すれ違おうが、必ずすぐ会える
六時を迎え、学校にはチャイムが鳴り響いた。その音を聞いて、俺は夕夏と部室に戻って荷物を取りに向かった。
四月も後半。青々と葉っぱを付けた校庭の姿を何枚もの色紙に映した。今日は少しだけ、調子が悪かったような印象も受ける一日だった。
「う~ん、なぁんかあの時みたいなインスピレーションが湧かないんだよなぁ」
「あれあれ?今度は香月が不調の番かな?」
舐めたような笑みを浮かべ、覗き込むようにして夕夏が言った。ちょっとだけむっと思ったから、今や夕夏の生命線であるマスクをひったくってやった。
「ちょっ!?やめてぇ~返してぇ~」
「不調だなんて言わない?」
「言わない!」
うるうるとした目で見る夕夏に、マスクをつけた。こうしていると、着せ替え人形のように思えてくる。
ふと、窓の外に目をやった。後輩を持った勇次が、後輩に片付けの仕方を一生懸命教えている姿が目に飛び入ってきた。
「どうしたの?」
「……今でもね。たまに、少しだけ他の可能性を想像しちゃうだけ」
夕夏は頭にはてなを浮かべていた。だけどそれ以上は言わない。それまでのことだって、口にしてから少しだけ言うべきじゃないって思ったんだから。
「……あそうだ。これ、夕夏にあげる」
「え?」
思いついたように声を上げた俺がそういって差し出したのは、一枚の色紙。そこには、休憩中にふと思いついただけの短歌が綴られていた。
「それ、夕夏だったらどう読む?」
「……う~ん」
色紙を映して、それから首をひねって読みだした。こういう時は大抵、どんな答えが返ってくるのかわかっていた。
「……香月。そんなこと言って、あたしがどう思うかなんてわかり切ったうえで聞いてきたでしょ」
「さあ、何のことだか」
とすっとぼけたふりをする。本当は読んでもらいたいからじゃない。だけどそういうことは、ちょっと恥ずかしくて言えない。
「で?どう見えるの。その歌は」
「……はぁ。素直に言えばいいのに」
やれやれ、と言ったようにそう言ってから、夕夏は言葉を繋げた。
「この歌———」
「感情的すぎて、あまり景色は思い浮かばない」
かつて、あたしが香月に言った言葉を名残惜しく思い出した。今日で、何度目なのだろうと思いながら。
香月はひばり先輩と付き合った。あたしはそれを、見て気付いてしまった。
ひばり先輩の挫折を探すのに手伝っていた時だ。あたしが勝手に拗ねて、ふさぎ込んだ時に付き合ったのだろうとあたしは察した。あの時の耳打ちは、さぞ幸せそうに映って辛かった。
香月は優しい。最初こそ面倒くさい真面目だと思ったが、関われば関わる程、それを痛烈に感じさせた。
そんな優しい香月だから、あたしの気持ちにはとっくに気付いてて、その上で傷つけないようにああして優しくしてくれているのだろう。けどそれがかえって、あたしをさらに辛くさせていた。。
「……うぅっ」
走って逃げた時に、ひばり先輩とすれ違った。今頃、部室で二人、甘い話をしているのだろうと勝手に思ってしまう。悔しさと同時に、手遅れな嫉妬と独占欲が出てきてさらに自己嫌悪を加速させていった。
香月から、ひばり先輩と付き合っていると言われるのが怖かった。夕夏は、大切な相棒だからなと言われるのが嫌だった。それで、私はあの部屋から逃げ出してしまった。
なんだか自転車を漕ぐ気にもなれなくて、押して帰っていた。
……いや違う。あたしは未だに、未練がましく香月が来ることを祈っている。二股を持ち込んでくれれば、喜んで乗っかろうと思っているほど。
最低だな。なんだか今やってることが虚しすぎるあまりに不気味な笑みが漏れ出た。三月九日のめでたい日にふさわしくない空気を抱えて、帰路を歩いていた。
こういう日は、思いっきりストレス発散でもしよう。香月が優しさで紡いでくれたあの関係も、今日自分で断ち切ったのだ。二人の幸せを応援するためにも、この気持ちとは決別しなければいけない。
そう思っていた時。ピコンと携帯が鳴った。
道の路肩でスマホを取り出し、内容を確認した。それで、一瞬心を弾ませてしまった。
「……香月?」
香月からのメッセージ。それだけが通知に映し出されている。何を送ってきたのかを、スマホは隠していた。
弾んだ胸に、自己嫌悪を感じた。香月からの連絡全部が、あたしに都合のいいものばっかりなわけがない。それに、あたしに希望がないって言うのは、わかり切ったことだっただろう。
部活の連絡だろうか。どうせ、事務的なものだろうと本気で思った。だからこそ、香月が送ってきた文言を見て、あたしは固まってしまった。
『この心 焦がれ高鳴るは あなただけ たとえあなたに 誤解されても』
歌、だった。香月が、何かを表して詠った、一首だった。
即座にあたしは、あたしを客観視した。どうしようもなく期待してしまう心と乖離して、勘違いするなと必死に言い聞かせた。だけどすっかり勘違いしてしまったあたしは呆然と立ち尽くして、その歌を眺めてうっすらと涙を浮かべてしまっていた。
恐らくは誤爆だろう。もしくは、この歌をひばり先輩にでも送るつもりなのだろうか。どうにせよこの歌があたしのものだと勘違いする筋なんてどこにもない。
……そうだというのに。そう、なのに。
あたしはどうしようもなく、この歌があたし向けのものなのだと、思ってしまった。
