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募る思いも三十一で  作者: 時雨 悟はち
春に実を成す恋慕
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桜散る別れに、恋心も散り別つ

 巷では最近、朝の天気予報と共に花粉の情報がばらまかれている。

 多いだとか少ないだとか。スギの花粉かヒノキの花粉かとか。そういった情報がぽつぽつと話題に上がり始めていた。

 その話題は万人に受けるもので、俺と夕夏も今しがたそんな話題を話していた。


「うぅ……花粉の薬飲んでも一切合切聞いてない気がする……」

「大変だねぇ……。はい、三箱目ね」

「ごめんねぇ香月……」


 そういいながら夕夏は鼻息と共にとめどなくあふれ出てくる鼻水をティッシュに吹きかけた。

 ……いや、この表現はやめよう。あまりにも汚すぎる。

 ともかく。今日も今日とて、夕夏は花粉症に脅かされている。それさえわかれば、あとはいい。


 授業が終わり、今日も部活動の時間がやってきた。


「香月~。行くよ~」

「わかった。ちょっと待って」


 教科書、筆箱、その他もろもろをカバンに突っ込み持ち上げる。


「じゃあな」

「お~う。頑張れよ~」


 友人たちに見送られながら、夕夏の隣に立つ。夕夏との距離は、やっと前と同じまでに戻った。

 二人並んで校舎を行く。部室のドアを開くと、そこには変わらぬ景色が広がっていた。

 本棚が並び、部員たちは思い思いに文芸に取り組み、そして窓からは四季が顔をのぞかせる。半年ほど、何度も何度も立ち入った部室だ。

 ただ一つだけ。俺らからすれば、大きな一つが変わってしまった。


「お疲れ様です部長」

「お疲れ様です加賀先輩」


 そういうと、空席になってしまった椅子に座っていた男子がこちらを向いた。


「お疲れ二人とも。今日も外に行くのかい?」

「はい!」

「といっても、今日は憩いの大樹で詠む予定ですけど」


 うんうんと頷き、あまり没頭しすぎないようにと忠告するだけで、先輩は編んでいた詩に向き合い始めた。俺たちは荷物だけ置き、ペンと短冊の束を片手に部室を出ていった。


 三月九日。我が校の三年生はこの学校から巣立つ時と迎えた。その中には、俺らがお世話になったひばり先輩もいた。


「ぶじょー!グズッ、ぞづぎょうおべでどぉ……!」

「もー。お顔が涙でぐちゃぐちゃよ……」


 涙でボロボロになった顔で渡された花束を、ひばり先輩は薄らに涙を浮かべて受け取った。

 ひばり先輩たちの代が卒業を迎えた。先輩たちの代は四人の部員がいて、その四人の門出を部員全員で祝いに来ていた。


「ひばり先輩。おめでとうございます」

「香月くん……。二人とも、あの時は本当にありがとうね」


 にこっと笑う先輩の姿に、俺も自然に笑みが漏れた。

 あの後書いた作品を応募したところ、最終選考まで選ばれたらしい。入選までは届かなかったものの、そこまで作品が認められたのは大きな自信になったようだった。


「君たちのおかげで、私の小説を成長させられた。本当に、どれだけ感謝したらいいか……」

「いえいえ。それで言ったら、そもそも俺の入部を迎え入れてくれたことにお礼したいです」


 悪態をついて出ていった俺の入部をひばり先輩は快く受け入れてくれた。ひばり先輩の優しさのおかげで、俺はサッカーで空いてしまった穴を埋めることができたのだ。


「……あの時、先輩が僕のこと受け入れてくれたから。俺はまた何かを頑張ろうって思えたんです。だから、その……」

「ふふっ。いいのよ。そのおかげで私も助けられたからね」


 一陣の風が吹き、先輩の後ろを舞っていた桜が優雅に舞い上がった。離れ離れになるのは少し寂しいが、それ以上に先輩の卒業をおめでたく思っていた。

 隣で泣きじゃくっていた夕夏もそろそろ気持ちが落ち着いてきたようで、今はハンカチで涙と鼻水を一生懸命拭っていた。


「……じゃ、あたしは他の先輩に挨拶してくるね」

「え?あ、おう」


 そういって、夕夏は去っていった。わずかに眉間にしわを寄せて、まるで逃げるように。

 その様子がおかしいという事を、ひばり先輩も感じ取っていたようだ。訝しむような顔をして俺に問いかけてきた。


「……もしかして、喧嘩中?」

「いや、そんなことないですけど……」


 それはそうと、なんでか知らないけれど夕夏はやたらと俺と一緒にいる場面をひばり先輩に見せることを嫌がっていた。そのたびに見られたくないのかなとか思うが、ひばり先輩がいないと別にそんな素振りは見せないので、ただの偶然か男女の仲を疑われたくないのかと思っていた。

