一杯の賄賂と揺れ動く本音
すっかり木々が寂しく枯れ、地面は赤黄橙に染まっていた。秋に移ろい、冬へと進んでいるというのに、ここ文芸部の部室は夏と変わらぬ熱気に包まれていた。
「だから、何度も言うけど遠くに見える有象無象の気持ちは映せてる景色じゃないって!」
「い~や見える。いや映るね。あの汗を散らして土を駆け回るサッカー部の連中は、それこそ『食いつくす』つもりでやっているはずだ」
「だぁ~!だからそれはあんたがプレイしている時を遠目で重ねてるだけでしょ!」
「それの何が悪いんだ!」
原因の一端は、紛れもなく俺。褒められてから短歌を詠むことに本気になった結果、同じく本気でやる彼女と度々衝突し、議論を展開するようになっていた。
あくまで議論なのだが、周りはというと
「……あなたたち、そんな喧嘩ばっかなのになんでいつも一緒にいるの?」
というものらしい。本気でやってた俺からすれば、このくらいの口調での議論は当たり前だった。
ひばり先輩は、しょっちゅう俺らの議論を喧嘩と称して止めようとする。最初こそ、本気でやってないんだろうと心の中で少し嘲笑っていたが、後々考えれば部室の空気が騒がしくなるのを止めようとしていたのだろう。
隣の部活からは、一気に騒がしくなったなと揶揄られたりした。さすがに身内以外から言われた時は思いとどまることもあったが、夕夏を前にすれば、そんな考えは外へと吹っ飛んでいった。
目に映る世界が変わった。球を蹴っていた時は、この世のなにもかもを、体を作るに値するかを基準に見ていた。けど今は、すべてのものを平等に映し、感じるようになった。日常の些細な部分、変化、動き。今は遠くでゴマのような大きさで動く一人に対しても、何かを映しだそうとするようになっていた。その世界の中では、ひばり先輩も元チームメイトも同じく映されていた。
ただ一人、その世界で夕夏だけは、特別に輝いていた。元チームメイトはサッカー部。ひばり先輩は文芸部員。ありのままを映す俺の世界に、夕夏だけは文芸部員でも、同級生でもなく、夕夏として映っていた。なんだかわからないが、きっと俺を救ってくれたからだろうと納得していた。
部活が終わり、部室の鍵を閉めたタイミングで、メッセージアプリの通知がポケットから響いた。誰かと話していた記憶もないのに、どうしてだろうと思って、スマホを取り出した。スマホの待ち受け画面。通知の欄に、懐かしい名前が一人書かれていた。
『久しぶり!話したいことがあるんだけど、空いてる日あるか?』
メッセージを飛ばしてきたのは、サッカー部の真宮勇次だった。
入部当初から、何かと俺のことをほめて、認めてくれた奴で、あの事故の時にも、一番親身になって慰めてくれた奴だ。あの時の俺は、そんな彼のこともないがしろにするようにしていたが。
そんな彼からのメッセージだったから、俺は無視をするわけにもいかなかった。スマホの画面をポチポチと操作し、部活動がない日を彼に伝えた。
「おつかれ~。誰から?」
同じタイミングで出てきていた夕夏が、にょきっと俺のスマホを覗いてきた。プライバシーについて彼女に説いてやりたい。
「勝手に見んな」
「お?この感じは女の子ですかな?」
ニマニマとしながら夕夏がそういうから、俺はあきれた顔で同級生のサッカー部だと言った。
「話したいことがあるから、どっか空けておけって言われて」
「ふーん……。ねぇ、その話したい事って、何なのかな?」
「あー……。いや、わかんね。あの日以来、まともに話してなかったしな」
サッカー部の連中は、俺が変わり果てたのを見てすっかり関わるのをやめた。ただ一人、勇次だけは心配そうな目で見ていたが、そのほかの連中は失望をはっきりと目に宿してみてきた。
「ねぇ、その話ってやつ、予想してみようよ」
「は?」
突拍子もない提案に、間抜けな声が飛び出す。驚く俺もそっちのけに、彼女はう~んと唸りながら考え始めた。
「……百万貸してくれとか?」
「だとしたらやばいだろ」
けたけたと笑いながらそれもそっかと言った。それからも、彼女は愉快な答えを探し続けた。ヤンキーたちの抗争に助っ人してくれとか、合コンの埋め合わせをしてくれとか。突拍子ない彼女の言葉に、俺が突っ込む。ただの友人として、彼女の隣を歩いていく。
