今だけ世界に二人だけ
「———あたししか見えてなさすぎて、あたししか映ってないじゃん」
やれやれと顔に浮かべながら息抜きに映した俺の短歌を見て、夕夏はそう評価した。その評価を聞いて、俺は思わず顔をほころばせた。
「ほんと、香月このセリフ気に入りすぎでしょ」
「まあね。ちゃんと伝わってほしいように伝わってくれたから、嬉しくって」
そういうと、夕夏は顔をそむけた。赤らむ耳を見て、俺はますます愛おしさを覚えた。
告白はちゃんと成就した。こじれて、すれ違って、あまりにも遠回りをしすぎたけど、俺たちは胸の中で騒ぐ恋心を報うことができた。
涙ぐみながら、赤らめた顔を向けながら、それでも世界一の笑顔を浮かべて「はい」と夕夏が答えた時は、喜びだったり可愛さだったりが入り混じった感情が溢れ出した。あの瞬間はきっと、一生忘れられないだろう。そう思うほど、綺麗な一瞬だった。
しばし二人で抱きしめ合ってから、やっとこの遊楽の注目の的になっていることに気が付いた。周りの風景や雑踏が耳に入るようになった時にはすでに、俺たちを囲む人々が拍手や指笛を飛ばしてきていた。
爆発しそうなくらい体の内から熱くなった。いたたまれなくなってしまった俺たちは、逃げるようにその場から離れることしかできなかった。
人だかりを抜け、俺たちは小さな公園に逃げ込んでベンチに座った。夜の空気にあてられ冷えた春風が、湧き上がる俺たちの熱を丁度良く冷ましてくれた。
「ご、ごめん。もっと場所選べばよかった……」
「ううん。もとはと言えば、あそこで待っていたのはあたしだし」
「……」
「……」
それから、二人の間には言い表せられない微妙な気まずさと、顔を直視できないという恥ずかしさが漂った。今、目を合わせればきっと体中を赤くしてしまうだろう。そう思うと、中々顔を見ることができなかった。
何か、話題を。なんでもいい、せっかく夕夏といるんだから話していたい。そう思って頭を回していると、或ることを思い出した。
「そ、そういえば!あの短歌、どうだった?」
「え?」
「あの、俺が送ったやつ」
夕夏はあぁ、と言うとスマホを取り出した。
俺が送ったあれは、告白の言葉をぎゅっと詰め込んだもの。いつもの短歌とは違って、俺がただ思いを伝えたかったがために綴った一首だった。
夕夏は、その一首をあの眼差しで映した。世界に入り込んで、没頭するようなまなざし。俺が特に好きな一瞬の一つだ。
でも、その目で映して数秒後。夕夏は徐々に、顔を恥ずかしそうに歪めていった。一度は読んだだろうにと思いつつ、きっとちゃんと映しきれてなかったんだろうなとも思った。
やがて、スマホを伏せ、俺の方を向いた。ずっと眺めていた俺の目に視線が絡まって、二人して顔を真っ赤にした。
「……らしくない」
「え?」
「この歌、香月らしいけど、香月らしくない」
真面目な顔で。だけど耳まで真っ赤にして。夕夏は、俺のその歌を真剣に評価した。それが期待通りで、期待通りなことが嬉しく思えた。
「いつもはどれだけ感情的でも、ちょっとくらいはそこに景色があるけど。これは、その……」
「ん?」
「ぅ……」
小さいうめき声をあげて、その先の言葉を言うのに詰まった。真っ赤だと思っていた耳がさらに赤くなって、顔を伏せた。
「何さ、ちょっと」
「いや……その……」
もじもじとしてその先の言葉を言うのに勇気を出そうとしていた。そう映ってしまったから、夕夏の恥ずかしさが移ってしまった。
互いに色づいた顔を見合わせた。やがて、夕夏はゆっくりと口を開いた。
「……あ、あたししか、映ってないから……」
「え?」
「だ、だから!あ、あたししか見えて、なさ過ぎて……あたししか映ってないじゃない!」
バシッと叩いて顔を伏せる姿が、あんまりにも可愛すぎた。恋人未満の時、こんな距離感もいいな、とか思っていたけどいざ恋人になると、あんなもどかしい時間など戻りたくないと思ってしまった。
「夕夏」
「な、なに?」
「もっかい」
「は?」