 前者ならともかく、後者なら嫌だなぁと思っていたが……。


「……なんか、先輩に男女の仲を疑われたくないっぽいですね」

「えぇ~?そんなことある?」


 わかんないですよ、と言おうと思ったがやめた。当の本人がわからないことが第三者であるひばり先輩にわかるわけがない。


「……しょーがない。私が最後に、力を授けようじゃないか」

「本当ですか?なんか、そういって結局仲を取り持ってくれたことなかったような……」


 ひばり先輩が無言で圧をかけてきたので、それ以上の言葉はしっかりと飲み込んで消し去った。不機嫌そうな顔をしながら、渋々と言った態度で夕夏のもとへと向かっていった。


「いや、だって実際そうじゃん……」


 という呟きは、幸い届くことはなかった。


 ささやかな送別が終わった後。俺は夕夏と一緒に部室に残っていた。


「ふぅ……。これで、本当にお別れだな」

「ねぇ~。なんだか、ちょっとだけ寂しいかも」

「だな」


 今は他の部員もいないのに、それでもなんだか空虚な思いが込み上げてきてしまう。子の部室から、先輩たちはとうとう旅立ってしまったのだ。


「なつかしーなぁ。最初、あたし怪我してる香月とぶつかってさ」

「あーあったねそんなこと。そのあと、俺がすっごい悪態ついて出ていったやつ」

「あの時、実はめちゃくちゃ焦ってた」

「うっそだ」


 いつしか在りし日に想いを馳せ、俺らが歩いてきた今までの道のりを語り合っていた。

 この少しの期間だけで、俺たちは多くの景色を短冊に映してきた。


 秋の校舎


 部活の風景


 寂しくて仕方がない心情


 ぶつかって、立ち直ってまたぶつかって。本気で向き合うからこそ築けた関係が、俺たちの中にはあった。

 きっとこれからもずっと、それが続いていく。ついつい、このままずっといられたらなと思ってしまう自分がいた。

 日に日に強くなっていく想いが、一年も経たないうちに溢れ出しそうになっている。


「……夕夏」

「ん?」

「ありがとう。夕夏がいたから、また頑張るものを見つけられた」

「……」


 いつしか時を刻んでいた時計は夕方を指していた。過ぎていく時と共に、先輩たちと一緒だった時間も前に歩いていく。俺の中の思い出も歩いていく。だけど、たった一つの時間だけがこのままじゃ進めないと言っていた。


「夕夏の居場所になりたくて。夕夏の相棒でありたくて。ずっと夕夏と一緒に切磋琢磨できて、毎日が楽しい」

「香月……」


 口から言葉が出てくるたびに、想いが溢れ出す。言いたいことが団子みたいに固まって、喉元でやや詰まっている。感謝があって、愛おしさがあって、その感情がひっくるまって好きを形成していた。


「だから……だから」


 意を決して呼吸を一つ。止まらないこの気持ちが、今夕夏のもとに行きたいと言ってきかなかった。


「……ごめん」

「え?」


 だからその一言を理解することが難しかった。今にも溢れ出てきそうな「好き」が、喉元で急にせき止められ喉を詰まらせた。


「あたし、全部知ってるから。知ってるし、ほんとお祝いするから」

「……?」

「だから……。うん、言わないで大丈夫」

「いや、一体何のこと……?」


 そう訊ねると、夕夏は何か言おうとしてその言葉を飲み込んだ。飲み込んだその言葉は、酷く夕夏を傷つけた。目じりに切ない涙を浮かべ、夕夏は俯いて言葉をすり替えた。


「……ほら、もう帰る時間でしょ?あたし先に帰るから……」

「ちょ、おい」

「じゃ、あとはごゆっくり」


 そういって、夕夏は部室を飛び出していった。

 追いかけるように、部室を出ようとした瞬間。


「わっ!」

「うわっ!?」


 危うく、そこにいた人にぶつかってしまうところだった。ギリギリのところで事故を回避したから、相手の顔が見えた。


「あれ、香月くん?夕夏ちゃんは……?」


 変わってこの部室に来たのは、ひばり先輩だった。廊下の四方を見渡しても、もうそこに夕夏の姿はどこにもなかった。

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