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方言女子

金曜の夜、大学近くの雑居ビル二階から、酔いの回った笑い声がこぼれ落ちていた。

換気扇から流れる煙と油の匂いが、湿った初夏の空気にまとわりつく。


その扉の前で、山野音都やまの おとはひっそりと後悔していた。


(……来んかったらよかった)


本来なら家で課題に追われている時間だ。

単位はいつもギリギリ。勉強は得意とは言いがたい。

そんな自分が、賑やかな飲み会など好きになれるはずもない。


けれど、大学での唯一の友達である森川華乃もりかわはなのは違う。

明るく、社交的で、大学生活を全力で楽しむタイプ。

そして今回の飲み会の企画者は、華乃のサークルの先輩ーー端川愛佳はしかわ あいかだ。

押しの強さで有名な人物である。

腕まで掴まれて懇願され、音都は結局断りきれなかったのである。


扉を開けると、焼き鳥とレモンサワーの香り、ざわついた熱気が一気に押し寄せた。


「来た来たー!華乃ー!音都ちゃーん!」


端川先輩が手を振る。その隣では数人の女子が、ある男に向かって甘えた声を張り上げていた。


「ねぇ王子、お酒いる〜?」

「今日もかっこいい〜♡」


【王子】と呼ばれるその男の名は紅野史緒こうのしおといった。

光に当たれば金色がかる茶髪。整った目鼻立ち。

ただの『イケメン』という言葉では足りない、独特の雰囲気をまとっていた。


しかし音都には、さほど響いていなかった。


(……王子ってなに?チャラ男の別名やん、あれ)


それよりも気になるのは、端川先輩の周りに漂う、妙に強引な酒の空気。

油断したら自分も流れ弾に巻き込まれそうだ。


だから音都は、華乃とだけ話しながら、ゆっくり飲んでいたーー

そのつもりだった。


「音都、それもう三杯目じゃない?」


「え?……うそ」


気づけば頬が熱く、視界が少し揺れる。

グラスの氷がカランと鳴るたび、頭まで揺れた。


(あ、やば……飲みすぎた)


そんなとき、華乃が急に席を立つ。


「ちょっとお手洗い行ってくるね」


「あ、うん……」


ひとりになった刹那だった。


「ねぇ、外で少し話そうよ」


隣の席の男が、酒臭い息を近づけてくる。

肩に置かれた手が重い。体温が、不気味にじわりと伝わる。


「……あ、あの……」


「いいじゃん。ちょっとだけだからさ?ね?」


腕を掴まれ、背筋に冷たいものが走った。

その瞬間。


「連れなんだよね。返して?」


するり、と音都の腕を奪い返す手が現れた。

顔を上げると、蛍光灯に照らされた綺麗な横顔。


王子ーー紅野史緒がいた。


「え?連れ……?」

「悪いけど、返してもらうね」


それだけ言うと、王子は音都の手を当然のように引き、店の外へと連れ出した。


「え、ちょ……は!?」


階段を駆け下り、裏路地まで走る。

音都の息は乱れ、足がもつれそうになる。


「……大丈夫?」


「え、……その……」


王子は息ひとつ乱れていない。

その瞳は、氷みたいにきれいだった。


「名前、なんていうの?」


「や、山野音都、です……」


「音都ちゃんね。今日の飲み会、誰に誘われたの?」


「端川先輩……」


「あーー、なるほどね」


額を軽く押さえ、王子は苦笑した。


「悪いことは言わない。端川先輩とは関わらないほうがいいよ」


「え……?」


「今日の飲み会、ほとんどヤリ目ばっかだから。君みたいな子、すぐ狙われる」


「や、やば……」


「まあ、俺はタダ飯目当てで行ってるだけなんだけどね〜」


軽く笑う王子。

その軽さに少し腹が立ちつつ、それどころではない不安が胸に広がる。


……華乃。


大丈夫だろうか。

自分と違って人懐っこい分、危険に鈍感なところもある。


心臓が強く跳ねた。


「っ……!」


次の瞬間、音都は走り出していた。


「え、ちょ、待って!?どこ行くの!?」


「戻るっ!!」


「はあ!?俺の話聞いてた!?」


酔いで足元はふらつく。

その勢いのまま、着いてくる王子へ向かって、怒鳴りつけた。


「華乃がひとりで残っとーと!!!あの人らのとこに置いてけんっちゃろーーが!!」


ばり濃い博多弁。

王子の顔が、見事に固まる。


「……博多弁……?」


返事を待つまでもなく、音都は店に戻り、扉を勢いよく開いた。


すると最悪の光景が広がっていた。

華乃が数人の男たちに囲まれ、グラスを押しつけられている。


「華乃!!」


音都はテーブルを揺らしながら割り込み、男の腕を掴む。


「なんしよーと!?!?華乃は酔っとーっちゃろ!!離さんね!いい加減にしーよ!!!!」


居酒屋の空気が、一瞬で凍りついた。

さっきまで物静かだった彼女からは信じれない迫力だ。


「華乃、行くっちゃよ!!」

「え、音都……ちょ、ちょっと……!」


音都は華乃を連れ、店から飛び出した。


取り残された王子は、しばらく固まったまま、やがて肩を震わせた。


「……はーーっ……おもしろ……」


笑いをこらえる唇。

けれど、その顔は少し赤い。


そして王子は、小さくそっと呟いた。


「……山野音都ちゃん、か……」


その瞬間、確かに物語は動き始めていた。

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