春の輝きに似た悔しさ
それから、俺は夕夏と一緒に行動するようになった。ろくでなしたちは、勘違いから夕夏との時間を優先させるため、さほど邪魔にはならなかった。
校内のみ、短歌を詠んでいる姿を見るだけの時間。本気に向き合う姿は、やっぱり妬ましいけれど、羨ましいと思った。
「短歌はね、目の前の景色を文字に起こして、情景を映すの」
「へぇ……」
「だから、大切なのは読んで景色が浮かぶか。だから目の前をよく見て映すのが、大切なんだよ」
そういう彼女の顔は、数日前と比べて格段に明るいものになっていた。よほど俺を立ち直らせたのが嬉しかったのか、短歌を語れるのが楽しいのか。見たことないほどの輝きに、嫉妬は少し収まっていた。
「三十一文字しか使えない中で、いかにして情景を書き記すか。どうやってこの景色を映すのか。短歌ってのは、そういうのが深いんだ」
「君は、一体どれだけの景色を映してきたの?」
と聞くと、夕夏は答えようとして、思いとどまった。いたずらに笑う彼女は、多分どうしようもないことを思い浮かべていた。
「教える前に。あたしは艾夕夏。君じゃなくって、名前か名字で呼んでよ」
「ええ……。ゆ、夕夏?」
そう呼ぶと、夕夏はうんうんと頷き、それから俺の質問に答えた。
「あたしもね、短歌を始めたのは高校からなの」
「そうなの?」
夕夏は景色をその目に映しながら、頷いた。淡い橙に染まる頬は、高揚しているように見えた。
「中学はずっとバレー漬け。まあ、色々あってやめちゃったけど」
「それは……なんというか……」
「いーの。もう終わったことだし、今は未練なんてないし」
閃いたように筆を走らせ、色紙に文字を書き込んだ。
美しい姿で書き上げた一首を俺に差し出した。どや顔を見るあたり、自信作なのだろう。
赤く舞う 紅葉降り敷く 紅校舎 燃ゆる熱情 君は見ゆるか
彼女の自身作には、素人の俺も引き込まれるものを感じさせた。景色を共に見ていたというのもあるが、彼女の短歌は目の前に広がる景色が色紙の上に広がるように思わせた。
短歌には、色々なものを魅せる力がある。例えば、景色。三十一という文字数だからこそ、洗練された言葉に表される景色は実際に見るよりも鮮やかに見えた。さらに彼女は、最後の十四文字に自身の感情を差し込む。十四文字に、彼女の見える世界、景色、それらが鏡に反射するように浮かび上がってくる。
「にへへ。その一首、君にあげるよ」
短歌の数え方は、彼女のこの習慣から覚えた。彼女は毎回、短歌を作っては、そのうちの一つを俺に渡してきていた。
それから、何度も筆を走らせて、今日は五つの短歌を詠んで終わった。調子が良かったらしい。
座り込んでいた地面から立ち上がり、荷物を取りに部室へと向かう。横並びの姿がどう見えているのか、短歌のせいで気にしてしまう。
「さっきさ、バレーやめちゃったって、言ったじゃん」
「あ、うん」
唐突に。あの話の続きを、夕夏は話し始めた。だいぶ日が傾き、夕焼けの紅色も届かなくなりつつある校舎の中で物憂げな顔をしていた。
「最初はね、納得できなかった。悔しくって、泣き叫んで暴れてた」
「……」
「でもね。その時に、当時の恩師から言われた一言で、短歌に向き合おうって思ったんだ」
何も言えない俺を気にせずに話を続ける。恐らく、ただただ聞いてほしいだけなのだろう。夕夏の歩幅が少し狭まったのに気づいて、それに合わせて歩く。
「先生は『映すことだけは、生きる限りずっと向き合える』って、言ったの」
「映すこと……」
リフレインすると、夕夏は笑いながらその言葉を茶化した。
「おかしくない?だって、目に見えなかったら映せないし、そんなの、ずっとできるわけないんだから」
「うん……」
「でもね、違うの。先生は『例え見えなくても、耳が聞こえなくても。彼らには彼らしか映せない世界がある。だから、どんな人だって、映すことだけはできる』って言って笑ってた」
その言葉に悲しさや悔しさと言ったマイナスな感情は入っていなかった。それだけ吹っ切れたというのが、少し妬ましさを強くした。
最終下校時間が近づいていることを知らせるチャイムが、校舎内に響き渡った。外には、ぽつぽつと下校する生徒たちがいる。部活だったり、あるいは友人たちとの談笑だったり。青春を謳歌する彼らの中に、かつての仲間たちもいた。
各々がすべてを捧げる青春の中、一人だけ取り残されている俺。気が狂わんとするほどの嫉妬妬みこそ収まったが、それでもやはり、苦しさが胸を締め付けた。
「……はい」
「ん?」
いつの間にか外を眺めていた俺は、突如夕夏から色紙とペンを手渡された。
「詠んでみなよ」
「詠む……」
夕夏は窓の外を顎で指した。自信満々な顔は、無邪気な子供のような可愛げを感じさせた。
もう一度、外に目を向けてみる。自転車にまたがり、数名の仲間を待つ姿。三人組で、スマホ片手に楽しそうなおしゃべりをしながら校門を出ていく姿。取り残された青春の美しさが、目の前に広がっていた。
ごく自然と、手が動いた。詠むまでに恐らく一分。数時間景色とにらめっこして、やっと一首詠むか詠まないかなんてのもざらな夕夏には申し訳なさを感じる。走り出す筆は、迷いなく三十一字を描いた。
「……一応、できたけど……」
そういった瞬間、彼女はものすごい勢いで色紙を俺からひったくった。
「見せろ!」
そういって、彼女は薄暗い校舎の中で俺の短歌を見た。まじまじと見られるのは、なんだか自分自身の中をまさぐられるようで、くすぐったい恥ずかしさがあった。
「……」
「あの……どう、かな?」
と尋ねると、短歌を詠むときのような凛々しい顔をして向き合った。
「感情的すぎて、あまり景色は思い浮かばない」
「ダメ出し!?普通ほめて伸ばさない!?」
思わず、そう突っ込んでしまった。自然と口から出た言葉は、懐かしい感覚がした。脳裏にサッカーボールを片付けながら談笑する仲間との思い出がよぎる。
「……でも」
「ん?」
凛々しい目が、一瞬で柔らかくなる。優しい顔は、薄暗い中でも優しく光って見えた。
「いい歌だと思う」
ただ、それだけ。なんてことない、控えめともいえる肯定。評価。
一瞬、突如周りが優しく輝いた。柔らかな春日差しのような輝きが、一瞬。
夕夏は、特になんともなさそうに俺の一首を俺の手に握らせた。
「それ、なくしちゃだめだよ」
「なんで?」
そう聞くと、彼女は振り返って答えた。
「君の人生の中で、もう二度と見れない世界だから」
淡々とそう言って、彼女はいつもの調子で部室目指して歩みを進めた。
手元には、俺の描いた一首が握られていた。読み返したけど、あの羨望と美しさの入り乱れた景色は二度と思い浮かばなかった。
まあ、こんなもんか。そう思いつつも、悔しさを微かに覚えた。
口元が吊り上がるような感覚を覚えながら、俺は先行く夕夏の後をついていった。薄暗かった校舎は、いつの間にか電気が付いたらしい。
校門の 秋に広がる 青い春 二度と戻れぬ 美しい日々