震える手で携帯を握りしめるあたしは、続いて届いたメッセージにまた胸を弾ませた。
『迎えいく。今どこ』
あたしはいつの間にかあたしに戻っていた。自分に戻ったあたしは、携帯に『駅を過ぎたあたり』と打ち込んだ。
『駅を過ぎたあたり』
ピコンとなった携帯に、そう通知が届いた。それを見てさらに足を強く漕いだ。今まさに門出を祝ったであろう様々な人たち。そんな中で、門出を祝うためじゃなければ卒業生のためでもない。ただ自分の恋路を成就させたい一心で街を駆けていた。夕夏に、何としてでも正直な気持ちを伝えたい一心で。
本当は、こういう時も夕夏のことを考えていたかった。夕夏の心に寄り添うことを考えていたかった。だけどそんなことを、俺はできなかった。俺の頭にあったのは、もっとずっと利己的なこと。呪いになっても、罪の意識になってもいい。俺の思っていること、伝えたいこと。それらを全部夕夏に伝えたいと思う心が頭を支配していた。
部室でそれを伝えようとしたときは、まだ少しためらいがあった。もし夕夏にはそんな気が無くて、俺が勝手に恋をしただけだった時。夕夏のことだから、きっと呪いになるだろうな、とか考えていた。
だけどそれをわかって逃げるなら話は別だ。おかしな勘違いをして、勝手にそれを決めつけて。そうして距離を取ってくるなら、そんな遠慮はしない。どうせ離れるなら、真正面から俺の気持ちを受け止めてもらう。そうじゃないと、ずっと夕夏に寄り添うことを考えてきた俺が報われない。
だから、ずっと走る。俺の気持ちを綴った歌を見せて。それで聞いてやるんだ。どう映るんだ、と。これで夕夏は、逃げて感想を述べられない。
なんて思っていた。思ってしまった。嫌だな、なんて思う余裕はなかったけど、あとから随分と利己的だとか言うんだろうなって思った。
三年間の過去を踏みしめる群衆を抜かし、みるみる突き放していく。俺は過去を噛み締め、歩みを遅くする訳にはいかなかったのだ。
そろそろ駅を超える。いつもはここで別れていたが、それを抜き去って奥へ進んでいった。この先で、夕夏はまだ待っていると信じて。
駅を抜け、周辺に広がる遊楽を過ぎていった。晴れ姿の高校生たちがこぞって遊びに向かう。そんな街中を、猛スピードで過ぎ去っていく。
やがて遊楽が消え、閑静な住宅街へと変貌していった。三月の空の下ではかなりの運動量で、肌で感じられるほどに背中は汗をかいていた。そんな状態でも、足を緩めずに漕いだ。
漕いで、漕いで、漕ぎまくった。空回りしているような感覚になってもなお、そのスピードを上げたくて必死に足に力を籠め続けた。
なのに、どれだけ行っても夕夏は見つからなかった。夕夏はもう、この街中にはいなかった。
上がった息が、俺の体を無理矢理に止めた。それだけ探しても、夕夏の姿はどこにもいなかった。息切れで大きく波打つ心臓が、別の要因で嫌に跳ねた。見知らぬ住宅街で、自転車を乗り捨てたようにして、呆然と立ち尽くしていた。
結局。夕夏は俺の話を聞いてくれなかった。俺が必死に届けようとしていた言葉、想いから逃げきったのだ。
ふと、醜く熱い感情が漲ってきた。なんでだよ。俺は必死に、お前に尽くしてきたじゃないか。それなのにそっちは、勝手に勘違いして勝手に距離を取ろうとして。これじゃ俺は、どう報われればいいのかわからないじゃないか。だいたいは、こんな感じ。
「……帰ろう」
明日からきっと、またあの気まずい空白ができるのだろう。活動は別々で、夕夏との仲はぎくしゃくして。そうして、三年間が終わるんだろう。そう思うと、空しさで胸がいっぱいになった。
重い自転車を起こし、残っている小さな力でゆっくり押していく。もうすでに、空は昏くなっていた。
「……」
頬を静かに、筋が通る。街頭にきらめく雫が、止め止めなく溢れ出し、地面を濡らしていった。
痛い。こんな気持ち抱えなければ良かったと思うくらい、胸が痛い。せっかく詠んだ歌が、俺のことをあざ笑っているように思えてくる。嫌な誤解をされ、その誤解を抱えられたままいると思うと、それだけで死ぬほど心を締めあげてきた。
「……失恋って、しんどいなぁ……」
なんて、一人で呟きながら、肌寒い夕暮れの空を泣きながら歩いた。ぼそりと呟いた声は、卒業を祝う群衆の声にかき消された。
きっと、夕夏は優しいから明日からは何でもない顔を装うだろう。わかりやすいけど、必死に平静を装う姿はいつもかわいらしかった。せめてあと一回くらいは、恋する気持ちでその姿を見ていたかったな。
遊楽の中を歩き、在りし日に思いを馳せる。数々の思い出が夕夏に対しての思いを再認識させる。それがたまらなく。たまらなく、辛くさせた。
騒がしい喧噪が鳴りやめと思った。だらだらと垂れ流されたような喧騒は楽し気で。今の俺の不幸を笑っているように聞こえたのだ。
「香月!」
そんな群衆の声をかいくぐった一言が俺の耳をつんざいた。それに思わず反応して、振り返った。
長髪を下ろし、風になびかせて仁王立ち。はっきりと顔は見えないのに、その顔は散々泣いて待っていたんだと言わんばかりの表情をしていた。
耳に届いた声色をやっと理解した。溌溂で、優しくて、とっても愛おしい。俺が勝手に、そう思っている声だった。
「夕夏……!」
ああ、なんだか。安心した。
それと同時に、少し恥ずかしかった。
俺のほほを流れる涙を、夕夏に見られるのが恥ずかしかったからだ。




