1 出会いと始まり
どうしたものか、と呆れて肩をすくめたのに合わせて、ひとくくり(ポニーテール)にした亜麻色の髪が揺れた。
「この店だろうあれを売ってんのは、それを俺にくれってんだ、金はあるんだよ!」
ノーランド領ピアリーフ、今は人も物も栄える昼前時。繁華街広場の一角にある薬屋ケリーズ・ファーマシーで、看板娘のマーガレットは妙な来客に頭を抱えていた。
「だからねお客さん、あなたの言うお薬っていうのはね、女の人が使うお薬なの!」
もうしばらく同じ問答を繰り返しているが、一向に話が通じない。何度言ったらわかるんだこの男は!
いい加減腹立たしい。妙に必死な様子で自分に詰め寄るこの男は、無精ひげに束ねる程伸ばしっぱなしの髪、そして長旅用の格好は薄汚れた印象を受ける。もう珍しくもないが、この街の人間ではない。
商売者としてお客さん皆に平等に接することを心掛けてはいるけれど、正直こいつはナシだ。
「あのね、子を宿すのを望まない女の人のお薬なの、わかる!?お客さんまさかそんな不安抱えてるわけじゃないでしょう!」
「ごちゃごちゃうるせえ!なんだ金か、足元見やがってクソッ!」
自分の堪忍袋がそう大きくないことは自覚している。バン、とカウンターを叩いて男の前に飛び出した。
「うるさいのはあんたよ、いい加減にして!」
男の腕をひっつかむ。やだマントもほこり臭い。
「だからっ」
そのまま店の扉に向かって引っ張る。突然の事に男は体を強ばらせたがもう遅かった。それほど広くない店内で男一人動かすくらい、女の力でもわけない。
「売らないっていってんのよ、私はっ!」
扉を開けて、勢いよく店の表へ男を放り投げた。
玄関の段差も飛ばし、街路の石畳に「うごっ」と呻いて男が尻をつくと、なんだなんだと街の人々が集まり始めた。
人気の多い広場で起きた異変に、
「お、マーガレットじゃねえか」
「どうしたどうした」
「まーた嫌な客でも来たか?」
「マーガレットがまた変な客つまみだしたってよ」
「まあ、相変わらずねえ」
と、見知った顔も見知らぬ顔も続々と足を止めて”事件”を窺い始めた。
ああもう、やりづらいったらない!だけど、妙な男と狭い店の中で二人でいるよりは、人の目がある方が安心できる。
しかしそれでもなお、まるで他人が見えていないかのように男は必死な形相で叫んだ。
「金は、あるって言ってんだろ!」
「しっっつこいのよ、あんたはっ!」
足元にあった花の水やり用のバケツをつかみ、男に向かって勢いをつけてひっかけた。わああ、と野次馬たちから歓声が上がる。
「マーガレットの奴、やりやがったぞ!」
「やるぅ」
「勇ましいわねえ」
「いいぞ、もっとやれ!」
見世物になるのは恥ずかしいが仕方ない。これからしばらくは人に会うたびに言われ続けるのだろう。
しかしマーガレットが男に目を向けると、先ほどとは様子が変わった男がゆらりと立ちあがった。「早く」とか「おまえ」とか、ぶつぶつと聞き取れない程の呟きが不気味だ。初めは強気だったマーガレットも、不安定な足取りでだんだんと近づいてくる男を見て顔が引きつってきた。
あ、まずいかもしれない。
「あれを売るだけで良いっていってんだろおお!」
男がマントの下から護身用サイズの短剣を抜き、そしてマーガレットに思い切り振りかぶる。
「ちょ、待っ……!」
反射的に腕をかざし身をすくめる。
こんなことになるなんて!
カッとなると後先を考えない自分の性格に一生分の後悔をしながら、このままやられると目を瞑った瞬間――男の呻き声と、石畳の地面にカランと何かが落ちる音が聞こえ、違和感に恐る恐る顔を上げた。
初めに見えたのは、仕立ての良い紺の上着と大きな背中。見上げると濃い栗色の髪が目に入った。逆光で毛先が陽に透けてて、すごく綺麗。
「……え?」
目の前に立っている男の人が、マーガレットに襲いかかろうとした男の手首を掴み、ひねり返して締め上げていた。この人が助けてくれたということか。
男を捕えたままの彼が振り返ると、その甘く整った顔とオリーブ色の瞳に吸い込まれ、マーガレットは目が離せなくなった。高鳴った心臓を思わず押さえる。
そういえば、最近流行のロマンス小説にもこんな場面があった気がする。危険が迫るお姫様を助ける騎士、そして二人は身分違いの恋に落ちて――
「おっかねー女」
もしかして私にもそんな出会いが…………は?
ピシリ、と固まったマーガレットに構わず、男は笑いを堪え切れない様子で言った。
「すごいな君、水引っ掛ける女なんて初めて見た」
「……なんですって?」
カッチーンときた。
これは、物凄く失礼な物言いよね?私の短気ではないわよね?
怒りで顔が引きつったマーガレットを見て、野次馬がまたひと波乱か!?と期待に目を輝かせるが、マーガレットはもう周囲のことなんか目に入らなかった。
マーガレットは助けてもらった事もときめいていた事も忘れて、謎の男前に相対した。
「……ねえ、その紺の上着、よく見たら最近出来た警備隊とかいうやつじゃないの」
「いかにもそうだが」
「いかにもーじゃないわよ!警備が聞いて呆れるわ、見てたんなら早く助けてよ!」
「遅くなったのは悪かったと思うが、人助けして怒られるとは思わなかったな」
「うっ……!」
正論だ!だけどこの、からかうような笑い顔がものすごく気に入らない!