俺は人差し指を上げ、ねだるようにそういった。
「もっかいだけ言って」
「は、はぁ!?なんでよ!」
「いやその……めっちゃ、かわいかったから」
「んぅぅぅぅ~~~!」
「ねぇお願い!」
「やだ!」
「本当にお願い! もっかいだけ……」
「ぅぅぅ~~~……」
何と呼ぶのかわからない時間。ただひたすらに、幸せで楽しい時間。長い時間をかけ、募りに募った分その感情は強く、高く感じた。
気が付けば、俺たちは緊張をほどいて笑っていた。言い表せられない幸せに二人して夢中になっていたのだ。途中で夕夏の携帯が鳴らなかったら、きっとそのまま無限に話していただろうと思うくらい。
「ごめん、お母さんからだ」
電話を取った夕夏ははっとした顔をした後、何度もごめんと言いながらすぐに帰ると言っていた。夕夏が話している横で携帯を見てみると、時刻は午後八時を回っていた。話に夢中になりすぎて、いつの間にか夜になっていたのだ。
「あー……」
「ごめん夕夏。帰ろっか。家まで送ってくよ」
「うん。ありがと」
それから、俺たちは歩き始めた。歩いてる途中も、会話は途切れなかった。いつも通りの他愛のない話。だけどそれは今までのどの会話よりも幸せなものだった。
だから、夕夏が家の前に止まったときはいつの間にと思った。楽しいことは早く時間が過ぎるというが、これはあまりにも……。
「じゃあ、あたしここだから……」
「あ、うん。その……改めて、これからよろしく」
夕夏は恥ずかしそうな顔をあちらこちらに動かしながら
「あぅ、えっ……は、はい……」
と言った。思わず抱きしめたくなるけど、そんなことをしたら多分心臓が持たないからやめておいた。
それで、俺の帰路を辿ろうとした時。背中が微かに引っ張られ、それに足を止めた。
後ろを見ると夕夏がシャツを引っ張っていた。きゅっとつままれたその手が、我慢できないと言ってきた。
「……恋人、だもんね」
「えっ」
つまんでいた手は離され、二本の腕がわき腹からするりと伸びてきた。細い腕が、俺の体をそっと包み込んだ。背中には、暖かい人のぬくもり。安心するはずなのに、心臓がドクドクと大きくはねてうるさかった。
「香月……」
「ゆ、夕夏……その、帰りづらくなる……」
そういっても、体全体を這うように伸びている腕が離れることはなかった。顔を埋められている感覚がこそばゆい。このままでは本当に……。
そう思っていた時。突如、玄関のドアが開いた。
「そこでなにしてるの?」
「わー!」
びっくりしたように、夕夏はその腕を離した。俺も、思わず振り返り、両手を上げて何もしていませんよとごまかすようにした。
中から出てきたのは、案の定夕夏のお母さまだった。パジャマ姿で出てきたお母さまはあら?というような顔をした。
「えっと……あなたは?」
訝し気に見ている。そりゃそうだ。娘と仲の良い異性など、邪推してくるに決まっている。
だからこそ、なるべく信頼されるように姿勢と目を真っすぐにした。
「は、初めまして!本日から夕夏さんとお付き合いさせていただきました、渡会香月です!」
「ちょっ!!?」
「あらあら……うふふ」
真っ赤にしてあたふたする夕夏の後ろで、お母さまは朗らかに微笑んだ。良かった。悪いようには思われなかったみたいだ。
「帰宅が遅くなってしまってすみません。少しばかり、僕が話し過ぎてしまって……」
「いいのよ~。ふふ。ちゃんとこうして送り届けてくれるならね」
「いえ、ちゃんと安全なうちに送り届けるようにします」
「そこまで気を張らなくたっていいのよ~?」
夕夏のお母さまとそんな会話をして、俺は夕夏の家を後にした。
春の夜。少し冷えるな、といつもなら感じる時間だったけど、俺は上着を脱いで自転車を漕いでいた。
興奮と、喜びと、恥ずかしさと。色々な赤い感情が体中を染め上げる。春の夜には青い温度が乗っていたが、その青が赤い感情を塗り替えることはなかった。
こみあげる 赤い喜び 溢れ出す 春風に乗った 青も無視して