彼女と短歌をやり始めてから、こうして二人で帰るのが当たり前になった。二人で読んでいることが多いから、必然的に帰るタイミングが重なるからだ。
二人で、日が傾いた街を歩く。一首詠めと言われれば、詠めてしまえそうなほど美しく映る街を、大切な仲間と共に歩いて行った。
メッセージが飛んできてから数日が経ち、勇次と会う日を迎えた。部活もないので、教室で帰りの用意をしながら、どう彼と会おうかと思っていた時だった。
「香月!香月いるか!?」
「うおっ、勇次」
勇次はわざわざ、俺の教室に迎えに来た。
教室にいたサッカー部の部員が、少し訝し気に見る。この視線は、嫌いだ。この目一つで、俺に映る視線がすべて敵のように思えた。
「勇次、お前こんな奴に何の用だよ」
一人が、俺に聞こえるような声で勇次にそう言った。取り巻きは、ニヤニヤしながら同調している。彼のニヤニヤは、夕夏のものとは違って嫌悪感を孕んでいた。
聞きたくなくて、耳にふたをするようにわざわざ物音を立てながら帰りの支度をした。閉じた世界から漏れ出た言葉をつぎはぎすると、逃げた奴なんか構うなということを大まかに言っていた。
「……うるせぇよ。それでも、大事な仲間に変わりはねぇ」
「なっ……!てめぇ!」
「……何をしている」
いつの間にかヒートアップしていた議論にそう言ったのは、サッカー部の監督である原玄徳だ。常に眉間にしわの寄ったような顔は、何の文句も言えなくなるほど威圧感を放っていた。
「えぇ……っと……」
「……無駄な争いでないのなら、俺の目の前でやってもらおうか?」
当然、サッカー部からすれば無駄な争いだ。突っかかっていた彼らも、それをわかっているのだろう。怒られないように、なるべく反省したような顔をして
「すみませんでした」
と言ってどこかへ逃げていった。
勇次はありがとうございますと頭を下げた。俺のほうをちらりと見て、監督は帰っていった。
「えっと……なんか、すまんな」
少し申し訳なく思い、勇次にそういって謝罪した。勇次は、特に気にしていないという顔をした。
「あいつらが悪いんだから、気にしなくっていい。それより、行こーぜ」
「いいけど……。行くって、どこ行くんだよ」
そう聞いたけど、勇次は行き先を言わず、とにかく行くぞと言って先を歩いて行った。いつも俺の後ろから俺を持ち上げていた頃と逆になったような気になりながら、俺は彼の後ろをついていった。
高校生たちの放課後は大抵することが同じだ。することが同じだと、同じ場所に集まりやすい。俺と勇次は、高校生のたまり場ともいわれる駅周辺にあるラーメン屋にやってきた。
曰く、ラーメンでも食べながらとのこと。並んでいないラーメン屋を選び、彼は二枚食券を買った。一枚は、俺の分らしい。
「ここ、先輩のおすすめの場所らしくってさ。ちょうどいい機会だったし、来てみようって思って」
「そうなんだ……」
彼は気にしていないようにふるまっているが、俺はめちゃくちゃ気にしている。何せ、けがをしてから、あれだけふてくされて、たくさん迷惑をかけたのだから。
勇次はとてもよく話した。最近の部活はどうだとか、こんな面白いことがあったんだとか。楽しそうに話す姿は、どこか必死になっているようにも見えた。
「……えっと、それでな。改まって、本題なんだけど」
「おう、なんだよ」
そう前置きして、彼は大きく息を吸って吐いた。かなり緊張しているようだ。
「……もう一度。選手じゃなくって、マネージャーでいいから、もう一度サッカー部に戻ってきてくれないか」
真剣な目で、まっすぐ。勇次は俺をサッカー部に戻るように説得し始めた。
「え……いや、そんな俺がいたって……」
「ダメなんだ!お前は、お前はあんな風に短歌とか読むべきじゃない!お前は本当は、サッカーに向き合ってる時が一番なはずだろ!?」
「……」
恐らく、彼に悪気はない。短歌に対して軽んじているとか、そういうのじゃなくって。多分勇次は、短歌を詠むんじゃなくてサッカーに携わってほしいと、言いたかったのだろう。
そう理解しても。それでもその言葉は癪に障った。なんだか、やっと本気で青春を捧げられるものを見つけたのに、それを否定されたような気がしたのだ。
「……短歌、詠むべきじゃないって?」
「いや、その……読むべきじゃない、というか、そっちよりサッカーのほうが向いているというか……」
「それは、どうしてだ?」