「どーみても悪いなんて思ってない顔じゃない!」
「そんなことはない……お、アルバートこっちだ!」
食い下がるマーガレットに構わず、男が野次馬の向こうに声を掛けると、警備隊の上着を着た数人が人をかき分けて駆け寄ってきた。
「隊長、こちらでしたか!」
「はあ、隊長ですって!?この失礼な男が!?」
「……」
指まで差され、男の顔も引きつった。そんな二人を余所に、アルバートと呼ばれた男が、マーガレットと隊長、そして捕えられたままの短剣男を見て、納得した顔で言った。
「……成程、把握しました」
「手間が省けて助かる」
「その男はこちらで預かりましょう。詳しい話は隊舎で改めて伺いますのでご一緒に」
「ああ」
そのまま男を引き渡した隊長とやらは、さっきとは打って変わって真剣な様子で、アルバートと呼ばれた人と話し込んでしまった。
これ以上、あの失礼な隊長男に文句を言うことはできない。マーガレットは怒りを向ける先を失い、野次馬たちに向かった。
「ほら、みんなも解散!仕事仕事!」
なにはともあれ一件落着だ。野次馬を追い払って自分も店に入ろうと店の扉に手を掛けたが、なんとなく気分がすっきりせず、話し込む隊長とやらに目を向けた。
隊長だろうがなんだろうが、失礼なやつに変わりはない。むしろ、こんなやつがこの街を守るお勤めのトップだなんてとても信じられない。
何やら指揮をとっているらしい隊長の横顔をうさんくさい目で見ていた時、マーガレットに声がかかった。
「マーガレット!」
覚えのある声に振り返ると、金色の髪を三つ編み一つにして肩に流している、綺麗な顔立ちの女の子が不安げに立っていた。
「あらエンジェ、いらっしゃい!」
「人だかりが出来ていて驚いたわ、何かあったの?」
マーガレットの店と契約している、この街唯一の娼館から、お使いとしてやって来る見習いのエンジェだった。マーガレットより一つ年上で、穏やかな物腰のエンジェのことをマーガレットは気に入っていた。
エンジェを先に店の中に促しながら返事をする。
「変な様子の客を追いだしたんだけど、逆上させちゃったみたいで」
「もう、元気があるのはマーガレットの良い所だけれど、危ないことはだめよ」
「全くその通りだな」
警備隊の人間と話しているとばっかり思っていた隊長が背後から突然話に入ってきて、マーガレットは飛び上るほど驚いた。
「お、驚かさないで、まだ何かあるの!」
そんなマーガレットに気にした風もなく近寄り、顔をのぞきこまれて思わずマーガレットはどきりとした。
「君の店、こういう客初めてじゃないみたいだな」
「……ええ、確かに最近妙な客が増えたとは思っていたけど。こんな街だもの、別に不思議じゃないわ」
「というわけでな、治安維持を掲げる警備隊としては見過ごせないってことで、これから君の店見回りに来ることになったから」
「……は?」
突然の展開に混乱するマーガレットのことはお構いなしに、用件は伝えたとばかりにそのまま立ち去ろうとする。
「俺はピアリーフ警備隊隊長のダレル・ノーランドだ。よろしく」
「ちょっと、勝手に話を進めないで!」
食いかかろうとするマーガレットにダレルは振り返り、にこりと笑って言った。
「まあ勇ましい君だけど、店にいるのが女の子一人だけとなると、一応用心は必要だからな」
そんな余計なひとことに、マーガレットは今度こそ怒りが頂点に達し、
「結構よ!」
ダレルを閉め出すようにピシャリと扉を閉めた。
「マーガレット、悪い人から守ってくれるって言ってるんだからそんな……」
「あんな失礼な奴の警備隊なんてお断りよ。偉そうに隊長だとか言ってなにがそんなに――ん?」
ちょっと待て、さっき何か聞き覚えのある言葉が聞こえたような気がする。さっきヤツは何と名乗っていた?
「ええと、ダレル、ノーランド……ん?ノーランド?」
この街の名前はノーランド男爵領、ピアリーフ。ノーランドとあの男が名乗ったということは、つまり。
「……あの男、貴族さまなの!?」
つまり、領主様のお家柄ということだ。
マーガレットの顔から色が引いていく。あいつ……もとい、あの方は、偉そうどころか本当にお偉い方だったわけで、そんな人に向かって自分は何をしたか。
助けさせて文句を言ってお礼も言わず失礼な男呼ばわり、その上指までさしたし挙句の果てに店を閉め出した。
「……私、打ち首かしら」
「……」
「ねえ、目を逸らさないでエンジェ!何か言って!」
さっき刃物を前に一生分の後悔をしたばかりだが、命の危険も後悔もそんな比ではない。
マーガレットは頭を抱え、今度は来世の分まで後悔することになってしまったと思った。
連載に初挑戦です。
ツンデレとケンカップルで三度の飯が食べれます。90年代少女漫画のツンデレカップルみたいなのが欲しくて堪らず、自分で書くことにしました。
遅筆ですが趣味全開で突き進んでいきますのでよろしくお願いします。