に?それなら良かったわ」

 美人は笑顔が一番だ。マーガレットは同じように明るく笑顔を返した。

「もちろんよ。それじゃ、これお願いね」

「ええ、サインね」

 受け取り証明のサインをエンジェが書くのをぼうっとみながら、マーガレットは今の話が自分の頭を浸食していくのを感じていた。



 帰っていくエンジェに手を振る。日が傾き、だんだんと薄暗くなる店内でマーガレットは一人きりになった。エンジェがいつもの角を曲がって姿が見えなくなると、先程の話を思い出し、俯いた。

 全く身に覚えのない話だ。でも、この店が警備隊に疑われているのが本当だとしたら――

「どうしよう……」

 ポツリと呟いた時、背中から声がかかった。

「マギー?」

 『マギー』の愛称で自分を呼ぶのは一人だけだ。驚いて振り返ると、二階の寝室にいるはずの母が下りてきていた。

「お母さん!?駄目じゃない、寝てないと」

 寝間着のままの母に慌てて近寄るが、マーガレットの心配をよそに母はおっとりと言った。

「どうかしたのマギー、明かりもつけないで」

「なんでもないの、それよりお母さんは休んでて!」

「ちょっとくらい平気よ。お母さんが明かりつけてきましょうか?」

「大丈夫だってば」

 相変わらずのんびりした母に笑う。寝室に帰そうと母の背中を押しながら、マーガレットは、大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせていた。

説明が不十分だった部分などを加筆しました。(2017/08/26)

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