そう聞くと、彼は首も目も泳がせながら答えた。
「だって……。だって、サッカーしてた時のお前、ほんと心の底から楽しそうで……。あんな顔してやってたサッカーを、あんな風に奪われるって、考えたら……」
「つまり同情か?」
俺の声色が変わったのを察してか、首をぶんぶんと横に振り回した。
「そんなんじゃない。ただ、サッカーに居場所がなくなったと思ってやめたんだったら、俺が何とかしてマネージャーでもなんでも、サッカーに携われるようにって、思って……」
彼のその言い分に、俺は何も言えなかった。
沈黙が流れていると、ラーメンが運ばれた。湯気を立てるラーメンに、俺は何も言わずに食らいついた。今は彼を映したくなかったのだ。
「……美味いぞ。食えよ」
「……いただき、ます」
麵を啜る音が映し出される。こってりとした家系ラーメン。まとわりつくようなおいしさが、この気まずさも一緒にまとって消えてしまえと切に願った。
俺たちは、あれだけ饒舌に話していたのを忘れてしまったかのように、黙々と食べ進めた。普通、男子高校生ならバカ騒ぎしながら食べたり、少なくとも無言にはならないだろうに。
ラーメンを食らいつくし、こってりしたスープがうまかったなと思っていると、勇次は話を続けた。
「……俺、お前がサッカーしてた時の顔、大好きだったんだよ」
「告白か?」
彼のサッカーの話が嫌すぎて、そう茶化してみた。ものすごい目つきで睨まれたから、もうしないことにした。
「これまでのサッカー人生で、あんだけ嬉々としてボールを蹴ってるやつ見たことがなかった。本当に、心の底からサッカーを愛してるみたいな顔が、好きだったんだよ」
「……でももう、俺はその頃には戻れない」
「それは、わからないじゃないか!」
大声で、俺の言葉をそう否定した。目の前で俺の目を真っすぐ見てそういった。けどすぐに、気まずそうに俯いて話を続けた。
「……今年中は無理かもしれない。けど、リハビリさえがんばれば、またできるんじゃないの?」
「……無理、なんだ。本気で蹴るのは、もう……」
俺がそういうと、勇次は胸ぐらをつかんだ。震えるほどに力を込めたそれが、痛い。
「諦めんなよ……。なんでだよ、お前……。前まではもっと、食らいついて頑張ってたじゃんか!」
「……」
彼が言っているのは、俺が主力として頑張っていた期間のことだろう。本気で球を蹴れていたあの頃は、多少体が張っていても気合で乗り越えてきていた。そんな話を、俺は勇次だけにはしていたのだ。
サッカーに対して、確かに俺は未練がある。もっと頑張りたい、仲間たちとやりたかったと思っている。けど現実は、そんなに甘くできていない。突きつけられた現実は、多分勇次が思ってるよりもずっと、重たくて辛い。
俺らが取っ組み合いをし始めたせいで、店員が慌てて止めに入った。ヒートアップしている勇次を連れ、頭を下げながらお店を後にした。
隣を歩く勇次は、俯いて、何も言わなくなってしまった。胸ぐらをつかまれた直後だから、俺も何も言えないままでいた。
何も話さないまま、俺はいつも乗る駅に着いた。勇次はここらに住んでいるから、ここで別れることになる。
「……絶対」
「ん?」
なんだか気まずくって、何も言わずに離れようとしたら、何かを呟いた。
「……絶対、諦めないから」
「……」
そういって、勇次は帰路へと逃げるように帰っていった。
駆ける背中が、サッカーをしていた勇次と重なった。それで、もうきっぱりと捨てていたはずのサッカーをやりたいという思いが燻ぶっているのに気が付いた。彼はきっと、諦めることなく俺をサッカーに戻そうとする。
電車に乗った。家に帰った。母と話して、ご飯も食べた。風呂に入り、ちょっと勉強もしたりした。色々したのに、頭の中はずっと俺はどうするべきかで埋め尽くされていた。
本気で頑張って、それでも挫折してしまったサッカーをもう一度。
不貞腐れ、人としても終わってしまいそうな俺を救ってくれた夕夏と一緒に。
選択肢が多いほど悩みやすいという。もしそれが本当なら、多分この二つの選択肢は、この世にある選択肢すべてを集めたって、敵いやしない量だ。
どれをとっても、何かを犠牲にしなければならない。だけど二つを一緒になんてことができないのは、俺がよく知ってる。やりきれない気持ちを抱えて、何も決めきれずに夜を明かした。




